化かし046 天照
水神から渋々ながらの滞在許可を得て、ミズメはオトリの故郷に滞在を始めた。
それから早くもひと月と少々。霜月を過ぎ、歳果つ師走も終わりを迎えつつある。
大晦日を越えればいよいよ新年。天照大神が里へ降りてくる。
「外では雪が積もったらしいです。それに物ノ怪騒ぎも増えてるとか」
オトリが湯を入れながら言った。
湯には刻んだ橘の実を入れてあり、ほのかな夏の香りが湯気と共に立ちのぼってくる。
「へーえ。ここは暖かいけどねえ。それに退屈……もとい、平和っていうのも、悪くないもんだね」
オトリの暮らす小屋。藁編みの蓆の上に寝転がるミズメ。大きな欠伸である。
外界であれば、否応にも盗賊や物ノ怪の起こす事件に巻き込まれていたものであったが、この神の霧によって断絶された水分の里ではそのようなものとは無縁であった。
それでも、里内で全てが完結しているわけではないようで、交易を担う里の巫覡が近隣の村の助けをしている話から外の様子が見えてくる。
「ミズメ姉さま!」
小屋を童女が覗く。背中には栗の実の入った籠を背負っていた。
「おう、どうした?」
「あのなー。上のほうになー、沢山実があるんやにー。飛んで取って来ておくんない?」
童女がはにかむ。
「落ちてないのは、まだ青くないかい?」
「ぎょーさんお日さんに当ててなー、それからなー、ひやこい水に入れたらいいんやにー。そしたら甘くなって、虫も出ていくんやにー。せやったらオトリ姉様もあんきやにー」
「へえ。どれ、ちょっと手伝ってくるかな」
ミズメは身を起こし、童女の栗拾いの付き合いに出た。
ついでに、栗の毬を童女に向かって投げた悪戯童男どもと毬の投げ合いの戯れに興じた。
「ただいま。羽根のあいだに毬の毛が挟まってにかにかするや」
「お疲れ様です。羽根、お繕いしましょうか?」
オトリが訊ねる。
「お願いするよ。自分だと、どうも上手く取れない」
「ミズメさん、すっかり馴染んじゃいましたね。身も心も、羽根も」
オトリがくすりと笑う。
ミズメの翼は、ここに漂う神聖な気に感応したのか、その色をすっかりと純白に染めていた。
それと同時に悪戯心や冒険心などは鳴りを潜め、穏やかで安らかな気持ちが強くなっていた。
先の満月などは悪戯どころか、山仕事で足を挫いた老爺を負ぶって帰って夕餉の世話までしてやっている。
「ひとに羽を繕って貰うのは気分が良いねえ。あ、そこよりもうちょっと右が痒い」
「はいはい……あれ、羽根が抜けちゃった。痛くありませんか?」
「平気だね。たまーに勝手に抜けることもあるよ」
「ねえねえ、見てくださいこれ」
オトリが三枚の羽根を差し出してきた。黒、鳶、白の三色だ。
「集めてたんですよ。黒いのは最初に逢って負けちゃったあとに拾ったもので、鳶は化け猪の時のです」
「そんなの集めてどうするんだい?」
「どうってことはありませんけど……綺麗なので。御守りにでもしようかなって」
「御利益はないよ? もっと集めて団扇でも作ったほうが便利かも」
少し照れ笑い。
取り立てて何も起こらぬ平穏の日々。
ミナカミが部外の者を入れることで禍を招くと心配していたのも杞憂か。それでも女神はあの日以来、ミズメに声を掛けてくることはなかった。
「天照様は晦日近くでは、熊野の地に降りていらっしゃるらしいです」
「熊野といえば、秘密教のかしらの大日如来さんも現れるっていうね。山伏の連中がこの近辺で修業をしているのもそういうことらしいよ」
「ふうん。意外とおふたりがお会いになっていたりして」
「どうだろうね。もともと大陸に居たはずの仏がこっちまで出向くことは稀だから、誰かが代理をしてるんじゃないかって噂だ」
「じゃあ、同一人物だったりして?」
「かもね。本人に聞いてみたらいいよ」
「畏れ多いですよ! あの席では巫女頭すらも同席はできれど発言が許されないんですよ。今回は勾玉の件があるから、私やミズメさんも天照様に謁見が許されてますけど。ああ、今から緊張してきちゃった!」
