化かし023 開花
血色の薙刀一閃。再戦の合図とともに、天狗と巫女はその場を飛び退いた。
「われにとっては巫女も脅威ということを忘れるな!」
穢れの紅葉が巫女のほうへと向けられる。陰ノ気渦巻き、その葉が閉じられていく。
「ミズメさん、任せましたよ!」
どこ吹く風。巫女は顔色ひとつ変えず。
「馬鹿な!」
驚嘆と同時に爪の貫手が繰り出される。……が、巫女はそれをつかむと鬼女を放り投げた。
「ごめんなさいっ!」
鬼は地面に叩きつけられて転がる。近くに居た村民が心配の声を上げた。
「やっぱり、巫女も敵だ!」
「クレハ様の敵は全員倒せ!」
ついに巫女へも非難が向けられる。
「えーっ!? 勘弁してください!」
オトリは再び結界術を展開し、光の中へと立てこもった。
「巫女は捨て置け! おまえたちに害を加えられはせん!」
頭領が命じる。
「よそ見してる場合じゃないよ!」
再度、空中からの襲撃を試みる。巫女に霊気を分けて貰ったおかげか、自身の発する霊気にも、これまでにないほどの“晴れ”を感じた。
肩への一撃。小気味の良い音と共に鬼の腕がひしゃげる。
人の女の声で上げられる悲鳴。
それは再び村民たちの怒りを呼び起こした。
「皆、クレハ様に力を分けるんじゃ! かつて誹られ故郷を叩き出された屈辱の日のことを思い出すんじゃ!」
老翁が煽動する。
すると、老若男女が手を繋ぎ邪気を発し始めた。
「ちぇっ、余計な知恵つけやがって。これだから年寄りは!」
舌打ちひとつ。捨て置いて彼らの姫君を棒打ちに処する。
何度目かの攻撃にてまたも乱入者。幸か不幸か、年寄りでなく子供であったため、ミズメは危なげなく衝突を回避。
しかし、子供は独りでに転んで洟を垂れた。
「危ないだろう! われは平気だから避難せよ!」
「嫌だ! 死ぬときはクレハ様と一緒だ!」
鬼の頭首が命令するも子供は頑として聞かない。村民たちも同じく戦いの場から退かない。
執念もまた鬼に属する気。互いの絆が新たな邪気を呼び寄せる。
「はっはっは! 足手纏いになってるんじゃないの?」
笑う天狗。こちらも有り余る霊気。鳶の大翼広げ、空に仁王立ち、両手を使って煩悩打ち消す杖を回転させ始めた。
「足手纏いなものか。民の心がわれの力となる!」
鬼に集まる敵意と執念。クレハは駆け出し自ら村民たちから離れたが、念は彼女の身体へと流れ集まり続けている。
「さーて、それはどうかな?」
ミズメは回転させていた錫杖を急停止させてひと振りした。鈴の音が辺りに響き、霊気を孕んだ波が辺りに広がる。
「あたしは物ノ怪。出羽国の天狗の怪とはあたしのこと。盗人、老人、蝦夷に受領。海千山千の敵どもを化かしてきた秘技を目ん玉かっぽじって見るがいい!」
ミズメはそう言うと錫杖片手に急降下をした。
「もはやその技は見慣れたわ! 霊力の差は分かっておろう。幻術もわれには効かぬぞ!」
クレハは右手をかざして邪気を練り始める。
「そーかもね」
ミズメは不敵に笑う。
「愚か者め。幻術に霊気を注げば、心の臓が潰れるぞ」
手から流れる陰ノ気は確実にミズメを捉えている。更に霊気が高まったか、胸がずきりと痛んだ。
「クレハ様! 後ろに巫女ですじゃ!」
老翁が警告をした。
「オトリかっ!?」
振り返る首領。しかし、そこには巫女はおろか、誰も居らず。
ミズメはクレハが振り返った隙を突いて頭へ一撃をお見舞いした。
「やった! 姫様が翼の物ノ怪を討ち取られたぞ!」
杣人が斧を振り振り勝鬨を上げた。
「ああ、クレハ様! 良かった!」
喜びの涙を見せるは先ほどクレハを庇った女。
「なんだ? 何が起こってる!?」
当惑する鬼女。その顔へ大振りの杖がめり込む。
