化かし051 腐食
邪龍の排除により鉱脈の探索が進み、黄泉路に結界を張り直す計画が始まった。
単眼単足の神人たちの暮らす谷には、“谷風を利用した炉”と“革の鞴を利用した炉”の二種類が伝わっている。
前者は自然の気紛れに任せるか、古来は風の術を操るものが火に命を吹き込んでいたというが、現在は風の才に長けた者が不在であった。
ミズメが試しに炉を動かしてみたが、長時間に渡る霊力の行使に加え、暑いわ顔が日焼けるわですぐに匙を投げてしまった。
相方が不真面目を叱ったものの、勧められて鍛冶場に入ると、すぐに態度を変えて汗の雫と共に謝罪となった。
ナムチたちは、長く鍛冶に携わった一族であり熱に強いのだという。
後者の炉は鹿革の鞴で空気を送り込む箱型のもので、老朽化で裂けた鞴を作り直している最中であったが、鞣し作業の都合で完成が遠く、未だ炉が動かせないでいた。
「革なら私が扱えます!」
オトリが名乗りを上げる。彼女の得手である水術は水気を操る術である。
不純度が高くなるほどに操作難度は上がるものの、皮の脂や鞣し液の操作も可能だという。
急ごしらえであるため、自然に任せた革細工より長くは持たぬものの、工期を極めて短くできてしまう。
彼女の旅の沓もまた兎の皮と水術でこしらえた物であった。
猛る火に喜ぶナムチの男を眺めて巫女は得意げであったが、採掘に当たっていた者から残念な報せが届いた。
「赤金かと思ったら偽もんじゃった」
ナムチの男はひとつ目を歪めて言う。
彼の手にした鉱石は銅によく似ける石。何かの金属であるようだが、既存の溶鉱炉の熱では溶かせないはずれの品らしい。
銀嶺聖母が大地を読んで鉱脈を探したものの、すぐに掘り出せる位置に眠るものはほとんど使い物にならない屑鉄ばかりだったという。
「黒金はあるんじゃが……」
掘り返された鉄鐸や鉄弓は、赤茶けて朽ちてしまい、霊気を留めておけなくなっていた。
「赤金の鐸は青く錆びても使い回せるが、黒金は埋めると一年も持たずに朽ちてしまうよ」
彼らが葦原で錫や銅を掘っていたのは、高温を扱える炉の破損からだけでなく、結界の整備を頻繁に行わなければならないことへの対策も兼ねていた。
鉄も無尽蔵ではない。錆びた封印具の残骸もまた土や水を冒している。
龍神が様子を見に来てイザナミに捕まったのもこれが原因である。
「鉄の鋳物はかなり質が悪いわね」
銀嶺聖母が口を挟む。
「叩いて鍛造すればましになるが、なるべく同じ形の品をこしらえたいから金型を使うんよ。全てにこだわってるほど結界にも余裕がない」
鍛冶担当のナムチもお手上げのようだ。
「私が知恵を貸すわ。震旦、天竺、南方の王国。書物は沢山読み漁ってるから」
長命の物ノ怪である彼女は、弟子のミズメと同じく「退屈凌ぎ」と称して種々の知識に精通している。
鍛冶や錬金術もまた例外でないという。
「錆止めで覆ってみてはどうかしら?」
錆は金属が水や空気、他の何かと触れ合うことで起こる、穢れに似た現象であるという。そして、錆はまた別の錆を呼ぶ。
始めの錆を拒絶するために、塗料や陶器で覆って錆びから護る方法が提案された。
「うーむ。それはわしらも考えたが……」
だが、隠れ里に等しい地では充分な錆止めの素材は得られそうもない。
何度も谷から出歩くとなればまた幽霊騒ぎだ。封印の緩んだ今、部外者を近付けるわけにはいかない。
唯一、鉛で覆うことだけはできそうであったが、これは土に埋めるには毒が強く、知識に埃を被らせたナムチたちすらも嫌厭していた。
「この屑鉄の山に使える物があるかも。朽ちにくいものを探してみましょう」
「赤と青の混ぜもんが一番良いんじゃがなあ」
金物にも様々な性質がある。
銅は青く表面が錆びるものの完全には朽ちてはしまわず、封印具を作るのに優秀であった。しかし、充分な量の確保ができていない。
鉄は固く武具の材料として優れ、霊気も長くとどめておけるが、土中では朽ちが早い為に封印具の材料としては向かない。
