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化かし114 地盤

 畿内は山城。日ノ本の中心、京の都。

 オトリは再び、陰陽寮の地相博士、三善文行(ミヨシノフミユキ)の屋敷を基盤として活動を始めていた。

 情報集めをかたわらに、なけなしの銭を飴玉に換え、小僧たちと桃の実を齧り、狐娘の買い食いを手伝った。

 巫行は相変わらず休止していたが、彼女が陽々(・・)と大路を歩くことが増えたせいか、都では盗賊や悪霊の往来は随分と減った。

 安楽の日々。それでも心のどこかにぽっかりと空いた穴は埋まらなかった。


「本当にいいのね?」

 オトリはヒサギ少年の背後に立ち、小刀をかざした。彼は涼しげな首筋を晒している。


「オトリさんに切って貰いたくて待っていたんですよ。それに僕はもう、仏門に入りましたから」

「そうでなくって、ヒサギさんは男の子としてやっていたでしょう?」

 少年のひとつ結びの髪にやいばを入れる。


「いいんですよ、これで。玉無しの僕にはこれがお似合いですから」


 ヒサギ少年はトウネンに預けられたのち、仏門に足を踏み入れたものの剃髪を済ませていなかった。

 いま語った通り、彼はオトリに頼んでその髪型を“尼削ぎ”にして貰うことと決めた。

 彼は男性として通していたが、そのじつはミズメとは反対に両方の性を持たない体質である。


「僕は赦せないんですよ。あんな人を慕っていた自分が」

「自分が? お爺さんじゃなくって?」

 ヒサギの耳の横を切り揃えてやる。オトリはなんだか稚児みたいだと思った。

「棄てられたと悟った時に気持ちはかなり切れましたけど、やっぱり育ててもらった恩や思い出は消えません。憎くても憎み切れないんです」

「仏様の道に入って、それが晴れると良いね」

「なかなか難しいです。トウネン様にも叱られてばかりで」

「じゃあ……」

 前髪を揃えるために前へと回り込む。


「一発ぶん殴ってみたらどうかな」

 含み笑いをこらえて助言。


「えっ!?」

 目を丸くする少年。


「オトリさんもそんなこと言うんですね」

「誰かさんの影響よ」

「ミズメさんやお師匠様のことは、本当にすみませんでした」

 少年が俯き顔が翳る。

「切ってるんだから動かないの。悪いのは神様たちよ」

「僕にはいまだに神様の気配というものが分からないんです。地震を扱ったり、月神様に身体を操られたりしたはずなのに」

「分かっても、面倒なだけかも」

「そうでしょうか。……もし、神様が居なくて、僕みたいな“感無し”しか居ない世界だったら、こんなことにはならなかったのかな」

「術や神様の無い世界……。どうかしら、人は人だけでも争うものだし。でも、そんな世界だったら、お爺さんはお猿さんのままだったんじゃない?」

「そのほうが幸せだったかもしれない。大きな悪事に手を染めずに済んだろうから……」

「うーん、私は今の世界のほうが好きかな。皆とも出逢わなかったでしょうし」

「僕はこの世界が憎いです。僕のそばで、僕の分からないことが沢山起き過ぎている。こんな世界なんて、大嫌いだ」

 線の細い少年の顔が歪む。


「私も嫌いかな」

 オトリは身を引き、少年の髪が真っ直ぐに整っていることを確かめる。まずまずの仕上がりだ。


「つい今、好きって言ったじゃないですか」

 少年が首を傾げれば髪も綺麗に追従する。


「両方」

「両方、ですか?」

「私って結構、欲張りなの」

「それもミズメさんの影響ですか?」

「これは最初から。やりたいことや欲しいものにはずっと意地を張り続けてきたし。両方どっちも、あるがままでいいと思う。憎くても恩を感じてても、鬼でも物ノ怪でも……」


 オトリは己の言葉に困惑した。あれだけ鬼を拒み続け、巫女とも距離を置いたというのに。


――これはきっと、私の願望なんだろうな。


 いまだに己の鬼の姿は知らない。鬼、醜き鬼。醜い私。

 そのことを考えると、その姿をミズメに見られることを考えると、胸のうちが烈しく掻き乱される思いであった。


「よし、綺麗に切れた」

 少年の両肩を叩き、終わりを告げる。オトリは仕上がった美少年へ「可愛い」と言いそうになったが飲み込んでおいた。


「ありがとうございます」

「私は鏡を持ってないから、池へ確認しに行く? 感無しでも水鏡を作れば自分の姿は見えるわ」

 返事を待たずに少年の手を引く。ミズメの髪を切り揃えてやったり、巫行で知らぬ人の髪を揃えてやったあとでも行う、儀式のようなものであった。

