化かし039 御使
ふたりは狐耳の娘に連れられて、稲荷山の山頂に近い祠を訪れる。
「い、いかん! 参拝者じゃ、隠れろ!」
童女が木の陰に隠れる。
「なんで隠れるんだ?」
「姿を見せるとありがたみがないからでしょうか?」
参拝者は旅姿の女だ。化粧を汗で滲ませながら、祠の前に小走りで来ると柏手を打ち、両手をこすり合わせて何ごとか呟いた。
「……あの子の病をお癒しくださいませ」
女はそれだけ願うと再び小走りで去って行った。
「お子さんが病気なんだわ。御子様、是非とも叶えてさしあげて」
「ううむ。わしらとしても、ああいう願いは叶えてやりたいのじゃがな。残念ながら、わしらのあるじには疫病治療の神通力はないのじゃ。わしが仕える御神は五穀豊穣。他に祀られている御神は芸能に通じる神と、宮中の平安を司る女神くらいじゃ」
溜め息をつく童女。
「叶わぬゆえに、われらの神威を疑って仏に頼る信者も少なくない。今の女はここのところ山頂の祠を回り続けておるが、柏手はすれど、あの平手をこすり合わせて祈る所作も仏門の流儀だしのう」
「吝いこと言わずに、何かしてやればいいじゃん」
「病には神威が及ばぬ。信者たちが信じて祀り続ければ、本来神々が持ち得る力が増幅し、神威の及ぶ領域を広げることも不可能ではない。じゃが、今は仏教との信者の奪い合い……というよりは、民自身が“救われればなんでもいい”という気持ちで神も仏も分別なく頼るゆえに、わしらのあるじの力も衰える一方なのじゃ」
「でも、忙しいから依頼をしたんだろ? 霊験を示せないのに参拝者が絶えないのかい?」
「包み隠さずに言うとじゃな。ここが都から近いから。それだけが理由じゃ。本来、司っておらぬ内容の願いでも、なんでもここに頼みに来よる」
話しているあいだにも、入れ代わり立ち代わり参拝者が訪れている。
「うちの娘が宮中に召されて幸せになれますように」
「来年も豊作をお願いします。もうひび割れた田圃を見るのは嫌じゃ」
「あの人がまた私の屋敷を訪ねてくれますように」
「人喰い鬼に攫われた子が帰ってきますように……」
庶民からお忍びの貴人までが手を合わせる。
「なんだか切実で善良なお願いばかりですね。都では呪いとか浮気とか言ってるのに」
「都の内部は邪気も散りづらいからのう。ここは大結界の内部でも、わしらの神の和魂の強い聖域じゃから、人の心も怨みよりも希う気持ちが強くなるのじゃ。じゃが、今のお願いのうち、叶えられそうなのは豊作くらいじゃな。それも太陽の気分次第で容易く曲がってしまうからのう……」
「宮中がどうのってのは司る神様が居るんじゃないの?」
「あれか。ここで祀られる一柱の大宮能売大神の領分に思えるが、実はそうではないのじゃ。御神は宮中に封じられた別の御神の荒魂を鎮めるために祀られているだけであって、実は直接に民のためにあるのではないのじゃ」
「その神様の機嫌取りってこと?」
「結界内に封印されて久しく、退屈しておられるのじゃ。畿内の結界も都の結界も、スメラギが住む宮殿も全てはその御神のためじゃ。都が魔都と呼ばれるのも、結界やミチザネのせいだけではなく、あのおかたが暇潰しで宮中の女をそそのかして小競り合いを起こさせるのも含めてのことじゃろう」
「何か悪い神様なのかい?」
「まさか! 封印されておるのは、万物を照らす太陽の巫女であり、高天國を治める立場にある日神じゃ」
「ってことは……天照大御神か!?」
「真名で呼ぶでない! 聞きつけられれば、退屈の八つ当たりをしにこられるぞ! 豊作もそのじつ、日照りを避けてくれという点に重きを置いた祈りが多い。日照りはあのおかたの荒魂の所業じゃ。本来ならばあのおかたに頼むべき案件もよく祈られて、わしらは参っておる」
「それで、できそうもないことばかり頼まれるから仕事が溜まってるってわけだ」
