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化かし002 湯治

「いやー、全く驚いたよ。あのおっさんが、あんなやり手の巫女を雇うなんて」

 月も傾きかけた空、“天狗”の娘が巨大な黒翼を羽ばたかせる。

 

 水目桜月鳥ミズメノサクラツキトリと名乗った物ノ怪の娘は、痛む腹をさすりながらぼやいていた。

 この“ミズメ”なる娘は翼が生えて妖しげな術に長けること、それと山伏の衣装を除けば、まったく人の娘の姿であった。年齢にして十代半ばといったところか。

 彼女は、自身へ差し向けられた巫女との術比べに勝利し、のした相手を放置して空へと退散していた。

 眼下には暗い道や辻、昼日の下でも踏破の厳しい山々が続く。夜更けでは遠目には全て青く見えるが、本来のこの時期の山は色とりどりの秋を身に纏っている。


「そろそろ、空を行くには冷える季節になってきたね。早く湯に浸かりたいよ」


 月下の紅葉を眺めながらの湯治と洒落こもうという魂胆だ。巫女にやられた傷は命に関わるものではない。腹を強く打ったが、臓物を傷付けない程度で済んでいた。


 だが、頭のほうは少々混乱をしていた。


 巫女の正体が気掛かりであった。戦いのさなかにも驚いたことであるが、若い巫覡(フゲキ)であれだけの力量を持った者には滅多にお目に掛かれないのだ。

 大体はじじいかばばあだ。

 まあ、近くまで寄って気配を探れば、確かな霊験を感じるような巫覡は、この日ノ本ノ国(ヒノモトノクニ)のあちらこちらに見つかるかもしれぬ。

 しかし、朝廷(チョウテイ)や皇帝であるスメラギにその神通力を知られれば、その巫覡の仕える神の力と共に脅威とされ、難癖をつけられた末に討たれるか、若い娘であれば宮中に召し取られるのが常である。

 そうでなくとも、他者の縄張りで仕事を引き受ければ、他流派の巫覡や仏門の連中との厄介ごとに巻き込まれうるだろう。

 それゆえ、まともな巫覡は霊気(レイキ)を行使する巫行(フギョウ)を無闇に人前に晒すことはない。


――おっさんは“漂泊の巫女”って言ってたな。


 巫女や僧侶が旅に出ること自体はさほど珍しくはない。

 真っ当ならば修行の旅、そうでなければ都や国司から活動許可を得ていない“違法術師”であり、その巫力法力は怪しく、大抵は春を(ヒサ)ぐか、何か芸事をして食べ繋ぐ流浪の民である。

 そういった者たちは、旅の危険や役割分担を兼ねて徒党を組んでおり、不用意に単独でうろつくことはしない。

 団体であれば、自身の縄張りに入って来たのを見落とすはずはなかったし、ミズメはこの地の巫覡や僧侶とは顔見知りであり、あれだけの霊力を持った若者はいないと知っている。

 つまりは、巫女はどこか他国からやって来たわけであるが、稀有な実力者が一体、どんな目的や使命を帯びてこの国へ来たというのであろうか。


「ま、いいや。しっかし、邪魔が入ったせいであのおっさんを懲らしめ損なっちゃったな」

 ミズメは流れる景色に白く煙った箇所を見つけると、そこを目指して高度を下げた。


 今回、天狗なる娘が幻術を用いて(タブラ)かし、銭を巻き上げた相手。

 “おっさん”なる彼は、都から出羽国(イデハノクニ)へと派遣されて来た官人であり、あの近辺の田地を管理する者である。

 そして、苛斂誅求(カレンチュウキュウ)甚だしく、荘民が飢えようとも顧みず、女であればとっくに月の上がるような年齢であるじじいのくせに未だに若い処女(オトメ)を手つけにして喜ぶ色好み。

 言語道断の卑劣漢であった。


――名前はなんだっけな?