 新しい自分の再確認。


「……これが、僕」

 ヒサギは切なげな顔を見せた。ますます坊主との恋模様を見せる稚児のようである。


「いやなら、全部剃ってしまうこともできるけど」

「これでいいです。剃ってから違うように思えても、戻すのが大変ですし」

 と言いながらも腑に落ちない表情。オトリは頼まれればまた切ってやればいいかと苦笑する。


「それじゃあ、トウネン様に髪を見せついでに桃をたかりに行きましょ!」

 オトリはヒサギの手を引き池を離れる。

 離れぎわに見た水鏡に映った自分の顔は、どこか咎めるようであった。



「稚児だ……」

 少年の新しい姿に目を輝かせたのは神実丸(カムヅミマル)である。

「でも、お胸はありませんよね」

 そして相変わらずの煩悩である。


「カムヅミマル」

 トウネンが睨む。神童は首を縮めた。

「こやつもそうじゃが、こうも美男となると虫よけにも骨が折れそうじゃのう」

「虫よけですか?」

 オトリは首を傾げる。

「うむ、寺の見習いに言い寄る男は珍しくないでの」

「ふ、ふうん……本当に男性同士で」

 オトリはなんとなく籠に積まれた桃を眺めた。

「生産的ではないがの。まあ、結実ならずとも若葉や枯れ木を愛でるのもまた、みやびなんじゃろう」

「僕はおっきな実が良いですね」

 カムヅミマルが何か言った。

「おまえは黙っとれ。次、勝手に抜けだしたら実家に言いつけるからの」

「勘弁してください。御仏の使いの導きだったんですから」


 結局、日向国(ヒュウガノクニ)での一件は彼が落居(ラクキョ)させたらしい。

 川の神が死んだことはどうしようもなく、迷霊(マヨイダマ)となったチブサにはお経を上げて導いたそうだ。

 村を騒がせた“鬼”に関しては自身が退治をしたから安心してくださいと取り繕い、それで締めとした。


「それにしてもひとこと言ってから旅立つべきじゃろうに。おまえはいつも唐突過ぎるのじゃ」

 トウネンが口をへの字に結ぶ。

「わしがどのくらい心配したか分かっておるのか」



 ……と、その時、寺が烈しく揺れ始めた。



「じ、地震だああっ!」

 外から小僧たちの慌てふためく声が聞こえる。


 一同は身構える。揺れは長く続いたものの、細々とした什物(ジュウモツ)を倒すだけに済んだ。


「カムヅミマルよ」

 トウネンが言った。老坊の眼差しは鋭い。


「はい、行って参ります。オトリ様、これは“なゐの御神”のお仕業でしょうか?」

「ううん、今の揺れには神気を感じなかった。神様だとしても荒魂ではなく、自然の地震を抑える和魂が弱まったせいだと思う」

「では、人助けに終始すればよさそうですね」

 神童は立ち上がった。

「オトリ様は休まれててくださいね」

 以前は頑張りましょうと言っていた彼は、オトリが“疲れた”ことを伝えると素直にそれを了解していた。


「地震……僕も行っていいですか? 霊力はありませんが、この大力(タイリキ)はきっと役に立てると思うんです」

 ヒサギが言った。

「ゆくがよい。わしは小僧どもを落ち着かせたのちに、年寄りの足で参じよう」

 トウネンが許可を下ろすと、神童と少年は連れ立って出掛けて行った。


「……」

 オトリも無意識に立ち上がっていた。


――ううん。行かなくても大丈夫。


 疼く気持ちを思い消し、トウネンと共に、揺れを恐がって啜り泣く小僧たちを宥める仕事に努める。


 それからオトリはざわつく胸を抱えたまま、ミヨシの屋敷へと帰った。



 風水と地質の知識に長ける地相博士が言うに、この地震は十年と少し前に発生した山城と近江を中心とした揺れの縒り戻しとのことである。

 地震とは地下深くの岩盤の“ずれ”であり、ずれ過ぎたぶんが、のちになってから戻り、再び同じ個所で揺れを起こすのだそうだ。

 今から百年ほど前の貞観(ジョウガン)の時代には、天地を引っ繰り返すような揺れが日ノ本の各地で多発しており、そのひずみの余波は未だに方々を震え上がらせているのだという。

 なゐの神は荒魂をもって意図的にずれを作ることもあれば、和魂をもって縒り戻しを緩やかに分散させることもある。

 神威が不十分であったり、神が不在だと、縒り戻しはより大きなものとなってしまうそうだ。


 聞こえてくるぶんには、此度の揺れは当時の地震よりも弱く、被害も小さなものとのことだが、都や旧都などの栄えた地を中心とした混乱は、(マガ)を引き寄せたようであった。

