化かし014 巫女
旅は続く。化け猪と土蜘蛛の一件を解決し、ふたりの娘は越後国を進んだ。
目立った事件こそはなかったものの、海から寄せた凍える雲が秋雪を運んだため、逃れるように南へと足を向ける。
越後と信濃国の国境を越えて下山。
米どころである越後と山系を同じくするその地もまた、刈り取りの済んだ禿田の広がる景色を披露した。
信濃へ下れば山は険しい。さらに南には日ノ本の誇る富士が聳え立つ。
ここから先は人目を避けることよりも、路に出て距離を稼ぐことを優先としよう。
人助けをやり抜いたふたりは幾分か気楽に構えていた。
東山道を目指して山道を下っていると、何やら不穏な気配を察知した。
「オトリ、どうも悪意のある気配が一つあるよ」
「ほかにも数名がいらっしゃります。困りごとに違いありません!」
オトリは返事をするなり駆け出して行った。
「おーおー。張り切っちゃってまあ」
巫女の背中を見送る天狗なる娘。
「貴様ら! ここを通りたければ通行料を払え! 乾元大宝一束か、米俵一つである!」
道を塞ぐように立ちはだかる大柄な山伏の男。地面に金剛杖を突き突き大声を上げる。
「銭なんて持っちょらん! 俵一つも取られたら冬越えもできねーじ!」
抗議するのは若い男。武士でも貴人でもない泥に汚れた粗末な衣姿である。
彼に連れ立って同じく若い娘がおり、彼女の手には小さな童子の手が繋がれている。
「払えぬというのなら、そこの女と荷物の全てを置いて去ねば許してやろう。それも断るというのなら、我が不動明王の護摩の業火で調伏してくれる」
山伏がずいと若い男に迫った。
「こらー! そこの山伏さん、悪事を働くのはおよしなさい!」
割り込んだのは紅白の衣装。お人好しの巫女である。
「なんだ、この小娘は。神社でもないのに白衣に緋袴。さては漂泊の巫女か。その細腕で、我に敵うと思うてか?」
山伏はオトリの鼻先へ杖を突き付けた。
――ありゃあ、危ないな。山伏が。
ミズメは木の上からオトリたちを暢気に眺めていた。オトリは既に霊気を練っているが、山伏のほうは気配が変わらず。
あの霊力を前に動じぬということは、神仏をも剋す術の達人か、霊感皆無の阿呆のどちらかであろう。
「どれ、久々にあたしの術で化かしてやりますかね」
山伏と同じ衣を纏いたる娘は、くちびるを舐めると霊気を練り始めた。
幻術とは、己の霊気を他者の頭の中へと忍び込ませ、己の幻想する像を相手の五感に伝える術である。
本来ならば、まともに修行を積んだ巫覡や僧であれば、それと見破るのは容易く、霊力の守りがあればそもそも霊気の侵入を許さない。
狐狸が好んで使う術であるが、騙されるのは霊力の乏しい人間だけで、僧侶などを相手どれば騙し返されるというのがお約束である。
さて、この図体のでかい山伏はというと……。
「な、なんだ貴様は!? これは明王ではないか!?」
彼はこちらを見上げて口をあんぐりと開けている。同じく強請られていた家族もミズメを拝み始めた。
『山に伏せし者よ。この霊山にて我が霊験を騙ることは許さん。行を怠り、悪道に堕つ者は真なる浄火にて焼かれ、その身を石に変じるが良かろう!』
宙に座し背に炎を背負った不動明王……の幻が言った。
憤怒と柔肌の頬の存在が持つ剣から真っ赤な劫火が放たれた。
たちまち山伏の衣は炎に包まれて燃え始めた。
「ひえーっ! 衣が燃える! なんだ? 身体動かなくなってきたぞ!? ああ、石になる!」
憐れな悲鳴を上げる大男。彼は踊るように手足を動かしていたかと思うと、ぴたりと固まり、泡を吹いて倒れてしまった。
むろん、衣には焦げ一つもなく、彼の身体は一寸たりとも石化などしていない。
「あっはっは! 愉快愉快!」
ミズメは術を解き、人の姿となって地上へと降り立った。
「わ、また別の山伏!」
驚く若い夫婦。
「危ないところでしたね。あたしこそが真の山伏です。真っ当に修行を積めば、翼で空を駆けることも、明王のつるぎをお借りすることもできるのです」
ミズメは大男よろしく胸を張って仁王立ちをし、片手で拝んで錫杖で地を突いた。夫婦は平伏した。
「さて、この偽の山伏は二度と明王の名を騙れないように、衣や法具の一切を取り上げてしまいましょう」
