化かし028 旋律
「ヒサギさんがですか? 何をしているのかしら」
オトリが首を傾げる。
「虫も殺せないような奴だからな。夜狩でもないだろうし……」
「もしかして、蜈蚣退治かも。お爺さんや皆のためにと思って」
「まさか。居場所も分からずに? あいつは確かに強いけど、危なっかしいんだよな」
「とにかく、声を掛けてみましょう」
ふたりはヒサギのあとを追った。
少年は竹林の前に立ち、中を覗き込んでいた。昼間とは違い、手には棒ではなく刃の付いた薙刀を持っている。
「おい、ヒサギ!」
「わっ、驚いた。……もしかして、ミズメさんですか?」
ヒサギが振り返る。
「私も居ますよ」
「ええと、オトリさんも。あの、それは?」
ヒサギはオトリの手のひらに浮かぶ光の球を指差した。
「“光”は見えるんですね。これはお祓いの光ですよ。暗いところでは灯りになって便利なんです。冬場の松明は危険ですから」
「術ですか。凄いな……」
祓え玉をまじまじと見つめる少年。
「何してたの? 松明も持たずに童が一人歩きするのは感心しないね」
「童じゃありません。これでも一応、十六ですから」
「十六か。こりゃ失礼。遅くても元服を済ませる歳だね。でも、蜈蚣探しならこの場所は外れだと思うよ」
「なぜですか?」
「大蜈蚣を見たんだろ? あんなでっかいのがこの竹林の中を移動できると思うか?」
大蜈蚣の幅は人が両腕を広げたほどもあった。
「できないですね……。あの、どうして僕が蜈蚣を探してるんだって分かったんですか?」
「そりゃ分かるよ。爺さんや仲間たちのことを護りたいんだろ?」
「はい。それに、意気地無しなのも治したいんです……」
「良い心掛けだね。腕っぷしが強くても、力の使いどころが分かってなきゃ片玉野郎だ」
「もう少し品のある例えかたをしてください!」
連れ合いが怒った。
「ヒサギさん、蜈蚣退治なら私たちも手伝いますよ。一緒に探しましょう。それと、私も十六なんですよ」
表情返して笑い掛けるオトリ。
「ありがとうございます。僕と同じですね。ミズメさんはおいくつですか?」
「二百歳から三百歳かな」
数えていない。正確な生年月日も分からなければ、師に拾われてからの年月も曖昧であった。
「余計なこと言わないの。ミズメさんも十六ですよ」
「えーっ。もうちょっと上が良……」
ミズメはオトリの手に口を塞がれた。
「おふたりとも、僕と同い年なのに魔物退治の旅をなさってるんですよね? 凄いな。しかも……」
ヒサギがミズメを見る。
「しかも?」
「あの、失礼ですけど、ミズメさんも女性のかた……ですよね?」
「髪が短いのは山伏だからだよ。都の女だって尼になれば肩で髪を切るもんだ。飛んだり跳ねたりするにも邪魔だしね」
ミズメの髪は後ろは襟に掛かる程度で適当に切ってあった。
「私はもう少しお手入れをしたほうが良いと思うなあ。今度切り揃えてあげましょうか?」
相方の手が髪に触れる。
「いいよ。短いのに切り揃えたら、それこそ童に見られるじゃん」
「大丈夫ですよ。あれだけお強いんですから。大力が無かったら僕が負けていました」
「あんたの勘も中々良かったよ。でも、あたしも天賦の才になる術を使ったし、負けは負け」
「……あの、本当に女性のかたですよね?」
失礼なほどに見つめる少年の目。
「確かめてみるかい?」
少年へ近寄り、自身の衣の袂に人差し指を引っ掛けるミズメ。
「変なことしないでください!」
頭がぱちんと音を立てた。
「……ま、男だ女なんて、大した意味はないよ。あたしはあたし。あんたも、あんたがどうなりたいかだ」
「僕がどうなりたいか……。僕は、男になりたいです。お爺様を護れる強い男に」
少年が力強く言った。
――うーん。やっぱり片玉か。全員まとめて護ってやる! くらい言えるようにならないとね。
