化かし054 人間
「じゃあ早速、人里に行こうか」
ミズメは立ち上がる。
「ちょっと待ってください」
今度はオトリがミズメの脚絆を引っ張った。
「あたしを脱がす気かい。さっきのお返し?」
「そうじゃありません、カノトミさんは衣すら着てないんですよ」
「そうだったね。日が沈むまで待てばいいか。それまで、あたしらが護衛してやれば例の人が来るだろうし、手っ取り早く済むね」
「駄目です! ちゃんと衣を着ないと! みやびやかなかたと釣り合いません!」
目くじらを立てるオトリ。
結局、彼女が単身で人里へ降り、本来は屋根と器を借りるのと引き換えにする予定だった巫行の用訊きを用いて、カノトミのための衣装を手に入れることとなった。
ミズメは“はりきりオトリ”が戻るまでのあいだ、滝にて裸のカノトミが悪さをされないように見張る役割を受けた。
「物ノ怪の私のために山伏様と巫女様の手まで煩わせて。本当にありがとうございます」
「構わないさ。あたしも物ノ怪だしね」
鳶色の翼を披露するミズメ。
「まあ! 鳥の物ノ怪ですか?」
「人と鳥の合いの子ってところかな。元々は人間だったんだ」
「ミズメ様は鳥になりたくて?」
「そういうわけじゃないけどね。仕方なかったって感じかな。でも、空は良いもんだよ」
「そうでございますか。私は蛇ですから鳥の卵を偸みますし、向こうからは空から爪で狙われるかたき同士の関係ですので……」
首を縮めるカノトミ。
「そんな心配もないさ。今はもう人の身じゃんか。でも、人間に成ったら面倒は増えると思うよ。自然の摂理以外にも従わなきゃいけないものが多いからね」
「人の暮らしは遠目で眺めていましたが、奇妙なものですね。彼らはずっと田んぼや畑を広げ続けています」
「今の伊賀は開拓に躍起になってるからね。坊主の勢力が強いし、あたしらは余所の術師だし、オトリがちょっと心配かな」
「心配ですか。霊験のある心根の良い巫女様に思えますが」
「だからだよ。縄張り争いみたいなものだね。縄張りに強い獣が入って来たら嫌だろ? 人も群れを作る生き物だからね」
「よく分かりません。蛇は大抵は一匹で過ごすものですから」
首を傾げる蛇女。
「退屈凌ぎに人間の“いろは”ってもんを教えてやるよ」
ミズメはオトリが戻るまでのあいだ、カノトミに人の暮らしについて話して聞かせた。
ミズメ自身も、長くは生きているものの浮世離れしたところがあるため、人と人との関わりの経験に偏りがあった。
その点については代わりに直近にオトリとの旅で体験したことを話して穴埋めとした。
カノトミは興味深そうに頷くも、人の世の煩わしさには辟易したようであった。
さて、日が暮れてもオトリは戻らず、先に男のほうが滝へ来てしまった。
「へえ、美男だね。ともあれ男は男だ。そのまま飛び出して、秋波を送れば手っ取り早いとは思うけど」
「気持ちは山々ですが、折角、滝神様より人の身を賜ったのです。獣や物ノ怪の色香ではなく、人としての流儀で添い遂げたく思います」
「相手は貴人だからなあ。都の流儀だと一層ややこしいね。向こうが気に入ってくれれば、それで済むんだけどね」
男は滝のそばに来ると笛の演奏を始めた。
その鵺子鳥のごとしの侘しき音色もさることながら、横笛に踊る運指も艶やかで、瞳閉じ寄せる柳眉が目にもみやびさを引き立てる見事なものであった。
「どこぞの色事師とは大違いだね……」
詰まらぬ呟きと共にカノトミの横顔を窺う。
彼女は全てを忘却したかのように、熱心に男へ視線を送っている。
「人の身というものは、こうもつらいものなのですね」
胸を押さえて切なげな吐息。
「気持ちに身を任せるのも一興だとは思うけど。人間だって我慢ばかりするものでもないしね」
「いいえ。ここは堪えます。はあ……」
繰り返しの溜め息。
しばらくのあいだ、茂みから男の所作を見物する。
笛の演奏をやめて滝を静かに眺める男。彼もまた、何度も溜め息をついていた。
――なんだろうね。まさか、あの男も誰かを想い煩ってるんじゃないだろうね。
ともなれば、悲恋であろう。助けた蛇に恋して……などという都合の良い展開はあるまい。
