化かし015 結界
兎の骸を土に埋めてやり、ふたりは進み始めた。
畑沿いの灌漑を辿れば自然の川へと至り、程無くして切り拓かれた森と泉が姿を現した。
「わずかに金気を感じます」
オトリが泉に手を差し入れながら言った。
「わずかでも駄目なのか?」
「一度に大量に身体へ入れる場合だけじゃなくって、体内に蓄積して病を起こす場合もありますから。井戸や泉の呪い騒ぎの真相が金気というのは珍しくないんですよ」
「ふーん。あたしは気にしたことないな」
「薬と同じ働きをする水もあれば、過ぎれば毒になることもあります。温泉もそうですよ」
「さすがに温泉を飲んだりはしないけど、長く生きてるし、なんか怖くなってきた」
「ミズメさんの山の水は本当に綺麗な清流でしたから。山の神様だけでなく、そこに暮らす生き物たちも大切に利用なさっていたし、大丈夫ですよ」
「それで、解決はできそう?」
「金気が漏れてる箇所があるはずですが、ここじゃありません」
「湧き水だろ? もっと地下深くってこと? それはさすがに手に負えないでしょ」
「湧き水だからといって、必ずしも地下深くの水脈から続いているとは限りません。私の憑ルベノ水で辿ってみます」
オトリはそう言うと、両手のひらを下へ向けてかざし、何ごとかうんうん唸りながら歩き始めた。
巫女のあとをついて歩く。
少し斜面を登ると立ち止まった。
「水の気配が土の奥のほうへ潜ってしまった……」
「あらら」
巫女は続いて斜面の土に手を当てた。しばらく静止すると、また歩き始めた。
長くなりそうだ。ミズメは退屈をしていた。
とはいえ、先程の苦しむ兎を終わらせてやった時の顔を思い出すと水を注す気も起きない。
「あたしも何か手伝う?」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です」
「必要があったら言ってよね。一応あたしは、音や風を視るのは得意だから」
巫女の検分に気長に付き合っていると、とうとう小山を挟んで反対側へと出てしまった。
緑の草木の茂った谷間となっており、その先は本格的に険しい斜面が続いている。淵だ。
オトリは下へ降りると、底の水を辿り始めた。
そして、原因と思しき物が発見された。
「淵に太刀か」
水の中には長い太刀が突き刺さっていた。古い品のようで、刀身は錆びて朽ちかけている。
「これが原因です。この沢の流れが一旦地に潜って向こうの泉に繋がってるみたいです。でも、どうして“こんなに”?」
突き立てられた太刀は一本や二本ではなかった。それは無数で、地獄の針山のようになっていた。
「最近になって病が流行り出したって聞いたけど、この刀は古い物だよ」
「古いって、どのくらいですか?」
「好事家でもないからはっきりとは分からないけど、柄は無事だし、水に晒され続けても朽ちて折れてないところを見ると、精々数十年かなあ。刺さったのは最近っぽいな。苔もついてないし。誰かが要らなくなった刀を使って呪術でもしたのかな?」
「呪術にしては呪力を感じません。たしかにこの沢は自然の精霊の集まりやすい霊場ですけど……」
巫女はあたりを見回している。
「ふーん? じゃあ結界とかかね。引っこ抜いたら化け物が出て来るとかは勘弁してよね」
「特に霊的な力が込められているわけでもないですよ。ただ刺さってるだけです」
「なら、この錆び刀は引っこ抜いちゃうよ。まったく、行者が山頂に立てる杖じゃないんだから」
ミズメは太刀を抜き始めた。特段に深く刺さっているわけでも、罠が仕掛けられているわけでもない。数が多く、処分するのが邪魔くさいだけだ。
「この先の流れからは金気は感じられませんから、出処はこれに間違いない……。あとは泉の金気をより分けるだけです」
刀の残骸を抱えて泉へ戻る。オトリが泉に手をかざすと、霊気を通された水が渦潮のように攪拌され始めた。
「……えいっ」
オトリが掛け声を上げると、やにわに渦がぴたりと静まり返る。水の術だけでなく土の術も併用したか、水底からあがっていたはずの土煙も落ち着いた。
最後に三度手のひらで水をすくって捨てて、お浄めは終わりとなった。
「これでおしまい? 時間は掛かったけど楽勝だったね」
「水は綺麗になりました。でも、これはなんだったんでしょうね」