前途は多難そうだ。
「ま、とにかく蜈蚣探しと行こうか」
一行は化け蜈蚣探索を開始した。
すでに日は沈み、晩秋の虫の合唱が闇夜に響いている。
「最後に蜈蚣が出たのはいつか分かる?」
「えっと、僕たちが襲われたのは新月の深夜でした。その後は近くの村に出たって話も聞いていないので、多分それが最後です」
「新月か。なかなか賢いな」
「新月だと賢いんですか? 物ノ怪は満月のほうが活発に動く印象なんですけど」
巫女が訊ねる。
「月の満ち欠けは生き物の霊力にも左右するんだ。術や呪い頼りなら満月のほうが力を発揮できるけど、そうでないなら気配を隠すに便利だし、月明かりが無ければ姿も隠せる。程度の低い化生や悪霊なら、月の魔力に影響されて素直に満月に出るだろうけどね」
「今日はまだ三日月なので、もうすぐ見えなくなりますね。月が沈んでから動くんでしょうか?」
「今は活動を開始したか、まだねぐらにいるかだと思う。妖しい音も、火のにおいもしないからね」
「目立った霊気の気配もありません。陰陽師のかたは何をしてらっしゃるのかしら」
不満気な声。
「待ちに徹してるのかもしれないね」
「襲われるまで待つってことですか!? もう! 早く見つけましょう!」
オトリが駆け出した。
この先は山である。平野部では蜈蚣が姿を隠せる場所は少ない。
森も狭いうえに狩人や杣人などの出入りが多いので、“狩り”には良くとも休息には向いておらず、蜈蚣が潜むのは恐らく辺境の洞穴であろう。
「あの、追い掛けなくてもいいんですか?」
ヒサギが訊ねる。
「平気平気。あいつは本気を出したら、あたしとあんたを併せたくらいはやるよ。それより、無闇に走っても見落とすだけだと思うんだよね」
ミズメは音と風の感に長けるゆえ、地上では普段から耳や鼻に頼っている。
先程からどうも、“自然ではない音”がどこからか聞こえてくるような気がしていた。
あまりにも遠く幽かで確信もなかったが、山のほうへ近付いても消えないところをみると、山中の何処かが発信源であろう。
「どうしてついて来てくれないんですか!」
巫女が走って戻って来た。
「いやあ。だって、おまえ脚速いじゃん」
「水術は使ってませんでした!」
「なんか妙な音がするから、それの出処を探りながら歩いてるんだよ。山だと音が反響するし、走りながらだと聞き取りづらい」
「言って下さい!」
「あっはっは」
ミズメは笑った。
一行は岩の転がる広い河原に辿り着いた。
水辺は霊場となりやすく、魂も獣も集まりやすい。
「あっ、浮遊霊」
オトリが川を指さす。蛍のような淡い光が水上を飛び交っている。
「邪気はないね」
「水子の霊かもしれませんね」
処女の巫女が寂しげに言った。
「子供の霊は山に登りたがるって話を聞いたことがあるね」
「そうなんですか? うちでは泉に集まるっていいます」
「うん。池や泉に集まることもあるね。だから寺は山か水場の近くに立てられるんだ。尼や坊主が供養してやってるみたいだよ」
「そっか……」
オトリは何者かに向かって手を合わせた。
「僕には何も見えないです」
「ヒサギは“感無し”だからね。魂魄も見えないだろうし、悪霊の陰ノ気に毒されることもない。昼間に戦った時に、あたしは幻術を使っていたんだけど、視えてなかっただろ?」
「そうなんですか? さっぱりでした。僕も術が使えたら良いなあ……」
「ま、ないものを羨む前に、あるものを使いこなせるようにならなきゃね」
ミズメは雑談をしながらも耳にはしっかりと仕事をさせていた。
――この音。聞き覚えがある。
かつて月山の里で師と共に戯れで弄った品。撥を用いて弦を弾く楽器。
琵琶の音色だ。
一瞬、師が付近に居るのだろうかと疑い、空を見上げた。そういえばここのところ、妙な出来事もあれば、オトリがやたらと銀嶺聖母の名を口にしている。
