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化かし106 殺害

「ヤソロウちゃん!?」

 オトリは顔なじみの豆狸の姿に驚いた。なんらかの呪術の影響か、怒りの形相で毛を逆立たせて吠えている。

 一方で宙を舞う管狐たちは子供が囁き合って笑うような声を立てていた。


「矢張り知人か。こやつは屋島八十郎(ヤシマノヤソロウ)と名乗る讃岐の化け狸だ。かつてミヨシの識神を務めていたというから、頂いてやった。おまえは斃す。だが、それでは終わらんぞ。俺はこの狸を使ってミヨシを呪殺することを生涯の愉しみとしているのだ」

 男が袖を合わせた。


 腰に結わえ付けられていた紙人形たちが忙しなく震え、飛び掛かって来る。

 ……が、こちらに届く前に赤黒い炎をあげて燃え尽きた。


「陰ノ気は効きません。あなた程度では私は斃せません。ヤソロウちゃんを解放してください」

 オトリは懐から竹の水筒を取り出した。水弾を宙に並べ霊力を込める。


「これは俺の盾だ」

 男がそう言うと、ヤソロウは宙がえりを披露した。妖しげな煙と共に、渦巻の模様の描かれた盾へと変じた。


「おまえが古流派の憑ルベノ水(ヨルベノミズ)の使い手だということも調べがついておる。水弾がいかに速かろうと、操るのは人の意識。防ぐのは容易い。そして、おまえが甘い女だということも知っておる」

 盾に半身を隠し、講釈を垂れる管使い。


 オトリにとって管使い自体は雑魚である。問題はヤソロウの身柄。今は盾に変じているが、ヤソロウの変化ノ術は身体の容量と同じ大きさにしか化けられない。

 大人の男が身を隠せるほどの大きさに変じているのなら、あれは本物の盾よりも遥かに薄く、脆い状態である。

 恐らくは、それを分かってまで化けさせたのであろう。

 水撃、格闘は危険。強引な祓えの技は有効であろうが、男を斃さねばヤソロウは何度も操られる可能性が高い。そのぶん、彼の魂が削れてしまうことになる。


――冷静にならなきゃ。


 己の行動が友人の命を握っている。あるいはもう……。


 子供の笑い声。

 管狐たちが邪気をまとって飛び掛かってきた。物ノ怪の前足は鎌のように変容していた。

 辛くも回避するも、こちらも反撃に悩む。霊気による存在ではなく、肉による存在。何かの獣が物ノ怪に変えられた姿だ。

 ただの手駒か、ヤソロウと同類か。

 何もかもに同情していたら戦えないのは分かっている。

 些末なことを思い消すのに慣れたというのに、今のこの状況がオトリに、いつぞや鬼に稲荷の使いを人質に取られた時を思い出させていた。


 オトリは無意識に空を見上げていた。

 管狐の鎌が頬を傷付ける。子供の笑いに混じって、男の笑いも聞こえた。


――何をやってるの!

