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化かし038 稲荷

 博奕(バクエキ)の一件から数日が経過した。

 勾玉(マガタマ)の破壊の手立ては見つからず、都内の仕事もふたりに回るほどには溢れず、時は(イタズラ)に過ぎ去っていった。

 それでもふたりがだらだらとミヨシのもとに居座り続けたのは、お互いに心残りがあったからであろう。


「オトリよ。一つおまえに相応しい仕事が見つかった」

 陰陽寮より戻ったミヨシが言った。

「本当ですか!?」

「正確には陰陽寮の仕事ではないのだが、ある場所で手が足りてなくて助力を求める書面が来ておってな。それから……これをおまえに渡しておこう」

 そう言ってミヨシは緋色の袴を差し出した。

「わ! 巫女の袴。ミヨシ様、これはどうなさったのですか?」

 オトリの表情は満開になった。

「聞かぬまま受け取ったほうが良いぞ」

「何か悪いことを……?」

「そうではないが、聞かぬほうが良い」

 ミヨシは苦笑いである。

「どうしてですか? 教えてください」

「では話すが。これは油小路針麿アブラノコウジハリマロからおまえへの贈り物だ」


「うっ……!」

 オトリの伸ばした手が固まった。


「ははは。オトリも相当惚れられてるね」

 ミズメが笑う。

「おまえにもハリマロから(フミ)が来てるぞ」

 手紙が手渡される。

「おっ、ありがと」

 ミズメは受け取ると、すぐに蝋燭の炎へと近付けて燃やし始めた。


「火ってのは清めの力があるっていうからね、一生焦がれてればいいさ。……オトリの袴も焼いとく?」

 燃える文を見ながら笑うミズメ。


「えーっと……これ、履いても平気なのでしょうか? なんだか、これから言いつけられるお仕事への意欲も無くなってきました」

「呪いは掛かっておらぬし、都の外なら咎められまい。それに、これからの依頼をこなすには相応しい衣装だぞ」

「ハリマロさんのお手伝いではないのですか?」

「それらは単に俺が押し付けられただけだ。伝言しろなどと宣って、あやつの愛の言葉を聞く羽目になった」

「あっはっは! ご愁傷様。それで、仕事って?」

 手紙は読まれずに灰と化した。


「うむ、場所は稲荷(イナリ)神社だ。神の使いの子の手伝いをして欲しいとのことだ」



 稲荷神社。その名の通り、都から南東に位置する稲荷山に鎮座する(ヤシロ)で、全国各地に点在する稲荷神社の総本山といわれる地である。

 宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)を始めとした神々を祀っており、未だ仏門への帰依や融合を行っていない古来よりの流派のひとつである。

 ふたりは任を聞いた翌朝にミヨシの屋敷を出立し、稲荷神社へと出向いた。


「あそこの巫覡も古流派って言われてたな。オトリのいう遠い親戚だったりするの?」

「稲荷様は厳密には別の流派です。うちも里ができる前は独立した流派だったらしいのですが、地域貢献に協力しているうちに同一視されるようになって、今では古流派として一纏めに呼ばれています。古流派にも色々あるんですよ」

