化かし037 博奕
翌朝、屋敷へと使い走りの童が訪ねてきた。
何やら伝言を受けたミヨシは困り眉をしながら筆の尻で額を掻いている。
「少し困ったことになってな。どうやら俺たちは調子に乗り過ぎたようだ」
「もしかして、あたしたちのことが上の連中に咎められたとか?」
「いや、そうではないのだが……そうとも言える。今度ばかりは芸達者なミズメでもお手上げかもしれん」
ミヨシの受けた伝言。
それは先日の会に参加していた三善文行の同僚である漏刻博士の正官、賀茂時守と呼ばれる男からの招待であった。
彼はかの陰陽師の名門である賀茂家の血脈の者で、位階としてはミヨシの一つ下の従七位下となる。
賀茂家は日ノ本の風水学と天文学を掌握している。
その道においては安倍晴明以外に対して絶大な権力を持っているといわれており、その晴明すらも、師が賀茂の家の者である。
しかしトキモリは、術者や学者としては特に目立った功績はなく、その胤のみで成り上がり、陰陽寮では時を知らせる任に就いており、その内容も、漏刻と呼ばれる震旦から伝わった水時計を読み、部下に鐘を突かせるだけのものであった。
分不相応であるが、トキモリは高い官位を目指している。そして、すぐ上の地位には三善文行が居座っているというわけである。
「個人的な集まりに招いて、俺に恥を掻かせようと企んでおるのだろう」
「なんの招待だい? その話じゃ、まさかミヨシのおっさん相手に術比べじゃないだろうし、弓や歌ならあたしがまた出張るよ」
「それがなあ。こればかりは腕前の問題ではないぞ」
ミヨシは湯呑みをからにすると、それを振ってから床に伏せて見せた。
「賽子。博奕だね」
「これならば腕前に関係なく、当てずっぽうでも半々で勝てる。奴が元締めで、トキモリの手下が多く参加するのであれば、俺を丸裸にできる可能性も高いと踏んだのではないか?」
「ねえねえミズメさん。博奕ってなんですか?」
オトリが首を傾げる。
「博奕っていうのは、優劣を決める遊びや当てもので、負けた側から勝った側へ金品を委譲する行為だよ。とくに、腕前よりも運が重視される“丁半”や“双六”遊びで行われることが多いね」
「ふうん……面白いんですか?」
「そりゃもう。勝てば気分が良いし、お金持ちになるからね」
「でも負けたら?」
「金どころか衣も取られちゃうかも。酷いと奴婢に身を堕としてこき使われることになったりね。あたしも、はまり過ぎて身ぐるみを剥がされたことがあるよ」
いやあ懐かしい。けらけらと笑うミズメ。
「まあ! そういうのは良くありません!」
「そのくらい面白いんだって。平城京で禁止されてたころには都に潜り込んで熱を上げたもんだ」
「南都が首都だったころか? ミズメは一体いくつなのだ……」
ミヨシが目を丸くする。
「さあ? ニ、三百かな。それはともかく、博奕を打ちに行くのなら、あたしも連れてってよ」
「別に構わぬが、頭数が増えても運は運だぞ」
「熱くならずに早めに降りればいいだけだよ。ミヨシもおっさんも適当に負けが嵩んだら降参しちゃえばいいじゃん。あたしは弟子ってことになってるから、弟子の前でなら余計に恥だと思って見逃して貰えるはずさ」
「む、むう……まだ負けると決まったわけではないが。独りで誘いに乗るよりは心強いか」
「ミズメさん。帰って来たら裸でした! なんてよしてくださいよ。今は男性として通しているんですから」
「分かってるって。さ、がっぽり儲けるぞ!」
ミズメには“こすい考え”があった。博奕で金品を手に入れて、オトリへの贈り物を得るための軍資金にしようという魂胆である。
「本当に分かってますか? 上が剥かれたら前の席で女のふりをしていたのに気付かれますよ」
オトリが囁き掛ける。
「じゃあ、衣を賭ける時は下にするよ」
「そういう問題じゃありません! とにかく、危なくなったら止めますからね」
どうやらオトリもついてくる気らしい。
「あ、あの。ぼくもご一緒いたしましょうか? 賽子になら化けれますよ!」
豆狸が後ろ足で立ち上がって言った。
「不正はいかん。そもそも元締めは向こうだ。ヤソロウはここに残れ。識を連れると要らぬ疑いが掛かるからな」
「残念、ぼくも役に立ちたかったなあ」
狸のヤソロウはお留守番である。
さて、一行はトキモリの屋敷へと向かった。
