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化かし052 星降

 鬼と穴へ八つ当たりをしているうちに、オトリの愚痴っぽさは鳴りを潜めた。

 会話の内容も現状に対する堂々巡りよりも、これから巡る地への期待へと移り変わり、ふたりのあいだに流れる空気も軽やかなものへと変じていった。


丹後(タンゴ)といえばね、今の時期は(カニ)が美味しいんだよ」

「蟹かあ。蟹は蟲の仲間だから苦手かなあ。川の水を借りていると、石ころだと思ってたのが急に動き出してびっくりします」

「逃げてるだけだし、平気だよ。それに、海に棲む蟹はもっと大きいんだよ」

 顔の大きさほどを手で示す。

「うっ、それは無理です。そんなに大きいと、物ノ怪なんじゃないかと疑います」

「沢蟹と海の蟹じゃ全然違うよ。脚にも身が詰まってるし、蟹味噌は酒のあてに最高だよ。一度食べてみたら、見かたが変わると思うよ」

「うーん。やっぱり、あの甲羅と脚の多さは苦手かなあ」

「オトリは何が好きなの?」

「お米とお魚ですね。うちの里では、お祝いごとのある時には外からお米と(タイ)を仕入れるんです。神様への御供えにも使われるので、直会(ナオライ)でもよく出ます」

「魚も色々獲れるけど、イサザが有名かな。こんなちっさい魚なんだけどね。生きたまま食べる人もいるみたいだよ」

「生きたままですか!? 可哀想!」

「そうかなあ。なんでも新鮮なほうが美味しいし、口の中で動いたほうがありがたみが沁みるんじゃない?」

「でも、生きてるうちに噛まれたら痛いですよ! 死んじゃいますよ!」

「そりゃ、食べられるんだから死ぬよ。動物たちは生きてるうちに食べるほうが多いけどねえ」

「わざわざ血抜きをしたり、火で炙ったりもしませんよね。料理をする私たちのほうが変なのかな?」

「食べられる側の獣も、わざと虐めるようなことをしなきゃ、怨みに思ったりもしないでしょ?」

「確かに。そうでないと、全ての生き物は魂が穢れちゃいますね」

「でしょ? あたしも勧められて踊り食いをしたことあるけど、なんかこう、ありもしない鳥だったころの記憶が蘇る気がしたよ」

「ふうん。でも、私はちゃんと調理したのを食べたいなあ……」

「じゃあ、甘煮かな。水飴と醤油で煮詰めるんだよ。炊き立ての米や辛い酒とよく合うんだ」

「わあ……美味しそう」

 オトリの口から水飴のごとしの唾が垂れる。

「でも、飴もお醤油も貴重なものですよね」

「ちょっと値が張るけどね。都の市では売ってたでしょ? 飴売りの市女(イチメ)も居たじゃん。飴~、飴~って言ってたでしょ?」

「見逃してました。食べたかったなあ、飴。私、甘いものが好きなんですよ。お米もずっと噛んでます」

「あたしは甘過ぎるのはちょっと苦手かな。甘煮は(イナゴ)がはやってたけど、甘煮にするとなんでも味が同じになる気がして勿体無いなって」

「い、いなご……?」

 露骨にいやそうな顔をするオトリ。

「あいつらは稲を食い荒らすからね。それでまた増えて、よその村へ移って荒らしてって、どんどん酷くなる。それで田園が滅びちゃうこともあるからね。米を喰われたぶん、食い返してやらなきゃ」