「へえ。でも、もっと別の流派になるのに、陰陽寮に手伝いを依頼するなんて、よっぽど忙しいんだな」


 ミズメは懐から依頼の手紙を取り出した。

「へったくそな漢字。小僧の手習いかよ」

 書面には吹雪で凍えたような漢字が羅列されている。


「でも、お手紙には少し神気が宿ってます。印も本物だってミヨシ様が仰ってました」

「手紙を書くのも下っ端にやらせたのかな」

「そういえば、ミヨシ様は“神の使いの子”の手伝いと仰ってましたよ」

「あたしたちは、稲荷の神様の使いの子供が依頼した陰陽寮のミヨシのおっさんの使いっぱしりってことか。子分も子分だね」

 ミズメは顔をしかめた。

「私は他流派でも子分でも、ようやく巫女のお仕事が回って来て嬉しいです。神様にお仕えしてこその巫女ですから」

 赤白衣装の娘はにこにこしている。

「ま、なんにせよ、この手伝いが終わったら都を出るかな。結局、勾玉についても収穫はなかったし」

「稲荷様にも霊験あらたかな巫覡はいらっしゃるはずなので、お伺いを立ててみましょう」

「そうだね」


 ミズメは懐に手紙をしまう。それから、“別の品”に手を触れた。


 くだんの勾玉ではない。“柘植(ツゲ)の櫛”である。


 市に寄ったさいにオトリが目を奪われた品物のひとつで、先日に市へ寄ったさいに博奕の勝ちぶんを使って手に入れていた。

 高価な物のため売り手には訝しがられたが、「ある貴人からのお使いだ」と押し切ってなんとか購入した逸品である。


――さて、どうやって渡そうかね。


 ただ渡せば済むはずだというのに、それは購入から時が経った今も懐で暖められ続けている。

 ミズメは「ま、適当に頃合いを計るか」と気楽に構え、オトリと共に稲荷山へと足を踏み入れた。


 白木の鳥居(トリイ)をくぐった瞬間、これまでが毒の中に居たかのように空気が澄み渡った。


「うーん! やっぱり神様の気配が濃いのは良いですね」

 オトリが深呼吸。

 畿内を覆う結界をもってしても濃厚に醸される神気。参道もただの山道ではなく、歩きやすく整備されている。

 都や近辺の人々が挙って通う社というだけはあるようだ。

 手紙には麓にある管理施設ではなく、山頂に近い祠のひとつへ来るようにと指示がされている。

「こうやって、他所の流派の神域を歩くのは初めてかもしれません」

「ありゃ、朱色の鳥居が混じってる」

 分かれ道や斜面が急になるところなどの境界に、朱に塗られた鳥居が立ち並んでいる。見たところ新しいものだ。

「赤いですね。旅で見かけた鳥居は石や白木を多く見かけました」

「朱色にするのは、仏さんの影響なんだよな。袴も大きな(ヤシロ)では赤が増えてきた。ここもちょっとづつ染まってるのかな」

「赤は好きですけど、なんだか、ちょっと寂しいかな……」

「そういえばオトリの流派の袴も赤いけど、仏さんの考えを入れてるんだっけ?」

「いいえ? うちの袴が緋色なのは、ずーっと昔からですよ。始祖の巫女が着てたんです」

「なるほど、だからこだわるんだね」


 ふと、頭上で固く小さな音がした。


「何か降ってきたぞ?」

 ミズメは鳥居の上から落ちてきたものを拾い上げる。

「石ころですね」

「山ではたまにあるんだよね。どこからともなく石が降ってきたりって」

「誰が落としたんでしょうか?」

「うーん。あたしかな?」

「ミズメさんが?」

「いやね、こういう山の怪異を“天狗”っていうだろ。あたしはこういうことばっかりして遊んでたから。これはあたしの仕業じゃないけど」

「ふうん。怪異というよりは、子供の悪戯みたいですよ。ほかにはどんな悪戯を?」

 咎める様子もなく訊ねるオトリ。

「遠くの杣人(ソマビト)が木を切り倒す音を音術で別の人間へ届けて、近くで木が倒れたかのように思わせるとか。これは狸もよくやるね」

 解説をしていると小石がまた飛んできた。今度は上からでなく、茂みから足元へ。

「倒木はちょっと驚いちゃうかも。どうせなら楽しく笑える悪戯にしてください」

「笑うのはよくやるよ。急に高笑いを聞かせて脅かすのさ。たまに肝の据わった奴がいてね、大声で笑い返してくるんだ。それを読んで音術で倍返しにすると、腰を抜かして面白い」