「じゃが、それを叶えて民からの信を得れば、いつしかわしらの御神にも新たな力が宿る。そのために、稲荷の巫覡どもやわしの母上を始めとした御使いが東奔西走しておるのじゃが……」
「手が足りないと」
「そうなのじゃ。飯を食う暇もないほどに忙しいのじゃ」
「じゃあ手伝ってやるよ。弁当はどこだ?」
ミズメは童女に向かって手を出した。
「弁当? 弁当なら懐にあるが、何をするのだ?」
首を傾げながら、懐へ手を突っ込む童女。
「食う暇もないなら手伝ってやろうかと思って」
「馬鹿たれ! 二百年前に食ったであろうが! 話の腰を折るな! ……ともかく、わしも母上に手伝いを命じられて祠のひとつを任されておるのじゃが……恥ずかしい話、解決できたのは片手で数えるくらいなのじゃ。それをだな。せっかく礼に頂いた揚げ鼠をおぬしがかっぱらうから!」
「あれは悪かったって。でも、それって二百年も前の話だろ? それで数えるくらいしか解決してないって、そんなに難しい仕事ばかりなのか?」
「ああ、いや……。これもまた重ね重ね恥ずかしい話なのじゃが……。わしはな、人間が恐ろしいのじゃ」
ぶるりと震える狐耳。
「はあ? 自分を拝んでくる奴になんて、堂々としてればいいじゃんか」
「それが、因縁があっての……」
狐の娘が事情を語る。
先程、ミズメが支払った偸みの代償の油揚げ。それを名物とする信太の森に根があった。
かつて、邪悪な仙狐が術師に手負いにされ、森へと追い込まれた。
森には結界が張られて狐は大人しくなったが、のちにその生き胆を飲めば病が治るとか、仙人に成れるという噂が立った。
そのころはすでに狐は力を弱めており、悪事からも手を引いていたのであるが、因果応報か、噂を聞きつけた術師や狩人が森へと押し寄せた。
「仙狐……これは、わしの母じゃが。もはやこれまでというところで、術師の男に見逃されたのだ」
見逃された仙狐は男に惚れ込んだ。
そしてこともあろうか、産まれたばかりの仔狐を放ったまま、男を追い掛けたのである。
一方でその仔狐は森に取り残され、狐狩りを続ける連中に追い回され続けた。
のちに仙狐は男との関係のすえに性根から改心を決意し、神の使いとなった。
「母上は改心を示すために、身を粉にして神に奉仕せねばならなかったのじゃ。生まれたばかりのわしを名付けもせんとな……」
母が尊い存在となったおかげで娘も稲荷山へ召集され、死は免れたものの、多忙を理由に親子のわだかまりは未だに残ったまま。
森で追われた記憶が爪痕となり、一般参詣者にも姿を見せられず、手伝うのも難しくなっているという話である。
「あまつさえここ数十年で、母上が産まずに腹の中に貯え続けていた人間との子をどこかへ産み落としたという話まで聞いた。その子供には何度か逢っているそうじゃ! わしのことを放っておいてまで!」
狐耳の大きな頭から歯ぎしり。
「……ふーん。要するに、お母ちゃんに構って欲しいんだな? そのためにおまえの仕事を肩代わりしろってことか?」
「そんな、そんな矮小な理由で陰陽師なんかに頼るものか! わしとて使いの端くれ。神の問題が母の問題であるなら、母の問題がわしの問題というだけの……」
口ごもる狐娘。
「わかったわかった。なんにせよ、困ってる信者を助ければ神様も強くなって、仕えてる連中も助かるし、ひょっとしたらおまえも構って貰えるかもしれない。あたしらの仕事は善行ってことだ」
「なんじゃ。おまえ、おまえって……」
「名前、無いんだもんな。あたしは水目桜月鳥だ」
「名は無いと言っておろう。性悪め」
顔をしかめる童女。
「巫女の格好をしてるんだ。真名は言わなくてもいいさ。巫女名ってことでさ、普段はなんて呼ばれてるんだ?」
「“けえね”じゃ。ここの巫覡や使いの同僚からはそう呼ばれておる。ろくに仕事もこなせぬ馬鹿娘としてな」