オトリは懐から柘植の櫛を取り出すと髪を整え始めた。
「まだ数日あるっての。今から髪を梳いたって、どうせ寝て起きたら乱れるだろうに」
「こうすると落ち着くんですよ。天照様は古流派と呼ばれる流派の全てで、いちばん重要視されている神様です。あのかたにお仕えするのは巫覡の憧れなんですから」
「ありがたいの分かるけど、あたしは神威不足だか荒魂だかの日照りをたくさん見て来たから、どうもね。聞いた話では宮中の混乱を煽ってるらしいし」
本音を言うと文句のひとつも言ってやりたいところであった。さすがに天狗たる娘もそのようなことはしないが。
「伯母さん……コウヅル様が聞いた話では、天照様がお戯れになるのも、信仰の衰退と結界が原因だって」
「それならそれで、信仰を取り戻せるように努力するべきだと思うけど。荒れて従わせるのは好かないね」
「意図しなければ地上では姿を持てない神様たちですし、ご本人たちも“気に依る”現象には抗えないんですよ。ミズメさんだって、お月様が出てると気性が物ノ怪に寄るでしょう?」
「なるほど“くさめ”みたいなもんだね」
そう言ってミズメはもひとつ欠伸をした。
「やっぱり心配だなあ。勾玉の件、天照様にも手に負えなかったらどうしよう。それに万が一、怒られでもしたらどんな目に遭うか……」
オトリの櫛を滑らす手が止まった。憂う顔が宙を見つめる。
「……櫛を貸して。あたしが梳いてあげる。羽根繕いのお礼だよ」
さて、年も明けて、いよいよ天照大神降臨の折りとなった。
里の神殿には巫女頭のコウヅル、次期巫女頭のオトリ、客分のミズメ。それから神聖な気配を漂わす姿無きミナカミ。
「ミナカミ様、勝手様の姿が見当たりませんが」
コウヅルが訊ねる。
『あの人は“いつもより面倒そうな予感がするから任せた”なんておっしゃって、ふらふらと出て行ってしまいました』
「ええ……」
巫女頭はがっくりと肩を落とした。
「そういえば、勝手様のほうには会ったことがないな。どんな神様なんだい?」
ミズメが訊ねる。
「ご覧になったことがありませんか? 勝手様は里の守護神です。翡翠のような緑色をした霊魂の姿で、里の中でもよく見かけますよ。ことがあると里をお助けになるといい伝えられているありがたい神様です。普段は遊び歩いていらっしゃりますけど」
「ありゃ、あたしも見たことあるな」
何度かそのあたりをふわふわと漂う翡翠の霊魂を目撃した経験があった。
死者の迷い霊かと思ったが、邪気を感じなかったゆえに特に里の巫覡に訊ねることもしていなかった。
『あの人のことは放っておきましょう。それよりミズメさん。里では問題なく過ごせたようで良かったです』
「うん。ここは良い所だね。仮にあたしが鬼でも、仏になってしまいそうなくらいに平和だよ」
『そうでしょうそうでしょう。私の里は平和に続いていくんです。これまでも、これからもずっと』
神の鼻息が聞こえた。
「ミズメさんが追い出されなくて良かったです」
オトリが微笑む。
『あなたのほうは全然良くありませんけどね。旅のあいだ、水垢離も鍛錬も怠っていたんですから。きっちりとやっていれば、ここ数代では一番の使い手になれたのに。そのうえ、里に面倒ごとを持ち込んできて!』
神の気配が棘立つ。
オトリは首を縮めた。彼女は修行の手抜きをした上に、ミナカミの意向に反した信条を身に着けたようで、帰郷以来は修行に明け暮れ、帰還が一年遅れたぶん余計に里の巫行を押し付けられていた。
「うう、精進します」
と、言いつつ欠伸。
「オトリがちゃんとしないとあたしも困るんだけど……」
ミズメはオトリが早朝の鍛錬に起きられるように更に早く起きて彼女を起こしていた。さもなければ、落雷が屋根を焼くのである。
「ところで、こうしてのんびり座っていますけど、何か儀式とかは不要なんでしょうか?」
オトリが訊ねる。
『儀式は御呼びたてする時に行うものですよ。年始の訪問はあのかたの趣味ですし、恒例のお遊びですから。目立つようにこちらから気配を出す必要はありません』