オトリは不安気に刀の束を見つめていた。
村へと戻り、原因を取り除いて水の清めも済んだことを報告する。
「確かにこれが淵の底に刺さっていたとなれば、病の原因が金気だということも頷けるのう」
老巫女が言った。
「オトリはまだ納得がいってないみたいだけどね」
「この刀を刺したかたがいるはずですから」
「婆さん、この刀に見覚えは?」
ミズメが老巫女に訊ねる。
「うーむ。刀そのものには見覚えはありませぬ。じゃが、今から三十年ほど前か、この付近で合戦があった。平氏の内輪揉めだったと記憶しております。当時の司がいくさに参加して落命しましたな」
「平氏のいくさか……。でも、悪霊の気配もなかったしな。生き残りが相手側を恨んで呪術をしたけど、打ち破られたとか、下手糞だったとかかな?」
「いくさなんて嫌いです。同じ人間同士で殺し合って、しかも他所の村に迷惑を掛けて。それに、終わってからもまだ術を向け合うなんて」
オトリは不満気だ。
「同感ですじゃ。村としても将門にも貞盛にも肩入れしませんでしたからな」
「誰ですか? その人たちは」
オトリが首を傾げる。
「そっか、オトリは知らないのか。平氏は下総国の有名な豪族だよ。将門はもとは都で仕えていたんだけど、なかなか出世させてもらえなくて、国に帰った後に内輪揉めや行き違いが重なって、朝廷と争うことになったんだ。新皇を名乗ったりして日ノ本を騒がせたけど、結局は討ち取られてしまったんだよ」
少々武道のたしなみのあるミズメは、将門に興味があった。
武士連中もただ人を斬る戦士というわけでなく、領民と支え合って暮らしている。武士のいくさは狼の群れのかしらが他の獣と戦うようなものだ。
「そのマサカドさんの怨みかしら」
「マサカドの遺体は蘇れないようにばらばらにされて、日ノ本の各地に封印されてる。流派や教えを問わずに有力な術者を集めてまでね」
「将門の塚はこの地にはありませんな」
「そこまでして封印を? お祓いや寿ぎはなさらなかったのかしら」
「成仏も拒否したって話だからね。マサカドの朝廷への怨みは深い。封印から漏れた邪気に当てられて鬼が沸くと言われてるほどだ。東のマサカド、西のミチザネって並び称されてるほどの大悪霊だよ」
「ミチザネ?」
オトリはまたも首を傾げた。
「オトリは菅原道真の呪いも知らないのか。紀伊国だったら巻き込まれてもおかしくないんだけど」
「うちの里は霧の結界と神威に護られてますから。そのかたも酷い悪霊なんですか?」
「同じように怨恨からの怨霊化した人だよ。生前は人の役に立つこともたくさんした学者だったけど、無実の罪で流されて怨みの中で果てて、最終的には京の都が魔都なんて噂される一番の原因になってしまったんだ」
「し、知りませんでした。都がそんな風に呼ばれてたことも」
「分かった分かった。オトリのために説明してやるよ」
魔都平安京。
奈良の都から長岡を経てスメラギの居が置かれた、現在の日ノ本の政のかなめの地である。
奈良から引き続き、風水八卦の効能を計算して設計された都は、それ自体が強力な結界となっている。
しかし、貴族や豪族たちのお家争いや怨みつらみによって、雇われの呪術師や陰陽師たちが呪術合戦を繰り返したため、結界の内部に悪鬼悪霊が蔓延り、更なる争いが死を呼び、死が穢れと病を呼び、魔の連鎖が生じていた。
それに加え、強い怨みを抱いたまま死去した菅原道真が祟り、凶事を加速させて都はこの世の地獄となりかけた。
「マサカドは、本当は朝廷に恭順したかったんだ。だけど、誤解が重なったところにミチザネの怨霊の後押しがあって、本格的に争うことになったんだ」
ミチザネの霊はマサカドが国軍を破り、新たな帝を名乗った時に、おおよそ満足してその力を弱めた。
その隙をついた陰陽師たちの必死の封印と、修験者の今も続く祈祷によって、その力は完全に封じられているのである。
ミチザネとマサカドの禍が去ったのちに都に残されたのは、幽かな陰ノ気の余韻であったが、名士同士の水面下のでの争いや、都の富を狙った盗賊共のばら撒く不幸によって未だに魔は潰えることを知らぬままである。
「都にも結界が張ってあるけど、畿内にもいくつも大きな結界が張ってあるだろ? そのおかげで術者も悪霊も力が弱められてるんだ。神様が消えたり、仏が滅多に姿を現さないのもその結界のせいだ」