「これはこれは。地相博士殿。将来有望な小僧と、愉快な田舎巫女を連れてようこそ。真っ直ぐ来られたようですが、方違えはなさらないでもよろしかったのですか?」
鉄漿の男が笑う。彼がトキモリのようだ。
「漏刻博士よ。我が屋敷を中心として“奇門遁甲術”で視れば、この地はどうやら“金に良し”の“勝ち”の卦が出ておるようでな」
ミヨシも笑顔で返す。
「奇門……? そうかい。要らぬ心配だったようだな。向かい風に運気の流れだけでなく、衣まで奪われぬように気を付けるがよい」
抜け歯のトキモリはミヨシに向かって扇子を扇いだ。
「よく分かりませんが、いやなかたですね」
「だなあ」
娘ふたりはひそひそとやった。
座敷にはトキモリの部下か知人か。大勢の人間が集まっており、既に賽を振る軽快な音が聞こえていた。
「丁か半か? お賭け下さい」
壺振り役はなんと尼の女。歳は三十過ぎであろうか、髪は肩で切られていたが、艶やかな黒糸は健在。
壺が振られるたびに耳元の髪が揺れ、袖もまたゆらゆらと揺れつ重みで引き下がり白い腕を覗かせている。
彼女の所作に、博徒たちから感嘆の声が上がるのが聞こえた。
「半!」「丁!」「丁だ!」「丁!」
博徒は揃いも揃って烏帽子に狩衣の男ども。元服して間もないであろう少年や、薄塗りの烏帽子を被った白髪爺までが座を囲んでいる。
賭けの宣言をした男どもは木製の小さな札を膝の前に並べた。
「ここでは賭けの品を木札に換えて勝負をしておりまして。さあ、お三方。いかようになさいますかね?」
トキモリが薄笑いを浮かべて訊ねる。
「ここは俺が出そう。これを三等分してくれ」
ミヨシが銭束を出す。
「じゃあ、あたしは個人でこれも追加で」
ミズメも懐から銭束を引っ張り出した。
「“延喜通寳”では大した札に換えれぬがよろしいか?」
「構わないよ。勝ち続ければいいだけの話だ」
オトリへの贈り物の元手はできれば自身の稼ぎから出したい。盗品であってもあの受領からくすねたものなら寧ろ相応しいといえる。
「ははは。ミズメ殿は弓も歌も達者であったが、博奕もお好きですか」
トキモリが言った。
「山に入って行をすると退屈でね。賽子を振る以外にすることがないのさ」
「曲がりなりにも仏門だろうに。地獄に堕ちぬように気を付けなされよ」
「あたしが落ちるのは、賭け札の石小詰めさ。そもそも、博打の世界には奴婢も坊主も陛下もなきゃ、男も女ない。ミヨシのおっさんにも手加減をしないからよろしく!」
金を出してもらいながらこの言い草である。ミヨシは乾いた笑いを漏らした。
「その意気や良し。回収は四一半。次の勝負からお楽しみいただきましょう」
トキモリは露骨に黒い歯列を見せて目を細めた。
「始める前に、新参である俺に壺と賽を検めさせてはもらえないか」
「どうぞ。壺は洞、賽は宝玉のごときの揃いでございます」
ミヨシは尼から壺と賽子を借りると、覗き込んだり手の中で転がしたりした。
「あたしもいい?」
ミズメも同様にする。手の中で賽子同士がぶつかる小気味の良い音が聞こえる。
「何をしてるんですか?」
オトリが訊ねる。
「道具に仕掛けがないか確認してるのさ。賽子の重心を弄れば出目に偏りができるし、壺の端に引っ掛けて出目を弄ることもできるからね」
「確認をすれば、不正はないことを認めることになる」
「ふうん」
オトリも真似をして道具を検めるが首を傾げるだけである。
「ま、不正などしなくとも、元締めの私は損をすることはない。その代わり、茶と菓子くらいは出すがね」
相変わらずにやつくトキモリ。
勝負が始まった。
「丁かたありませんか、半かたありませんか」。半半丁丁、丁丁半半。烏合の衆が鳴きを始める。
ミズメは博徒のあいだでこっそりと木札の受け渡しがされているのを見つけた。
勝負を長引かせて、こちら側からトキモリへの回収を増やそうという魂胆であろう。
「丁かたありませんか半かたありませんか」
「丁!」「丁!」「半!」
「……二六の丁です」
女の袖から時折、白檀香の香りが流れてくる。
「巫女殿は賭博の神にでも仕えていらっしゃるのか」
幾つかの勝負を終えて博徒の一人が溜め息を漏らした。
オトリは最初の勝負でひとつ負けてから、ここまでの全てに勝っていた。
「日頃の善行の賜物です」
彼女は笑顔だ。両手で湯のみを握り、その中をちらちらと覗き込んでいる。
――水術の卜占でもやってるんじゃないのか?