「そうなんですか……自由だなあ……」
ぼやく巫女。
つと、神殿の扉が開いた。
「何者ですか? 今日は神殿への立ち入りは固く禁じていたはずです。火急の用件は他の巫覡に頼るように言っておいたはずです。早々に立ち去りなさい」
コウヅルが立ち上がる。
『あっ……』
ミナカミが声を上げた。
現れたのは何やら宝髻を高く結い上げ、金銀珠玉の髪飾りを頂いた、偏袒右肩の納衣姿をした女性。
両の二の腕には黄金の輪が飾られており、仏か書に伝わる震旦のいにしえの貴女かという出で立ちである。
……・とはいえ、別段常人と違う気配を纏っているわけではないようだ。
「里外の人間!? 出て行きなさい!」
いきり立つコウヅル。
「くくく……コウヅルを騙せるのなら完璧のようだな。よう、“水分の”。今年も遊びに来たぞ」
女は声を立てて笑うと、見上げて言った。
『コウヅル、下がりなさい。そのかたこそが天照大御神です』
「このかたがですか? 毎年、御神と同じく霊声のみでいらっしゃるのに……」
コウヅルは慌てて下がり坐すると、繰り返し頭を下げて平服した。
「最近、“こっちの需要”が高まってな。仏よろしく化尼となって戯れてみたのだ。熊野のほうでは毎回この姿で顔を出しておる」
天照とされる女は左手の人差し指を右手で握り、智拳印を結んで見せた。
それから神殿に立ち入ると、大柱の前に胡坐を掻いた。
「今年は少々顔ぶれが違うな。勝手の奴は面倒で逃げたのであろうが、小娘がふたり。片方は行方不明といわれていた巫女頭候補のオトリだな。そっちは変わった物ノ怪だな。人間に……有象無象の鳥、小間使いの気配、それに男女両方の気配がある」
アマテラスとされる尼はふたりのほうを見て笑みを浮かべる。
「物ノ怪嫌いのおまえがこんな奇妙な化生を招いたのだ。さぞかし面白い事件が起こったのだろう?」
『ちっとも面白くありません! ミズメさん。あの勾玉を出してください』
ミナカミが声を荒げる。
「天照様相手に肝の据わった神様だね……」
ミズメは懐から勾玉を出す。
するとそれは独りでに手から零れ、宙を漂ってアマテラスの前に流れて行った。
「ほう、これは愚弟の玉だな」
漂う勾玉を眺めるアマテラス。
「やっぱり、月讀命の神器……ですか?」
ミズメが訊ねる。
「無理に畏まらんでいい。神器といっても奴の精を通すためだけの品だが……本人が入っているようなものだな」
「御本人が!?」
オトリが声を上げる。
「人が持ったところで何ができるというものではない」
「無害ってこと?」
「奴の意志次第だが、これがどっちの玉かが問題だ。八尺瓊勾玉はふたつある。一つは奴の和魂を顕し、もう片方は荒魂だ。奴の性質からして、調律か混沌かというところになるが、我としては混沌のほうが面白いな」
『ちっとも面白くないってば!』
またもお怒りの神の声。
『月讀様は伊邪那美様側に就かれた貴神です。これが地上に現れたということは、また黄泉がこちらへ干渉を試みようとしているのでしょう?』
「で、あろうな。片割れの玉はスメラギの一族に管理させて久しい。どうやらこれは月の裏側とみえる。封印したのが調律側だったのなら世が混乱するわけだ」
アマテラスは軽く笑った。
『ご確認ならさらないで封印させたんですか!?』
「弟の玉を検める趣味など無い。我は弟というものが嫌いだ」
『はあ……。それで、やはりイザナミ様が?』
「最近は黄泉國の仕事を西方の地獄に奪われておるからな。母上も退屈しておられるのだろう」
『今の地上の乱れた信仰心では、黄泉からの侵攻に耐えられるとは思えません』
「そうだろうな。初代スメラギや日巫女が大王どもと戦った時よりも面白くなるな。どうだ? 巫覡や陰陽師、天津や国津に関わらず神々を並べて戦争をするというのは。数百年ぶりに盛り上がると思うぞ」
『天照様、その勾玉を破壊願えませんか?』
ミナカミはアマテラスの提案を無視して訊ねる。