ミズメは伸びた大男の衣に手を掛けた。……が、後ろへと引っ張られる。
「こらー! 追いはぎなんてしたら、このかたと同じですよ! 大体、軽々しく人前で幻術なんて使うものじゃありません!」
オトリが睨んだ。
「良いじゃんかー。最近やってないから溜まってたんだよ。人助けなんだから固いこと言わなくてもさ」
口を尖らせるミズメ。
「善行はともかく、追いはぎは駄目。さ、目を醒ます前に彼らと山を下りてしまいましょう」
「でもさー。こいつ絶対、懲りないよ」
大男を指差す。
「あの、その男のことでござんすが……」
若い女が口を開いた。
何やらこの近隣の山道では、“荒ぶる神仏”が現れては、道行く者から金品や命を供させるという噂が立っているそうだ。
山道では実際に斬殺された人にまで出ており、山越えは命懸けとされていた。
「まあ! なんて凶悪な人!」
オトリはそう言うなり、その辺にあった蔓で大男を簀巻きにしていた。
「得物はこれかな?」
ミズメが手にしているのは小振りなつるぎ。山伏の柴打刀である。
「いつのまに掏り盗ったんですか……。でも、その剣からは特に陰ノ気は感じませんよ」
「性根が腐ってて、素の精神で人殺しができるってことか?」
「そうでなくて、斬られたかたの怨みも感じないってことです」
「清めたんじゃないの? 曲がりなりにも行者だし」
「うーん? このかたの霊力じゃ、お墓の掃除もできなさそうなんですけど……。ま、それはおいて、こんな危険なかたを放置はできないので、駅の近くに捨てて来ますね。お役人さんが見つけてくれるでしょう」
オトリは大男を軽々と持ち上げると、神聖な霊気を残して先に山を下りて行ってしまった。
「なんて、大力の巫女さんじゃあ……」
夫婦は魂消て腰を抜かした。
「なー、山伏のおねーちゃん、さっき羽が生えとらんかった?」
童男がミズメの脚絆を引いて訊ねる。
「お、この童はあの阿呆と違って霊感があるみたいだね」
感心するミズメ。宙に浮かぶ不動明王に化けて見せたさい、彼女は翼で滞空をしていた。
ミズメの術に化かされなかったということは、この子供もそれなりに強い霊感を持っているということだ。
「れーかん?」
首を傾げる童男。
さて、早くも山伏をぽい捨てして戻って来たオトリと合流し、助けた家族の強い勧めもあって彼らの村へと招待された。
普通なら旅の術師は不審に思われるものであるが、先に腕前と徳を示せば話は別。
追いはぎ行為を行っていた山伏の逮捕を手伝ったということで、村では歓迎を受けた。
持て成しのさい、ふたりは追加の依頼をひとつ受けた。
霊験あらたかな巫女と山伏ということで、「村で流行している病を解決して欲しい」とのことだ。
ここには穀物の神に仕えるという老巫女が一人居たが、お産や冠婚葬祭を手伝う程度で、追いはぎには自由を許しており、村に広がる病の原因もつかみかねていた。
「うーん、神気が一切ありませんね……」
水分の巫女は村を見渡すと寂しげに言った。
在らぬ神を祀る村というのも、実は珍しくない。
遥か昔は本当に神がおわしたのやもしれぬが、なんらかの事情で神去ってしまい、信仰だけが取り残される場合もある。
この村は古来より五穀豊穣を神に願う米どころであった。幸い、大地そのものの風水が味方をして不作とは無縁であったが、巫女が霊視すれば神は不在。
それに仕えるという紅白の衣装をまとった老巫女もまた、その事実を承知しており、無きあるじを恋しげにしていた。
村に流行する病。
その症状はおもに腹痛や動悸。それはいったん収まり、しばらくは治ったかのように何ごともない。その後に急な変容をきたして、強烈な痙攣や出血が起こり、ときには死に至るという。
「これは金気の中毒だと思います」
オトリが言った。
この村は金属中毒に悩まされていたようである。最寄りの水源に毒が混じっており、それを利用したものが病を患うということだ。
だが、これを看破したのはオトリではなく、先にここを訪れた陰陽師であった。
「だったら、どうしてそんな水をまだ使ってるんだよ?」
ミズメがぼやく。