「そういう笑うじゃなくって……痛っ!」

 オトリが頭を抑えた。足元に転がる小石。

「本物の石をぶつけるのはあたしの流儀じゃないな。幻術で石の雨を降らせることはあるけど」

 ミズメは小石を拾い上げると、飛んできた方角に向かってぶん投げた。


「ぎゃっ!」

 命中。さて、狸か狐か。はたまた子供の悪戯か。


「ミズメさん! 叱るのは結構ですけど、もうちょっと優しくしてあげてください」

「だって、オトリの頭にぶつけたじゃん」

 相方は目を潤ませ、頭をさすっていた。


「ち、違うのじゃ。手元が狂ったのじゃ! 巫女のほうを狙ったわけではない!」

 茂みから声。


「山伏になら石をぶつけてもいいっていうのかよ?」

「稲荷は山伏の山ではないじゃろう! それに、山伏には個人的に怨みがあるのじゃ!」

 言い返す茂み。何やら声は幼い童女のようである。


「八つ当たりじゃんか。とにかく、とっ捕まえてオトリに謝らせてやる」

 ミズメは素早く茂みに踏み込むと、緑の中にまさに狐色の尾っぽを見つけた。


「やっぱり狐か! こんにゃろ! ……って重たいなこいつ」

 しっぽをむんずと掴んで持ち上げる。


「やめろ! 尻尾を掴むでない! 抜けてしまうじゃろが!」

 喚く悪戯者。

「まあ!」「ありゃ?」

 ふたりは声を上げた。


 それもそのはず、狐の尻尾の先についていたのは狐の尻ではなく、緋色の袴に白い衣……人間の童女の身体であった。


「放せ!」

 童女は暴れてミズメの股座にこぶしを叩きつけた。

「ぎゃっ!」

 思わず手を放す半陰陽の娘。


「あっ! この子、耳もついてる! 月山の子にそっくり」

 嬉しそうな相方の声。


「お使い筆頭の御子(ミコ)を怪我させたら神罰がくだるぞ! 修験者は行だけでなく、所作も乱暴のようじゃな!」

 狐の耳と尻尾をくっつけた童女は袴の土を払いながら言った。


「ミズメさん。今このかた、お使いの御子と仰りました。もしかして、ご依頼を頂いたのはこのかたからではないでしょうか?」

「狐の化け損ないに見えるけど。ヤソロウのほうがもっと上手に化けるぜ」

 言いつつ懐から手紙を取り出し、広げて見せる。


「むっ、それは確かにわしがしたためた書じゃ。とすると、おぬしらが陰陽寮からの使いか? なんで陰陽寮に依頼したのに、巫女と山伏が来るんじゃ?」

 ちいさな巫女は首を傾げながらこちらへ寄ってくる。

「それは、あたしらが陰陽寮の……」


「あーーーーっ!!!」

 童女が唐突に大声を上げた。その小さな指はミズメの顔を指差していた。


「うるさいな、急に大声を出して」

「おぬし! おぬし! おぬし! 忘れはせぬぞ!」

 見る見るうちに童女の顔がゆがんでゆく。

「な、なんだよ……」

「なんだよ、ではない! いつぞやの弁当泥棒ではないか!」

「弁当泥棒!? 知らないよ! 初めて会ったじゃん!」

「おぬしが忘れようとも、わしは忘れぬぞ! わしが信徒の願いを叶えた返礼に供えられた揚げ(ネズミ)をかっぱらった不届き者じゃ!」

 狐耳の童女は顔を真っ赤にして地団太を踏んだ。

「知らないってば!」


「ミズメさん!」

 覚えもないが信用もなし。こちらの巫女装束も眉を吊り上げる。


「本当だって! 月山以外でこんな奴見たことないもん!」

「月山? まあ、見たことがなくても仕方があるまい。あの頃はわしはまだ変化ノ術が使えんかったからの。じゃが、わしのほうはおまえをようく覚えとる! 何やら妖しい気配が山に踏み入ったと思って様子を見に来たが……おぬし、翼の生えた物ノ怪じゃろう!?」