 己を叱咤。


 あの時は、翼を持った友人が自分を助けてくれた。オトリは一晩中、ずっと信じて待っていた。

 喧嘩別れになったというのに、“あのひと”は命懸けで助けてくれた。

 だが、今日は自分独りで決めねばならなかった。


「霊気を練れば、この盾が壊れてしまうやも知れぬなあ?」


 あののち、こういった人質を取られた状況にも対応できる手段をいくつか考えておいた。

 オトリが扱えるのは水術だけにあらず、古流派の土術“埴ヤス大地(ハニヤスダイチ)”にも通じている。

 土中の精霊の力を借りて土を操作する術であり、土木工事や守備には使えるが、攻撃力において水術を上回ることはない。


 だが、水と土の両方に通じていれば“泥”を扱うことができる。

 直接に霊気を練り上げなくとも常に触媒である土には足が触れている。

 気付かれぬように、僅かづつ霊気を相手の足元へ送って仕掛けを施し、清めの泥沼を作り出して落としこめば、呪術師の一切の呪力の糸を断ち切れるはずだと考えた。


――しばらくは手も足も出ないふりをしなくちゃ。


 オトリは足がすくんだ振りをして、管狐たちの切りつけ攻撃を辛くも避けたり、甘んじて受けたりを繰り返した。

 始めのうちは傷も浅く、衣も傷付けられることはなかったが、徐々にその力を強めていくというのは(ナブ)りの常套である。

 男は愉悦に貌をほころばせ、管狐たちの笑いも甲高くなり、その斬撃も威力を増していった。



 はらり、黒髪が散る。



――大丈夫、大した量じゃない。もう少しだけ我慢。


 己で己を励ますも、自慢にしていた黒髪が散るさまに腹が立った。相手の足元へ送り込む霊気が乱れそうになり、必死に無心を努める。

 だが、自然と沸き上がるのはまたも“あのひと”との思い出。

 ミズメから贈られた柘植(ツゲ)の櫛は今でもオトリの宝物である。


 次は背に烈しい痛みが襲った。傷は瞬く間に塞がる。あとさえも残さない。

 だが、稲荷の加護が込められた衣で覆われていたはずの部位に傷を負ったのは初めてであった。衣は布であり、水術の及ぶ己の身の一部ではない。

 これもまた友情の証で、決して汚れることのない自慢の品であった。


 男が嘲る声が聞こえる。


――基礎に立ち返ろう。今は霊気を送ること以外、忘れなさい。


 “あのひと”に出逢うよりも遥か前。あれは七つだったか八つだったか。古流派の術の訓練を始めた時を思い起こす。

 古流派においての霊気の操作の特性、霊性(タマサガ)

 大きく分けて三つ。


 自身の肉体に霊気を通し高める力を指す調和ノ霊性(ノドミノタマサガ)

 水術においては、己の傷の治療の速さや、大力や早駆けの効果を左右する。


 霊気の乏しい自然物へ、己の霊気を通す力を指す探求ノ霊性(モトメノタマサガ)

 空気や“持ち主”の不在の水や石に霊気を通すさいに要求される。


 他者の霊気や神霊への干渉を行う招命ノ霊性(マネキノタマサガ)

 他者の治療や、神への語り掛け、大地の精霊などとのやり取りに必要となる。


 調和で己の気を制限しつつ、探求と招命で土の精霊に働き掛けて敵の足元へ泥沼を作る仕事。



 風を切る音がした。



 次の瞬間、首がひんやりと冷たくなった。

 魔物の腕に己の中へ深く分け入れられる不快感。

 強い拒絶は瞬く間に霊気を練り上げさせ、鎌が首を斬り裂くと同時に塞いだ。


 身体の痛みなんてどうでも良かった。むしろ、こころの痛みを忘れさせてくれるだけ、ありがたいくらいに思えた。


「そろそろ終わりだ。次に癒したら、この盾が爆ぜるぞ」

 男の宣言。


 玉響(タマユラ)、彼の身体が傾いた。

 オトリはすぐさまはその場から姿を消した。地を駆ける流星と化した彼女の腕にはしっかりと“盾”が抱かれている。


 振り返れば、男が頭の先まで泥へ沈んでいく光景。


「私の勝ちです」

 にやり、口元を笑わす。


 腕に抱いたものが小さくなってゆくのを感じる。呪力の糸が切れたのだろう。


 続いて、暖かくぬめったものが手首を伝った。



「……どうして?」



 腕の中の豆狸は小さな腹を爆ぜさせ、赤く新鮮な中身を晒して痙攣していた。



「蟲を仕込んでおいた。初めからおまえに勝ちはない。ミヨシの知り合い全員に、不幸のお呪詛(スソ)分けだ」

 泥まみれの男が沼から這い上がってくる。彼もまた口元を笑わせていた。


 ヤソロウの腹の中では邪気をまとった一匹の蜈蚣(ムカデ)が這いまわっていた。嫌悪の対象。醜き蟲。


 オトリはそれを摘まみ上げると、握り殺した。



「どうしてこんなことをするの?」



 オトリは首を傾げ、男の右目を指差した。



――他者(ヒト)の水気を操るは、招命ノ霊性(マネキノタマサガ)