「そう噂されておりますな」
老巫女が相槌を打つ。
「噂じゃないよ。事実だよ。ミチザネやマサカドには直接は会ったことは無いけど、都の混乱はよく見てたからね。あたし、暇潰しによく都に遊びに行くし」
「ぬ、ミズメ殿はおいくつなんじゃ? 孫ほどの年頃に見えるが……」
「それは山伏の秘密さ」
笑って誤魔化すミズメ。そのじつ、老婆数人分の長寿である。
「あ、あの。結界で神仏や術者の力が弱められてるってどういうことですか?」
オトリは青い顔をしている。
「そのままの意味だよ。陰陽師はずっと昔に、畿内を包み込むほどの大きな結界を張ったんだ。陰ノ気も陽ノ気も関わらず弱まってしまうけど、そのぶん悪霊は減る。当然、神様の影響も受けづらくなるけど、人の手で努力をすれば万事を良くできるだろうって考えのもとに張られたって話だね。この考えが結界の有無に関わらず日ノ本中に広まってしまったから、あっちこっちで神様が軽んじられて神威が弱まってるんだ」
「そっか、そういうことだったんだ……」
巫女は冷や汗を垂らしている。
「おい、オトリ。まさかそれも気に病んでるんじゃないんだろうな? 別におまえが知ってたところで……」
「そうじゃないんです!」
オトリは勢いよくミズメの両肩を掴んだ。
「な、なんだよ……」
揺さぶられるミズメ。
「私、旅に出る前は、ここまでは霊力や術力が高くなかったんです。確かに村では巫女頭の次にできたんですけど。でも、旅に出てしばらくしたら、急に腕前が伸びたので、てっきり旅のおかげで私が強くなったものだと!」
――ははあ。そういうことか。
オトリは強力な祓えの力と、類稀無い水術の才を持ち、他にも土を操る術が扱えるようであった。
初めての邂逅のときに見せた過剰な祓えの術にしろ、銀嶺聖母が仲介に入った戦いで見せた実力にせよ、長命のミズメが滅多にお目に掛からないほどに破格のもの。
しかし、水術の身体強化で駆けた時には転んだり藪に突っ込んだりの失敗を晒していた。
「要するに、地元では結界に影響されて弱まってて、本来の力が発揮されたら今度は制御ができなくなったわけだ」
苦笑い。
「腕前が上がったんだと思って油断してた……。私、ここのところ修行もさぼってたし、寒いからって水垢離もやめてた……。里に帰ったら力が戻っちゃうってことですよね? 下手したら本当は術力が落ちてるのかも。ああ、水神様に絶対叱られる」
頭を抱える若い巫女。
「あっはっは。頑張りなよ、巫女頭さん」
ミズメは笑い飛ばし、それから老婆へと視線を戻した。
「すっかり話が横道にそれちゃったね。水の件は解決したんだから、持て成しのほうを頼むよ」
「おお、そうじゃったそうじゃった! 村長にも伝えて来なければの。無論、酒どころの村ですじゃ、お礼のほうは……」
そう言って老婆は盃を呷る仕草をした。彼女も愉しげだ。
「へっへっへ。分かってるじゃないか婆さん」
ミズメは顔をほころばせた。
「ああ、うち絶対怒られるやん。神さんに雷当てられて、みじゃかれるわ……」
オトリは何やらお邦訛りで頭を抱え続けていた。
水の難事の解決が伝わると、村人は日も暮れたというのに挙って泉へと駆けて行った。
清水を口にした村の酒刀禰は、水術師を拝んで明日からの仕事への意気込みを宣誓し、農家や乳飲み子を抱える母親なども村の英雄の手を握った。
「あかんわ、めっさ怒られるわ……」
……当の本人は里に帰ったあとの心配事で離魂したかのごとくとなっていたが。
再び開かれた宴では、自慢の地酒は勿論、普段なら貴人しか口にできない白米の飯を供された。
怪我の功名か、水に不安を覚えていた山師が遠方の川まで足を運んで獲ったという鮎が酒に合うこと酒に合うこと。
ミズメは酒瓶と器を幾度もからにして大いに楽しんだ。
問題の解決が気を緩めさせたのか、はたまた生粋の性分か、老巫女もがぶがぶと酒をかっ喰らった。
「婆さん。年寄りのくせによく飲むね! あたしの八尋ノ胃袋と良い勝負だよ。あっはっは!」
赤ら顔の天狗娘はすっかりでき上がっている。
「ささ、ご恩人よ。こちらの酒も試しなされ」
勧められるがままにもう一杯。