鉛は弱い炉でも溶かせるが、武具として不向きで、地面に埋めると大地の精霊が穢れて悪霊を招いてしまう。
これらがおもに使われている金物であったが、実際に産出しているのはそれだけではない。
「ここの屑は炉の炎じゃ溶かせんよ」
加工のさいに出た残骸や、使えないものとされた鉱石が廃坑の内部に集められている。
そこにあるのはナムチたちの扱える範疇外の金物ばかりだそうだ。
ギンレイは鉱石の山をいじくり、様々な鉱石を手に「ああでもない、こうでもない」と呟いた。
連れ合いのミズメとオトリから見ればなんの区別もつかず、首を傾げるばかりであった。
「……よし、炉から作り直しましょう! もっと強い炎を作って、朽ちにくい合金を探すの!」
「わしらは伝わってることを繰り返すことしか考えんかったが。仙女さんあんた、面白い人じゃな」
そう言うと鍛冶師ナムチはにやりと笑い、袖をまくった。
……。
「とかなんとかおっしゃって、もう半月も経っちゃったんですけど……」
黄泉への穴の淵に腰掛けながら、オトリが溜め息をつく。
「私が直した炉じゃ駄目なのかな。こんなところで遊んでる場合じゃないのに」
「別に遊んでるわけでもないじゃん。結界の修復も、ここの見張りも大事な仕事でしょ」
ミズメも穴のそばに控えている。
手慰みにそのあたりに落ちていた石を拾い上げ、霊力を込めて盛り土に突き刺した。
「今日も“婆さん”が出てくるかな?」
結界が弱くなったためか、黄泉路からはときおり“醜女”と呼ばれる鬼が現れるようになっていた。
醜女は陰ノ気を使った様々な術を操る醜い老婆で、生者の生気や肉を求めて襲い、地上に混乱を起こし、魂を黄泉に引きずり込む任を帯びており、殺害しても死骸や靄が穴へと還って再生する不死の存在である。
「きりがないですよ。あの程度の鬼じゃ、修行にもならないですし。くさい穴のそばで座ってるだけじゃ退屈です」
「あたしは、年寄りを退治してるみたいで楽しいけど」
ナムチから借りた鉾を振りながら言う。穴の周りには鉾のほかにも太刀や棒が突き刺さっている。
鍛冶の谷の武器は武芸に通じたミズメには面白い品である。
醜女が現れるたびに嬉々としてそれらを振るっていた。
「不謹慎ですよ! そろそろ、お年寄り嫌いを治しましょうよ」
「あれは黄泉の鬼でしょ。どうせ退治するんじゃん。ま、見た目が山姥みたいで良かったじゃんか」
「良くないです!」
「でもさ、もしも、赤ん坊や子供の姿をした鬼だったら気分が悪いよ」
「それはちょっと退治できないかも……。でも、不死の悪者だとしても、楽しんで痛めつけるのは感心できません。ミズメさんたちは不真面目です」
「たちって何さ?」
「ギンレイ様も結界づくりを面白がってるように見えます。鬼が出てくるようになっちゃったのも、龍を退治した時に穴を囲ってた土を弄ったせいなのに!」
「あれはしょうがなかったって話に落ち着いたでしょ。楽しんで悪いこともないんだしさ。この話を何回ほじくり返す気なのさ?」
この半月のあいだ、相方はギンレイや現状に対しての文句をこぼし続けていた。
普段は他者への悪態を控えるお人好しの娘のはずであったのに、物言いまでも随分と意地の悪いものに変じてしまっていた。
ミズメはそんな彼女を薄氷を踏む思いで宥め続けていたが、娯楽の無いこの場所ではすぐに手段も尽きてしまい、口論になったり背を向け合うことも珍しくなくなっていた。
今もまた、彼女たちのあいだには陰鬱で赤黒い空気が漂い始めている。
「勾玉のために里から飛び出してきたんだけどなあ」
「それも毎日言ってるね。最初に里のそばの難事を放っておけないって言ったのはオトリでしょ」
「私のせいですか? そもそもミズメさんがあんなものを拾って来なければ、里抜けなんてしないで済んだのに」