「理屈は分かりますけど、やっぱり虫は苦手です。飴が良いなあ、飴が。水飴が空から降ってきたりしないかなあ」

 オトリは手のひらをかざす。

「降ってくるかっ! 降ったら降ったで、べたべたになっちゃうよ」

「そしたら舐め放題なのに」

 飴に濡れたつもりか手の甲を舐める妄想娘。

「獣の毛づくろいじゃないんだから。そんなに甘いのが舐めたきゃ、林で樹液でも調べてきたら?」

「季節が悪いですよ。夏まで待たないと。虫が集まってない樹を探すのが大変で、頑張って早起きしても、いつも先を越されるんです」

「……本当に探してるんだね。まさか、そのまま舐めたりしてないよね?」

 この寝穢(イギタナ)い娘が早起きとは。ミズメは冗談交じりに訊ねた。


「煮詰めないとあんまり甘くないけど、我慢できなくって」

 オトリは頬染め頭を掻いた。


「ええ……」

 ミズメは木を直接舐める巫女を想像した。

「果物も腐る手前が好きですし、お花の蜜も好きですよ」

「オトリは蟲嫌いの癖に虫みたいだね」

 苦笑い。

「えーっ、虫と一緒にしないで欲しいなあ!」

「もしも、お師匠様に物ノ怪にして貰う機会があったら、虫の物ノ怪にして貰うといいよ」

「やだ! 絶対やだ! 私も鳥が良い!」

「じゃあ、寝覚鳥(ネザメドリ)にでもしてもらおう。寝坊しなくなるよ!」

「こけこっこー! ……って、あれじゃ空は飛べませんよ」

「空が飛びたいだけなら、虫にもいくらでも飛ぶやついるじゃんか。蝗にしよう。水飴まみれになれるよ」

「やだやだ! せめて蝶々にしてください!」

 やだと言いながらも愉しげに髪を振るオトリ。

「蝶々でも虫は虫だからなあ。あたしの鳥の魂が疼いて、こう……がぶっと!」

 ミズメは相方に抱き着く。

「きゃーっ! 食べられるーっ!」

 楽しげな悲鳴が上がった。


「……食われるのは貴様らどっちもじゃ! わしを無視しおってからに!」

 どこからか声が割り込んでくる。

「もう一度言うぞ。よく聞け、わしは世燃ス焔(ヨモツホノオ)の術にて地上を焦土にせよと命じられた黄泉の鬼女、宍産霊(ニクムスビ)じゃ。昨今は、地獄とやらの鬼どもが幅を利かせているようじゃが、貴様ら覡國(カンナグニ)の人間に黄泉の炎と瘴気の力を思い出させるべく……ぎょええええ!!」

