化かし020 無月
ミズメは説教を受けたのち、山ほどの雑用で扱き使われ、へとへとに草臥れてしまった。
相方にも冷たくされ、夕餉の膳も一旦は取り下げられて、仕事が終わったのちに冷めてしまったものをようやく腹に入れることができた。
天狗なる娘は「いやはや、悪ふざけも程々にするべきだな」と反省し、腹ごなしに寝静まった村を散歩した。
見上げれば闇夜。今宵は晦日である。明けまで月は見えない。
そして明ければ霜月。いよいよ冬の気色が強くなるだろう。
――あいつと逢ってから、まだ半月しか経ってないんだね。冬の本番までには畿内に入れるかな。
オトリと出逢ったのは満月の夜。神無月の半ば。
それを長いとみるか短いとみるか。長命であるミズメは普段、月日などは数えない。
少なくとも、出逢う前の縄張り内で善行の種を探してうろつく日々や、旅行に出かけて世間を眺めるよりは、愉快で濃密な時が流れていたのは事実である。
出逢ったばかりは術を向け合ったものであったが、今では説教や励ましを交換し合う仲。思惑通りに暇潰しができているとほくそ笑む。
……残念ながら本日は怒らせてしまい、独りぼっちでの散歩となってしまってはいるが。
「ありゃ。やっぱりまだ無理か」
ミズメは昼間にオトリが沸かせた温泉のある場所へと来ていた。暖かな湯気と独特のにおいはあったものの、今はまだ泥水である。
本来なら土を操る術で手早く工事ができたらしいものの、畑にまで浸水してしまい、後日改めて村民の手で整備すると説教内で聞かされていたはずだったが、失念していた。
「ミズメか。泥浴びにでも来たのか?」
振り返れば松明を持ったクレハの姿。
「獣じゃないんだから、そんなことしないよ」
「では何用だ? 壊した畑を直しに来たのか?」
「ごめんて。ちょっとオトリの仕事の成果を眺めに来ただけだよ。水術師は池や温泉を湧かせるって言うけど、実際に見たのは初めてだったからさ」
「われもだ。あの巫女の力は驚くべきものだな。都でもあれほどの術師はそう多くあるまい」
「だろうね」
「それゆえに、洞の中でお前たちを見つけたときは肝が冷えた。とうとう識神などではなく、腕利きの術者が刺客として現れたのかと思った」
「あんたを狙ってる奴って、そんなにしつこい奴なのか?」
「何十年にも渡り、われに向かって呪いや術を飛ばし続けている。だが、この数年はとんとご無沙汰でな。いよいよくたばったかと期待していたのだが、山女神が珍しく荒ぶったから、思い違いだったかと思って見に行ったのだ。あの洞にはわれの身代わりの髪を置いてあったからな」
懐から巾着を取り出して見せるクレハ。何十年。しかし化粧を差し引いても顔に老いは見られない。
「……なるほどね。でも、呪い除けがあったのには気が付かなかったな」
「下手糞なのだ。鬼の力のみで、呪術のたぐいには通じて居らぬからな。上手く欺けたこともあったが、大抵は村に災厄が降り掛かってしまう。われへの怨みだというのに」
「嫌な野郎だな。検非違使や陰陽寮に訴え出れないのか?」
「つまらんことを言うな。そもそも流罪も言いがかり半分だ。仮にそうでなくとも、皇族に属していたこともあると宣っていた御方だ。筋などあってないものだ」
「また偉い人に見初められたもんだね」
「源経基だ。高貴の血とは名ばかりの讒言と略奪の男だったよ。飼われていた時は、“遠征”にも連れ出されたものだ」
「ツネモト……どっかで聞いた気がするな。確か、少し前の鎮守府の将軍だったかな」
暇潰しと諜報を兼ねて陸奥国に行ったさいに耳にした記憶があった。
師に「源氏はややこしいから関わるな」と釘を刺されていたため、当時の蝦夷と鎮兵の戦いの状況を視るだけで特に関わりは持たなかった。