 最初に彼の悪名を聞いたときに氏名をも覚えたはずだったが、二、三歩ほど歩いたら忘れてしまっていた。

 一応は貴人だった気がしたが、ミズメにとっては、彼の名や立場よりも荘民たちを困らせている事実が問題であった。

 もっとも、出羽国で問題のある国司(クニノツカサ)は彼だけではないし、強盗を働く人間や、邪悪な気をまとって現れる同族(モノノケ)の相手もしなければならない。

 悪さをする者を叩き、その者から奪い取った食料や金品で暮らしを立てたり、ときに貧しい者へ分け与える。これがミズメの生業(ナリワイ)であった。


 ここ数年、“おっさん”を見かける都度に化かしてやってはいたが、懲りない男との付き合いは長くなっていた。

 この上に護衛まで雇われたとなれば、さらに厄介であろう。

 ああいう輩からは搾取をしても、自身の血汗で作った財産ではない以上、いくら再分配しても辻褄が合わない。

 長くのさばらせばのさばらすほどに不幸の種を撒くことだろう。


「やっぱり、手っ取り早く殺しちまったほうが良いのかねえ? いやいや、お師匠様の言う通り、共存共栄が大事だよなあ」

 娘は独りごちると、湯だまりのそばの岩場で山伏の衣装を脱ぎ始めた。

 背中にあったはずの黒翼はいつの間にか消え去っており、青白い肩甲骨のあたりにくすんだ染みを残すだけとなっていた。

 月光に煌めく黒い短髪はその華奢な肩を晒していたが、腕や背、臀部に掛けての線は程好く引き締まっている。

 巫女にやられた腹部は青黒い痣となっていたが、白い湯気に隠されて今ひとつはっきりとしない。

 娘は赤子の喜びそうな二つの丘を腕に掻き抱くと、寒気に晒された肌を熱い湯に沈めて、深い吐息を吐いた。


「はー、堪らんねえ。やっぱり善行をした夜は温泉に限るねえ……って、あれ?」

 ミズメは首を傾げた。

「あたし、今日はなんも良いことしてなくね?」


 本日の行いを指折り数える。


 朝に評判の悪い老人から握り飯をかっぱらい、昼には罠を恐れて畑荒らしを渋っていた狸を射殺(イコロ)して胃袋へ納めた。

 それから、山道を行く威張り腐った(ゲン)無し坊主に幻術の石礫(イシツブテ)を投げて嫌がらせをしたり、受領(ズリョウ)の使い走りに音を操る術で恐ろしい笑い声を聞かせて脅かしたり……。

 先にしても雇われ巫女を負かしただけである。受領から銭束こそは掠め取ったが、それは都から離れた地方ではあまり用を為さない。

 買い物にも使いづらいし、銭の出処の問題がある以上は貧しい者へ配っても役立てるどころか迷惑である。

 本来ならば、彼の大切にしていたそれを(シチ)に、何か食料や民への温情を強請(ユス)り取る予定だったのだ。

 そのうえ、もっと悪いことに、男は逃げてしまっていた。

 ミズメがあの男を待ち伏せていた場所は“岩辻”と呼ばれる道で、山中に建立された寺と麓の村との分かれ道である。

 くだんの男は坊主とは土地を取り合う仲である為、寺へ足を運ぶことはない。大方、夜の村で娘相手に悪さを働く予定であったに違いなかった。


「はあ、満月が出てると、どうも調子が狂うね」

 娘は溜め息をつき、山間へ去りゆく月を恨めしく睨んだ。


 月。夜の世界を支配する偉大な存在。

 昼を支配し、全てを育む太陽に次いで尊きもので、潮の満ち引きを管理し、人々はその満ち欠けで時を数え、女は生理機能を左右され、物ノ怪は気性や霊力への干渉を受けて活発化する。