結局、カノトミは最後まで男の前に飛び出すことはしなかった。
蛇暮らしの長い化生にしては、奥ゆかしいというか意地らしいというか。
ミズメは単純に相方のやりたいようにさせるだけのつもりで付き合っていたが、彼女自身もまたカノトミへ積極的に手を貸してやろうという気が沸いてきた。
さて、残月も東雲と向かい合ったころ、ようやく巫女の娘が戻ってきた。
意気揚々と飛び出したためにミズメは助言も注意も与えそこなっていたが、オトリの表情は明るく、小脇にはしっかりと小袖の着流しと腰布まで抱えていた。
「褒めてください! 村を二件も回ってお手伝いをしてきたんです。お坊さんたちはやっぱり手抜きだったので、許可証なんて見せなくても引っ張りだこでしたよ」
胸を張るオトリ。ミズメは適当に褒めておいた。
それから、ふたりは滝の水を借りてカノトミの身体を清めてやり、手に入れてきた小袖を着つけてやった。
蛇女は衣を着ると、「脱皮前のように窮屈です」と言った。
「脱皮するのはもうちょい辛抱だね。丈も綺麗にあってるし、里で評判の美人って感じだ」
「素敵ですよ! これなら“フジワラ様”にも見初めて貰えるはずです!」
オトリの口からなんとも面倒臭そうな姓が飛び出す。
「フジワラ? あの男はフジワラって姓なの?」
「ええ。日が沈むと山へ笛を持って出掛ける貴人さんを知りませんかって訊ねたら、この荘園の受領のフジワラ様だって」
「あちゃあ……ちょいと面倒かもね」
「受領だからですか?」
「そうじゃないよ。“藤原氏”といえば、古来より日ノ本で強い権力を維持し続けてる一族だ。都の貴人は勿論、スメラギの親族まで混じってる。お師匠様にも無闇に関わるなって言われてたくらいだよ」
「むむ……でも、悪い噂は聞きませんでしたよ。むしろ、土地争いをするお坊さんへの悪口のほうが多かったです」
「藤原にも色々だからね。今は北家以外は権力も弱まってるし。伊賀は近国だけど下国で、朝廷にとっては目の上のたんこぶ扱いだ。貧乏籤でここへ仕官させられた可能性も高いね」
「じゃあ、ミヨシ様みたいに正義感が強くて都から離されたのかしら? 人情のあるかたなら、素直に事情を話せばカノトミさんともお付き合い頂けるかも」
「それなら坊主にやられっ放しということはないんじゃないか? さっきここにきて笛を吹いていったけど、益荒うより手弱むほうが性分に合ってますって感じだったよ」
ああでもないこうでもないと言い合うふたり。
「あの……フジワラ様も私のように何度も溜め息をついていらっしゃいましたけど、私と同じということでしょうか?」
カノトミが首を傾げる。
「同じって、相思相愛ってことでしょうか!?」
巫女の鼻息が唾と共に飛んでくる。
「ないない。一度、傷を洗ってやっただけの相手だよ」
「では、あのかたには他に想い人がいらっしゃるということでしょうか?」
蛇女は震え声である。
続けて「おや?」と漏らした。
「これはなんでございましょうか。眼から水が止まりません」
「涙ですよ。きっと哀しいのね。もしかしたら、上手くゆかないかもしれないから……」
オトリはカノトミの背をさするが、その表情は早くもしょげている。
「凹むにはまだ早いって。溜め息の原因が色恋だと決まったわけじゃない。仮にそうだとしても、相手がまだ生きてるとも限らない。ああいう手合いはどうしようもないことに想い煩うのが好きなのさ。それを笛の音や歌に乗せるのが都人の風流ってものだよ」
「哀しいけど素敵な習わしですね。私も歌を贈り合ったりしたいな」
「オトリはこの手の話が好きなんだね」
「はい。じつを言うと、私が巫女を志願したのも、里の巫女頭のあるお役目に憧れたからでして」
「お役目?」
「神殿にあった柱を覚えていますか? あれは心御柱といって、普通は神籬の役割を持つものなんですが、うちの流派では想い合ったふたりが永遠の仲を誓い合うさいに、晴れ着を着てその周りをまわる儀式があって、そのために使われるんです。その結婚の儀で柱の前に立って神様の祝福を伝言するのが巫女頭のお役目なんです。ミナカミ様も里の皆もその儀式が大好きなんですよ」
楽しげに語る巫女の娘。