 醜女は胸に鉄鉾(カネボコ)を受けて黄泉路を転がり落ちて行った。


「楽しんでたのに邪魔するなよなーっ」

 ミズメは溜め息をついた。


「あんたたち、しっかりと警備してるみたいね。多分、今の鬼婆で最後になるわよ」

 鬼と入れ替わりに白い翼の女が降りてくる。どうやら、結界を張り直す目途がついたようである。



 ギンレイに連れられて村へと向かうと、鍛冶場からは子供たちのはしゃぎ声が聞こえてきた。

「子供の声だ。何をしてるのかしら?」

 オトリが首を傾げる。

「手伝って貰ってるのよ。今度の炉は踏鞴(タタラ)式にしたから」

「踏鞴?」

「オトリちゃんが直した(フイゴ)あったでしょ? あれの大きいのを作って地面に埋めてね、皆で踏んで空気を送り込むの」

 鍛冶場に入ると、ナムチの子供たちが傾いた板の上で揃って屈伸をしていた。

「こんな谷じゃ、退屈するしな。結界が緩む時期だと遊びにも出れんから、こいつらも気に入っとるよ」

 鍛冶師ナムチが満足げに言った。

「踏鞴はよそでも見たことがあるね。隠れ谷だったせいで、外から伝わらなかったのかな?」

「そうみたいね。火力が上がったら溶かせる石も増えてね。それで色々験していたら、長持ちする結界を張る目途もつけれたわ」

「へえ、さすがお師匠様!」

「ミズメさん、炉の光を見てください。なんだか青いですよ」

「ほんとだ」


 オトリに促され、石を溶かしているであろう円筒状の炉を見やる。

 本来、赤や白に輝くはずのそれは、魂のような青白い光を放っていた。


「これって、(リン)の炎ですか?」

「オトリちゃん、正解。天竺(テンジク)の鉄の製法に、燐を混ぜる技があってね。それを真似してみたの」

「そうすると錆びないんですか?」

「ううん。錆びる」

「駄目じゃん」

 ミズメは突っ込んだ。

「錆びるんだけどね、朽ちてぼろぼろになるんじゃなくて、目が細かくなる感じになるはずなの。表面が風や水を通さなくなって中を護るから、形は長く保っていられるはずよ。本当は、あの銅に似た石を当てにして強い炉を作ってたんだけど、いざ探すとほとんど出なかったのよ」

「“はずれの石”だから多く見つかってた気がしたんじゃがなあ」

 ナムチが頭を掻く。

「敢えて錆びさせるかあ。面白い発想だね」

「でも、燐は毒ですよ。急に燃え出すこともありますし、そばの土や水は穢れてしまいます」

「金物を埋めたら土が汚れるのはどうせ一緒よ。調べたんだけど、穴の付近には地下水も流れてないし、盛り土をやめて穴の周囲を窪ませる工事をすることにしたの。深くに埋めて、地上に影響が出ないようにするの。穴の周囲に土が盛ってあったのは、龍脈の陽の力が流れ込むように陰穴(インケツ)にするためだったんだけど、これはもともと封印具に込められた霊気の量が充分でなくても機能するようにしていた工夫で……」

 銀嶺聖母が風水学の蘊蓄(ウンチク)を垂れる。

「説明はいいから、何をすればいいかだけ教えてよ」

 ミズメは面倒臭くなった。

「私は風水のお話も聞きたいなあ」

「オトリちゃんは土術も使えたわよね? 穴の周囲を窪ます工事と、金物の毒が広がりにくくなるように土を固めて貰いたいの。周囲に木板を埋めて、毒に木が冒されたら交換して焼いて清める方法をとるわ」

「木も埋めるんですか?」

「金は木を剋するから、金物の毒は土より先に木のほうへ流れやすいのよ。私は理屈は並べられるけど、土術の工事はできないから、ナムチの人たちと一緒にやってくれない?」

「なるほど。任せてください!」

 オトリは嬉々として返事をする。


「ねえ、お師匠様。あたしは何したら良いの?」

「あなたは石術が扱えるから、他の人と一緒に封印具に霊気を込めてちょうだい。陽穴(ヨウケツ)になって陰ノ気が流れやすくから、封印具の数も増やすわ。そのうえ、新しい鉄鐸(テッタク)は若干気が馴染みづらいし、長持ちさせるためには大量に込めなきゃいけないから、大仕事になると思うけど……」

「うへえ。あたし、鬼退治で疲れてるんだけど」

 舌を出すミズメ。

「そうでなくとも、あなたの霊気じゃ不足かも」

 肩をすくめるギンレイ。

「じゃあ、どうするのさ? ナムチの人たちにも、それほど強い霊気を持ってる人がいるような感じはしないけど……」

「そこなんだけど、オトリちゃんにちょっと頑張って貰おうかな。工事でも霊気を行使して貰わなきゃいけないから、疲れちゃうかもしれないけど」

「私ですか?」

「そう。あなたたち、霊気のやり取りができるでしょ? オトリちゃんの有り余ってる霊気をミズメに貸して、それを封印具に込めて貰うの。本当は私の力を込めても良いんだけど、邪龍の気がまだ馴染み切ってないから、黄泉路を封印するには不向きなのよ」

「ギンレイ様が仰るなら頑張ります。やっぱり、邪気を喰うなんて無茶をなさらないほうが良かったんじゃ?」

「平気よ平気。陰ノ気の比率が増えても性格が悪くなるだけだから」

 からからと笑うギンレイ。


「いやあ、平気じゃないかもよ。お師匠様はね、陰ノ気が立つとすっげーいやらしくなるんだ」

 ミズメはオトリに耳打ちした。

「い、いやらしく?」

「そーそー。オトリも気をつけなよ。朝起きたら裸で一緒の布団の中かもしれないぜ」

「ギンレイ様って女性ですよね?」

「じつは天竺の淫奔を司る邪鳥の化身でね。男は勿論、女でも鳥でも山羊でも蝸牛(カタツムリ)でも、その辺の木でも襲うんだぜ。お師匠様に襲われた木は、冬でも樹液をたっぷりと出すからすぐに分かる」


