化かし032 不浄
ミズメとオトリは三善文行の客人となり、彼の仕事を手伝いながら勾玉破壊の手立てを探すこととなった。
「有難いんだけど、いきなり丸投げなんだもんなあ」
大路を歩きながらミズメはぼやく。
契約を結んで早々、ミヨシから仕事を渡されていた。
「ある貴人の屋敷で起こっている怪異を解決して欲しいのだ」とのことだ。
霊障自体は大したことがないが、下男や下女どもが怖がって逃げ出してしまって難儀しているらしい。
ミヨシの手伝いとしての同行ではなく、代理人としてふたりだけでの活動である。
「私は袴を頂けたので、一所懸命頑張りますよ」
ミヨシはオトリが袴を没収された話を聞き、代わりの袴を支度してくれていた。
色こそは麻そのままの徒衣であったが、やはりあるとないとでは気合の入りかたが違うらしい。
「でも、ミヨシ様なら、ちょっとした霊障はすぐに解決できそうなものですけど。私たちは試されているのでしょうか?」
「それはないよ。あたしたちの後見人になって住まわせる時点で、相当の信用があるよ。寄宿の咎といってね、何か罪を犯した時に、その犯罪者を住まわせていた者も罪に問われることがあるんだ。あたしたちが問題を起こせば、ミヨシのおっさんも立場が危うい。もともと煙たがれるって言ってたから、特に油断ができないよ」
「そうなんですか。ミズメさんは手癖が悪いので気を付けてくださいね」
「絶対にやらないよ。恩義は返す。ミヨシのおっさんのことは気に入ったからね」
「それならいいんですけど。気に入らない相手でも、盗ったりしてはいけませんからね」
疑わしそうな視線。
「分かってるよ。相手があの受領のおっさんでも我慢してやるよ」
「あのかた! あのかたのせいで、私たちは捕まって、袴まで盗られたんですよ! ミズメさん、出羽国に帰ったら絶対懲らしめてやってくださいね!」
お人好しの巫女による調伏の推奨。緋袴が取り上げられたのが余程気に食わないらしい。
「そもそも、調べが終わる前に罰が与えられるなんておかしい! とんだ“濡れ衣”を着せられました!」
「濡れ衣ってなんだ?」
ミズメが首を傾げる。
「うちの里では、盟神探湯……巫覡が行う裁判では、霊気を込めた水に浸した衣を罪人に掛けて、その乾きの早さで罪を占う方法があるんです」
「へえ、だから濡れ衣ね。ま、検非違使は基本的に疑わしきは罰せよだからなあ」
「納得がいきません。言ったもの勝ちじゃないですか」
「そうだね。受領は荘民の暮らしを握ってるから、中には酷い奴もいるよ」
「中には? あの“おっさん”も悪人だったじゃないですか」
「あのくらいだと、まだまだ小悪党だね。法令で定められていない方式の罰を勝手に与える奴もいるんだ。従者は主人に従わなければ、それだけで罰せられるもんだから、やりたい放題。定められた罰則でも住居や家財を焼き払われて追放されるんだけど、あいつはそれをしない。自身が手に入れる年貢に影響するし、そのほうが喧嘩沙汰にもならないからね」
「あれ? 良いかたな気もします。逮捕されたおかげでミヨシ様に見つけてもらったし……」
「オトリは単純だなあ。あいつは懐を探られると困るようなことばかりしてるんだぞ。喧嘩沙汰になれば自分の屋敷にも調査の手が入るのが嫌なんだよ。だからあたしたちの手配書にも簡単な罪状しか書かれてなかったんだと思うよ。あたしなんて物ノ怪だってことまで知られてるはずなのに、人相書きに何も書いてなかったろ?」
「確かに……」
「お互いに強引な手段に踏み切るほどの相手じゃない上に、あっちは訴え出られても構わないように仕度もしてた。だから、あたしとあいつの付き合いは長かったってわけ」
「難しいですね。ミズメさんはそこまで考えて、盗みや化かしで罰を与えていらしたのですね」
唸るオトリ。
――いやまあ、暇潰し半分でもあったんだけどね。
「でも、どうして住まいを焼いたり追放したりするんですか?」
「そりゃ、罪人は不浄や穢れとされるからだよ。穢れはうつるから、その持ち物も穢れてるって考えだ。家にしても、霊的に穢れてなくても、魂や血の繋がりに穢れを感じらるから駄目だ。罪人の家族だって同じように罪を犯すかもしれないだろ?」