卜占で発せられる程度の霊気は結界の中では感知が全くできない。
だが、運というものはどこかで辻褄が合わされるものだ。ミズメは特に相方を咎めなかった。
「半かたありませんか、丁かたありませんか」「半です!」
「半かたありませんか丁かたありませんか」「丁です!」
「半かたありませんか、丁かたありませんか」「半です!」
オトリは真っ先に宣言をして、ミズメやミヨシからも容赦なく札を吸い上げている。
そのうちに博徒の数名がオトリの宣言に追従するようになる始末。
「ここで一つ提案があるのじゃが……」
薄塗りの烏帽子を被った老人が挙手をする。
「巫女殿と“差し”の勝負を所望する」
「差しの勝負は提案者から元締めへ札三つを納めてもらい、両者が合意した掛札の枚数を使って一対一で勝負を行ってもらいます。どうですか、巫女様。お受けになりますか?」
尼が訊ねる。
「えーっと……」
「わしは手持ちの札を巫女殿の手持ちと同数で賭けさせてもらいたく思う。若い娘の衣までは取らんて」
金に物を言わせたか、こちらが来るまでに稼いだぶんか、勝ち続きのオトリの手持ちと同等の札の山が提示された。
「私が勝てばそれを全部いただけるということですか!?」
巫女の娘の瞳の中に星空。
しかし、勝負ののちに空から零れるは、いと哀しき流星であった。
「そんなあ……」
札を全て取り上げられるオトリ。彼女は負けた。
卜占の結果は答えに非ず。運命を知りて変えんとする意志あれば、結末などいかようにもなる。
「不正は気付かれたら指を切られるんだぜ」
ミズメがぼそりと耳打ちするとオトリは青くなった。
「どうなさいましたか、巫女殿。懐が冷えたせいか、顔色が悪いですな。温かい茶をお注ぎ致しましょうか?」
トキモリが笑顔で訊ねる。
「い、いえ結構です。勝負もここで降りさせていただきます」
「そうですか。処女には少々刺激が強過ぎたようですな」
博徒たちから笑いが沸き上がった。
「どうやったのであろうか。あの翁、勝つ確信があったようだが。壺振りの手腕が良くとも、丁半どちらか知らねば不正はできまい」
ミヨシが訊ねる。
「さあね。あたしには関係ないね」
道具を検めたさいには一切の細工はなかった。しかし、壺振りの奏でる賽の音が“妙に小綺麗”なことに気付いていた。
それでもミズメは他の博徒の宣言まで聞き流して、己の心の向くままに賭けることにしていた。
――そうでなきゃ博奕はつまらないからね。
ミズメの結果は半々。
勝負は重なり札は一進一退。
「ははは、“分かった”ぞ。どうやら俺にも運が向いてきたようだ!」
ミヨシの札は、ミズメやオトリに分けたぶんを差し引いても僅かに足が出るほどに積まれていた。
「どうです。ここいらで一発勝負をせんか?」
またも翁の提案。
「その手には乗らぬぞ。俺はここで抜けだ。ほぼ元手と変わらんが、楽しんだぶんは勝ちだ」
ミヨシが笑う。
「おやおや、陰陽師とあろうものが不確かなものが恐ろしいと見える。私の漏刻を見る仕事と入れ替わってはどうですかな?」
トキモリが煽る。
「挑発にも乗らぬ。俺に先に宣言させてもらえるのなら、考えるがな」
鼻で嗤うミヨシ。
――あーあ。ミヨシのおっさんも間抜けだね……。
「……良かろう。この百戦錬磨の博奕打ち、賽子じじいが年の功を見せてくれよう」
じじいが笑う。
賽が壺に入れられ、からからちんちろと音を立てる。
「半かたありませんか丁かたありませんか」
尼が問う。
「丁だ」
ミヨシは間髪入れずに言った。
「ぬうう……」
老人は顔をしかめた。
「地相博士殿。良いのかね? 弟子の前で恥を掻くことになるが」
トキモリも渋い顔だ。
「はっはっは! 顔色が悪いぞおふたかた! 構わぬ。丁だ。丁!」
嬉々として宣言するミヨシ。
