化かし034 屋敷
「はっはっは。すまぬすまぬ。ハリマロはああいう性分なゆえ、俺も苦手でな。霊障の正体については識神を飛ばして事前に気付いておったのだが、下位の男の言うことなど聞かぬだろうし、難儀しておったのだ」
三善文行は笑いながら言った。
「だったら前もってもう少し情報をくれといてもいいじゃん。散々追い掛け回されたんだからね」
「私はもう少しでひっぱたくところでした」
「オトリが無礼を働いてミヨシのおっさんに迷惑が掛かるんじゃないかって肝を冷やしたよ」
ミズメは溜め息をついた。
「そこはそれ。物ノ怪退治以外の手腕も見ておきたかったのだ。ついでに白状すると、面白半分だ」
ミヨシは声を立てて笑った。
「ちぇっ、万が一揉めごとになったら困るのはミヨシのおっさんだよ?」
「確かに俺は奴に比べては微官だが、霊力の高い術師は朝廷に珍重されておるからな。万が一があってもなんとかなるのだ。それに、ハリマロは奇特な性癖の持ち主ゆえ、むしろ叩いてやったほうが喜ぶ」
「喜んでいらっしゃいましたね」
オトリが苦笑する。
「もしも、オトリが抵抗しなかったら、どう責任を取る気だったのさ?」
「そこまでは考えておらんかった」
ばつの悪そうな顔をするミヨシ。
「勘弁してよね。腹を割った間柄なんだから、情報はちゃんと出してくれよ」
「うむ、反省しておこう。……では、早速次の仕事の話をしてもよいか?」
「いいよ。どんとこいだ」
次の依頼。今度は明確に物ノ怪による仕業とされる案件である。
ある夜。闇に紛れて仕事に現れた盗賊団が、朱雀大路が八条の交叉付近にある屋敷へと侵入した。
盗賊たちは金目の品が無いかと屋敷や蔵を漁るが、どうも人の気配がしない。
それどころか、すでに何度も“来客”があったようで、調度品が持ち去られたり、蔵の扉や床板などが壊されている。
見付かったのは間抜けな先客の贓物程度で、他所の屋敷を改めて狙うかと舌打ちをした。
ところが、彼らが屋敷をあとにしようとしたところ、座敷の奥に怪しげな女の姿が現れた。
長い黒髪に白い顔。煌びやかな十二単の袖から覗く可憐な指は溜め息が出るほど。
盗賊団はとんだお宝を見つけたと、我先にと女のほうへと走った。
しかし、女の姿は瞬く間に消えてしまい、引き換えに宙に浮いた刀が現れ、使い手も無しに盗賊たちを斬りつけたのである。
盗賊団は命こそは取られなかったものの傷だらけ、すっかりその根性と盗人だましいを刈り取られてしまい、西寺へ飛び込み、仏像に向かって手を合わせたという。
僧侶に発見された彼らは自首し、今は頭を丸めて精進する身となったそうだ。
「河原院の幽霊話を思い出すね。持ち主の怨みか何かかな?」
「その屋敷に住んでいた者たちには遺恨や不幸の絡む事件はなかったというのだ。怪異が起こるようになったのはここ半月の話であるのに対して、空き家になったのは半年も前なのだ」
「なるほど、妙だね」
「妙って何がですか? 狐狸の仕業では?」
オトリが首を傾げる。
「ここは都だよ。畿内の大結界のうえに、都にも守護の結界が張られてる。ただの獣の幻術は通用しない。あいつらが人を化かすのは、もっぱら結界も道祖神もない辻だ」
「そっか。悪霊も出入りができないですよね?」
「余程に強力な霊体か、肉を持つ者でなければ都へは入れん。内側を疑うにしろ、そういったものが発生する場合はこちら側で発端となる事件が把握できるものであるし、部外からの化生のたぐいが、その程度の悪事で満足してくすぶっているのは考えにくい。外から来る物ノ怪や鬼は、腕試しや都を落とす気でやって来て、すぐに行動に移すからな」
「クレハさんだったり?」
オトリがこちらを見る。
「クレハはあたしたちとの戦いですっかり力を失ってる。畿内の大結界に入った時点で諦めて引き返すと思うよ」
「クレハとは何者だ?」
ミヨシが訊ねる。
「男を怨みに思って都を攻めようとしてる鬼女だよ。今はもう力を失って静かに暮らしてるよ」
