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化かし047 月舞

「オト……」

 声を掛けようとするが思いとどまる。


 巫女の舞。

 闇より深き髪を尾に、星の光を受けた袖を翼に。軽やかに水の上を跳ねる。

 空こそは飛ばぬものの、その人離れした動きがふと、水溜まりを掠める燕の像と重なる。


――あれが燕舞か。綺麗なもんだな。


 息を殺し、しばしのあいだ偸みを働く天狗たる娘。

 巫女は舞い続け、髪や衣、そして跳ねる川の飛沫もが彼女の意のままに従っていた。


 ふわり、何かが巫女の周りで円を描く。

 翡翠の暖かな(ホムラ)


――里の守護神。勝手様だ。


 そこでようやく気が付いた。

 舞を披露するのはオトリではないことに。

 巫女は確かによく見知った姿形をしていたが、その奥底に秘められた気配とたましいは別のものであった。


――ちぇっ、ミナカミ様が降りてるのか。なんか騙された気分。あれも修行かな。


 夏告げ鳥の演舞は続く。翡翠の霊魂も愉しげにそれに加わっている。

 踊る二柱に興醒めを感じるミズメ。

 神和(カンナギ)では巫女の身体に負担が掛かる。下手をすれば明日はオトリが起きる前に里を追い出されるやも知れぬ。

 あるいはこれもミナカミのささやかな嫌がらせかと、少々腹まで立てた。


 踵を返し、空を見上げる。

 腹立たしいほどに真円を描く満月。


――満月……?


 なにか、はらのうずくようなかんかくがした。


 しんのぞうがたかなり、みぎめがねつをもったようにあつい。



 山伏の背よりいずるは漆黒の翼。赤く燃えるは右の瞳孔。

 その身より溢れるは陰陽(オンミョウ)二色(フタイロ)神気(カミケ)