「では、わしは半となるな」
壺が持ち上げられる。
「……四五の半!」
三善文行は札を全て取り上げられ、座敷は爆笑の渦に包まれた。
「なぜだ……壺振りの声掛けは丁の合図だったはずだ」
陰陽師の烏帽子がずれる。
「おっさんは声掛けの間の違いに気付いたんだろうけど、あれは複数人で賭けるときの合図だったんだよ。今のはあとから壺をひねって賽を中で動かしたのさ」
「それでは勝負に乗った時点で負けていたということか」
「寧ろ、おっさんを持ち上げてから落とすまでが筋書きだったんじゃないかな」
「むげなり」
ミヨシは額を床につけた。
「人聞きが悪いですな。道具に仕掛けがないことはご確認いただいたはず。不正は指切り。支払いが足りなくなれば、その身を奴と捧げるか、耳鼻を頂戴いたします」
「知っておる。ここで俺の負けだ」
ミヨシは座り直し、腕を組んでそっぽを向いた。
「残りはあたし一人になったわけだけど……」
相変わらず元手と大して変わらぬ札を維持しているミズメ。
薄々気付きながらもミヨシに恥を掻かせた以上、これを自分の勝ちぶんとするわけにはいかない。
「時間はありますが、長く続ければ場の札は減りますゆえ、大勝ちを狙うのは難しくなりますな」
トキモリは満足げに言った。
「構わないさ。久し振りにあたしも燃えてきた。蝋燭の火が消えるまで遊ばせてもらうよ」
「どうぞご自由に」
「あの、ミズメさん」
オトリが膝をつついてきた。
「そのお茶、飲まないのなら私にいただけませんか」
「水を差すようなことはするなよ」
「でも、ミヨシ様が可哀想で」
「いいから見てなって」
さて、そこからしばらくはミズメは勝ちを収め続けた。
壺振りの掛け声も、博徒たちの所作も気にせず。
数名が抜け、札はミズメと賽子じじいのもとに随分と集まった。
壺振りの女は首を傾げ、トキモリは何ごとか子分に耳打ちをしていた。
「いやあ、ようやく運が向いてきた。修験の道と同じで、長く苦しい行の先に霊験があるものだね」
「不動明王ですか。あやかりたいものですのう」
賽子じじいが言った。
「いやなに、長生きできればそれだけで霊験あらたかのしるし。ご老人は生き仏です。あたしなんてまだまだ」
ミズメは老人を持ち上げ笑い掛ける。オトリは口から茶を吹き出した。
「では、ここいらで勝負といきましょうか」
「受けましょう」
「よせよせ、ミズメよ。先程、何ごとか耳打ちをしていたぞ。どうせまた吸い上げられるのが落ちだ」
ミヨシが警告する。
「おやおや。お弟子さんに引けと仰るのか? 地相博士殿はお沙汰や八卦に背いてまで我を通す頑固者と聞いておりましたが、じつはただの腰抜けだったようですな」
トキモリが笑う。
「なんとでも言え。ふたりは弟子である前に、客人であり恩人でもあるのだ。その札の山と俺の名誉が引き換えであろうとも、ここは引かせてもらう」
ミヨシは片膝を立てて言った。
「いいね、ミヨシのおっさん。ぐっと来たよ。でも、あたしもおっさんには恩がある。それから勝負師のたましいも。博奕は平等な真剣勝負の場だ。それを穢すとどうなるか教えてやらなきゃね」
「先に賭けても負けたのだ。賽の目を弄られて負けるぞ」
「平気平気」
「いやはや、失礼した。弟子は弟子で頑固の教えを受け継いでおるようですな」
「トキモリの奴め。不正をしているくせに。壺振りを代えろ」
「代えろと言われましても、“私の友人”か、あなたたちしかいないでしょう。地相博士殿は信が置けぬし、そちらの巫女殿も何やら不審とくれば、代えようがありませんな」
「壺振りはあの人のままでいいよ。ひとつだけ条件を足させてもらっていいかい?」
「何でもどうぞ」