「言いがかりです! それに、いきなり追い出されたら暮らしてゆけないじゃないですか!」
「そうだね。野垂れ死んだり、悪党に身を堕とす人も出てくる」
「本末転倒ですよ! なんのための法ですか!」
「あたしに怒られたって……」
ふたりは会話をしながら依頼人の屋敷を目指す。
ふと、人だかりを見つけて足を止める。
「なんでしょう? 見世物とかかもしれません!」
オトリは興味津々。楽しげな表情で人垣を指差した。
「あー……間が悪いな。ほっとこう。ああいうのは見ないほうが良い」
「なんでですか?」
「いいから」
ミズメはオトリの手を取って早足になった。
「怪しい。ちょっと見てきます!」
オトリは手を振り解いて、人だかりのほうへ走って行った。飛んだり跳ねたりして人垣の向こうを覗き込むと、強引に人々のあいだに割り込んで行った。
――あーあ、面倒臭い流れだぞ。
ミズメもあとを追って人だかりの中へと入る。
人々が囲っていたのは、童女の遺体であった。痩せ細り、手足の先が酷く痛んでいる。
オトリはかがみ込み、それを抱いていた。
「あんまりだわ。この子はどうして死んでしまったの?」
「近所の屋敷の下女をしてた子だろ。棄てられたか親が死んだかして垂れ死んだんだ。坊主でもないのに触ると穢れるぞ」
見物人が言った。
「血からは病の気を感じない。悪霊だって寄って来ていない。寒くて、お腹が空いて亡くなったんだわ。この子は穢れてなかったのよ!」
オトリは睨んだ。
「な、なんだよこいつ。生き物の死体は穢れだろうが!」
見物人が怒鳴る。
「揉めごとは厳禁だぞ」
ミズメは懐から免許状の巻物をちらつかせ、見物人を黙らせた。
「まだ亡くなってから時間が経ってない。この子の魂はどこへ行ったのかしら」
オトリは空を見上げる。
「人魂なら陰陽師のかたが持って行ったぞ」
別の見物人が答えた。
「陰陽師のかたも、念仏や寿ぎができるのかしら」
「陰陽師はお祓いや封印はしても、そういうことはしないよ」
ミズメが答える。
「じゃあ、なんのために? 魔都の悪霊に毒される前に、滅してしまうのかしら……」
「持って行ったって言ってたから、鳴童剱化ノ法かな。お師匠様から聞いたことがあるんだけど、子供の魂を識神に変えて使役するって話だよ」
「子供の魂を!?」
嫌悪の顔を見せる巫女。
「オトリの流派なら天に導ける人も居るだろうけど、ここじゃ坊主でもよっぽど徳が高くなければ、子供の霊にお経の意味を伝えられないし、放っておけば陰ノ気に冒されて悪霊の仲間入りだ。クレハが言ってただろ、子供の霊は他の子供の魂を連れていこうとするって。悪霊にするよりは滅するほうがまし、滅するよりは識神として仕えさせるほうがましってことだよ」
「納得できません。寿ぎの技を持つかたは何をしているの?」
「畿内じゃ結界で神の力が封じられて、巫覡の仕事も仏門の連中に持っていかれてるからね。朝廷も仏教を推してるから、神に仕える巫女が帰依を迫られることもある。オトリと同じ衣装を着ていても念仏を唱えてる人も多いよ。オトリの流派が“古流派”の名で通ってるのも、そういうことだよ」
「……」
巫女が唇を噛む。
「オトリ、子供を降ろして。それはあたしたちの仕事じゃない。墓地を管理する坊主の仕事だ」
「だったら、私がお坊さんの所まで連れて行きます」
「駄目だよ。子供に限らず、蟲以外の生き物の死骸は穢れとされてるんだ」
「ミズメさんまで! どこが穢れですか? 魂も無くなって、肉だってまだ朽ちてもいない。これが何を脅かすっていうの!?」
「そりゃ、あたしたちは“視える人間”だから分かるけど、そうじゃない人も多い。あたしたちがこれに関わったことが依頼人に知れたら、門前払いを喰らうかもしれない」
「葬るのも巫覡の務めです。免許だってあります」
「それでも、領分があるよ。都では仕事が細分化されてるんだ。官位における上下関係も厳しい。僧侶が官位を得ることも、官人が僧侶になることもある。ひとの縄張りで勝手なことをするとミヨシのおっさんにも迷惑が掛かる。これまでの旅とはわけが違う。都に来る前に注意はしたはずだよ」