「ここが噂の世の無常とは無縁のまほろばの里か。四季を繕い立ててもあさはかさは繕えぬな」


 黒翼の物ノ怪は飛んだ。元居た場所に無数の水弾が(ハシ)る。


「出逢ってすぐに、術を向けるか。太陽の巫女の使い走りよ」

 “ミズメ”は言った。しかしその声色、娘に非ず。まごうことなき男声(ダンセイ)なり。


「私は水の使いです。姉君がいらしたときには隠れていらっしゃったくせに。黙ってこの里から出て行けば干渉はしなかったのですが」

 “オトリ”が言った。しかしあの声色もまた、彼女に非ず。

 巫女の側にいた翡翠の霊魂が何処かへ飛び去る。


「母の命令でな。地上への道を開くだけでなく、そなたを滅するか黄泉(ヨモツ)へ引き込めとも言いつけられておる」

「あなたはお父上のほうから生まれたはずでは?」

「不在の父に母が憐れに思えた」

「そうですか。月の神様は親離れができていないようですね」

 ふと、巫女の姿が消える。同時に川の水もすべて弾けて消えた。

 するとあたりが薄明りを放つ奇妙な霧に包まれた。


「千年以上も子離れができぬそなたに言われることではなかろう。そなたと母は似ておる。太陽の使いの使いなどせずに、こちら側へ来るべきだ」

 物ノ怪が翼を目いっぱいに広げた。神気宿して光り輝く。天に向かって伸びる光の翼は円のごとく反り、二色(フタイロ)の満月を描く。


 玉響(タマユラ)、物ノ怪の前に巫女の姿が現れる。緋色の花弁舞わせて蹴撃一閃。

 しかし、翼が腕のように前へと伸び巫女の身体を突き刺した。弾けて無数の水玉に変ずる巫女。

 しぶきの全てが矢となり物ノ怪へと飛び掛かる。翼が全てそれをさえぎり、中から不気味に笑う少年のような貌が覗いた。

「そなたでは勝てぬ。月が潮を引くのは知っておろう? 母に従え」

「憑代を滅します」

 姿なき声と共に縦横無尽に雷迅が走り鳥人を撃つ。


「姿を隠しても無意味だ。女は単純だ。においで分かる」

 羽根を燻ぶらせ、物ノ怪が溜め息ひとつ。霧の景色へ手をかざした。


 握られるこぶし。親指を人差し指と中指のあいだに入れた奇妙な形。


 霧の中から女の苦悶の声。

 下腹を押さえて両膝をつく巫女の姿。


「……人の身体って不便。忘れてたわ」


 再び巫女の身体が消える。気配はそのまま物ノ怪へと迫る。


「愚直」

 翼ひと扇ぎ。無数の光の羽が前方へと飛ぶ。


 何もない宙に現れる赤い球体。正体不明のそれに触れた羽根は黒く変じて、赤黒い霧となって消えた。


「愚かなのはあなた。男が女を分かるはずがありません」

 球体が弾け、中から現れるは異形の女の姿。


 夢か幻か、女の手には黒く長い爪。黄昏に輝く猫のごとき瞳と、見紛うことなく二本の鬼の角があった。



 女が飛び掛かり、袖を振った。



 ミズメの胴から右腕と右翼が離れた。吹き上がる鮮血。


「……人の身体は不便、か。悪くない器だが、まだまだ馴染み切らぬな。そうでなければ、そなたを手籠めするなど、わけがないのだが」

「母に手籠めにされてるかたが何を言うのかしら。こちらの器だって伸び盛りです。私の力が全て出せるなら、神ごときに人の世を冒させはしない」

「噂にたがわぬ高慢だな。姉が気に入るのも分かる」

 “ミズメ”が嗤う。


「さようなら」

 ゆらり、“オトリ”が袖をもうひとふり。


 片腕の娘に走る赤い横一文字。

 更に無数の水弾が肉を穿ち、繰り返し霹靂(カミトキ)が撃ちつけられる。


 ぐにゃり。世界が歪む。

 ふと、鬼神の前から物ノ怪の残骸が消えた。


「欠けて満つ ささらえをとこの いたづらに 狂ふ手児名(テコナ)に また見まく見る」


「どこに消えたの?」

 角の生えた巫女の周囲の地面を血の(ナミ)が護る。

 鬼神はあたりを見回し、何かを見つけたか跳躍。


 そこには倒れ伏した翼の娘の姿があった。


「傷一つついてない。月の再生の力だわ」


 空を見上げる巫女。静かな星空。今宵は朔月(サクゲツ)。空に月は無し。


「取り逃した……。生憎だけど、私はもう二度と会いたくない」


 鬼神は見下ろし、袖を振り上げた。


「月讀の半面を降ろせるなんて、この物ノ怪はなんなの? 肉を解いて、二度と生き返れないようにしなければ。霊魂も夜黒に染めて祓い滅します」


 夜黒(ヤグロ)き気配が周囲を這いずり回る。

 蟲のごときそれが翼の娘へと迫った。



「やめて」

 巫女の口が独りでに動いた。



 …………。



 ……。



 