鼻で嗤う童女。“けえね”はそのまま“狐”を意味するのである。
「そっか、嫌なら他に呼びかたを考えるけど」
「構わぬ。もうすっかりその呼び名で慣れてしまったからの」
けえねは寂しげに言った。
「分かった。とにかく力になるよ」
「かたじけない」
「……ということだそうだよオトリ。使いの子でも年上でも子供は子供。あたしたちの出番だよ」
ミズメが声を掛けるが、オトリはぼんやりと下を見たまま呆けている。
「オトリ? どうかしたのか?」
「あ、えっと……」
ミズメが声を掛けると、一度はこちらを見たが、またも下を向いた。
――ははあ。さてはさっきの櫛のことを気にしてるね。可愛いところあるじゃん。
ミズメは頬が緩むのを感じた。
「天照大神様の話が気になってました。うちの里に、年に一度いらっしゃるんですよね……」
「へ? そんな話かい。いいじゃん別に。実際に何をするわけでもないんだろ?」
口を尖らせる。
「ええ、まあ……うちの神様がたとお喋りをして帰られるだけなので……」
「役に立たない奴! そんなのほっといて、さっさと人助けに行こうよ!」
「あの、けえね様。太陽の巫女様は封印されていると仰っていましたが」
「封印されきっとらんだけじゃろう。人間どもは荒ぶる日照りも暖かな日差しも封じて、己の鍬と鋤の力を過信しておる。本来ならば、人間風情がどうこうできる存在ではない。何か、あのかたなりに理由があるとわしは思うな。伝説では、かつて引き籠られたさいには、天津神や国津神が挙って機嫌を取らなければ顔を出さなかったというほどに我の強いおかたじゃからな」
「ふうん……。天照様が……」
――何さ。櫛の礼も忘れてさ。
ミズメは文句のひとつでも垂れたい気持ちであったが、ぐっとこらえて、とりあえずその場をぐるりと歩いてみた。
数歩歩いたが気は休まらず。
「何をなさってるんですか? 仙術の歩法?」
「別に!」
大きなため息をつくミズメ。
さて、山伏と巫女は陰陽師の代理として稲荷の神の使いの仕事を手伝うこととなった。
ミズメの音術を通訳に、森の奥からけえねが声のみで信者に語り掛け、オトリが煎じた薬や破魔の効果を封じ込めた水などを授ける。
ときおり、配達紛いのことが必要となれば、ミズメが翼を用いて使い走りを担当した。
「すまんのう、おぬしらばかりにやらせてしまって」
「いてて……けえねは何もできないのか?」
ミズメは翼に突き刺さった矢を抜きながら言った。
面倒になって人目を確認せずに低空を飛行したため、驚いた狩人が矢を放ったのだ。
「わしは神に足先を差し入れる程度の存在だからのう。母譲りの火術と狐狸の変化ノ術しか扱えぬのじゃ。ここで神気を受けて神聖な気を発するようになったほかは、物ノ怪と大して変わらん」
狐耳を掻くけえね。
「巫女の格好をしてるのにか」
「衣にはわしの気が籠っておるが、ここに仕える巫覡をお手本に化けただけじゃからのう」
娘は面目ないと肩を落とす。
「でしたら、巫行を習得なさってはどうでしょうか? 清らかな気が扱えるのなら破魔の道具を作ったり、お祓いをしたりはできますよ」
「一朝一夕とはいかぬじゃろう?」
「霊気の扱いは多分才能がおありになるのですぐに。でも、薬学などについては腰を据えて本格的にお勉強なさらないと駄目かも」
「あたしたちにも、そんな暇は流石にないなあ。ここに仕える人たちに頼んだらどうだい? 大きな社だし、巫力の高い巫覡もいるでしょ?」
「む、無理じゃ無理じゃ! 同胞とはいえ人間じゃ! とって喰われる!」
けえねは顔をぶるりと振った。
「狐の姿ならともかく、巫女の格好をした子供を喰う奴なんて邪悪な鬼くらいなもんじゃんか」
「そういえば、人喰い鬼に攫われた子が帰ってきますようにってお願いもありましたね……。けえね様、ここは頑張りどころですよ」