「あたしは壺に仕掛けがある気がしてね。まっすぐ持ち上げたかどうかだけ、ミヨシ殿とオトリに検めさせて欲しい。その代わり、あたしは爺さんのあとから賭けるよ」
「あとから!? それでは勝ちようがないではないか!」
ミヨシが声を上げる。敵陣営からも笑いと困惑の声。
「それは構いませんが、こうまで疑われては元締めとして恥でございます。条件を呑む代わりに、何か特別に対価を賭けて頂きたいですな」
元締めの男は不快そうに顔を歪めた。
「いいよ。なんでも賭ける。欲しいものをくれてやるよ」
「では……地相博士殿の衣装、巫女殿の身柄、あなた様の……その可愛らしい顔の耳と鼻。この三つから選んでくだされ」
「いよいよ本性を現したな!」
ミヨシは太刀に手を掛けた。
「おっさん。ここは賽子勝負の場だよ。あたしを信じて黙って見てなって。漏刻博士殿、あたしは耳鼻を賭ける。勝負するのはあたしだからね」
「前途有望な若い者を辱めるのは性に合わぬが、これも勝負の世界。わしは構わぬよ」
賽子じじいも眼光鋭く。
「ミズメさん。念のために言っておきますが、水術の治療でも切断された部位や欠損した部位を再生することは難しいです。耳鼻を削がれても機能はなくなりませんが、ずっとそのままということになるかも……」
相方の心配そうな声。ミズメは悪戯っぽく笑って流す。
「さあ、今日は良い日になりそうだ。早く振れ!」
トキモリが命ずると、女は壺に賽を放り込み振った。
「半か丁か!?」
高らかに訊ねる女の口元も片方がつり上がっている。
「半にしましょうか」
老人が楽しげに決める。
「さあ、こうなれば丁しかないが」
トキモリは懐から小刀を取り出した。
「いや、あたしも半だ」
「それでは勝負にならんではないか!」
トキモリ始め、相手かたから怒号が飛び交う。
「うるさいよ。半だけど、三四の半だ。それ以外ならあたしの負け。それなら文句ないだろう?」
「いいだろう……さっさと上げろ」
「上げるときは検めさせてもらうぞ」
ミヨシが間髪入れずに言う。
「好きにしろ。当たるはずがない」
ミヨシとオトリの監視のもと、壺が持ち上げられる。
その目は、三と四。
「当たりだね。あたしの勝ちだ」
にやりと笑う天狗たる娘。
「ど、どうやった!? 不正に違いない! もう一度だ!」
「もうひと鳴きは構わないけど、何も賭けずにやらせる気じゃないだろうね?」
「おい、おまえたち。札を集めろ。この場の札全てで勝負だ。負けは私が補填する!」
いきり立つトキモリ。
再び壺が振られる。
「一と五で丁だね」
的中。
「透視の術か? 結界を貼ってもう一度だ!」
何名かの術に覚えのある者が霊札を持ち出し、部屋の四方に貼りつける。
「ニとニの揃いで丁だ」
またも的中。
「ぐぬぬ……。おい、壺振り女!」
怒鳴るトキモリ。
再三振られる壺。
「三五の丁!」
ミズメは素早く答えた。
「……」
刹那の間に女の手が僅かに震えた。
「待て! 今、壺を揺すったぞ!」
ミヨシが警告する。
「じゃあ、あたしも変えさせてもらおう。そうだね……これは目玉が二つで目出度いね。一と一の丁だ!」
持ち上げられる壺。
並ぶ賽の目は、一と一。
「なんて奴だ! これで当てられるのなら、不正だと白状しているようなものだ!」
声を張り上げ地団太を踏むトキモリ。
「賀茂様。もうやめましょうや。わしらの負けじゃ」
「もはや、私の手元にも自信が持てません」
爺と尼が降参する。
「これ以上騒ぎ立てるというのなら、喧嘩沙汰として検非違使を呼ぶことにしよう。この場に居る全員を問い詰めれば、不正をしたのは誰かというのが明らかになるはずだ」
ミヨシが笑う。
「ま、身内でも真におぬしを慕う者がどれだけいるかだがな」
手痛い追撃か、トキモリが唸る。