「そ、そんな」

 後ずさる巫女の娘。


「嘘だけどね」

 笑うミズメ。


「信じそうになった! そういう冗談はよしてください!」

 と、言いつつギンレイをちらと見やるオトリ。


「嘘じゃないかも」

 当人がにっこりと微笑んだ。


「もう! ギンレイ様まで!」

「冗談はともかく、今より鬱陶しい絡みをしてくるようになるのは間違いないから、オトリには頑張って貰わないとね」

「鬱陶しいだなんて。私はふたりに構って欲しいだけなんだけどなーっ。ふたりとも超仲が良いし、焼きもち妬いちゃってねえ」

 頬を掻くギンレイ。

「焼きもち……そうなんですか?」

 オトリが首を傾げる。

「うん。だから、ちょっとうざったかったなら、ごめんね」

 ギンレイははにかみ頭を下げた。


――お師匠様が謝った。なんだ、意外と分かってくれてるじゃん。

 仲立ちを続けてきたミズメは胸の穢れを「ふっ」と吐き出した。


「そっか、焼きもちか……」

 オトリが呟いた。

 それから、帯を締め直すと「頑張りましょうね、ミズメさん」と笑顔を向けた。


「おう。頑張ろう!」

 返す笑顔。鼻歌混じりの相方と共に仕事へと向かう。



 巫女の霊気を借りればと鳥人の翼は白くなり、物ノ怪の身体には祓えの力の強い陽ノ気が全身に漲った。

 真新しい鉄鐸や鉄弓は霊気の光を反射し、刻まれた役小角(エンノオヅヌ)から伝わった印を光の中で浮かび上がらせる。

 そこへ神聖な気が込められると、封印具そのものが自ら光を放つほどとなる。

 ナムチたちからも感嘆の声が上がった。


 汗を拭うオトリが言うには、これだけの気を込めれば、醜女程度の鬼は触れるだけで滅されてしまうらしい。

 膨大な力を込めた封印具を穴の周囲に五点に埋めると、穴を光の膜が覆い、五芒星の図形が生じた。

 経年で劣化するとはいえ、現時点では一切の陰ノ気を通さない神聖な結界の完成である。


「あの嫌なにおいまで消えたね。こりゃ、飯が美味くなるぞ」

 大仕事を終えた一同は疲れも忘れて宴を始めた。


 呑めや歌えのナムチの一同。単眼単足であるが、月の満ち欠け一つぶんも共に暮らせば、その姿も見慣れたものである。

 物ノ怪も神人(ジニン)も人間の巫女も、一様に談笑を交えながら箸で膳をつつく。


「ほれ、オトリちゃん。ここの地酒の“足踏み酒”だって」

 (サカズキ)を勧めるギンレイ。顔が赤い。

「私はちょっと……」

「なにい! おらの足で仕込んだ酒が飲めねえってのか!?」

 酒刀禰(サカトネ)ナムチがいきり立つ。こちらの一つ目も顔が溶鉱炉である。

「お酒自体が駄目でして」

「あら、ごめんなさい。流派の戒律?」

 盃が引っ込められる。

「違うよ、オトリはお酒に弱い血筋なんだって」

「いいや違うね! おらの足が気色悪いから飲めねえんだ!」

 一つ目の男は大粒の涙をこぼしながら、こぶしで床を叩いている。


「うるさい人だなあ。そういえば、尼の足を舐めて病気を治す風習があるよね」

 ミズメは都で仕入れた話を思い出す。

 霊験のある尼や巫女は毛から足先に至るまで神聖であると信じられている。

 髪や陰毛、爪。果ては分泌される様々な体液。果ては手足に付着した汚れまでがありがたがられることもある。


「聖なる霊力が宿っていればなんでも神聖といえますが、穢れと汚れは実際のところ別問題です。足なんて舐めたら、かえってお腹を壊してしまいますよ」

「ちょっとオトリちゃん、足出して」

 ギンレイが手を伸ばした……が叩かれてしまう。

「おっしゃると思いました」

「お師匠様の扱いにも馴れてきたね」