「どうしてそんな言いかたするんだよ。あたしが拾わなくたって、ツクヨミたちの企みはなかったことにならないんだよ」
「そうですけど! 私がどんな気持ちでミナカミ様に逆らってまで出て来たと思ってるんですか?」
「ミナカミ様のやりかたが気に入らなかったからでしょ」
「それは、そうですけど……」
オトリは黙り込んだ。
「この勾玉、穴に投げてみようか。日ノ本から消えてしまえばツクヨミは混乱を起こせない」
上手くいけばこの倦怠や、友人や師への面倒な配慮からも解放されるだろう。
「玉が投げ返されたら? 醜女だって這い上がってこれるのに」
「結界を二枚張ったらどうかな。これまでのナムチの封印と、オトリの里に伝わる、物や肉を通さない結界。ミナカミ様も里のそばにある黄泉路はさすがに放っておけないはずだ。結界を使える里の巫覡をここに派遣してもらったら解決だよ。黄泉路と勾玉の二つの問題を解決できたら、ミナカミ様もオトリをきっと赦してくれるよ」
考える時間はたっぷりあった。玉を破壊する手段を求めて当てなく全国を旅するよりも、こちらのほうが期待が持てる。
ミズメは懐から勾玉を取り出し、穴の上にかざした。
「そしたら、旅もおしまいだね」
玉の問題が解決し、オトリが巫女頭候補に戻れば、ふたりが会うことは二度とないだろう。
ミズメは里を追い出された夜に何が起こったのか未だに知らなかったが、里の神たちからの拒絶は絶対的なものだと確信していた。
勾玉を握る手が緩む。
「待って!」
オトリが腕を掴んだ。
「黄泉に悪用される心配もないと思うよ。連中にとっては地上にあるほうが都合が良いんだから、最悪でも持ち出されて振出しに戻るだけさ」
「そうじゃないんです。私が里を出てきたのは、勾玉のことだけじゃないんです」
オトリは零れた髪を耳に引っ掛けながら言う。
「他にも理由が?」
「上手く言えませんけど。もっと旅をして知らなきゃいけないことがある気がするんです。今のままじゃ私のためにも、里のためにも、ミナカミ様のためにも絶対に良くないって思うんです」
「上手く言えないのに絶対かい」
苦笑い。
「それに、ミズメさんが心配です」
「お師匠様がいれば平気だって」
「そう思ってましたけど……余計心配になりますよ」
「オトリはお師匠様が嫌いなの?」
「嫌いでは、ないです。立派なかただとは思います。一度は里に帰れたのもあのかたのお陰でもありますし。でも、ミズメさんは良い子になってきたのに、あのひとは少し甘やかし過ぎですし、不真面目なのが伝染して、また悪い子になってしまいそうで!」
「そこは否定しないけど……昔からの付き合いだしなあ。心配ないよ」
「私、要らないですか? 余計なことしてますか?」
「そんなことないよ。心配してくれるのは嬉しい。今日まで長く生きてきたけど、あたしたちは邪悪な物ノ怪にはなってないでしょ?」
「そういう問題だけでなくって……なんというか、ギンレイ様には過保護なところがあります。それは彼女にとってもあなたにとっても良くないと思うんです」
ミズメは首をひねった。
押しつけがましいのはいつものことだが、なにか引っ掛かる。
オトリと師が合流前に顔を合わせたのは、月山近辺での一日二日のことだ。
再会してから谷に来るまでは、師は自分を甘やかすどころか、オトリに甘えて足を引っ張っていたし、腹を立てるにしても内容が噛み合わない。
「お師匠様と何かあったの?」
「そういうわけじゃないですけど……。もっとしっかりしたかただと思ってましたし、里を出てすぐにまた会うとは思ってませんでしたから……」
「よく分かんないけど、あたしとしては皆で仲良く楽しく旅がしたいよ」
「私もです」
「お師匠様には、もうちょっとしっかりとするように言っとくから。オトリもあんまりお師匠様のことを悪く言わないで貰えるとあたしも嬉しいかな」
頭を掻くミズメ。こういう話は照れくさい。
「そういうのも、なんだか腹が立ちます」
オトリは口を尖らせた。