「珍しくない話だな。それで、陰陽寮としてはふたつの線を疑っている。そういった都落としを狙う者の斥候か、内部で秘密裏に作り出された巫蠱や悪の気の強い識神ではないかということだ」
軽く流される鬼の企て。
「半年も空き家が放置されてる理由はなんだい?」
「噂であるが、まだ綺麗であったため、誰が使うかで揉めていたらしい。風水で見ても水はけに難があるものの、鬼門に通じぬ方角であるから悪くはない。そうこうしているあいだに盗賊が荒らし、さらに物ノ怪騒ぎだ。空き家は禍を生むゆえに取り壊すのが原則だというのに。お粗末な話だ」
「それで、ミヨシのおっさんがわざわざあたしたちに頼む理由は?」
また裏があっては堪らない。
「俺も一度行ったが、その時は気配がなかった。美濃の蜈蚣の話のほうが気になってそれきりだ。そしてこれからしばらく、地相を見る本業や、付き合いの行事が続くゆえに、身体が空かぬのだ。基本的に、おぬしらに頼む理由の第一はこれだ。つまらぬ連中と遊ぶくらいなら、物ノ怪の相手のほうがましなのだがな」
「そりゃお気の毒さま」
こうして会話をしている今も、ミヨシは筆を手に書をしたためていた。
「念を押すが、退治する前に忘れずに目的を訊き出して欲しい」
「任せてよ。今からでも行ってくるよ」
「急ぎでもないゆえ、明日にしてもよいぞ。今日はすでに一つ解決して貰っているからな」
「月の晩のほうが物ノ怪は活発だ。結界の中でも同じさ」
ミズメもまた、ここ数日は気が昂っている。
「あ、あの! 絶対に退治しなくてはいけませんか?」
オトリが声を上げた。
「陰陽寮としては都から追い出すだけでも、封印するのでも構わぬ。問題は屋敷の始末が付けられないところにあるのだ。屋敷の相が“凶”に転じたままだとよその卦にも影響が出るからな」
「オトリが心配してるようなことにはならないと思うよ」
「何を心配しておるのだ?」
「あたしたちは物ノ怪や鬼相手でも、無闇に命を取らないのが信条なんだ」
「優しいことだな。俺たちも、特別に消すように命じられなければ識神に変えることがある。手に余れば追い出すか封印だ。いっそのこと、話の分かる小物の物ノ怪であれば、俺のもとに連れてきてくれてもいいぞ。識神として使ってやる」
「強いのじゃ駄目なの? そっちのほうが便利がいいでしょ?」
「管理が面倒だ。俺はせいぜい門神以外は、元悪霊や自身の霊力で生んだ使い捨ての識神程度しか持っておらぬ。ゆえにおぬしらが来てくれて嬉しい」
頬を緩ませる壮年の男。
「播磨晴明殿ほどの腕前であれば、強い識神を一度に多く従えられるのだがな。聞くところによると、彼の屋敷では扉の開け閉めから湯を沸かすのまで識神にやらせているそうだ」
「へえ、便利だね。あたしも識神をこき使って、寝ながら暮らすのも良いかな。おーい、飯! ってね」
「自分のことは自分でしましょう。ミズメさんもハリマロさんみたいに仕返しされてしまいますよ」
オトリが口を尖らせる。
「ははは。何はともあれ、今回の件もおまえたちに一任する」
善は急げ。ミズメとオトリはすぐにミヨシの屋敷を出立した。
「ねえ、ミズメさん。先程は少し怒ってましたね?」
「怒ってたっけ?」
首を傾げるミズメ。
「普段はあまり深く追求なさらないのに、ミヨシ様がハリマロさんのことを詳しく教えなかったことに噛みついてました」
「そうだっけ? ま、散々追い回されたからね。それに、満月が近くなると性格が捻くれてくるんだよ」
「ふうん……ところで、ハリマロさんの屋敷で詠まれた歌、あれってどういう意味ですか?」
屈託ない笑顔とともに投げられる疑問。
「え? えーっと。なんて詠んだっけな。それも忘れちゃったよ」
誤魔化すミズメ。
オトリが歌の意味を介さずにハリマロの求婚を受けそうになったのを受けて、咄嗟にひねり出した一首だ。
――別に、そういう気持ちがあるわけじゃない。……と、思う。多分だけど。
