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化かし118 母子

「甘し娘どもよ」

 鉾を手にした天照がこちらに一歩踏み出す。


――戦われるつもりなの?


 天照大神(アマテラスオオミカミ)。彼女は最高神にして、原初の巫女。太陽そのものに仕える存在である。

 たとえその一端であり結界の中であろうとも、術を撃ち交わすこととなれば、万にひとつも勝利の目はない。

 しかし、オトリは奇妙な感覚に襲われていた。

 神の発する気は全てを呑み込まんばかりに強大であったが、同時に柔らかでもあった。

 神を前にして(カシズ)くべき立場の巫女も、(ホロ)ぶべき立場の鬼もただ穏やかにあった。


「おっと、しまった。これはまだあとであった」

 天照ははたと足を止めると、鉾を地面へ突き刺した。

 それから再び歩み寄り始めた。


「我にこれ以上歩かせる気か?」

 神がぼやく。

 オトリはその意図を上手く汲めなかったが、こちらから足を踏み出すほかになかった。


「駄々を捏ねるのは、もうよすがよい」

 うつくしくも猛き御神の顔がほほえんだ。


 両の御袖が持ち上がり、オトリの身体が優しく抱き込まれた。


 空を漂っている啜り泣きに、オトリのものが重ねられる。


「本当は私、こんなことしたくなかったのに……」

 太陽の御手が髪を撫でるのを感じる。


 オトリは静かに御胸に顔を埋めた。


――あったかい。それに良いにおい。


 太陽の中に多くのひとびとを感じた。和みの時のわが神、記憶にも見えぬ産みの母、乳をくれた里の女たち。それから、雪も恥じらう白き長髪と翼。


「あやつにも身体(ニク)があれば良かったのだがな」

 御神の呟き。


 鬼娘はすでに泣いていなかった。春の昼下がりにまどろむような場所に居ながらも、時雨(シグレ)続ける空の音を聞いていた。


――ごめんなさい、ミナカミ様。


 それでも謝罪は声にはできなかった。



「そろそろよかろう。おまえの抱かれかたは妙にいやらしい。神の乳房を揉みおってからに」


「えっ!?」

 オトリはそのような畏れ多い行いをしたつもりはなかった。慌てて身を離す。


「話を進めよう。おまえの神が手を貸さぬというのなら、我がおまえの力になってやろう」

 歯を見せ笑う天照。眉も凛々しく、瞳には母なる気配は微塵も感じさせない。


「天照様が!? そんな勿体無いこと!」

 オトリは思わず両手を突き出し烈しく振ってしまう。


「要らぬのか? 対価は我が面白ければよい。それだけだ」


「要ります要ります! 是非!」

 オトリは全く頼れぬ、むしろ面倒な神だと思っていたが、荒和(アラニギ)鬼人(オニヒト)入れ替わるがごとく、手のひらを返した。


「とはいえ、徐々に結界の揺らぎが治まりつつある。道摩法師(ドウマホウシ)の仕業であろうな。どうせなら、愚弟をじかに鉾で突いてやっても面白いと思っていたのだが……」

 さも残念そうな表情で溜息をつく御神。


「えっ、では矢張り……」

 弄ばれたかと肩を落とす。半面、在野最強の術師の復帰を心強く思う。


「まあ、これは想定内だ。ゆえに、この天鉾(アマボコ)を引っ張り出した。我の所有する神器をなんでも貸してやろう。無制限に貸し出すわけにもいかぬから、どれか一つだけだ」