「愚弟の玉を潰せと? はっはっは。おまえらしい物言いだな。残念だが、今の我の力では玉を潰すことも棒をへし折ることも叶わんわ」
『やはり、結界のせいですか?』
「そうでなくとも難儀するであろうな。つまらぬ神のつるぎ程度であれば咥え砕くのも容易いが、これは幾星霜の時を重ねて奴の精を受け続けてきた品だ。材質も、この“星”ではないどこかで採れた石が使用されておる。道具として天寿を全うし砕けた我の鏡とはわけが違う。奴の力が蓄えられている以上、日ノ本に存在するいかなる存在でも、これの破壊は叶わぬだろう。月讀の奴がどの程度力を持っておるかは知らぬが、奴本人を叩くほうが易いまでありうる」
「月讀命を殺せってこと?」
ミズメが訊ねる。
「馬鹿者め。そのようなことを実行すれば、潮は乱れ陸を飲み込み、獣どもは自害し、女は気狂いになる」
アマテラスから鋭い視線が返された。
「……かもな」
白い歯を見せる女神。
「じゃあ、どうすればいいのさ? 好き勝手させろってこと?」
「手に負えぬ品は封印して祀り鎮めるのが常套だ。本来なら、スメラギや陰陽師どもに投げろをいうところだが、連中も手すきではないからな……」
「八方塞がりじゃんか」
肩を落とすミズメ。
「当てにならぬ方法だが、我から提案できる案は四つある」
「四つも。さっすが、アマテラス様!」
手のひらくるり。
「当てにならぬと言ったぞ。まあ、聞け……」
ひとつ、勾玉を黄泉國へ投げてしまう方法。覡國たる地上にはいくつもの黄泉に続く穴、“黄泉路”があるという。
しかし、多くの穴は過去に塞がれており、それが開くこと自体が黄泉からの干渉を招きうることであり危険が伴う。
「地上から消えれば地上へは干渉できまい。もっとも、穴へ投げ込んだとしても、投げ返されればそれでしまいだがな。穴を塞いでも、一度癖をつければ向こうからも開き易くなる可能性が高い」
「寧ろ逆効果じゃん」
ふたつ、アマテラスを始めとした三貴神よりも高位の神に頼る方法。
則ち、イザナギとイザナミの両名。イザナミの糸引きによるものであるとすれば、頼れるのは父であるイザナギのみ。
ただし彼は、日ノ本でも神の国でも永きに渡って姿を見せていない。
「男など当てにならんということだな」
「まったくです」
オトリが相槌を打つ。
「お釈迦さんや仏陀さんは駄目なの?」
「連中は我らと違い、自然の“代行者”ではない。あくまで“導き手”だ。力量はあるだろうが、答えそのものは与えてくれんよ。ゆえに我もこのような服装で遊んでおる」
「お師匠様に聞いたことがあるんだけど、天竺の仏さんは元は神様出身も多いって。そっちは駄目かな?」
「西方の神は気性が荒く、破壊神も多いと聞く。玉を壊せる可能性は高いが、余計な破壊も招かれるであろうな」
「うーん、残念」
みっつ、陰陽師が畿内、都、宮中と幾重にも展開されている結界を解除し、天照大神の力を解放し勾玉を破壊する。
「他の神々の力も解放されるが、鬼や物ノ怪の力も解放されて混乱が起こるであろうな。そもそも、結界を張ったのが我の力を抑え込む意味もあるゆえに、連中が首を縦に振るとは思えん。我としては公式に解除されれば高天國に帰ることとなり、今の封印生活以上に退屈になるゆえに、いやだ」
顔をしかめるアマテラス。
『いやだって……。本当、勝手なんですから』
天井から溜め息。
「神など勝手なものだ。おまえの連れ合いもそうであろうが。我は我と太陽のために在る。おまえたち覡國の者が勝手に太陽からの恩恵と害を受けているだけだ」
「よっつめは?」
ミズメが訊ねる。
よっつ、あえてイザナミ始め黄泉の者を地上へ招き、それらに打ち勝ち力を削ぎ取り、再び黄泉へと追い返すこと。
「我はこれが良い。黄泉の力が弱くなったところで、地獄が肩代わりできるからな。事故で結界が壊れれば我も暴れ放題だ。そうすれば勝ち目もでてくるというもの。自慢の天鉾捌きを見せてやろう」
得意げに鼻を鳴らすアマテラス。