「へえ、面白いね。縁があったら見てみたいね」
と言いつつもミズメは苦笑した。
その柱は、ミナカミがオトリの身体に降りて勾玉の破壊を試みたさいに、大きな亀裂が入っていたのを思い出したのだ。
縁結びの儀の柱に亀裂で、しかもそれを入れたのが里の女神ときている。なんとも縁起の悪い話である。
「流儀だ儀式だと、人間とは息苦しいものなのですね。私も、人の身になってから、苦しいばかりで……」
カノトミが溜め息をつく。
「そのぶん、素敵なことも沢山あるはずですよ。思いが遂げられたら、記念に結婚の儀をやってみませんか?」
「ありがとうございます。私は諦める気はありません。蛇は執念の権化でございますから」
「ま、上手くいくんじゃないの。都の流儀で言うなら、フジワラのみやび男はすでにここに通い詰めてるわけだしさ」
ミズメは笑ってみせる。
「そうです。絶対に上手くいきますよ! ああでも、もし駄目だったらどうしよう!」
まるで自分のことのように表情をくるくると変えるオトリ。
「あの、難儀なことだとは思うのですが、一つお願いを付け足させてもらってもよろしいでしょうか?」
カノトミが言う。
「仮にあのかたの心を射止めることができたとしても、このまま人の身で出逢えば、“人間のカノトミ”として愛されることになります。それを想うと、蛇の身として救われたことや、毎晩草の陰からあのかたの顔を見上げた気持ちを裏切るような気がしてしまうのです。欲深いこととは思いますが、その点もどうにかしていただけたら……」
「物ノ怪だって明かしてしまうってことですか?」
オトリは唸った。
「やはり、危険なことでしょうか」
肩を落とす蛇女。
「良いじゃん、そーいうのは好きだよ。カノトミも随分と人間臭くなったじゃんか。ここはあたしが策を弄してやるから、大船に乗った気でいなよ」
天狗たる娘はそう言うと、ふたりの陰ノ気を吹き飛ばさんと快活に笑った。
さて、当の男が居ないところで語り合っても埒は明かぬ。
ミズメはオトリにカノトミのことを任せ、人里へ情報収集に向かった。
男の溜め息の理由いかんでは出方を変えねばならない。
聞き込みの結果、フジワラなる男の素性が明らかになった。
諱は藤原唯直。
先の夏から都より派遣されたばかりの国司である。
彼の領分とされる荘園は、すでに東大寺派閥の僧侶たちに譲られる予定となっており、その引継ぎのためだけに任ぜられていた。
藤原氏といえど、現在隆盛を極めている北家の者でもなければ、四家のどれにも所縁がなく、その胤を辿れば祀ろわぬ民であった藤原千方に行きつくという。
つまり、タダナオは祖先の罪の香る忌み地、それも南都派の僧侶に手渡され消える領地へ、嫌がらせとして派遣されたのであった。
「それであんたは溜め息をついてるわけだ」
……ここはそのタダナオの屋敷である。
「家人を化かして妙な山伏が押し入ってきたと思ったら、悩みを訊かせろなどと。おまえは一体なんなのだ」
「あたしは水目桜月鳥。人助けをしてまわってる正義の山伏さ」
ミズメは、ちまちまと人里で聞き込むことが面倒になって本人の屋敷へ乗り込んでいた。
「人助け? その割には、妖しの者の気配がするが」
「霊感持ちか。幻術にも掛からなかったよね」
「修行も精進もしとらんがな。これは忌々しい血筋の力だ。私自身は言われるままに朝廷に仕えていたというのに、この血のお陰で随分と嫌がらせにあった。まったく散々な人生だよ。それに、鬼のたぐいとも会ったことがあるゆえに、妖しの者の気配には慣れておる」
「物ノ怪を見抜けるとなると、ちょいと厄介だね。吉と出るか凶と出るか……」
「何をぶつぶつ言っておるのだ。用件をさっさと言え。僧侶どもには大人しく従っているだろう? 腹に何も企みをもってはおらぬ。識神を向けられる筋合いはないぞ」
そう言ってタダナオは足緒を解いて太刀を外し、脇へ置いた。
ミズメは太刀を置く手を睨んだ。タダナオは家人が化かされて騒いださいにも、太刀へ手を掛けながらも抜くことはしなかったのである。
「……確かに使いとして来たけど、あんたにはある女に会って貰いたくてさ」