 そう言うと天照は先ほど地面に突き立てた鉾を抜き、突きを披露した。


天逆鉾(アマノサカホコ)。父母らの天沼矛(アメノヌボコ)を真似て、手ずから作った名器だ」


「その鉾には一体どのような力が……?」

 世界を作り上げたさいに用いられたという神器の模造品。計り知れぬであろう。



「割と鋭いので刺さると痛い」

 神が宣った。



「ほ、他には?」

「我が太陽の中心の力を招いても溶けぬくらいだな」

「あの……私は武器術に通じておりませんので、他の物でお願いします」

「そうか? 武器術など我も適当にやっとるが。これで突くと愉しいのに」

 またも残念そうな御神。


「では、こちらはどうだ?」

 天照は頭に頂いた金の髪飾りを外し、オトリの頭に着けた。


「この髪飾りには、どんなお力が?」

「暗いところでも太陽のごとく光り輝く。それと、いかなる呪いも受け付けぬ品だ」


 髪飾りを着けた頭は重たかった。


「あの……灯りは他に手段がございますし、私も巫女なので呪いのたぐいには強いですし……」

「奇遇だな、我も巫女なのだ。ならば、この衣だな」


 天照はそう言うと帯を解き始めた。


「お脱ぎにならなくて結構ですから! どういう効果が?」

「決して穢れぬし、破れぬ衣だ。溶けた鉄に放り込んでも燃えんぞ」


「それも遠慮しておきます」

 オトリの巫女装束も近い性質を持つ。今やすっかり身に馴染んだ友人からの贈り物を取り替える気はない。


「我がままだな。なら何が欲しい? 申してみよ。言っておくが、この神器をも噛み砕く歯は自前のものであるから貸し出せぬぞ」

 眉を寄せる天照。

 オトリは御神の姿を上から下まで眺めてみる。

 目に留まったのは羽衣(ハゴロモ)。御神は豪華な衣装を多くまとっていたが、その布だけは控えめに思えた。


「その羽衣をお貸しいただけませんか?」

「む、これか? これはただの布だぞ。燃えぬのも我の神威の影響であり、他者が持てばなんの効力もない品だ」

「それでも構いません。天照様がお近くにいらっしゃると思えるだけで勇気づけられるかな、と」

「残念だが、これは駄目だな。我の服織女(ハタオリメ)の形見の品なのだ」

「でしたら、それもお借りできませんね」

「他にも神器は持っておるが、高天國(ウエ)に置いたままだ。我としてはなんらか貸してやりたいと思っておる。コヤネの奴が張り切っておるゆえに、我が何も無しというわけにもいかぬ」


――どうしよう。


 神器は無用の長物ばかり。しかし、折角の御助力の機会を生かさぬ手はない。


「ああ、歯痒いな。矢張り直接、奴に会って玉に齧りついてやるのが一番良いのだが。しかし自分で結界に納まった以上は……」

 御神は歯をかちかちと鳴らしている。


「……では、お知恵を拝借できませんか?」

「知恵を? 常世思金神(トコヨノオモイノカネ)も高天國におるし、我の声は届かぬぞ」

「そうでなくって、天照様のお知恵です。宮中で色々なさっているんですよね。ツクヨミ様の荒魂を封じるのに、和魂の宿る八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)が手に入ればありがたいのですけど」

「まあ、顔は利くな。だが、賀茂(カモ)藤原(フジワラ)も首を縦には振らんぞ。今の結界の管理者である陰陽師連中が我を封じておるがゆえな」


「考えがあります。あまり、使いたい手ではないのですが……」


 オトリは説明をした。


 天照大神は宮女たちに己や我が子の出世、男児の出産を拝まれる立場にある。

 女同士、権力者同士のいがみ合い。宮中では目に見えぬ骨肉の争いが常に繰り広げられている。

 これに天照のきまぐれと、女から依頼を受けた市井の術師連中の呪術により、様々な(マガ)が渦巻き、それは都を魔都(マト)と呼ぶ一因にしていた。

 封印されし神自身が勾玉を寄越せと言えば、封印を破る企みだと思われて拒否されるであろう。

 しかし、相手は権力者や術師とはいえ人間である。

 己の配偶者や血の繋がった者、目を掛けている者に頼み込まれれば、日ノ本に影響する大事すらも容易く歪めてしまうのではなかろうか。


「面白そうだな。一人、使える女を知っている。その者であれば貴族豪族に働き掛けることもできるやもしれぬな」

「そのかたとは?」

斎王(サイオウ)だ。一応は我の巫女として宛がわれており、貴人連中とも繋がっておる」

「それは存じておりますが、どちらの斎王様でしょうか? 斎王様はふたりいらっしゃりますよね」

斎宮(サイグウ)ではなく斎院(サイイン)のほうだ。今の伊勢の流派は(マツリゴト)に対して不可侵を貫いておるからな」

「あの……それはつまり、賀茂様のところへ行くということですか?」


 伊勢の流派は己の流派ともうっすらと縁があると聞く。しかし、賀茂は巫覡ではなく陰陽師中心の系譜の筆頭であり、あの安倍晴明を育てた師を始め、古来より多くの実力者、そして権力者を輩出してきている。