「だから、幻術じゃん? あんたにあたしの幻術が通じないのは百も承知。オトリの霊気を使い込めば幻を見せることぐらいできるかもしれないけど、幻術と分かってれば大して意味はないからね」
錫杖を振り振り鬼を嘲笑う。
「民たちを惑わせたのか」
「その通り! あんたがあたしに勝ったと思い込んでる。嬉しそうだねえ。もはや連中の念は当てにできないよ!」
ミズメは“どこからともなく”弓を取り出し連射する。不思議な追い風が敵への致命を避けて鏃を肉へと届ける。
「憎き物ノ怪の小娘め! 民を護るに民の力に頼る必要など無い!」
クレハは力づくで矢を引き抜く。
血は流されたまま。傷も塞がらない。
「ミズメさん、避けて!!」
警告。翼に激痛。鬼の肩から流れる血がまるで枝のように伸び、己の翼を貫いていた。
「……初めにわれが頼ったのは民ではない。まして、無力であった己の力でも。我が叫びに応えたのは第六天魔王なり!」
夜黒き気配。鬼の姿が赤黒い炎に包まれる。その中から無数の血が射出された。
天狗の翼は天魔の刃を受けて浮力を失った。
「くそ、まだそんな力が……」
落ちゆくミズメが見た光景は、自身の幻術が切れたか破れたか、正気に戻った村民たちがクレハの術の巻き添えを喰って負傷した姿だった。
――なんとかして止めないと。
しかし、あちらこちらに血の針が刺さり、身体はただ重力に任せるのみ。
鬼も村民の救援に向かうことなく、血でできた炎を揺らめかせている。
「こりゃ参ったね、どうも」
――ま、やれるだけのことはやったか。
天狗の頭脳は撤退の方法を模索し始めていた。首領が魔に堕ちた村に待つのは惨劇か。
それは部外の者が正義を押し付けたせいか? いや違う。いずれはクレハ自身が招くことに違ない。
まことの鬼と化しても、都に討ち入っても、結局のところ彼女たちは死と呪いの運命からは逃れられないのだ。
――良い奴らだったんだけどな。だけど、あたしは忘れるだろう。所詮は借り物の“共存共栄”さ。
「諦めないで下さい!」
友の叫びが耳へと届いた。
続けて暖かな霊気が胸へと流れ込んでくる。今度は更にいとどしき量。
閉じた翼が再び開花。萎えた気持ちと身体に芯が通る。
ミズメは諦むこころを散華と舞わせ、仏のつかなぎを握りしめた。
「祓えの術を空に向かって放ちます! 私の手本を真似て、滅さない瀬戸際のところを狙ってください!」
心修め、己を巫とするが巫女ならば、夜魔を払い伏すのはそのつるぎの役目。
天を貫く祓えの光が空に立つ。穿つは魔王の住まう六欲天か。
「死んでくれるなよクレハ! 秘法、山彦ノ術!」
巫女の心を声に込め、天狗の技をもって黄泉の炎へ叩きつける。
言葉の天駆もちて波旬退け、闇夜に哄笑ふは未熟な蕾なり。
その白き霊、たとい泥中に生まれようとも、決して泥に染まらず、やがて清き華を咲かせるであろう。
「会心の一撃……ってね!」
祓えの光が白き羽の嵐と共に魔王を包み込んだ。
得も知れぬ不気味な断末魔が聞こえ、鬼とは別の何かの気配が天へと退いてゆく。
夢かうつつか。白き蓮の花のごとき翼を背負ったミズメは大地へ降り立った。
「……魔王の力も破れたか。巫女の神通力も恐ろしいものだが、化生の身にしてそれを扱うおぬしは、一体何者なのだ?」
倒れ、髪を天の字に開いた鬼が問う。
「あたしは天狗。“ひと”の心を持った物ノ怪だよ」
「われとて人の心を失ったつもりはない……。人の心を持つゆえに、魔王に魅入られ、鬼に染まったのだ」
「あたしは鬼になんかならないよ。物ノ怪とか人間とか関係ない。あたしはいつまでも“あたし”だ」