けえねが言うには、その参拝者も通いだして久しいらしい。
「鬼でなくとも、この下手糞な変化を見て嗤うじゃろ? 仮に、使いだと信じてもらえても、仕事ができなければ馬鹿にされる。人間と友達になんてなれん!」
「なんの話をしてるんだよ。友達じゃなくて、仕事を教われって言ってるんだけど……」
「ひょっとして、人間が怖いんじゃなくって、ただの人見知りだったりして」
「ぶ、無礼な! わしは人間に追われて恐ろしくなったのじゃ!」
「でも、あたしらとは普通に話せてるだろ」
ミズメが指摘をすると、けえねは木陰へと逐電した。
「そ、それはおぬしが物ノ怪だから」
木陰から尻尾が覗く。
「最初はただの山伏だと思ってたじゃん。オトリはどうなるんだよ」
「お、おぬしが無理矢理捕まえたから」
ちらりと顔を覗かせる童女。
「いやいやいや。今まで、平気だったじゃんか」
「じゃあきっと、おぬしが阿呆そうだからかの?」
戻ってきた。
「こんにゃろ!」
ミズメは狐耳の頭をひっぱたいた。
「何をするのじゃ!」
涙目のけえね。
「憎たらしい奴め!」
「酷いですよ! こんなに可愛いのに!」
オトリがけえねを抱いて庇った。
「オトリは優しいのう。人間が皆、オトリみたいだったら良いのじゃがのう」
「そりゃ、平和そうだな。陽が沈むまで全員寝てるだろうけど」
「ちゃ、ちゃんと起きれますよ!」
「嘘つけ! 毎朝あたしが苦労して起こしてるじゃんか!」
ミヨシの屋敷に身を預けてからは……からも、ずっとその調子である。
「起きられないのは、夜遅くまでミズメさんとおしゃべりをしてるからです!」
「話を振ってくるのはオトリのほうだろ!」
喧々と言い争うふたり。
「起こし合う仲か。いいのう。ふたりは友達なのかの?」
けえねが訊ねた。
「ただの旅の連れ合いだよ。こいつが方向音痴で迷子になったから、国まで送り届けてやるだけ! ……だよ」
陽が暮れて月が近付いたせいか、はたまたいまだ心にある櫛の引っ掛かりのせいか。
ミズメは、我ながらに意地悪く言葉が出たと思った。
「えーっ。友達って言ってくれたじゃないですか!」
オトリは哀しげな顔をする。
「べ、別に友達じゃないなんて言ってないだろ」
すぐに後悔。しかし言葉足らず。相方は一層表情を曇らせたままだ。
「里の外でたった一人の友達だったのに……」
「えっと……」
「あーあ、喧嘩しおった! オトリは可哀想じゃのう。この性悪の代わりに、わしが代わりに友達になってやろう」
「そうしましょう。ミズメさんなんかほっといて!」
「友よ。あの性悪山伏に叩かれた頭が痛むのじゃ!」
巫女に抱き着く御子。
「よしよし、痛いの痛いの飛んでいけ~」
オトリが頭を撫ぜる。
「いや、これでは友達というよりはお母さんじゃの」
はにかむ狐娘。
「じゃあ、私がお母さんにもなってあげる!」
「本当か!? では、一緒に寝てくれたりするか?」
「いいですよ。お手伝いはまだ不十分ですし、今日はここに泊まりましょう」
「へへ、オトリのお泊り。嬉しいのう」
楽し気な紅白衣装の娘たち。
――一生やってろ!
「あたしはミヨシのおっさんの屋敷に帰るよ。じゃあね」
ミズメはそっけなく言うと翼を広げて山を飛び立った。
ずきりと翼が傷む。治療を頼む気でいたのをすっかり忘れていた。
――参拝者はお忍びで夜中にだって来るんだ。寝てる暇なんてないさ。仮に眠れても、あたしが来るまで起こせずに苦労するぜ。
大禍時。
月もまだだというのに、ミズメは都へ帰る道中で道行く人を化かして回った。
自分ほどの化かし上手がいないのか、人々は素直に術に引っ掛かり、大袈裟に驚いて見せた。
簡単過ぎてわざとらしく思え、いくら遊んでも天狗娘の心は満たされなかった。
床に就いても矢張り相方は戻らず。
空に浮かぶは欠けた寝待月であった。
*****
吝い……けち。