 政を司る表の支配者が藤原なら、稜威(イツ)なる案件を司る裏の支配者は賀茂。

 天照を始めとした神々を封じる大結界の管理や、八尺瓊勾玉の封印の紐も賀茂が握っていると考えられる。

 つまりは、敵中に飛び込めということに等しい。


「そのほうが面白いだろうが」

「面白くないですよ! 正面から入るわけにもいかないのでしょう?」

「察しが良いな。斎院とは話せるが、斎院の客としてお前を招かせるのは難しい。賀茂の御所へ忍び込め」

 言うまでもないが御神は愉しげである。


「そんな権力者のところに忍び込んで、見つかったりでもしたら……」


――権力者、か。

 オトリは首を振った。


「……いいえ、行きます。行かせてください」

 力を持ちながら日ノ本を救わぬ者たち。オトリは彼らが嫌いである。ひとこと物申す良い機会であろう。


「うむうむ。我が上手いことやって人払いをしてやる。今の斎院は霊力はさほど高くないが、おまえに逢えば色々と察してくれるであろう」


「ついで……は失礼か。もう一人、会いたいかたが居ます。難しいかもしれませんが」

「誰だ? 畿内に居る者であれば、なんびとが相手でも手を打ってやるぞ」


「スメラギ様です」

 時の最高権力者。日ノ本のあるじ。オトリはこちらにもひとこと言ってやりたかった。


「あやつに会ってなんになる?」

「つまらないかたなのですか?」

「酷い物言いだな。今のスメラギは……。そうか、おまえはミクマリの里の田舎娘だったな。知らぬのも無理はないか」

 天照は顎に手を当て、なんぞ考え込んでいる。


「陛下に何か? 死期が近いとか……性根が悪いとか?」

「会えば分かる。逢いたいなら神が逢わせてやろう。斎院にしてもスメラギにしても、出逢えばお互いによい刺激となろう」

「ありがとうございます。御助力、感謝いたします」

「なあに、我もちょうどいい退屈しのぎができて嬉しい。決行は二日後の夜としよう。あまりもたもたしていると、道摩法師の奴が結界を直して我の力が弱まる。まずは斎院に逢え。勾玉に関わるほうが優先だ」