――だけど、この音色はお師匠様のじゃないね。
思い出して苦笑する。霊感豊富な師には音感が無かったのである。
手慰みに始めた琵琶であったが、結局は騒音が同居人たちの耳に厳しいということで、単なる飾りとなっていた。
「向こうからだ。琵琶の音色が聞こえる」
ミズメは沢の下流のほうを指差した。
「琵琶……オテントウさん……」
呟くヒサギ。百足衆で被害に遭った者の名だ。
「……ちょっと待って。もう一つ音が聞こえる」
音色に耳を澄ませば、幼き童女の声か。
八乙女は 我が八乙女ぞ 立つや八乙女 立つや八乙女
神のやす 高天原に 立つ八乙女 立つ八乙女
「何かの歌だ。高天とか八乙女とか言ってるけど、オトリは分かる?」
「えっと……さっぱりです。歌は里の子供たちが歌うものしか……ってヒサギさん!」
今度はヒサギが駆け出した。
「待てよ! 何か分かったのか?」
「僕にも聞こえた気がする! 八乙女はウタの持ち歌なんです。オテントウさんの琵琶の拍子に合わせて、歌うのがあの子の役目だ」
「おふたりの霊が呼んでるのかしら」
オトリが言った。
「いや、ヒサギは“感無し”だ。霊の声なら聞こえない。これは、生きた人間の出してる音だ!」
幽かな旋律の糸を手繰り寄せ、一行は山を飛ぶがごとく駆ける。
河原の側に転がる目立った大岩。そこから少し離れた場所に、地の奥へと続く巨大な洞が見つかった。
「これ、狩人さんが言ってたという岩と穴じゃないですか?」
歌声と琵琶の音はもはや音術に頼らずともはっきりと聞こえる。
「蜈蚣も居るね、確実に。それも複数。あれだけ大きいと、気配を消したくても、血の流れや呼吸ですぐに分かるよ」
洞穴の奥深くを睨む。
「ここに、大蜈蚣が……」
ヒサギが呟く。
「さっきまでの勢いはどうしたんだよ。強い男になりたいんだろ?」
「ごめんなさい。もし、僕が失敗したら二人を死なせるかもしれないなんて思ってしまって」
大力の少年のこぶしは震えていた。
「慎重なのは良いことです。私も、蜈蚣の巣穴にいる二人が生きているのがかえって気になります。もしかしたら、蜈蚣のほうにも何か事情があるのかもしれません」
「はっはっは。それはないね。単なる保存食さ。ほかの人間は食われてるんだしさ。二人は連中から上手く逃れて助けを呼んでるのさ。早くぶっ倒さないと食われちゃうぜ」
「助けを求める。そうよね。食べられちゃうかもしれない……“かもしれない”が、一番怖い。だから私は、そうならないように先手を打つ!」
そう言いながらオトリは帯を締め直した。
「そうだね。“かもしれない”が一番怖いんだ。だから、あたしは、飛び込んではっきりさせるのさ。……ま、そんな必要もないみたいだけどね!」
洞穴の奥底から、崖崩れか雪崩かという轟音が這い上がってくる。
姿を現したのは八尋の蜈蚣。
節と肉の軋む音は曲げ庵を倒すがごとし、八百の脚は大地を太鼓に乱れ打つがごとし。
「われは、近江が三上山にて弑せられし山の神の妻女なり!」
「喋った!」
オトリが声を上げる。
「それって、俵藤太に退治された蜈蚣か? その嫁さんがわざわざこんな所まで来て何してんだ?」
「俵藤太! 忌々しい名よ。奴は神であるわが夫を殺した大罪人。怨み晴らさんと、この山女神であるこのわれが罪人のともがらである人間を喰らってやっているのだ!」
「神様? 神気の欠片も感じませんが」
オトリが懐から竹の水筒を引っ張り出した。
「騙ってるだけだろ。力をつけた物ノ怪が自分を神と勘違いすることはよくあるんだ。それで力づくで人に従えとか祀れとか言うから揉める」
ミズメも“どこからともなく”柴打刀を取り出した。
「ほざけ! 山の神にひれ伏すがよい!」
蜈蚣の突進。ミズメは飛んでかわし、そのさいに剣の先を相手の胴体に走らせた。