 各地に潜み、虎視眈々と都落としを狙っていた鬼や悪鬼悪霊、人間の悪党などが挙って畿内へと押し寄せつつあった。

 地震の影響か、畿内の大結界や都の護りにも揺らぎが視える。

 結界の修復を手伝っていた蘆屋道満(アシヤノドウマン)は現在休業中で行方知れず。知れば溜め息と共に再開するであろうが、それよりも悪党どもの足のほうが迅速であった。


 陰陽師に限らず、在野の術師や武士などが、都や故郷を護るために奮戦していたが切りがなく、屋敷のあるじが負傷して帰ってくることも度々であった。

 オトリはミヨシの怪我を癒してやりながらも、戦いに赴かない自分に罪の意識を感じていた。

 それと同時に、ドウマンが言った「自身の縁もまた自身の力である」という解釈や、単独でのミズメの救出に感じていた限界を反芻した。

「大丈夫、皆に任せよう……」

 胸にしまった藤色の勾玉もこれに頷くように神気を醸した。


「明日も行くんですか?」

 オトリは治療の手を止めた。

「俺が治してくれと頼んだのだ。治してもらわなくとも、明日もまた戦いに出るぞ」

「……私も行きます」

「まだ疲れているのであろう? ここに残って貰ったほうが安心なのだが。独りでは妻も不安がるしな。それに、己に責を感じて出向くのならばお門違いもいいところだぞ。おまえにはミズメと日ノ本を救うという大勝負が残っているのだろう? これに乗じて連中が動かぬとも限らん。今は手足よりも、耳や目に注力すべきだ」


 オトリは彼の言に従い床に就いた。

 疲れは事実。だが、脅威ではない。本当に恐ろしいのは、不幸やまがごとに中てられて、畿内で鬼の醜態を晒すことである。

 今のところミヨシは何も言ってこない。トウネンも同じく。カムヅミマルは話していないと言っている。

 だが、鬼といえばほかの懸念もあった。

 紀伊を目指す旅を始めて暫くの時に退治した鬼女、更科呉羽(サラシナノクレハ)の存在。

 彼女との一件はミズメとの仲を深め、共存共栄の難しさを痛感するなどの思い出深いものであった。

 力を削いで都攻めを強引に諦めさせたものの、今回の混乱に乗じて気を変えた可能性も否定できない。


――あのひととやった大切な仕事。クレハさんには復讐ではなく、村のために生きて欲しい……。


 オトリは夜半まで悩み抜いたすえ、ミヨシの屋敷を抜け出した。


 それから間も無くして、洛中の混沌に乗じて子女に乱暴狼藉を働く者をとっ捕まえて、満員御礼の獄所(ゴクショ)へと送り届けてやった。


「よし……! やっぱり私は、こう!」


 巫女は両の頬をぴしゃりと叩いた。


――“頑張る”んじゃない。私は“したいからする”んだ。


 胸の疼きに正直に従う。律令の強いこの地であれば、己が最期の罰を下す必要もない。

 やらないよりまし。穢れを祓い、心に晴れを与えるのが巫女の任。


 オトリは駆け出し、都の内外を問わずに人助けと正義の執行に励んだ。

 悪を叩き伏せ、怨みを受け止め清め、誇り高き者を寿いだ。


 いつしか日が昇り、人々は恐怖の夜から解放された。

 向けられる感謝と、噂に聞こえてこぬクレハの名に安堵をし、オトリは朝日を見上げた。


――ミズメさん。もう少しだけ待っていてください。必ず迎えに行きますから。

 藤色の勾玉と、腰の小太刀を握りしめる。


――手の届く範囲だけでもいい。目に映ったものだけでもいい。

 揺れを発端にした難事を解決するたびに、己の中のゆがんでいた地盤が踏み固められていく思い。

 己の神が推奨しなくとも、この混乱が日ノ本滅亡の難事に比べれば些事であろうとも、関係はない。

 誇りと呼ぶべきか、巫女だましいと呼ぶべきか。オトリは自身の中の熱き炎を再確認した。



 ……そして、その炎の中には鬼が潜んでいたのであった。

 鬼と巫女は見つめ合った。その素顔は炎の揺らぎに隠れて見えぬまま……。



 またしても神の悪戯か。

 オトリは手助けに赴いた地にて、意外な人物の姿を発見した。


 艶めかしき黒い提げ髪。おろしたての紅白の衣。確かな霊力と懐かしいまほろばの香り。

 整えずとも整った眉、まだあどけなさを残す化粧っけの無い頬。

 良く笑う可愛らしいくちびるを袖で隠せば小町と噂される……。


「なんで“あの子”がここに居るのよ」

 鬼は出ずとも額に手を当てるオトリ。


 彼女が遭遇したのは、霧の隠れ里が“本物の”水分小町(ミクマリコマチ)(ヒヨドリ)より名を頂く巫女、“ヒヨ”であった。


*****

什物(ジュウモツ)……寺で使われる器具や日用品や家具を指す。

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