「はい」

 オトリは自然と跪いていた。相手は身勝手な天津神の代表であったが、巫女の自分がこれこそが己の本分なのだなと溜め息をついた。


「今の斎院よりも、おまえのほうが我の巫女に向いておるのではないか? おい、ミクマリ。オトリを貰ってもよいか?」

 天照が天を仰ぎ意地悪く笑った。


『いや……』

 短い拒絶。それからしゃくりあげる声。啜り泣きは会話の最中もずっと続いていた。


――御助力は、確かに頂きましたから。

 心の中でミナカミに語る。あまりにも多くのものを壊してしまったが、恐らく自分はまたこの地を踏むことだろう。

 たとえ、神と巫女の絆が離れたままでも……。



「お話は済みましたか?」



 天照の後方に巫女頭の姿が現れた。


「くくくっ、オトリよ。山城にて待っているぞ。二日後の夜だぞ。間に合うと良い(・・・・・・・)がな」

 天照は鉾を掴み、豊かな袖と共にそれを悠々と振りながら退場して行った。


「オトリ」

 コウヅルの声は優しげだ。


「壊したものの修理をしてから出掛けてちょうだいね」


 そして笑顔である。



 ……。



 オトリは家々の修理を済ませ、傾いた神殿を元に戻した。

 心御柱だけはすっかり切断されており、相応しい樹木の選定をする暇が無いために保留となった。

 迷惑を掛けた里の者へも謝罪を行い、もう一柱の神である“勝手様”よりありがたくて長ーい説教と、巫女とはなんたるや鬼とはなんたるやの蘊蓄(ウンチク)を賜った。

 危うく約束の夜に遅れるところである。


 オトリが自身の住まいで三度目の旅立ちの仕度をしていると、コウヅルがやって来た。


「また出掛けるのね。今度は斎王様やスメラギ様に会うなんて」

「はい、止めても聞きませんよ。天照様の推薦ですし」

「私たちは天照様の巫女ではなく、ミナカミ様の巫女ですよ」

「コウヅル様は、そうでしょう」

 オトリは硬い声で言った。

「強情なんだから」

 コウヅルの溜め息。


――これも持って行こうかしら。

 オトリは竹細工の小さな人形を手に取った。

 これ見よがしに、巫女頭の前で己の小屋にある思い出深い品を持ち出してしまおうかと考える。


「そんなものを持っていくの?」

「いいえ、見ていただけです。邪魔になるので持って行きませんよ」

「つまらない嘘をついちゃって」

「伯母様! 私は帰りませんから! ミズメさんを助けたら一緒に日ノ本を旅するんです。なんだったら、日ノ本の外まで行ってもいい」

「今のあなたなら音術抜きに嘘が丸分かりよ」

「嘘じゃないもん!」

 声を荒げるオトリ。


「はいはい。懐かしいわね、こういうやりとりも」

 伯母は優しく微笑む。


「……あのね、オトリ。皆も結構、嘘つきなのよ」


「……! もしかして、天照様の御助力にも裏が!?」

「そっちは聞いてたぶんには嘘はないわ。大御神を疑うなんて畏れ多い」

「じゃあ、誰が嘘を?」


「嘘が分かれば、本当が分かる。ミナカミ様がヒヨを送り出したのにはいくつも理由があるけど、切っ掛けはあの子が言い出したからなのよ」

「ヒヨが?」

「そう、今のミナカミ様がヒヨに外出を許すはずなんてないのにね。ミナカミ様は悩んだけれども、結局はあなたのもとへヒヨを送った」

「だとは聞いてましたけど……それが? ヒヨを使って私を呼んだくせに御助力も何も無かったじゃないですか」

「分からない子ね。あのひとはね、里を鎖ざしたいわけでも、護りたいわけでもないのよ。ただ皆に笑っていてほしいだけ。それが邪魔されるから護らなきゃいけなくて、護るためには鎖さなきゃいけない。それだけのことよ」

「分かってますけど……?」

 オトリにはぴんと来なかった。


「……はあ。まあ、その辺は当人同士で解決しなさいな」

 またも溜め息をつかれる。


「戻って来ないのに仲直りも何もありませんよ」

「仲直りなんて言ってないけど」


「……」

 オトリは黙り込んだ。


「この地を二度と踏まないというのなら、最後にひとつ伝えておかなければいけないことがあります」

 コウヅルは神妙な面持ちになった。


「なんですか?」

「あなたのお母さんのことよ。姉さんはあなたを身籠って里に帰ってきた時に、多くは語らなかった。事実としてはあなたの知ってるぶんと大差ないわ。でも、私は声色と霊気で嘘を言っているか、本当のことを話しているかが分かる。あなたのお母さんが語った何が嘘で、何が本当だったか、知りたくはない?」


――お母さんの、ほんとう。


 欲していた答えは里にあったか。あるいは旅の経験と繋ぎ合わせる最後の欠片か。



 オトリは僅かに逡巡する。



 そして……。



「聞く必要はありません。私はきっともう、知ってるんです。ううん、絶対にこうだって信じてるから」

 笑ってみせた。


「ふうん。ま、嘘は無いようね。それなら何も言いません。さっさとお行き。うちの神様たちは引き籠ってるから、出るなら今のうちよ」

 笑い返し、手で追っ払う仕草をするコウヅル。


「はい、いってき……」

「いってき?」


「さようなら!」

 

 こうしてオトリは、ほんのちょっとだけ頬を熱くしながら、生まれ故郷との決別を果たしたのであった。


*****

天沼矛(アメノヌボコ)……イザナギとイザナミの二柱が世界を作り上げたさいに掻き混ぜるのに使ったという鉾。

天逆鉾(アマノサカホコ)……天沼矛の別名ともされるが、記録により解釈や使われかたは様々。天照が伊勢に投げ下ろしたとする経典もある。

斎王(サイオウ)……天皇に代わって天照大神に仕える巫女で、特定流派の巫女の最高峰とされた。特に斎院は賀茂神社、斎宮は伊勢神宮のものを指す。古代はこれらに天皇家の血を引く娘が宛がわれた。

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