「あれっ?」


 ミズメはあたりを見回した。真っ白で何も見えない。

 来た時と同じ神の気配の濃霧に包まれている。間違って里から出たかと思い、振り向かずまっすぐに走った。


 いつまで走っても里へは出ず。

 あまつさえ、雪の中へと八目草鞋(ヤツメワラジ)を突っ込んだ。


「冷たっ! 外に出ちゃったぞ?」


 冬の山中。まほろばの地にて舞を眺めていたはずが外界へと追い出されていた。


「まだ、お別れも行ってきますも言ってないのにさ!」


 薄く雪の積んだ地面から逃げ、暖かな常緑の木の枝のあいだへと飛び込む。

 先客らしき鳥が迷惑そうに鳴いた。


「あっ、ごめんごめん」


――里を追い出された。こんなことができるのはミナカミ以外にいない。そんなにオトリを取られたくないのかね。


 枝に腰掛け、腕を組む。不満顔。せっかく送り届けて、特大の難事を引き受けてやったというのに、礼もなければ、別れの時間すらくれないというのか。


――ちぇっ。神様って本当に勝手だよな。せっかく里の皆とも仲良くなれたのにさ。


 夜霧の向こう。暗闇を惜しげに睨む。枝から覗く空も雲に覆われており、星一つ見当たらない。



 ミズメはそのままの姿勢で夜を明かした。



 隠れ里から誰かが出てくるのではないかと期待して。



 薄雲の向こうが明るくなり、小雨が雪を溶かし始めてもその場を動かなかった。



「……こんなのってないよ」


 そろそろ昼か。腹の音が鳴った。

 ミズメが思い浮かべたのは温かい食事ではなく、すぐに腹を減らす相方の顔であった。


 鹿を一匹仕留め、焚き火を起こして居座りを決め込む。

 里に入ることが出来なくとも、里から誰かが出てくることはありうる。隠れ里とて一切の交易を断っているわけではない。



「いつまでそこに居る気? 寒いでしょ。温泉に行こうよ。この辺って火山もない癖に、ちょこちょこ良いのがあるみたいよ」



 頭上から声が聞こえた。

 聞き慣れた声。求める相手とは違ったものの、懐かしく、長く連れ添った者の声は胸に暖かく染み入った。


「お師匠様!」

 見上げれば白い翼と長い白髪の女。銀嶺聖母(ギンレイセイボ)である。


「やっと見つけたわ。隠れ里って単純な山奥のことだと思ってたら、神様が隠してるんだもん」

 黒い衣を翻し降りたつ師。

「衣が変わってる」

「遠出するのに徒衣(タダギヌ)じゃ汚れが目立ちすぎるもん。私よりも、あなたの格好のほうがおかしいんだけど」

 呆れ声のギンレイ。

「長旅でぼろぼろになっちゃったからね……ってあれ?」

 ミズメの山伏衣装の鈴懸(スズカケ)はあちらこちらに穴が開いている。右の肩口から先はばっさりと失われていた。大きく開いた脇から乳房が頭まで覗かせている。

「あなた、この寒いのにそれでよく気が付かなかったわね」

 師が笑って手を滑りこませてくる。

「いつの間に破れたんだろ……」

 卑猥な悪戯に無反応なミズメ。


「つれないわねえ。どうせ汚れてると思って代わりの衣も持って来てるわよ。ところで、オトリちゃんは? 勾玉はどうなったの?」


 ミズメは師の質問に答えた。

 里のミナカミが物ノ怪嫌いで排他的であることや、勾玉が月讀命の神器で、黄泉國のイザナミが関わっていることなど。

 それから、親友への別れも満足に言えず、唐突に追い出されてしまい納得がいっていないことも。


「そっか。思った通りのやっかいな代物だね。日ノ本の神々の暗躍は震旦(シンタン)でも噂になってたくらいだし。そうじゃないかと思ったのよ」

「こんな厄介な仕事、あたし独りじゃどうにもならないよ」

 口を尖らすミズメ。

「私も手伝うわ。正直、それでも手に余ると思うけど。私たちは物ノ怪だし、人や神とは違う方法で何か解決ができるかも」

 ギンレイが立ち上がった。


「さ、行きましょう」


――……。


 ミズメは立ち上がらなかった。


「待ちたいのね。オトリちゃんのこと。しっかり仲良くなれたみたいね。あなたって友達を作っても、上手くやれなかったり、すぐに忘れたりしてたから」

「来ないかな。来るわけ、ないよね」

「さあ? それは分からないことよ。でも、ここを離れれば永久に分からずじまい」

 ギンレイはもう一度焚き火の前に座る。


「ありがとう、お師匠様。もし、駄目でも。里の誰かがここを通るかもしれないから、その時はお別れを伝えて貰うよ」

「あなたらしくないわね。先に駄目だった時のことを考えるなんて」

「そうだね、あたしらしくない」

 膝を抱える天狗たる娘。

「あなたが待ちたいって言うのなら、十年でも百年でも付き合うわ。私たちは物ノ怪。暇ならいくらでもあるのだから」

 ギンレイが手を伸ばし愛弟子の髪を撫でる。


――待つさ。


 口に出さず心で呟くミズメ。



「……オトリ?」



 はて、目の前に巫女が居る。

 肩で呼吸をし、涙目でこちらを見ている。


「オトリちゃんだねえ」

 師が笑う。


「これ、髪の毛、見てくださいよ」

 オトリはだしぬけに(ビン)の髪をつまむと、こちらに突き出した。

 毛先が丸まり、縮れてしまっている。

「あらら? 火に当てたみたいになっちゃってるね」

 師が言った。


 ミズメはただ相方を見つめていた。


「里で暮らすことや里を守ることばかりが大切じゃないんです。それは幸せになるための手段のひとつに過ぎない。私はそれだけじゃ絶対に幸せになれないと思うから。そう言ったら喧嘩になっちゃって雷に撃たれて、里を抜けて来てやりました。……だから、私も連れて行ってくれませんか?」