「そうか、奴め。出世と見るか左遷と見るか」
クレハは苦々しく言った。
「鎮守府でも諱で呼ばれてたくらいだから、嫌われてはいただろうけどね」
「奴は、都でわれのことを魔王と通じた女だとか、盗賊だとか、鬼だとかいう噂をばら撒いているらしい。ここに流れて来た仲間の一人から聞かされた」
「とことん嫌な奴だな」
「事実だがな。いずれ力をつけて、都に攻め入り、源の氏を頂く者を皆殺しにしてやる」
「まあ、無理はするなよ」
ミズメは軽く流した。
「あの巫女の連れ合いのくせに軽々しく流すか。われが起こす戦火は幾千幾万の人を焼き殺すことになるのだぞ」
「無理無理。都の戦力を甘く見過ぎだよ」
「おぬしこそ、われの力を甘く見過ぎている。それに独力では不可能だとしても、都に恨みを持つ者と共謀すれば目はある」
「この村の人間を引き連れて行くのか? 盗賊団になるのが関の山だと思うけど」
「まさか。ここの者はみな、静かに暮らしたいだけだ。危険に晒す気はない。畿内には都を狙う多くの賊や同類が蔓延っているからな。都の魔物も陰陽師の張った結界を破れば、本来の力を取り戻すことができる。各地に潜む物ノ怪や悪鬼も田舎で暴れてもつまらぬと考えて、虎視眈々と機を窺っておるのだ」
「都狙いの噂はよく聞くけど、上手くいくとは思えないな。仲間割れが落ちだよ。それに陰陽師は自身の結界内でも問題なく活動できるし、あんたが斃そうと考えてるスメラギの一族も陰陽道や占星術に通じてる。連中は鬼を転じて神として使役する術も持つっていうから、最悪、殺されるどころか家来にされてしまうぞ」
「もし負けたら、そうなる前に自害するさ」
鼻で嗤うクレハ。
「豪胆なことで。……仮に勝てたとして、その先はどうするんだ?」
「先? それが目的だからな。考えてない」
「浅はかだなあ。都の荒れようはともかく、日ノ本にかしらが居るからこそ、ある程度の平和が保たれてるんだよ。世の中が混乱に陥ったら、またあんたらみたいな目に遭う人も増えるってのに」
「おまえたちは“共存共栄”を掲げて旅をしてるそうだな。オトリから聞いたが、そっちのほうが余程に考えが浅いというものだ。それが不可能だということは、われらは身をもって知っているからな。おまえたちの理想が実現できるのならば、こんな辺境で隠れて住まう必要などあるまい?」
「返す言葉もないね。あたしの里も、オトリの里も人目を避けてるのは同じだからね。だけど、あたしは自分の師匠が言ったことには従うし、実現の難しいことのほうが暇潰しには向いてるからやめないよ。こつこつと、できるところからてきとーにやるさ」
「暇潰し?」
「そうだよ。あんたも人外の存在に成ったんなら分かるだろ。人間の頭をしたまま、人間じゃあり得ない寿命を生きるのは退屈だからね。程好く刺激を与えてやらなきゃ、それこそひと暴れしなきゃならなくなる。オトリとつるんでるのも、面白そうだからだよ」
ミズメは欠伸をしながら言った。
「絆を甘く見るか」
クレハは苦々しそうに言った。
「そういうのは嫌いじゃないけど、去るものは追わず。執着しないだけさ。執着もまた陰ノ気を生むしね。嫌なことはニ、三歩歩けば忘れるのが得策だよ」
「執着か。われもまた、あの男と同じなのだろうな……」
思案に耽る復讐者の瞳が伏せられる。
――さて、これで少しでも考えを改めてくれれば良いけどね。
ミズメの言には本心もあったが、クレハが無謀なことをするのを良しとはしていない。
会話を通して、それとなく都攻めをやめさせたく考えていた。
扱う術や鬼である事実はさておいて、更科呉羽はこの村では姫よ神よと祀り上げられる存在である。