『絶対に駄目です!』「私も反対です」「私も!」「あたしもちょっと……」
反対の嵐である。アマテラスは「なんだつまらん」と口を尖らせた。
「仮に勝てたとしても、結局は月讀の荒魂の思うつぼだよね? ふたつめのイザナギを探す案以外は、どれも“混乱”や“混沌”と隣り合わせだ」
「その通りだ、よくぞ気づいた面白き物ノ怪よ。さすがに月に干渉される存在だけあるな。奴は思慮深い男だ。恐らくはそれらもすべて計算した上でこのような頑丈な玉をこしらえたに違いない」
「愚弟って言ってなかったっけ?」
「月は毎日規則正しく満ち欠けを繰り返して地上に力を注いでる退屈な存在だからな。太陽のように不規則に猛ることがない」
「太陽は暦からもずれるしなあ」
「暦のほうがずれてるだけだ。我があるじの太陽こそが基準であるに決まっておろう。それに従い獣は冬に備えて春を迎え、木々は夏秋に実を結ぶのだ。暦のほうを直せ。暦を」
「暦を作ってる陰陽師連中に言ってよ。……とにかく、今あたしたちができるのは旦那のイザナギさんを探すことだけか。どうも雲行きが怪しいというか、雲を掴むような話というか……」
溜め息をつくミズメ。
『一つ訂正してください。“あたしたち”ではなく、あなたの出来ることです』
ミナカミが言った。
『オトリは里から外へはやりません。これから先、過去の戦争以上の難事が起こる可能性があるのなら、彼女は里を護るための貴重な器です』
「ミナカミ様!」
オトリが声を上げる。
「オトリ、いいよ。人探しならあたしが独りで翼を使ったほうが早くできるから」
「ミズメさんだけに押し付けるようなことはできません!」
「お師匠様にも話して手伝って貰うしさ」
「でも……」
オトリは寂しげだ。
「その代わり、問題が解決したらまたここに遊びに来てもいいだろ?」
見上げるミズメ。
『解決すれば。そのころまで人間のオトリが生きてるとは限りませんけど』
「どうしてそんな意地悪な言いかたをするの!?」
『彼女は物ノ怪です。実際、神々のやることは人の感覚で測れないところがあります。ツクヨミが何を企んでいるにせよ、イザナギやイザナミが現れるにせよ、今日や明日の話ではないでしょう。ひょっとしたら、数百年や数千年も先のことになるかも』
「だったら、私が少しのあいだ手伝うことくらいはお許しになってもいいでしょうに!」
『なりません! 水分の旅は終わりました。あなたは巫女頭になるのに備えねばなりません』
「伯母さんだってまだ元気じゃない!」
『駄目です!』
――うーん。出逢ったころのオトリと似てるなあ。
一抹の寂しさとともに相方と神の遣り取りに耳を傾ける。
「やれやれ。おまえはつまらぬ女になったな。昔のように“私がやります”と言って守護霊に止められてた姿が恋しいわ」
アマテラスが立ち上がった。
『今は昔。それは肉体のあった時代の話です。そもそも、私がこうなったのもあなたたちが覡國の混乱を煽るようなことを繰り返すからでしょうに! 私たちばかりに尻拭いをさせて!』
ミナカミが声を荒げる。
「そうだったな。だが、愚かなのは神々だけではない。定命の人間もまた然り」
帰る気か、納衣揺らしてゆっくりと歩く女。
「どちらにも属す面白き娘よ。おまえが上手くやれねば世は乱れるだろう。場合によっては地上の全てが滅びる」
立ち止まりひとこと。宙に浮いた勾玉が跳ねてミズメの手の中へと戻った。
「凄い重圧を掛けてくるね。確かに拾ったのはあたしだけど……」
苦笑い。
「知った者の運命だ。いくつもの手を考えておけ。破壊、父探し、陰陽師の結界破り。必要とあらば我も手を貸す。あるいは……様々な気配の雑駁したおまえになら、別の方法が導き出せるやもしれぬ」
「期待し過ぎかもよ」
「“かも”だから面白い。……ミクマリよ、我はがっかりしたぞ。今年は御饌も神酒も不要だ。帰る」
アマテラスはそう言い残すと神殿から立ち去って行った。
独りでに閉まる扉。重苦しい静寂の空気。