「なんでさ!?」
「えーっと。ヒサギさんとアガジイさんを見てるみたいで」
オトリは明後日の方向を向きながら答えた。
「ヒサギは確かになよなよしかったけど、あたしとお師匠様はそんなに酷くないでしょ。」
「ちょっと似てます。あのお爺さんにだって、ちょっと怪しいところがあるってミズメさんも言ってたじゃないですか」
「言ってたっけ?」
「言ってました!」
振り返ったオトリの顔は何やら拗ねた子供のようである。
「蜈蚣を退治したあとに急に現れましたし、ヒサギさんが良くなろうとしたのを台無しにしました。ギンレイ様も同じです!」
「平気だって。そもそも、旅立つ時にあたしの悪いとこを直すようにオトリに頼んだのはお師匠様じゃんか」
「無意識のうちに邪魔してることだってありますよ」
「仮にそうでも、あたしは嫌だと思ってないから気にしてないし」
「あなたが悪さをしたら私が嫌なの! ミズメさんの手癖や悪戯がましになったのは私と一緒に居たお陰ですよね!?」
「そりゃそうだけど。悪かったらまた直してよ。オトリが納得してないなら旅もまだ終わらせないし、こうやって怒られるのも、そんなに嫌いじゃないからさ」
ミズメは勾玉を懐へしまった。
「あたしもできれば善人でいたいよ。だけど物ノ怪だからね。月が満ちれば気分も昂るし、この瘴気の強い穴のそばに居るとなんだか不安だ。独りだと多分、醜女を退治した勢いで悪戯の一つや二つはしたと思うよ」
「陰ノ気に当てられて気が変になるのは、人だって獣だって同じです。陰ノ気は別の陰ノ気を呼びます。怒ったり、哀しんだり、誰かを傷付けたくなったり」
「じゃあ、オトリが怒ってるのも、この穴のせいだね」
「そうなのかな……」
「大体さ、この穴にしたって、勾玉にしたって、オトリが悩まなきゃいけないのだって、神様連中が中途半端だからだぜ。そもそも、イザナギとイザナミが喧嘩しなきゃ良かったんだ」
ミズメは鉾を地に突き立て、夜黒の底を睨む。
それから、大きな声で「ばかやろー」と叫んだ。
「そんなことしたら、また黄泉の者が出てきますよ」
「上等だってんだ。やっつけてやるよ。難事解決にしても善行にしても、全部他人の尻拭いだ。尻拭いをしてやってるぶんは八つ当たりしてもいいと思うね。それなのに鬼婆退治で我慢してるんだから、偉いもんでしょ!」
もう一度叫ぶ「責任取れーっ」。
「ミナカミ様だって勝手です。本当は手伝えるだけの力があって、色んな事情も知ってるのに逃げてます。それに、あのひとの作った里の掟や霧の結界は、皆を護るだけじゃなくって、悪くしてるところがあると思います!」
オトリは声を荒げると、ミズメに続いて穴の奥へと「くそあんごー」と叫んだ。
「お師匠様だって、いざって時にはちゃんとできるくせにさ。あたしに甘いってんなら汲んでくれてもいいのに! こっちだって悩んでるんだぞ!」
再三、黄泉への八つ当たり。
馬鹿野郎。責任を取れ。神様の間抜け。ふたりはしばらく、黄泉への大穴に向かって種々の不満を投げ込み続けた。
「いーひひひ! 愚か者は貴様らじゃ! 今の叫びで結界に歪みができたぞ! 貴様らの怨みの気持ちも我が糧となった!」
穴の中から人影が飛び出してくる。
ざんばらの白髪に擦り切れたぼろ衣。長い爪に長い牙。額には角。
しわくちゃで異様に痩せた身体だが、瞳だけは灯篭のようにらんらんと輝いている。
「我が名は誰彼腐比売! 醜き國の常雪の山より参じた、伊邪那美様の尖兵なり! 血をも凍らす我が“静止ス雪”の術をとくと味わ……ぎゃあああ!!」
名乗る鬼を二連の光が跡形もなく掻き消した。
過剰な祓えの技は彼女の骨や靄すらも残さない。
「「はー……」」
息をつくミズメとオトリ。
「「すっきりした!」」
ふたりは顔を見合わせて笑った。
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