「ふうん……。私も一つ詠じてみようかしら」
「じゃあ、あの月を題材に詠んでよ」
空に浮かぶ十三夜の月を指差すミズメ。
「えーっと……おつきさま まんまるきれいな おつきさま しなののおやきはおいしかったね」
路を行きながら、オトリが空を見上げて詠む。
「骨なし。まだまだだね」
「えーっ。自信あったんだけどな……」
「しかも、今日は十三夜だよ」
「一口齧ったおやきということで」
はにかむオトリ。
「……あたしたちが出逢って、もうすぐひと月だね」
「まだ、そんなくらいですか? なんだか、一年くらいは一緒に居るような気がします」
「そーだね。色々なことがあったからね」
「これからも色々なことがありそうです。もうすぐ里に帰っちゃうかもしれませんけど……」
ふたり静かに月下を歩む。お忍びの貴人を乗せているであろう牛車とすれ違う。
「なあ、オトリ。もしよかったらさ、オトリの里でちょっと……」
「物取りじゃーーっ!!」
無粋な悲鳴。
振り返れば先程すれ違った牛車から年老いた童の逃げる姿。
車には男が数人しがみついている。
……。
「許可証、貰ってて良かったですね」
「持ってなくてもぐるぐる巻きにはしただろうけどね。とんだ寄り道になったよ。こりゃ帰るころには朝だね」
欠伸をひとつ。描かれぬ間に強盗は捕縛され、先に世話になった右獄へと送り届けられた。
「こんなに家が沢山あって、人の目もあるはずなのに強盗だなんて」
オトリは溜め息をついた。
「夜はひょっとしたら山歩きより危ないかもね。獣は出ないけど、人や悪霊が多過ぎる」
魔都の夜空を眺めていれば、流星のごとくに霊魂や識神を見つけられるであろう。
「暮らしが豊かになっても、安心できなかったら、ちっとも良くない。うちの里は遅れてますけど、平和ですよ。皆のんびりしてます」
「いいね。オトリの里、見てみたいな。送ったあと、少しでいいから……」
「誰か助けておくれ! 狐憑きじゃ! 女房の気が狂ってしもうた!」
またも悲鳴。
……。
「狐じゃありませんでしたね」
「そうだね。ただの怨霊だった。憑りつかれた女房の人、矢鱈と足が速いから難儀したよ」
「悪霊や狐に憑かれると、その人の限界を越えた力が出せるって言いますからね」
憑りつかれた女房を追い掛けているうちに、かなり南のほうまで来ていた。
しかし、オトリが肩を叩けばそれだけで解決。ついでに目的地もすぐそばとなっていた。
「近くに大きなお寺がふたつもあるのに、霊障のある空き家がほったらかしなのはいただけませんね」
「領分だよ領分。寺のほうに依頼があったのならともかく、陰陽寮側の仕事だったんでしょ」
「それにしたって、物ノ怪も潜伏するにしても、もう少し別の所を選んでもよかったような? 揉めていたんですし、人の出入りがあったかもしれません」
「確かにね。傍目八目を狙ったのかもね。寺に近くても、泥棒や揉めごとがあれば邪気は溜まるだろうし、物ノ怪にとって良い場所だって見抜かれてたんだね」
「傍目八目?」
「囲碁の話でね。必死に打ってる対局者よりも、横で見てる人のほうが良い手が分かりやすいって話だよ」
「ふうん。囲碁かあ。それもうちの里にないんですよね」
「そうなの? 囲碁は二色の石をたくさん用意したらあとは地面でもできるから、覚えると暇潰しに良いよ。あたしもお師匠様と碁盤を囲んで、結構やったんだ」
「良いなあ。私も色々な遊びを覚えたいなあ」
「オトリもやろうよ。勾玉の件が片付いて、旅を終えたらさ。巫女頭になるって言っても、すぐじゃないんだろ?」
「えっと、その話……。私の里のことなんですけど……」
「と、とんでもない目にあった!」
今度は抜き身の太刀を持った烏帽子と狩衣の男が登場。しかも、くだんの空き家からである。
「む!? 巫女と山伏か? おまえたちも化け物じゃないだろうな?」
「物ノ怪が出たのかい?」
許可証の巻物を示しながら訊ねる。
「あれは物ノ怪や悪霊どころではない。肉のある鬼か、とてつもない化け物だ!」