永き屈辱の時を耐え忍べば、いずれはこの村に悪意を向ける者も少なくなるだろう。
しかしスメラギに手向かうことをすれば、彼女の村民は無実であっても命の保証がない。
「その執着を断ち切る日も近いのだ。この地での暮らしで、われは力を伸ばし続けている。遠からず……そうだな、村の若者が老いるまでにはこの地を発ち、更科呉羽の名を恐怖と同義に変えてくれるわ!」
物思いに耽っていたクレハの表情が変わった。瞳は黄昏色にらんらんと輝き、猫のごとき瞳孔を晒す。
「やれやれ。角の生えそうな勢いだな」
溜め息をつくミズメ。
「満月が近ければ、何もせずとも角が生える。水鏡に映して見たこともあるが、見てくれは悪くはなかった。だが、“角に触れれば子宝を授かる”だなんて出鱈目を言った者がいて難儀しておる」
一転、困り眉の鬼女。
「あはは。面白いのはお互い様だな。あんたを慕う人は大事にしなよ」
「忠告されるまでもない。ところで、退屈しのぎが欲しいのなら、おまえもわれと共に都を落とさぬか? きっと愉快だぞ」
「面白そうだけど、あたしは遠慮しとくよ。刺激は好きだけど、面倒ごとは嫌いだ。こっちが忘れても、向こうは忘れてくれないからね」
「そうか、残念だ」
そう言うと、クレハはちらと後ろを振り返った。
「どうかしたのか?」
「いや、誰か居た気がしたが、気のせいだった。奴のことを考えていたせいで、少々気が立ってしまったらしい」
「そうか? ま、何にせよ、オトリと一緒のあいだは悪さはできないよ。お師匠様の言いつけだし、あいつの哀しむ顔も見たくないからね」
「仲睦まじいことだな。わざわざ紀伊国まで送るくらいだ、相当惚れ込んでるな」
「そんなんじゃないやい! 旅の目的はひとつじゃないんだよ……ちょっとこれを見てよ」
誤魔化し混じりにミズメは懐から“勾玉”を取り出した。
瑪瑙の乳白色のなめらかな表面が松明の炎を反射する。
「勾玉か。ただの石ころに見えるが。都でなくともこのような宝珠はごろごろしている」
クレハは石を受け取り、眺める。
「あたしの師匠がいうには、それは大きな神様の持ち物で、ことと場合によっちゃ日ノ本全土を揺るがす大問題を引き起こすらしい。だから、これを破壊できる手段を探す旅もでもあるってわけ」
「これが日ノ本を? ただの石にしか思えん。霊力も神気も感じんぞ」
「ありゃ? あたしが拾った時は多少は気配を感じたんだけどな。勝手に壊れたかな?」
だったら好都合だ。師でも壊せない代物を破壊する手を見つけるのは骨が折れる。
「いや……待て。この石、見覚えがある。この石はどこで手に入れた?」
「秋田城で拾ったんだ」
「秋田城か。ならば殊更に怪しいな。これと同じ物を、ツネモトに見せられたことがある。月の満ち欠けに応じて神気を発する不思議な石だと」
「へえ。一つ情報が得られたね。もしかしたら、満月に遠いと簡単に壊せたりしないかな?」
ミズメはクレハから石を返してもらうと、地面に置き、大きな石を叩きつけてみた。
「駄目だ。傷一つつかない」
「雑だな。その程度で壊れるものなら使命にもならんだろう。そもそも、それは壊せば済むというのは本当なのか?」
「どういうこと?」
「石に何かが封じられているのであれば、破壊すれば出てくるものだろう? 厄介な神が封じられていたとしたらどうするんだ」
「ないでしょ。お師匠様が壊せって言ったんだ、壊すのが正解」
「妄信的だな」
「あたしはお師匠様に命も魂も救われたからね。あんたの言った“絆”だよ」
「そうか、なら重ねて問わぬ。事実として、その石を所持したツネモトと長く屋根を共にしたことがあるが、石自体の気配が変化するくらいで、魔を引き寄せることも幸をもたらすことも特にはなかった。徒言とまでは言わぬが、おぬしの師の言は少々大袈裟な気がする」