「これは擣糟の酒とみたね。さっきの三種糟仕込みも良かったけど、ここは甘い酒が自慢かい? 塩辛いものが欲しくなるね」
「こちらの漬物がお勧めですな」
蓮根と茄子の漬物が供される。
「へっへっへ。婆さん、よく分かってるじゃないの。年寄りだからって馬鹿にして悪かったね」
そう言ってげらげら笑うミズメ。
宴も酣。酒気も酣。ミズメは上機嫌であった。
平時であれば、弱者を助けるさいには年寄りを後回しか除外をする信条であったが、今宵なら死にかけた爺の糞の世話すらしてやってもいい気がしていた。
それだけ酒と飯が美味かったこともあるが、何より相方の役目への真摯な態度を見習ってのこともあった。
師に教わった“共存共栄”を掲げた善行のためには、自身も少し変わらねばならないであろう。
――この村は良い村だね。
老若男女問わずの談笑が村長の家を賑わす。
油断しきって雑魚寝をするものや、興が乗ったか恋人同士か視界の隅で密にしている者までもある。
農村では、夜這いから強いて婚う始まりも多いが、祭りや宴の興が男女を結ぶのも珍しくない。
人の功績をだしに愛が語らわれるのは少しばかり腹が立つ気もするが、今宵は目を瞑っておいてやろう。
「“縁”も酣ってか」
独りごちるミズメ。盃に追加を注ぎ込み、寝そべり肘をついて、視線を此度の功労者へと移す。
当のオトリは膳を前にしても食は進んでいないようである。
「里に帰りたくない……」
まあ、自業自得の落ち込みであるゆえに、ほどほどに放っておくが良いであろう。
「のうのう。山伏様、山伏様」
ミズメが盃を片手にうとうとしていると、童子が声を掛けてきた。
「なんだい。山伏様はおねむだよ。きみもそろそろ寝る時間だろうに……」
片目を開けて返事をするミズメ。
「おばけがおった」
館の外が指差される。
「おばけ?」
そういえば、この童子は幻術に掛からなかった霊感持ちである。ミズメは身を起こした。
「巫女婆んとこから、なんぞ持ってった」
「なんだって?」
慌てて気配を探るミズメ。遠く、武者の甲冑の音が聞こえる。恐らくは刀を突き立てた張本人が戻って来たのであろう。
しかし、霊気はよく感じられなかった。人の仕業であろうか。大鎧姿を知らねば、子供がおばけと称しても仕方ないといえば仕方がないが。
――あたしとしたことが、酔っ払って油断してた。
赤ら顔一変。真剣な面持ちに切り替えると、まずは村の神社に急いだ。
妖しい足音はだんだんと村から遠ざかっていっているようである。まずは不審者が何をしでかしたのかを確かめねば。
社の屋内を覗けば案の定、伽藍洞のごとし、保管していたはずの太刀の束がそっくり消えて無くなっていた。
そうこうしているうちに、何やら足音の中に鬱々とした霊気も見つけ出した。
「オトリ。太刀が偸まれた! 陰ノ気も感じる」
「えっ!? 気付かなかった!」
オトリは今さらになって食事を始めていたようで器を置いた。村巫女の婆のほうは、酔い潰れて高いびきだ。
「おまえら巫女だろ? まあ、いいや。酔ってたあたしも人のこと言えないし。それより、早く行こう! 多分あれが、本当の原因だ」
ふたりは宴の席を立ち、くだんの淵のほうへと向かう邪悪な気配を追った。
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平将門……ご存知、平安屈指の有名武将。忠義篤く朝廷に仕えたが出世できず国に帰り、行き違いのすえに朝廷と対立し、国軍を打ち破り新皇を名乗った。討たれたのち、その首を納められたという首塚は現代でも有名で、今でも祟るという。
菅原道真……平安の貴族で学者。国と天皇によく仕えた忠臣で右大臣まで上り詰めたが、左大臣藤原時平の策略により謀反を企てたとされ左遷され、無念のうちに没した。その怨念が都に様々な祟りを起こしたという。今では学問の神、天満天神として祀られている。
みじゃかれる……ばらばらにされる、粉々にされる。
水垢離……冷水や流水による身清めや修行。
酒刀禰……酒造りの管理者。
八尋……尋は大きさや距離。八の字は実数だけでなく、多いことや大きいことを意味する。
擣糟……若い醪を使った甘めの酒。
三種糟……米、もち米などの三種類の米を別々に醸し、後で混ぜ込んだ濁り酒。