 はにかむ娘。


「……」

 ミズメはただ見つめ続ける。


「あの、駄目ですか?」

 しょぼくれた顔になるオトリ。


「こら、ミズメ。しゃんとしなさい。オトリちゃん困ってるでしょ? あなたはどうしたいの?」

 師の問い掛け。


 あたしがどうしたいか。考える間も無くミズメはオトリを抱きしめていた。


「ちょっ、ちょっとミズメさん! なんですか急に! ギンレイ様が見てますよ!」

 慌てるオトリ。しかし彼女の腕も、昨夕を仕返すかのように優しく回された。

「あらら。ふたりはそんな関係に? 駄目だよって言ったのに!」

 ギンレイが声を上げる。

「ち、違います! ちょっとミズメさん! 胸を押し付けないでください! 勾玉入れたままでしょ! 痛い痛い!」

「なんだか分からないけど、私も混ぜてよ」

 ギンレイもふたりの抱擁に加わる。


「あっ、柔らかい! じゃなくって、放してください!」

 オトリがよく分からない悲鳴を上げた。


「いいじゃないの。このまま温泉行こう、温泉!」

「変なところ揉まないでください! きゃーっ!」

「うへへ。女三人、遠慮することなんてないのよ」

 戯れるギンレイ。

「ミズメさんは男でもあるじゃないですか!」

「おやおや、男として見てるのかなあ」

「ギンレイ様! それどころじゃないんですよ! 私、追われてるんです! ミナカミ様を振り切って里を抜けて来たから、追手が!」


 ミズメが顔を上げると、オトリの肩越しに別の巫女の姿を見止めた。


「はい、追っ手ですよ。御神に言われて追い掛けて来たものの……」

 水分(ミクマリ)の巫女が巫女頭、オトリの伯母である鸛鶴(コウヅル)

「あなたたち、何やってるの?」

 彼女は袖で口元を隠して笑っている。


「コウヅル様。私、帰りませんから」

 オトリの声は強張っている。

「駄目よ。ちゃんと帰って来なさい」

「連れ戻そうったってはそうはいきませんから」

 オトリが静かに霊気を練り始める。


「ここから先に行きたければ私を倒していけーってやつ?」

 ギンレイが言った。


「まさか! 戦っても勝ち目はありませんよ」

 コウヅルは手をひらひらと振った。

「どっちがですか?」

 オトリは気を練り始めた。

「ふたりとも、気を付けて。コウヅル様は水術だけでなく音術の達人でもあります。音矢ノ術(ネヤノジュツ)は音どころか閃光と同じ速さを持つ術で、その気になれば三つ数えるあいだに私たちの頭を砕けるでしょう」

「オトリったら……。私はただ“追い掛けなさい”としか言われていません。一応ね、巫女頭として里の者の出立に声を掛けて、客人に別れくらいは言っとかないとね」

 悪戯っぽい笑みを浮かべるコウヅル。

「コウヅルさん……」

 ミズメもまた、彼女が嘘を言っていない気がした。


「だそうだよ。オトリちゃん、いつまでもミズメに抱き着いてないで、おかしら様に挨拶しなさいな」

「抱き着いてたのはミズメさんのほうです!」

 慌てて離れるオトリ。


「豊かな神気……仙気、でしたっけ? あなたがミズメさんのお師匠様ですね。お話は伺っております。私の姪が迷惑を掛けたようで」

 お辞儀をするコウヅル。

「いえいえ、こちらこそ弟子が里で世話になったようで」

 ギンレイも礼をする。

「伯母様。ミナカミ様はここのことも見えているのではありませんか? 私を逃がすとあなたが叱られてしまいます」

 オトリが困ったように言った。

「あなたはどうしたいのよ全く……。私も若いころは何度もあの雷には撃たれてますから平気です。あとは、私が年寄りになる前にちゃんと帰って来たら、それでいいから」

「……ありがとうございます」

 オトリはコウヅルと抱擁を交わす。


「さ、行ってらっしゃい。今度戻って来る時には笑顔で、是非とも三人揃ってね」

 にっこりと微笑む巫女頭。


「行ってきます」

 オトリも微笑んだ。



 かくして、水分の里を旅立つミズメとオトリ。

 担う難事は地上を混乱に陥れようとするツクヨミとイザナミの野望の阻止。

 新たにミズメの師である銀嶺聖母を加えて、娘たちの運命(サダメ)の糸が再び紡がれ始めた。

 ミズメは知らない。隠れ里での最後の晩に何が起こったのかを。

 自身の身に降り掛かった神遊びを。


 天狗たる娘の胸では“月のいし”が妖しげな薄笑いを湛えている。


*****

今日の一首【ツクヨミ】

欠けて満つ ささらえをとこの いたづらに 狂ふ手児名に また見まく見る

(かけてみつ ささらえおとこの いたずらに くるうてこなに またみまくみる)

……ささらえおとこは月の意。手児奈は少女や乙女。また見まくは再会、見るは思う。

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