 ミズメは笑う。

「愛情表現よ愛情表現。ミズメちゃん足出して~」

「ほれ」

 師に向かって素足を突き出してやる。


「くっさ!」

 白髪の女は引っくり返った。


「そりゃ、黄泉の穴のそばで半月も番をしてりゃね」

 転げ回る師を眺めほくそ笑む。

「オトリの足も相当くさくなってるんじゃないの?」

 意地の悪い笑みを横の相方にも向ける。

「くさくありません! 私のおみ足はとっても清潔です!」

 足袋(タビ)を履いた足がこちらへと突き出される。

「向けるなよ。酒が不味くなるだろ」

「足踏み酒なんですから一緒ですよ!」

 視界を揺れる巫女の足先。


「あいたたた!! 攣っちゃった!」

 オトリは足を伸ばした姿勢のまま悲鳴を上げた。


「おらの足は巫女の足より神聖じゃああ!!」

 酒刀禰ナムチが床を叩く。


「ちょっと! 鼻からにおいが取れないんだけど!」

 師はまだ転げ回っている。


「うるさいなあ……」

 天狗娘は苦笑いと共に立ち上がった。

 喧騒を避け、徳利(トックリ)と盃を手に屋外へ。


 空は星降りの天望。月には巻雲(ケンウン)が掛かり(オボロ)げである。

「雅やかであるかな」

 岩に腰掛け、盃に浮かぶ朧の更待(フケマチ)を飲み干す。


「さて、投げるべきだったか、投げぬべきだったか」

 懐から八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)を取り出す。結界のせいか雲が月を隠すせいか、神器から感じる神気は弱々しい。

 聞くところによると玉はふたつ。一方が調律を司り、一方が混沌を司るという。

 身内との仲が乱れたのも、案外この玉の仕業やもしれぬ。


 仕返し代わりにと玉を口に運び歯を立てる。無論噛み砕けなどはせぬが、硬い感触を肴にまた一献。


 しばし三つの月で飲んでいると師がやってきた。


「あ、居た居た」

「うるさいのが来たよ」

「何よその言いかた。楽しむ時は楽しむ。慎む時は慎むのが私の流儀よ」

 ギンレイは何かを投げて寄越した。


小太刀(コダチ)?」

 ミズメが受け取ったのは一振りの刀。通常の武士の刀よりもやや短い代物である。

「ナムチさんたちがお礼にくれるって」

 柄を握り、鞘からやいばを引き出す。黒ずんだ鈍い光沢。刀身には水に浮いた油のような奇妙な模様が浮かんでいる。

「変わった刀だね。焼きも入ってないし、刃もそこまで鋭くない」

「宝刀だから実用品じゃないって。“雷斧(ライフ)”を溶かして作ったって言ってたわ」

「雷斧?」

「空よりも高い虚空より降り注ぐ石。星の石で作られた斧のことよ。石が落ちてくるときに落雷のような音がするからそう呼ばれるらしいわ」

「へえ……星降りの刀ってわけか。じゃあこれ、勾玉と同じ素材なのかな?」

「どうかしら。星の石にも色々あるから」

「もし同じか硬い素材だったなら、斧に気を込めて叩けば砕けたりして」

 すでに刀に加工されてしまっている。師も素通りしているのなら可能性は低いであろうが。


「あっ」

 ギンレイが声を上げた。


「えっ、壊せたかもしれないの?」

「すっかり忘れてた。さすがに元に戻すのは難しいわ」

 舌を出す師。

「ええ……旅の目的じゃんか。一番大事なとこだよ!」

「ごめんごめん。鍛冶場弄りに夢中になっちゃってさ」

「勾玉も炉で溶けないかな?」

「温度の問題じゃないわ。ツクヨミの神気が護ってるんだから。ただの炎じゃ無理でしょうね。そもそも、太陽の神がお手上げなんだもの、それ以上の火なんて、どの世界にも存在しないわよ」