「いやだ。この子をこんなところに晒しておくなんて絶対に。皆さん! これは見世物ではありません! どこかよそへ行ってください!」
オトリは立ち上がり、見物人たちを睨みつけた。
「なんだよ。坊主でも役人でもないくせに!」
「片付けるならさっさと片付けろ! 皆の迷惑だ!」
「妖しげな巫女だし、死体を使って商売でもする気じゃないのか?」
浴びせられる心ない言葉。
巫女の胎内から陰の気配の強い霊気が滲み出てくる。
「オトリ! よせ!」
制止するも聞かず。四方八方で水が暴れはじめた。
見物人の持っていた水桶や酒瓶が割れ、あまつさえ屋敷を囲う塀の向こうでも大きな水音がした。
「ひええ! やっぱり穢れだ! 悪霊の仕業だ!」
「空も曇ってきたぞ!」
「これはミチザネの祟りじゃねえのか!?」
人々は恐怖を口にし、その場から退散していった。
「とんでもない奴だな。神様も封じる結界の中で天気まで弄ったのか?」
空を見上げるミズメ。いやまさか、曇ったのは偶然であろう。
「オトリ、分かったから。早く連れて行ってやろう」
ミズメがそう言うと、オトリはようやく霊気を抑えて静かにうなずいた。
「確かな霊力をお持ちのようじゃの」
見物人と入れ替わりに、坊主が小僧を伴って現れた。
年寄りだが背はまっすぐで、肉付きも骨にも脂にも寄らず、綺麗に剃られた禿頭が鈍く輝いている。
「あ、坊さん。ちょうど良かった。子供が死んでたんだよ」
「すでに魂は去っておるな。遺体に悪霊が寄り付かぬように術も施してある。陰陽師の仕業じゃな」
遺体を霊視する坊主。
「種助よ。浄、不浄に関わらず、拝むことを忘れるでないぞ。こころを仏に近付けるのだ」
坊主は小僧にそう言い、ふたり揃って童女の遺体を拝んだ。
「ほら、オトリ。確かな霊験の坊さんだよ。任せよう」
ミズメが促すが、オトリは応じない。
「優しき娘よ。おぬしは古流派の巫女じゃな? この地であれだけの霊験を示せるとは大したものじゃ。じゃが、少しばかり平常心が足らぬの」
坊主は柔らかな表情で言った。
「冷静でいろってほうが無理です」
一方、オトリは石の仮面である。
「仏を目指すにはそれではいかんからのう。祓えや寿ぎの技も陽ノ気がかなめじゃろうに」
「お説教は聞きません」
「頭を冷やせよ。坊さんの所に連れて行きたいって言ったのはおまえじゃないか」
「よいよい。わしも若い時はこんな感じだった。折角、類稀なき才を持つのだから、その使い道だけは誤ってはならんぞ」
「帰依もしませんよ」
オトリは遺体を手放す気がないようだ。先程よりも固く抱き込んでいる。
「勧誘もしとらんよ。来る者は拒まぬがの。しかし、この子もとうとう果てたか。心配はしておったが……」
「知り合いかい?」
ミズメが訊ねる。
「知り合いと言うほどじゃないが。何度か施しをしてやったことがある」
「だったら、どうして飢えて死ぬまで放っておいたんですか!?」
「わしは洛外住みじゃからな。羅城門を出て南東の里に寺を構えておる。この子はこことは大路を挟んで反対の、八条と西京極の路の交わるところの屋敷に仕えていたはずじゃ。恐らく、日の出る前に亡くなって、誰かがこっそりとここへ遺棄したんじゃろうな」
「動かすのなら、せめてお寺まで連れて行ってあげても良かったのに」
「嫌がらせじゃろうな。そこの屋敷の者は少々嫌われておる。物忌みにでもしてやろうと企んだのだろう」
坊主は屋敷を振り返る。そこはミズメたちの仕事が行われるはずの屋敷であった。
――嫌われ者か。ミヨシのおっさん、面倒ごとを押し付けたね。
「その子に土を掛けて手を合わせてやろう。わしは都の僧侶たちにも顔が利く、こういった事態を減らすためにも、この子の死を教訓に施しの行を促そう。さあ、その子をお譲りくだされ」
「私が連れて行く」
「オトリ、いい加減にしなよ」
「おい、巫女の女!」
小僧が声を上げた。
「さっきから、桃念様に対して失礼だぞ!」
「これ、種助!」
トウネンなる坊主が小僧を叱る。