男は震えてる。
「情けないね。その太刀は飾りかい?」
「いやはや、武士は意気地が穢れに勝るものだというのに、本当に面目がない。俺は“感無し”でな。本当ならば悪霊は視えぬのだ。それを利用して都の周辺に現れる狐狸の退治を引き受けて小遣い稼ぎをしていたのだが。今度も、ここを欲しがる者に頼まれて見に来てみたが、まさか、あんなものに出逢ってしまうとは思わなんだ……」
武士の男が言うには、化け物は変幻自在、あるいは複数潜むのだそうだ。
最初に見かけたのは童女。“感無し”が子供の幽霊など見るはずもない。ならば、捨て子か迷い子か。
恐れずに近寄ってみれば、それは経文に化けた。
霊感なきゆえに神も仏も軽んじていたが、経文が独りでに読経を始めて、とうとう自分も頭を丸める日が来たかと思えば、今度は刀に化けた。
太刀を引き抜き鍔競りあったが、中々に手強く、ならば妖刀我が手に納めてくれようぞと手を伸ばせば、今度は男の生首に変じた。
その生首がマサカドを名乗ったものだから、いよいよ恐ろしくなり逐電という次第。
男は一息に事情を話すと、「もう狐狸の相手もせん!」と泣き言を言いながら夜の都へと消えて行ったのであった。
「これは厄介なことになったかもね」
「厄介ですか? 明らかに狐狸の幻術に思えますけど……。あっ、でもここは結界の重い地だし、そもそも“感無し”では幻術は見えませんね。まさか、本物のマサカドさん!?」
「そんな大物なら、あたしらどころかミヨシのおっさんまで回ってこないよ」
「道の字さんの一派が仕込んだ識神とか? 仲が悪いようなお話を聞きました」
陰陽師同士の抗争になれば面倒ごとが膨れ上がる。ミヨシも任せきりとはいかないだろう。
「あり得るね。あたしも流石にそれには首を突っ込みたくないね。あと考えられるとしたら、仙狐級の魔物の線だ」
「仙狐……」
オトリが不安そうな顔をする。
「仙狐なら、身体や尾を別の実体に変じる変化ノ術を扱えるからね。肉が直接変わるから“感無し”相手でも見えるし、刀同士がぶつかったりすることもあると思う。そういえば、最初の盗賊団も本当に斬られて怪我人が出てるって話だったな……」
「むむむ、仙狐。これまでで一番の大物相手になりそうですね」
オトリは袴の帯を締め直した。
「伝説の仙狐は、震旦の仙人も住んでたという風水都市をひとりで滅ぼすほどの怪物だ。流石にそれほどじゃなくても、力を抑えてる可能性だってある」
ミズメも錫杖を取り出す。
――なんてね。そんなもんがここに居るわけないじゃん。あのおっさんが“自分を感無しだと思い込んでた”線に賭けるね。
天狗たる娘が相方の背後で白い歯を見せた。
今日一日は散々な目にあった上に、おしゃべりをつまらぬ難事に邪魔をされて不愉快だ。
そのうえ、満月に近いせいか、気分が昂って仕方がない。
――オトリに悪戯したろ。
これが水目桜月鳥である。
――……ついでに、場の空気が軽くなったら、オトリの里にしばらくおいてくれないか頼んでみよう。もうちょっと、一緒に居たいんだよな。
これもまた彼女。十三夜の月の魔力が僅かにゆがんだ表現を選ばせたのであろう。
「よし、魔物を取り逃さないように、二手に分かれよう。あたしは表から、オトリは裏から探索だ」
表情を引き締めて提案する。
「はい。仙狐が外で暴れたら大変ですからね。……ミズメさん、死んじゃいやですからね」
物ノ怪の娘の胸が、ずきんと痛んだのであった。
*****
朱雀大路……羅城門から平安都の宮城大内裏の朱雀門まで伸びる一番大きな路。
贓物……不正な手段で入手した品。窃盗品など。
西寺……朱雀大路を挟んで存在した大きな寺。東寺真言宗の総本山として知られる東寺とは違い、現存はしていない。
今日の一首【オトリ】
「おつきさま まんまるきれいな おつきさま しなののおやきはおいしかったね」
……おやきおいしい。丸いものを見るとついつい思い出しちゃう。