「そうだったね。あーあ、オトリの気を分けて貰って斧に込めれば、砕けたかもしれないのになあ」

 師へと半笑いを向けるミズメ。

「過ぎたことはしょうがないでしょ。雷斧なら他にも存在する可能性は高いし。次に試しましょう。それに、あなただってそれを黄泉路に投げなかったでしょ?」

「そうだね。オトリが投げないでってさ」

「一番大事なとこって言ったのは誰かしら。オトリちゃんのほうが大事?」

 師が歯を見せる。

「だってさあ。あいつ怒ると恐いんだもん」

「下手な言いわけ。あなたにもようやく大切な友人ができたみたいね」

「……うん」

 見透かされ、頬を掻くミズメ。


「人付き合いって難しいもんだね。たった数月のあいだだけど、沢山頭を抱えたよ。まさかあたしが悩まされるなんてね」

 鳥頭の娘は笑う。

「これからも沢山悩むんじゃないかしら。難しいけど面白いものよ、他人との付き合いって。私は物ノ怪だしあまり人里にも出ないから、偉そうなことは言えないけど」

「あたしも物ノ怪だよ」

「元はオトリちゃんと同じ人間よ。人間だったころにはできなかったことなんだし、今からでも経験しておきなさい」

「物ノ怪だって変わらないよ。男も女も、人も獣も、お師匠様もね。だから、投げっ放しじゃなくて、あたしやオトリのこともちゃんと考えてよね」

「やーだ。獅子は我が子を千尋の谷に落とすっていうじゃない?」

「知らない。そんなことされたら死んじゃうよ!」

「大丈夫、あなたには翼があるじゃない」

「じゃあ、落とす意味なくない?」

「適当に言いました」

 笑う師。

「とんだ師匠だよ」

 肩を落とすミズメ。


「私も師匠には苦労させられたのよね」

「どんな人だったの?」

「仙人の桃源郷(トウゲンキョウ)に暮らしてた仙女でね、退屈して地上に降りたの。地上の暮らしは楽しくて、弟子を持ったり、結婚したりしてるうちに、不老不死を失ったことに気がついてね。それを修行で取り戻そうとしないで、宮殿から不老不死の薬を盗み出そうとして追われる身になったのよ。それで、弟子だった私も震旦(シンタン)から追い出されたってわけ」

「その師匠は今はどこに?」

「さてね……」

 ギンレイが空を見上げた。雲が退き、月が顔を出す。


「今をしっかり生きるのよ、ミズメ」

 語り掛けるも、真剣な眼差しは空へ向けられている。

「うん。あたしはいつでも今を生きてるよ。昔の嫌なことなんて、二、三歩歩けば忘れるのさ」

 師に続き空を見上げる。


 きらり、流星が光った。


「でも、いつか向き合わなきゃいけない日が来るかもしれないわね。お互いに……」 


*****

直会(ナオライ)……神事が終わったのちに御供えを食べる会。

寝覚鳥(ネザメドリ)……ニワトリ。

陰穴(インケツ)陽穴(ヨウケツ)……風水の気の噴出口である点穴の一種。穴が突出している形であると陰穴となり、すり鉢状などでは陽穴となる。陽へは陰が、陰へは陽の力が流れ込むとされるため、邪気を封じるためには点穴の周囲を盛ると良いという。

尼の足舐め……史実です。

雷斧(ライフ)……落雷のあとに見つかった石斧をいう。別名「天狗のまさかり」。

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