「この巫女殿はおまえはおろか、わしよりも霊験のあるおかたじゃ。おまえこそ無礼じゃぞ。こころの平穏を乱すでない」
トウネンは静かに言った。
「霊力なんか二の次だってトウネン様はおっしゃってましたでしょう!? トウネン様は捨て子を拾って育ててる偉い、えらああい、えらあああいかたなんだぞ!」
タネスケは激しく地面を踏み鳴らす。
「へえ、坊さんも立派だね。あたしとお師匠様も捨て子の世話をしてるよ」
「巫女殿のお連れ合いも徳の高い御仁ですな」
トウネンはミズメに向かって手を合わせた。
「さあ、オトリ。トウネンさんになら任せられるだろ」
「大変、失礼いたしました……。この子のこと、よろしくお願いします」
オトリはようやく子供を手放した。
トウネンは童女の遺体をまるで生きた子供を扱うように背負い、小僧を伴って来た路を引き返して行った。
「大丈夫か?」
訊ねるもオトリは俯いたままだ。
「本当は、分かってなきゃいけなかったはずなんです。人が穢れを嫌いながら、それを見たがるのも。何も無くても、悪霊だ、穢れだって騒ぐのも」
「分からないは恐い、だね」
「私たち巫覡は、そういう“不確かなもの”を相手にするためにできた役目なのに。眼や霊感にうつるものだけが穢れじゃないのに……」
実際の霊障や病だけが問題ではない。目に見えぬ不安が災禍を招くこともある。
ゆえに、求められれば何もなくとも巫覡は大幣を振るし、霊魂が去っていようとも坊主は手を合わせる。
肉が果ていのち尽きようとも、たましいの道は続く。たましいが去ろうとも、残された者のこころからその軌跡は容易く消え去りはしない。
因果が生んだ因果は、糸が細くなろうとも未来永劫に続いていく。
けだし、完全な死というものは、誰からも忘れ去られた時ですら訪れないのだろう。
「……」
巫女が口の中で寿ぎの祝詞を上げたのが聞こえた。
幽かに残る死の余韻。されど応えるものはなく……。
「行こう。あたしたちの仕事も必要な役目だ」
「はい。皆さん、やれることはやってるんです。些細なことでも、しっかりとこなしていきましょう」
一人の子供の悲劇を糧に、ふたりは仕事への意志を新たにした。
……のであるが。
「おひょひょ! つまらぬ男の陰陽師を頼んでおいたはずだったのに、これはこれはめんこい娘じゃのお~~」
屋敷のあるじ。依頼人の貴人である。
烏帽子に狩衣、男のくせに矢鱈と濃い白粉、極端に短い眉引と紅。彼の登場と共に匂っていた香は、座敷に上がればむせかえりそうになるほどであった。
「いと美し! いと可愛らしいのう! んん~っ、田舎術師か? 長い黒髪! 汗の染みた襟! 白くて嫋やかな大袖!」
「あ、あの……近いです」
貴人は正座するオトリの首元で鼻を鳴らしている。オトリの首筋に白粉の粉がくっ付いた。
「強いて言えば、もう少しふくよかなほうが良かったが……」
「おい、いい加減に離れろ! あたしたちはそういう用事で来たんじゃないやい!」
ミズメはふたりのあいだに割って入り、貴人を引き離した。
「なんじゃ? 山伏の小僧は御呼びではない」
「巫女だって呼んでないじゃん。あたしたちは三善地相博士の代理でここに来たって言ってるだろ! 早く仕事の話をしよう!」
「分かっておるわ。ちょっと戯れただけじゃろが。ぺっ!」
貴人は唾壺に向かって唾を吐いた。
「自己紹介が遅れたの。ほほ、麿のことは誰しもが知っておるじゃろうから不要かの? 麿こそが、平安いちの色事師。油小路針麿じゃ!」
ハリマロはそういうと袖で口元を隠して笑った。
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霊障……心霊現象や、それによる被害を指す。
帰依……他の道を行くものが仏道に入ること。
物忌み……人の死や出産の血などの穢れを受けたさい、神事や公務に関われなくなり自宅で謹慎すること。
唾壺……中国より伝わった唾を吐き捨てるための壺であるが、日本ではただの飾りであまり使用されなかったという。
色事師……色恋の多い人を指していう。現代の感覚からすれば女たらしであるといえるが、この時代では褒めことばにもなる。