「女? 都では家の都合で面倒な結婚をさせられ、この地へ流されてようやく離縁できたと思ったところだったのだが……。本格的に官位をすっぱ抜きに来たようだな。誰の相手をすればいい? 病持ちの売笑か? それとも村の雑魚寝にでも混じって、農夫にでもなればいいのか?」
投げるように言うタダナオ。
「そういうのじゃないよ。あんたのことを一途に想ってるひとがいるから、それを教えに来たんだ」
「誰がだ? 民すらも混乱の種だと陰口を叩くか、祀ろわぬ血と煽って伊賀を日ノ本から独立させろなどと、好き勝手を言う輩ばかりではないか」
「彼女はこの地に棲んでるけど、人里じゃないんだよね。あんたに親切にされて惚れたんだとさ」
「憶えがない。私としては、この地に来てからはなるべくことを起こさず、好かれも嫌われもせぬように努めてきたつもりだ。どうせ立場を失って消えるだけの身だ。おまえは、混乱に乗じて私欲を満たすために私を化かそうというのだろう。これ以上のやっかいごとは御免被る」
腕を組むタダナオ。
「違うって。逢って、そのひとの話を聞くだけでいいからさ」
「断る。もう、人と関わるのはうんざりなのだ」
「頼むよ。うんと言うまであたしはここを動かないよ」
ミズメもまた腕を組み待つ。
沈黙は長く続く。
タダナオは狼藉者の天狗娘を追い出しに掛かろうともせず、あまつさえ太刀を置いたまま先に立ち上がった。
「逃げるのかい?」
ミズメは溜め息をつく。
「臆病者で結構。私は武人でも術師でもない。そのうちに官位も失う、情けない笛吹きの男だ」
男だ女だと言うつもりはない、血筋がどうであろうと、それを差別する気もない。
だが、立場や才能を持ちながらにして中途半端な逃げに甘んじているタダナオは、真っ直ぐな蛇娘にはいささか不釣り合いに思えた。
都へ仕返しをしろとか、坊主も物ノ怪も抱き込んで笑う気概を見せろとかまでは言わぬが、せめて天狗の狼藉に向かって白刃を晒すことくらいはして欲しかった。
「あんたを想ってるその人は、身分が違う。叶わぬ恋を叶えようと、あんたと添い遂げようと必死になって努力をしてるんだ!」
ミズメは声を荒げて立ち上がった。
「光栄なことだな。私は生まれてこのかた、他者から好意を向けられた憶えがない。それが本当ならば、共に駆け落ちてやりたいくらいだ。だが、当人が姿を現さないところを見ると、狐狸のたぐいなのだろう? おおかた、俺に糞のおはぎを喰わせて笑おうという魂胆に違いない」
「そんなんじゃないって。ちょっとくらい他人を信じたらどうなんだよ」
「他人? 人も物ノ怪も鬼も、滓しかおらん。神や仏は見たことも声を聞いたこともない。この世に救いなどありはせんのだ」
「あんた、ここの役人なら巫女の話は聞いてないかい? この近隣で昨日、本物のお人好しが親切をしてまわってうろついていたはずだけど」
「巫女? そういえば家人が言っておったな。だが、この地で漂泊の巫女が巫行など行えば、法力僧どもに殺されるのが落ちだ。というか、噂ではすでに巫女の首に褒美が掛けられていると聞いたぞ。善意など、かくも虚しく踏みにじられるものよ」
タダナオが嘲笑う。
「その巫女も、あんたのために走り回ってんだけどね」
「流れの巫女と添うつもりはない。まして、自分から厄介ごとに首を突っ込む間抜けなどはな」
「ちょっと同意。でも、相手はその巫女じゃないよ」
「では、何者なのだ」
「あたしからは言えないよ。本人の口からあんたの耳に直接聞かせないと、意味がないからね」
「……怪しすぎる。もう一度言う、厄介ごとは御免だ。その女にも会わぬし、屋敷からも一歩も出ん」
タダナオは静かにそう言うと、太刀もミズメも放って部屋から出ていってしまった。
結局、ミズメはそれ以上は追求せずに滝へと引き返した。
カノトミには彼の名と彼が今“やもめ”であることだけを教えておき、他のことは伏せておいた。
カノトミは水辺に腰掛け、想い人の名を繰り返して一層切なげに吐息を吐いた。
一方で相方のオトリは頭を抱えて、うんうんと唸った。
「お、お尋ね者。褒美が掛けられてる……。良いことしたのに……。皆は喜んでたのに……」