陰陽師は「水中に金気あり」と断を下したのであるが、その金気の根本を探らぬままにこの地を去ってしまっていた。
あまつさえ、ときおり露骨な変色を見せる水に対して、「血の水」だと騒ぐ村人があり、先の山伏の殺賊行為と合わさって、死者の呪いだと囁かれていた。
行きがかりの陰陽師の言葉など、不安を前にすれば虚しい。
村人は騒ぐばかりで具体的な調査に着手をしなかった。
老巫女も、物質的な原因を疑いはしていたものの、村民たちがせがむもので、乏しい霊力で繰り返し空お祓いを行っては溜め息をついていた。
そして、お祓いを行えばもう大丈夫、彼らは水をふたたび口へ……という次第である。
今年の米にはまだ影響は出ていないが、ここは米どころであると同時に、有名な酒どころでもあった。良い酒には良い米と良い水が欠かせない。
東山道にほど近い村ということで、わざわざここへ来て酒を買い付ける者も珍しくない。年貢も当然、都へ流れる。
このままでは禍が日ノ本の心臓へと達してしまう恐れがある。
「わしでは問題の解決に至らん。金気を見つけるために穴を掘ることもできんし、村の連中は悪霊の仕業だと信じて聞かぬのじゃ」
老巫女が悔しそうに言った。
「酒に危機が迫ってるとなれば黙っちゃいられないね」
報酬が楽しみだ。ミズメはくちびるを舐め舐め言った。
「陰陽師のかたも、もっとちゃんと調べてあげれば大事にはならなかったのに」
オトリは口を尖らせた。
「まっとうな許可持ちの陰陽師なら、朝廷からの命令で、ほかの仕事に向かう旅の途中だったはずだよ。あいつらは方角や道順を酷く気にするから、ここに寄って水を視てくれただけでも相当な親切ってもんだ」
「なんですか、方角って! 仕えてる都にだって関わる話じゃないですか。水はすべての生き物の根源です。それを大切にしないと、誰しもが困ります。死者の霊魂にさえ水場は欠かせないものだというのに!」
「陰陽師は所詮は官人だからなー。律され令に従うほかにないのさ。だから、代わりにあたしたちが解決してやろうって話じゃん?」
「そうですね。私の出番ですね」
水術師は袴の帯を締め直して言った。
「おお、若き巫女殿がお手伝いくださるか。聞くところによると、大男を担いで山を駆け下りたという怪力女。その力は大地に潜む金気を探り当てるのに役立つでしょう」
「怪力じゃありません! 水術の“憑ルベノ水”です。大地を掘るにしても土術の“埴ヤス大地”を用いれば容易いことです。お婆さんも、その緋袴をお召しになっているのだから、古流派の自然術のことはご存知でしょう? そうでなくっても、巫行に携わる身なのですから、神がおわさずとも生と死に仕え、村民の心に忍び込む恐怖に対して威厳を示さなくてはいけません! 足腰が悪いなら力のある男のかたでも使って水源を調べさせるなりできたはずです! いいですか? そもそも巫女というものは……」
オトリは説教を始めた。
「ありゃ、珍しいね。ばあさんはやれるだけはやったと思うけど……」
ミズメは首を傾げた。説教は巫行の蘊蓄とともにくどくどと流れ続けている。
「こいつ、水分の巫女なんだよ。各地の水源の清めを行って歩いてるんだ」
ミズメは思わず老婆を憐れみ、説教へと割り込んだ。
「おお、数十年に一度現れる水分の巫女様か。わしも若い頃に先代の水分様に御会いしたが、恐ろしくも清らかなる霊力を感じたのを覚えておる」
「会ったことがあるんですか!?」
オトリは説教を切って老婆に詰め寄った。
「う、うむ……。当時は水源の問題は無かったゆえに、挨拶をしただけじゃったが」
老婆はたじろいだものの、オトリを拝んだ。
「……そうですか。とにかく、この件は私に任せてください!」
オトリは一息つくと、無い胸を叩いて言った。
ふたりは外山にあるという、村の生命の源である泉を目指して出立した。
「なあ、さっきはどうしたんだ? 珍しく年寄り相手に熱くなってたけど」
ミズメは首を傾げる。道中で繰り返していた人助けでは、ミズメが軽くあしらった老人を取り成すのがオトリという配役であった。
「ちゃんとなさってない巫女を見ると、どうしても気が立ってしまって……。あのお婆さんが彼女なりに一所懸命やっているのは分かるんですけど、巫女を務めるには巫力が足らなさすぎます」