「私も、がっかりです。天津の神様は勝手だなんておっしゃりながら、ご自分が一番勝手なんですから」
オトリが言った。
『約束通り、アマテラス様には引き合わせましたから……』
「こうなると、ミズメさんは明日には発たねばならないでしょうね。宴を開きましょう。重すぎる使命を背負わされた友人のために」
コウヅルは神の言葉を遮って立ち上がった。
『……』
「ミズメさん、今日はずっと一緒に居ましょう。修行や巫行なんてうっちゃらかしちゃいますから。何か進展があれば、こまめに訪ねてくださいね」
巫女たちは物ノ怪の娘を促す。神の気配だけが神殿に残り続けた。
客人の突然の出立の決定に、里の者たちは酷く落胆した。
中にはそのまま里に暮らすものだと思っていた者もおり、子供たちからは啼泣までが聞こえてきた。
陽の傾かぬうちに宴が始まり、本来は天照大神に供されるはずだった品が物ノ怪の娘への祝いへと振り替えられた。
「あの、これを持って行ってくれませんか?」
オトリが差し出してきたのはいつかミズメが彼女に贈った柘植の櫛。
「これはオトリにあげた奴じゃんか」
櫛を贈る意味は知っているが、鼻の奥がつんと痛くなる。
「私にはこれがありますから」
オトリはミズメの三色の羽根を束ねた首飾りを見せる。彼女はすでに見られない顔をしていた。
「いいってば。神様探しをするだけなんだしさ」
櫛を押し返すミズメ。
「でも、心配で」
「大丈夫だって。あたしは強い物ノ怪だ。オトリと違って余計なことには足を突っ込まないし、そうやってこれまで三百年を生きてきた。長い物ノ怪人生なんだし、神様探しにどれだけ時間が掛かっても、良い退屈凌ぎさ。善行ついでに全国各地の名所と温泉を巡る! どうだい、羨ましいだろう?」
哀しみ振り落として笑い掛ける。
「だからなんです。ミズメさんがそんなだから、里から出てしまえばすぐに私のことなんて忘れてしまうんじゃないかって」
涙がぽろり、零れる。
「忘れないって。忘れるもんか。あたしが忘れるのは嫌なことと都合の悪いことだけだ。だから、泣かないでよ。あんたが泣いてたら、忘れなきゃいけなくなるだろ」
「無理です。でも、忘れないで……」
相方がわが胸へと身を寄せてくる。腕をまわしてその背を抱く。
しゃくりあげる肩。指先に触れるなめらかな髪。
「大袈裟だって。また訪ねるから。ミナカミ様だって、里のことを第一に考えてるだけで、世間のことに関心がないわけじゃないよ。あたしの話を聞きたがるはずさ」
諭すも娘はただ静かに泣き続けるばかり。
太陽が沈む。ふたりの時が終わりを告げようとしていた。
ミズメは納得をしていなかった。天津の神々の勝手も、排他的なミナカミの考えも。
それでも、他者のやりかたが自分とぶつからぬ限りは相手を捻じ曲げぬのが信条であり、此度もそれに従っていた。
――だけどどうしてかな。あたしはこの手を離してしまいたくない。
時は無常に過ぎ去り、空に数多の光が満ちる。
月の無い夜。
過ぎる静寂がかえって眠りを妨げたか、ミズメは目を覚ました。
「あれ、オトリ?」
身を起こせば横で眠るはずの娘が居ない。
――最後の朝まであたしが起こさなきゃいけないのかね。
苦笑ひとつ零して小屋を出る。悩み眠れぬ夜はかえって目覚めが早いのがあの子の常だ。
それはそれで心残りができてしまう。見つけて少し話をしよう。
オトリを探して村をぶらつく。
虫すらも寝静まる夜。
たったひとつ聞こえてくるのは川のせせらぎ。
引き寄せられるように川へと足を運ぶと、そこには水面に立ち、静かに舞う見知った巫女の姿があった。
*****
あんき……安心。
にかにか……ちくちく。
大日如来……真言密教の教主であり、神仏習合が進むにつれて天照大神と同一視されることも増えた。
宝髻……菩薩や仏が頭上に向けて結っている髪型。螺髪とは別のかたちで大日如来がほかの仏と別であることを示す。
偏袒右肩……左肩を露出し、右肩を袈裟で覆っている姿。
納衣……袈裟。