 再び指先が向けられる。


「やっぱりミズメさんじゃないですか! こんな小さな子からお弁当を取り上げて!」

 巫女に捕まれ揺さぶられる。


「知らない知らない。覚えてないんだってば!」

「思い出すまで揺さぶってさしあげます!」

「阿呆になるからやめて!」

「良いぞ巫女よ! さっそくわしの手伝いじゃ! その不届き者を縛り上げるのじゃ!」

 あっという間に縛り上げられるミズメ。


「さあ、ミズメさん。この子に謝って、代わりのお弁当を! こんな可愛い子供を虐めるなんて最低ですよ!」

「巫女よ。こう見えてもわしは、おまえの二十倍くらいは長生きじゃぞ」

「あら、失礼いたしました!」

 頭を下げるオトリ。

「翼の物ノ怪も長生きのようじゃな。わしのことを忘れたのも無理からぬことかも知れぬの。おぬしがわしから鼠をかっぱらったのは、もう二百年は前の話じゃからの」

 なぜか胸を張る童女。

「そんな昔の話、忘れるに決まってるじゃん! 小さなことをいつまでも覚えていやがって、狐じゃなくて蛇なんじゃないか!?」

「盗人猛々しいのう。糺捉盗賊条キュウソクトウゾクジョウでは盗品の返還に加えて、同等の価値の品を徴収するとある」

「今は昔! いつの時代の法律だよ! 大体、都の外じゃ律令なんて大して守られてないだろ!」

「んん? じゃあ、慣習に倣って刑を執行するか?」

 狐娘が含み笑いと共に言った。


「うっ……」

 大抵の地では、窃盗は手の切断が用いられるのが慣習となっている。厳しい場合には死罪に及ぶこともあるという。


「墓穴を掘りおったな。わしとて鬼ではない。謝罪と代わりの弁当を寄越せば見逃してやらんこともないぞ?」

 勝ち誇る童女。

「ほら、御子様もこうおっしゃっているのです。早く謝ってあげて! 今朝がた市に寄ったときに、何か食べ物を買ってましたよね?」


 オトリが躊躇なく懐へと手を忍び込ませてきた。


「あっ、待って! さっき買った“油揚げ”は右の胸に入ってる! っていうか揉むな!」

「揉んでません。右ですね……あれ、何か堅い物が」

「そっちじゃない! あたしから見て右!」

 左胸に差し入れられていた手が引っこ抜かれる。


 オトリの手には、彼女へ贈るはずだった柘植の櫛。


「この櫛……」

「先に言っとくけど、偸んだ物じゃないぞ。この前の勝ちぶんで買ったもんだ! オトリが欲しそうにしてたから買っておいたの! 油揚げは反対の胸だ! さっさとくれてやれよ! それと、お稲荷様の大御神様の御使い様のご息女様である、お尊いおかたからお揚げ鼠をかっぱらって大変悪うございました! もう二度といたしませんゆえに、どうかお赦しください!」

 ミズメは投げやりに言った。もうどうとでもなれである。


「何やら謝罪の仕方が気に入らんが、まあ良しとしよう。ほれ、巫女よ。その油揚げとやらを早くこっちに寄越せ」

「は、はい……」

 オトリが再び懐をまさぐり、油揚げの入った笹の包みを取り出す。


「あーん」

 狐娘は口を開けた。


「あ、あーん」

 油揚げを咥えさせるオトリ。


「なんじゃ、巫女よ。勝利を収めたというのに湿気た顔をしおって。……おお、これは旨いのう!」

 狐娘は顔をほころばせると両手で自身の頬を抑えた。


「薄切りの豆腐を油で揚げたものらしいよ。和泉国(イズミノクニ)信太(シノダ)の森の名物だとかで、振り売りの人から買ったんだ」

 ミズメは立ち上がりながら言った。身体を縛っていた草蔓の縄は、霊気が抜けてひとりでにほどけていた。


「信太の……」

 使いの御子はぽつりとつぶやいた。続けてぽつり。彼女の頬から何かが落ちた。


「あれ? 御子様……」

 オトリが首を傾げた。童女は袖で顔を拭っている。


「訳ありかい? 信太の森といえば、白い仙狐が出たことで有名だ。もとは悪狐だったけど、今は改心してどこかの神様の使いになったって聞く。あたしらはあんたの手伝いをしに来たんだ。よかったら話してみなよ」

「で、でもおぬしは、わしのことが嫌いじゃろう?」

「嫌ってたのはあんたのほうじゃんか。あたしは嫌なことはニ、三歩歩けば忘れる主義でね」

「む、むう……」

 狐の娘は唸った。

「そうですよ。お困りなら話してください」

「……そうじゃな、そのために呼びつけたのじゃから。じゃが、ここでは参拝者が通りかねないゆえに、わしの祠のそばのねぐらまでゆこう」

 娘は振り返り、参道を登り始めた。ミズメもそれに続いた。


「あ、あのミズメさん!」

 呼び止められる。

「この、櫛は……」

「もともとオトリにあげるために買ったやつだ。好きにしていいよ」

「あ、あの……ごめんなさい」

「いいよ。あたしは嫌なことは忘れる主義なんだ」


 ミズメは振り返らずに言った。


*****

稲荷(イナリ)神社……現在の伏見稲荷。伊勢神宮や出雲大社ほど都から離れておらず、当時は参拝者が最多であったという。稲荷神社に仏教の影響が見られ始めたのは鎌倉時代とされる。

(ハカマ)……今でこそ白と朱色のイメージが強いが、朱色の発端は仏門の影響で、禁色に似た色でもあったため、当時はまだ規格化されていない別の色を用いていたと思われる。紅白衣装が規格化されたのは明治に入ってから。朱色の鳥居もまた神仏習合の影響らしく、白木や石造りのほうが歴史が古いとされる。

糺捉盗賊条キュウソクトウゾクジョウ……窃盗に関する条例だが、ここで話されたのは奈良時代に発令された養老律令(ヨウロウリツリョウ)の内容である。

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