「確かに霊気は大して感じなかったね」
「それに、普通は部外の人間に村の命綱である水源は触らせないものです。私は役目上、旅ではそれを分かってて水に関わる難事に口を挟んできましたけど……」
何か思い出しているのか、浮かない表情。
「そっか。ずっと邪険に扱われてきたんだね」
「はい。強く反対されて見過ごすしかないこともありました。せっかく助けられる機会を得たんですから、無駄にはしたくありませんし、今後も困らないように村の巫女にはしっかりして欲しいと思ってしまって、つい」
肩を落とすオトリ。
「元気出せよ。お互いがお互いの思う領分が違うことなんてざらにあるよ。善行ってのは押し付けるものじゃないさ、求められたら与える。それだけで充分だよ」
ミズメは相方の背を叩く。
「でも、助けを求めたくても求められないかただっていますし、目の前で困っているのを放ってはおけません」
――相変わらず頑なだなあ。
オトリの横顔を見て思う。この押し付けがまさが原因で嫌厭されて、かえって自身を苦しめているのではないだろうか。
善行というものは、本来は幸と徳の交換である。
水の循環を司るというのに、こちらの悪循環は見抜けていないようだ。
――もうちょっと肩の力を抜いたほうが良いと思うけどなあ。
何か彼女を説得するのに良い薬はないか。力み過ぎるとかえって間違いを招くことにもなりかねない。
どれ、ひとつここは尻でも撫ぜて和ませて……。
手を伸ばした瞬間、“兎の鳴き声”がミズメの耳へ忍び込んできた。
声は幽かではあったが、確かに苦痛の色を孕んでいる。
ここは村から続く畑添いの道である。見ずとも、何が起こったのか理解できる。これを種に若い巫女を説教といこうか。
しばらく歩くと、大根の畑の脇に小さな窪地が現れた。案の定、穴からは兎の悲鳴が繰り返し繰り返し聞こえてくる。
「罠に掛ったんだわ……」
オトリは中を覗き込む。
可哀想。白衣の背中がそう言っている。
「駄目だぞ。その兎を助けていいのは、仲間か罠を掛けた畑のぬしだけだ」
「……分かってますよ」
そう言ってオトリは落とし穴の中へと腕を伸ばした。
「分かってないじゃんか。オトリだって畑の苦労くらい知ってるだろ。兎は中途半端に根を荒らす害獣だ。農民たちだって命懸けなのは化け猪の村で見ただろ? ここでそいつを罠から解き放つのなら、あたしたちが化け猪を斃したのも悪になるし、狼や狐が咥えた獲物も取り上げなきゃ筋が通らないんだからな。共存共栄や善行とは違うぞ」
ミズメの諫言はどこ吹く風。立ち上がったオトリの手には毛皮を血に濡らした兎の姿があった。
杭が深く刺さったのであろう、苦し気に上下する兎の腹からは臓物が垂れている。
「どの道助からないって」
「そうです。この命はもう助からない。だからといって、魂が夜黒く染められていくのを黙って見ているのは巫女ではありません。ほかの罠に掛っていた獣よりも一層強い邪気を感じます。きっと、この子も水の金気に当てられて苦しみながら生きてきたんです……」
さようなら。巫女の口がそう動くと、兎の首が小さく音を立てた。
すると、兎の身体から黒い靄のようなものが這い出て来た。心なしか空気が冷える。
「悪霊だ……」
悪霊はミズメにも珍しくはない。霊感があれば誰にでも見える。
それは小動物の霊という雑魚ではあったが、明王に睨まれ金縛りにされるかのごとくの悪寒を感じた。
「魂も助けられなかった」
オトリの指先が黒い靄に触れると、それはたちどころに霧散した。
亡骸をいだき佇む巫女を見つめる。思わず手を伸ばすもそれは届かず。
ミズメは、胸の芯まで深く凍える気がした。
*****
金剛杖……修験道の行者が登山や悪路を行く際に使った杖。経が刻まれていたり、尖端が錫杖になっているものもある。
不動明王……日ノ本密教の明王の一尊であり、本尊である大日如来の化身とされる。大日如来は神仏習合の解釈において天照大神とも同一視される。
護摩……密教の願掛けや調伏の秘法。その際に焚かれる炎が象徴的。
柴打刀……秘技の際に構えるとされる刀。