「それは、あたしもちょっと思う。だからこれはついでって感じかな。まあ、都に寄ったついでに噂話でも集めてみるよ」
情報収集、観光。厄介ごとに巻き込まれる可能性も高い。
だがミズメは何より、隠れ里住まいの娘の反応が見たくてあえて都を通過する気でいた。
「都か。われとしては、この村に足を踏み入れた者には都へ行って欲しくはないな」
「滅ぼすつもりだからかい? 通り掛かるだけで暮らすわけじゃないよ」
「そうではない。おまえたちは公認の術師では無いだろう? 万が一、都で捕らえられれば、その高い霊力から悪事を疑われて旅の道程を探られる。この村が見つかると厄介だ。識神はわれの髪の気配を辿るだけであって、具体的な所在までは知らぬはずだからな」
「そんな失敗はしないって。あたしは何度も都に遊びに行ってるんだ」
からからと笑うミズメ。
「温泉の一件からして信用がならんが……。それに、連れ合いの巫女は問題へ首を突っ込みたがるのではないか?」
「痛いところを突かれた! まあまあ、仮にとっ捕まってもあんたらのことは口外しないよ」
胸を押さえてみせる。
「冗談で言っているのではないのだぞ。この村の者の暮らしにしろ、われの計画にしろ、障害になりうるものは排除する。おまえたちは面白いが、危険で信用ができぬ。できれば、この地に骨を埋めて貰いたいというのが本音だ」
「それはお断り。退屈で死んじゃうよ。オトリもあんたの術を嫌がってるし、礼を返したらさっさと立ち去るよ」
「……」
沈黙する村の首領。
「なんだよ。力づくで引き止めても出て行くからな」
「畑を壊したぶんがある。もうひと働きだけして貰うぞ」
くちびるの微笑と座った目が向けられた。
「……はいはい。悪事以外ならなんでも引き受けますよ」
「この村から更に森の奥へと行ったところに、別の集落がある。連中の動向が気になるから、様子を見てきて欲しい。排他的ということはないが、あまり近寄りたくはない」
「なんだそれ? 蟲や土蜘蛛か?」
「そういった連中は“こちら側”だ。われらとは別の意味で鼻つまみ者の連中なんだよ。できれば連中には他所の地に移って欲しい」
「追い出すのには協力しないぞ。大体、そんなことしたらあんたたちを追い出した奴と同じだからな」
「それは必要ない。様子を見て来てくれるだけでいい」
「ふーん? よく分からないけど、分かったよ。それだけでいいならお安い御用だ。そしたら、あたしたちは帰るからな」
「ああ、好きにするがいい。おまえたちの力は、少々惜しいがな」
クレハはさも残念そうに言った。
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晦日……新月の手前の月。旧暦である太陰太陽暦でのその月の最終日となる。神無月から霜月の折り返しは、現在の暦だと十一月下旬となる。
神無月……十月の別名。神が出雲や神の国に集って不在になる月だというが、無が無しではなく“~な”=“の”という説もあり、六月の水無月もこちらである。
源経基……平将門が朝廷と戦う羽目になった原因の一人。自身の検注の仕事を拒否されて、略奪行為に及んだり、それの調停に現れた将門を謀反だと言い張ったりした。問題があるたびに逃げや立てこもりの一手を打ち、将門が討たれたのちに都へ帰って来た。実際に皇族に属していたかは疑問が残るらしい。
諱……この場合は貴族や武将などの本名を指す。中世~近世日本では、生存中に本名を呼ぶことを避けた。逆に呪うときなどは本名を使う。