「最後の二回の余分な検めのぶんは負けておいてあげるよ。そーいうことで、あたしが総取りでいいね?」
半笑いで睨むミズメ。
「いいじゃないですか、賀茂様。勝負が長引いたぶん、元締めには沢山お金が入るのでしょう?」
不良巫女も煽った。
「あーっはっは! それじゃあふたりとも、今日は市で散財といきましょうかね!」
天狗が哄笑う。
「……これ以上、恥を晒せられるか!」
トキモリは小刀を振り上げた。
……。
「ところで、ミズメよ。一体、どのような手を使ったのだ?」
屋敷に戻ったのち、ミヨシが訊ねた。
「別に何もしてないよ。寧ろ、最初のうちは意識して“聞かないように”してたかな」
「聞かないように?」
「大仏のお膝元に何十年も通ってた時期があってね。地下の座敷でずっと賽の音色を聞き続けてきたんだ」
耳を指差すミズメ。
「同じ道具で何度も振られれば、頭の中に勝手に賽の目が浮かんじゃうのさ。だから飽きちゃってね、それから博奕はやめたのさ」
「それは凄いな。その耳があれば、ひと財産築けるのではないか?」
「そんなことしても面白くないからね。勝ち負けあっての博奕だよ」
「ううむ、根っからの勝負師だな」
腕を組んで唸る陰陽師。
「ミヨシ様、お手を出してください。治療いたしますから」
オトリがミヨシの手を取り、霊気を練り始める。彼の手のひらには包帯が巻かれ、血が滲んでいた。
「トキモリさんはすっかり腑抜けてしまってましたね」
「俺は見直したがな。あれでなかなか根性のある男だと思う。本物の恥知らずなら、“あのようなこと”はせんだろう」
賀茂時守は不正比べに負けたのち、小刀を己の喉へと突き立てようとした。
それを止めたのは彼の部下でもなく、慈悲深い巫女でもなく、かたきであるはずの三善文行であった。
「身体が咄嗟に動いたのだ。面倒な奴が消えるはずなのに、損なことをしてしまった」
苦笑いするミヨシ。
「博奕も良いけど、やっぱり人間が一番面白いかもね」
ミズメはミヨシに笑い掛ける。
「面白いときたか。おまえには敵わんな。ま、何はともあれ、これにて一件落着だ」
「私も、ようやくひとつお役に立てました」
「噂の水分の巫女の水術は確かなようだな。不老不死を噂されるだけのことはある」
ミヨシは包帯を外し、すっかり治った手のひらを検める。
「便利過ぎてずるいので、人前で無闇に使ってはいけないのですけどね」
オトリもご機嫌である。
「あ、そうだ。ずるいで思い出したぞ! おい、ヤソロウ!」
ミズメは手を打った。
「はい、なんでしょうミズメ様!」
留守番狸が駆けつける。
「ちょっと小刀に化けてくれ。ずるした奴の鼻をもぐ」
にやけながらの注文。
「きゃあ! やっぱり良いところなし!」
オトリは鼻を押さえて引っくり返った。
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漏刻……中国から伝わった水時計で、漏刻博士はそれを読んで部下に時間を伝え、部下は鐘や太鼓を用いて各地に時間を知らせた。
博奕……賭博、博打。勝負事に金品を賭ける遊びは古くからあり、奈良時代には何度か禁止令が出されており、鎌倉時代では名人や職人と呼ばれる博打うちも現れる。
丁半……壺にサイコロを二つ入れて振り、その合計が奇数(半)が偶数(丁)か言い当てる。特定の目の場合は元締めに掛け金が一定量納められる。
奴婢……奴隷や召使。律令制度で賤民とされている。
奇門遁甲術……二十四節気や干支をもとにした中国の占術のひとつ。日本でもこれに手を加えて様々な占術が生み出されている。
薄塗りの烏帽子……年寄りは色の薄い烏帽子をかぶった。
四一半……四と一の目が出た場合、元締めに勝ち金の半分が行く。
石小詰め……穴に罪人を入れて小石で埋め殺す処刑法。