「“真人”……やもしれぬな。さあ、おぬしの望みを言え。だが、この心は永遠に怨みは忘れぬ」
クレハは目を閉じた。
「あたしたちは旅を続ける。世話になったのも、騙されたのも帳消しだ」
「本当に滅さぬのか?」
「あんたはこの村の人たちにとって掛け替えのない存在だ。だから殺せない」
「その場凌ぎだな」
鼻で嗤う女。
「あたしらとあんたらとでは、同じ道は歩めない。それでも、泯滅への道は歩んで欲しくないと思う」
「違う道を選んでも、いつかまた出遭うやもしれぬぞ。もっと力をつけてな」
鬼の瞳が睨む。
「そのときには、共に手を取り合えることを願います」
巫女が答えた。
「小娘め。甘いな……」
「それが私ですから。村の人々に負傷者が出ています。治療してあげてください」
「傷を付けたのはわれだ。われはまた独りに戻るだろう」
自嘲する鬼。目尻に雫。
「そんなこと、無いと思いますよ」
あたりを見回せば、互いに怪我人を気遣いながらも、不安気にこちらを見ている村民たちの姿がある。
今の彼らの瞳は憎しみよりも、心配の色が勝っているように思える……そう信じる。
「行こう、オトリ。あたしたちの旅を続けよう」
「はい」
ふたりは歩き出した。
村を出て振り返ると、人々が首領を取り囲む姿が見えた。
信を失った神や王が弑されることも、歴史の約束ごとである。
だが、天狗の耳は心地好い心配の声や感謝の言葉を拾い上げた。横で巫女もほっと溜息をついた。
「私たち、すっかり悪者になってしまいましたね」
「そうだね。でも、あの様子なら当分はこの村で大人しくするしかないさ。きっと、そのほうが誰にとっても良いよ」
「きっと、じゃないですよ。絶対にです!」
巫女の娘は力強く言う。
「相変わらず押し付けるなあ。そんな調子だから独りで旅をしていたときにも嫌われたんじゃないの?」
「むむ……」
唸る巫女。
先送りとはいえ、クレハの都攻めの問題は解決をみた。
怪我人こそ出たが村民は何も失ってはいない。死した修行者たちさえも魂が魔道に堕ちることはなかった。
それでも矢張り、喉に魚の小骨が引っ掛かったような感触が消えない。
“共存共栄”を広める善行の道。借り物であろうと本心であろうと、夢幻に過ぎないのであろうか。
「オトリはずっと、こんな気持ちで人助けをして来たんだね……」
並んで歩く友を見る。
――また、しょぼくれた顔をしてるんだろうな。ま、朝起こすのが楽で良いけど。
「今日はそうでもないですよ」
オトリは下を見ず、真っ直ぐと前を見ながら歩いていた。
「ミズメさんと、はんぶんこですから」
こちらに向けられるは満開の笑顔。
「これからもよろしくお願いしますね」
笑顔は見慣れたものであったが、それはどこか、初めて開花した大輪のようにも思えた。
「う、うん……」
「返事が弱いですよ。ちゃんと、里まで送り届けてくださいね!」
「はいはい!」
「“はい”は一回です!」
愉しげな指摘。
「はーい」
ミズメが返事をすると、手の甲に何かが当たった。
すぐそばを歩くオトリ。手の甲同士がしつこくぶつかり合う。
「……」
相方は無反応だ。口を結んで前を見ている。
――自分で「さよなら」って言っておきながらこれだもんな。
天狗や鬼より、こっちのほうが狡猾ではなかろうか。
ミズメは手を繋いでやりながら、心の中でふかーい溜め息をついたのであった。
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第六天魔王……仏道修行を妨げる存在。欲望に捉われる天界、六欲天の最上位の魔王。他化自在天、摩羅波旬とも呼ばれる。
つかなぎ……杖。
弑……目下の者が目上の者を殺すこと。