「なんなんだろうね、この目」

 濁り湯に映った自身の右目。満月の夜が近付き霊気が昂ると、ときおり赤く光り輝くのだ。

 ただ、この異変は先回の満月になってから初めて気がついた。自身の瞳などそうそう見つめる機会はない。

 知人に指摘されたこともないゆえ、恐らくは最近になって出始めたものであろう。

 ともあれ、月が欠けて昂ぶりが治まればその現象も消えてなくなる。

 正義の味方でも、物ノ怪である以上は月の支配下から逃れることはできないということだろうか。


――ま、どうでもいいや。


 気に食わないのは仕事の失敗のほうだ。

 本来であれば、例の男をゆすることなど容易いはずだった。

 だが、月の魔力が彼女の気性を逆撫でし、敢えて幻術を用いて誑かすという回りくどい方法をとらせ、巫女との戦いも速攻の勝負ではなく、武者のごとき力比べを興じさせしめていた。


「あの巫女、根は悪い奴じゃなさそうだったしな。目的は分からないけど、あのおっさんとつるむと碌なことがないって教えてやったほうが良いかな」


 もっとも、もう遅いかもしれないが。少しの反省。娘たちは戦いのさなか、お互いに手加減をしていた。

 ミズメは狩り以外では不要な殺生を避けるために手心を加えていたが、どうもあの巫女は胡散臭い。

 巫女の口にした詠唱は呪文や真言(シンゴン)や読経のたぐいにしてはまったくの出鱈目であったし、印を結ぶにしても普通は、他流派に見せるのを嫌って手元は袖で隠すものだ。

 何より、あの若い身体に秘めてる霊力と、実際に向けられた祓えの術の威力が釣り合っていなかった。


「本気でやられてたら、あたしでも危なかったかもな」

 そう言うとミズメは鼻先まで濁った湯に顔を沈めた。


 師以外で実力伯仲、あるいはそれ以上の術師とやり合うのは初めてであった。

 ミズメはその自由な翼を使い、日ノ本の各国を渡り見聞……もとい暇潰しの旅を繰り返していたが、自身の暮らす山の近隣以外では不用意に“善行”に手を出すことはしていなかった。

 彼女の唱えた“共存共栄”は師匠譲りのもので、本人は定命(ジョウミョウ)でない物ノ怪としての長い生を気分良く生きられれば概ね満足であった。

 他者の不幸を救うというよりは、己の不機嫌の排除、つまりは搾取する者を叩きたいというのが本音だ。

 ゆえに、他国での厄介事は我慢、見て見ぬ振りが約束であった。

 それは師も推奨していることである。本腰を入れて全てを救うとなれば、いかに物ノ怪といえど寿命を擦り潰してしまうであろう。


「うーん。やっぱり気になるね、あの子」

 ざぶり。立ち上がると、白濁の湯が肢体を勢い良く伝って落ちた。

 娘の身体を冬山の風が刺す。

 温泉は湯気こそ暖かげだが、晩秋の足音も吹きすさぶ深夜である。考えもなしに湯の中に飛び込んだものの、ミズメには身体を乾かす手立てが無かった。

 風を当てに乾かせば凍えて死んでしまうかもしれない。

 ミズメは忘れっぽいのだ。なん百なん千と湯に入ってもやらかす失敗であった。


「ま、のんびり陽が出るのを待ちますかね」

 ミズメは座り心地の良い場所を探して湯の中を徘徊した。


 ……そのさい、白い湯気の向こう、彼女の股座(マタグラ)で“なにか”がぶらりぶらりと揺れていた。


「よし、この辺なら寝落ちてもおぼれないだろ。ふやけちゃうかもしれないけど」

 そう言うと“彼女”は白濁の中に再び身体を沈め、顎を岩に預けて早々に(イビキ)を掻き始めたのであった。 


*****

巫覡(フゲキ)……巫女と男覡(ダンゲキ)

苛斂誅求(カレンチュウキュウ)……税や年貢の取り立てが厳しいこと。


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