火花と共に硬い手応えが返される。
「硬い。刃は立たないか」
切先に欠け。
「私が行きます!」
オトリの手にした水筒から水が引き出され、玉となって宙に並ぶ。
次々と打ち出される水の矢。しかしそれも弾き返されてしまう。
「オトリの水術でも駄目なのかよ!?」
予想外の展開。
「あの甲羅を穿つには水筒の水じゃ水量が少なくって! 川から水を借りればいけますけど、あとで神様に怒られちゃうかも!」
「あとのことはあとで考えようぜ!」
「水分の巫女が川を荒らすなんてできません! 水量の豊かな湖ならともかく、川のお魚だって困るんですよ!」
「はいはい、それは確かにまずいね。じゃあ、あたしが」
幻術を験す。悪戯心と共に霊気を練り上げ、稜威なる蜈蚣へと差し向ける。
「むっ! 貴様は俵藤太! ここであったが百年目!」
蜈蚣は誰も居ない方向を見て唸った。
「そんな昔の話じゃないだろが。会ったことないし、てきとーにそれっぽい武芸者のおっさんを出しただけなんだけどな」
しかし効果覿面。大蜈蚣は何もない空間に対して体当たりを繰り返し始めた。
「さすがに化け蜈蚣とあって、長くは化かし続けられそうもないよ。ふたりとも、いまのうちにやっちゃって!」
オトリとヒサギを促す。
「うう、触りたくないな……」
ぼやく巫女。
跳躍して蜈蚣の頭を踏んづけた。蜈蚣はそれでも自分の仕事を続ける。
「大して効いてないみたいです!」
「それはまずいね。ヒサギ、奴の節を狙えないか? そこなら他より柔らかいはずだ!」
「ぼ、僕にできるかな……」
「ヒサギさん、頑張って!」
オトリは蜈蚣から離れた所から応援をしている。
「上手くすりゃ、退治だけじゃなくて仲間の命も助けられるんだ。アガジイさんもきっと褒めてくれるよ!」
早くも幻術が途切れ途切れになってきた。これが霊力の低い一般人相手であれば一日二日は通して化かし続けられるのだが。
「お爺様!」
少年が地を蹴り飛んだ。
薙刀一閃。節ではなく胴の中心への一撃。
しかし蜈蚣は大地に叩きつけられ、周囲が激しく揺れる。堅いはずの身体が砕け、気味の悪い体液をあたりに飛び散らせた。
「一発かよ!」
嬌声を上げるミズメ。
震動が続く。
突如、視界に無数の大岩が転がり込む。
「崖崩れだ!」
鼻先を岩がかすめる。ヒサギの前であるが、翼を使うかと思案。
「私が護ります!」
巫女の掛け声とともに光の天蓋が現れる。
大地に引かれる大岩は結界に当たってばらばらと砕けていく。
「ありがと! あたしたち、息が合ってきたんじゃないの?」
思わず顔が綻ぶ。返されるのは照れ笑い。
「さて、喜ぶのはこれくらいにして……」
洞穴を睨むミズメ。
一匹目が飛び出してから、穴の中の気配が変わっている。
虎視眈々の警戒色。蟲のくせして獲物を狙う狼のような狡猾さである。
「霊気は平気ですか?」
「集中が続かないだけで、消耗は大したことないよ。それに、その壁も使えるんじゃないか? 体当たりさせれば効くと思うよ」
「幻術で隠せるような代物じゃありませんよ」
「あたしが誘導するよ。少なくとも初見なら引っ掛かるはずだ。昏倒したところをヒサギにとどめを刺して貰えば……」
ミズメは大力の少年を見やった。
今ので自信をつけただろう。あれだけの力なら直接引き千切ることだってできてしまうかもしれない。
「だ、駄目だ。やっぱりできないよ。今のを見たでしょう? も、もしかしたら、今の揺れで穴の中の二人が……!」
ヒサギは、へし折れた薙刀を取り落とし、またも身体を大きく震わせていた。
「……」
穴から響いていた旋律も途絶えている。
「そんな……」
心配性の巫女も絶望の息を漏らした。
*****
元服……奈良時代以降の男子の成人の儀。男子の元服に対して女子の裳着がある。