「ちょいと張り切り過ぎちゃったみたいだね。ちなみにオトリの首を取ったら、絹の布束三つに半年ぶんの税の免除だってさ。大盤振る舞いだね」
「うう、迂闊でした。僧侶のかたが開墾に打ち込みっぱなしで、本業がおろそかになっていらしたので、まとめて全部解決しちゃったんですよね……」
「この件が済んだら、伊賀をさっさと発ったほうが良いね。事情が事情だから全国手配ってこともないでしょ」
「ごめんなさい。本来の目的の情報収集も難しくなっちゃって……」
しょんぼりと表情を落とすオトリ。
「構わないよ。坊主からの情報はあまり当てにしてないし、近江のほうが人や噂の流れも良いしね」
「どれもこれも、土地争いばかりしてる人たちのせいです!」
珍しく恨みがましい巫女の娘。
「部外の巫女が余程邪魔と見えるね。この感じだと、タダナオも何かの謀に掛けられる可能性が高いよ」
「それに、カノトミさんが会えても、人間じゃないって知られたら……」
想いを拒絶されなかったとしても、物ノ怪相手に僧侶が良い顔をするはずがない。タダナオの大嫌いな面倒ごとになり得る。
「それも問題だけど、あの腰抜けをどうにかするのに骨が折れそうだよ」
ミズメは溜め息をついた。
「腰抜けは言い過ぎだと思いますよ。出自で苦労なさったすえに争いごとから逃げたくなる心情は、私にはよく分かります。逃げてしまっても良いと思いますよ」
「それもできないしがらみがあるんだろうけどね。人間ってのは面倒な生き物だね」
「面倒臭いにもほどがありますよ! まったく、親切にしてるのにどうして殺されなきゃならないんですか! 十六年も生きてる女の子の命が税の半年分って安くないですか!?」
声を荒げるオトリ。
「反物もあるけどね。地元の坊主や巫覡に嫌われるのはもう慣れっこなんじゃないのかい? 民は悪口こそいえど、ちゃんと食えてたみたいだし、ほっとこうよ」
憤慨する相方を見て苦笑い。
「私が他者の領分に手を出したのでそこは譲りましょう! でも、これじゃ、カノトミさんが想いを遂げられても、僧侶たちに目を着けられてしまいます。人の恋路を邪魔する嫌なかたたちです!」
地団太を踏むオトリ。
「あっはっは。面白いやつ」
「ちいっとも面白くありません! ……ところで、ミズメさんが話してくれたタダナオさんの言ってたことって、正確ですか?」
「さすがに情報収集に出て得た話を二、三歩歩いて忘れるような頭はしてないよ」
「そうでなくってですね。人に好かれたことがないとか、もううんざりで駆け落ちでも構わないってところです」
「うん、確かに言ってたね。でも、あたしは説得に失敗してるし、オトリもお尋ね者だ。今晩は出てきてくれそうもないし、屋敷も警戒してると思う。打つ手がないや。ごめんな、張り切ってたのに」
タダナオに会うのに強引な手を使ったのは失策だったか。ミズメも相方へ謝った。
「謝ることはないですよ。私も諦めてませんから」
オトリはにこにこしている。
……が、表情くるり、目が座った。
「むしろ、好都合ですよ。ミズメさんは妖しい幻術使い。カノトミさんは蛇の物ノ怪。そして私は、首を狙われる大悪党の巫女ですよ。だったら、人間の流儀なんて糞喰らえですよ」
口から飛び出すあるまじき言葉。
――おや、面白い考えがあると見たね。
ミズメはそんな相方を見て心の中でほくそ笑んだ。
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鵺子鳥……トラツグミの異名。寂しげにないているように聞こえる。
近国……都のある畿内からの距離を示す分類。近国、中国、遠国のみっつがある。
下国……あるいは小国とも。国力を示す等級。大国、上国、中国、下国の四分割で示す。
心御柱……伊勢系の神社で神籬に使われる柱。必ず大地から伸びるように立てられる。
神籬……神の降りる憑代の一種で、神社の外や本来の神の居場所と違う場所で神事を行うさいに臨時の憑代となるものを指す。
足緒……太刀の鞘を腰につるすための紐。
雑魚寝……未婚の男女たちが集まって同じ家に寝る。そういった形で関係をもって夫婦となる風習は古代から現代まで長く地方に存在する。