 泥だらけの顔が嗤ったまま、右目を赤く爆ぜさせた。


 叫び、慟哭。男は右目を抑え、手を放したために泥の中へと戻った。


「逃がさないわ」


 オトリは泥沼を指差し、泥と共に男を宙へ引きずり上げる。


「どうしてこんなことをしたの? もう、水術じゃ治せないじゃない」

 オトリはヤソロウを指し示す。小さな魂が壊れた肉体から剥がれようとしているのを感じた。


 男は返事をしなかった。仕方がないので左目も指差してやった。


「ねえ、教えてよ」


 オトリは自身の髪の一部をごっそりと抜き、霊気のかたまりであるそれで彼の首を絞めた。


「何も、見えぬ。命だけは、助けてくれ……!」


 男は絞り出すようになにごとか叫んでいたが、意味が分からなかった。

 残り僅かな(・・・)陽ノ気を詰め込んで、彼の体内の邪気の流れに封印を施してやった。



 世界が歪み始めた。



「魂が離れる前に、治さなきゃ」


 赤黒く揺れる視界、死を目前とした小さな友人の身体が見える。


「ごめんね、ヤソロウちゃん。すぐに治してあげるからね」

 オトリは豆狸の身体に手をかざした。


 すると、彼の飛び出した臓物が元の位置に納まり、崩れた部分が復元し、血が肉体に還り、開いていた腹が閉じた。



 始まる小刻みな呼吸。


 水術の治療は、対象者の肉体を活性化し、自己治癒を促す技である。


 これは水術に非ず。



 血操ノ術(ケッソウノジュツ)与母ス血液(ヨモツイノチ)なり。



 彼女の里ではこの術を禁忌としていた。“禁ずる必要”があるということ。

 それは里の者の多くが、生まれながらにしてこの黄泉の才に通じていたからである。

 オトリもまた例外でなかった。彼女は術の鍛錬を始めて早々にこれを使用し、神や巫女頭に戒められていた。


「見えぬが、貴様は鬼であったか。それも陰陽師に飼いならされぬ、邪気のかたまり!」

 両目から血を垂れ流す泥人形が何か言った。


 子供の笑い声。管狐たちが背中を斬り裂く。


「私は鬼じゃない!!」

 オトリは泥人形の額を指差した。目に映らずとも圧は感じるだろうと、脅してやれと考えてのことであった。


 その指は……異形の爪をもつ指は男の額へと吸い込まれていった。

 脳を掻き分ける、暖かな感触。


 男は気持ち良さげに息を吐き、ひと震えをしたのちにとっとと肉体から魂を離れさせた。


「嘘……」

 頭の中が真っ白になった。


 確かめれば額にふたつの異物感。変容した視界。

 手のひらを見ればそれは血塗れで、骨ばっており、爪はやいばのようで、黒く艶やかであった。


 目の前には男の死骸があり、黄泉が欲しがったか、その魂は地に沈みゆき、肉体もどこからか現れた赤黒き虫が喰い漁っているのが見えた。

 うるさく飛び回っていた三匹の気配も、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。


――また、殺した。


――とうとう鬼に成っちゃった……。


「オトリ様、ありがとうございました! あなたは命の恩人です! 大丈夫ですか? お背中を怪我していらっしゃりますが」

 感謝が身体を通り過ぎる。


「治せるから平気よ……」

 言うも治さず。霊気を使うのが恐ろしい。


「オトリ様、聞いてください! ぼくは佐渡に渡り、化け狸の総大将、二ツ岩団三郎フタツイワノダンザブロウと話を着けたのです。単身で乗り込み、子分たちと術比べや化け比べをして……負けてしまったのですが、それでも食い下がっていると、大将に御目通りが叶い、ミズメ様とオトリ様の共存共栄を借りて、狸も出身に関わらず結束すべきであると説いたのです」

 嬉々と語る小さなヤソロウの声。


「すると、ダンザブロウ親分は独りで乗り込んだぼくの根性を気に入って下さって、共存共栄にも賛同を示していただき、讃岐の狸と佐渡の狸は見事同盟となったのです。契りの盃も交わしました。親分ったら、こんな小さなぼくのことを“こころのきんたまのでっかい奴”だと褒めてくださるんですよ!」

 小さな気配が駆けて来る。足元で遺体を喰い漁る黄泉の蟲に驚き「なんでしょうかこれは」と見上げてきた。


「オ、オトリ様……? ひゃあ、鬼!!?」

 腰を抜かす豆狸。



「お願い、赦して」

 オトリは醜い手で顔を覆い、何かに乞うた。



「お、鬼に変じてしまわれたのですか? だ、大丈夫ですよ。人も狸も物ノ怪も、友達は友達です。鬼だって。ぼ、ぼくなんか、オトリ様に二度も命を救われましたし、金玉だって揉まれた仲なんですから、もしもあなたが狸だったら、お婿さんになりたくらい……」


 小さな友人は震えていた。

 声も、身体も、魂も……完全な恐怖に染まっていた。


「ありがとう。でも、さようなら」

 オトリは踵を返した。


「お、お待ちください! ぼくはミヨシ様にオトリ様を手伝うように言われているのです! 事情は教えて頂けませんでしたが、きっと陰陽師の力が必要になると! ミズメ様の姿も見えません、何かあったのでしょう!?」

 離れてゆく呼び掛け。


 オトリは駆けた。水術と鬼の大力を合わせた脚力で、友達のそばから瞬く間に離れた。



 人を殺してしまったこと。



 醜い鬼に変じたこと。



 友人に恐れられたこと。



 それはどれも確かに彼女を深く傷付けていたが、


 何よりも、“あのひと”が母親代わりの師匠の死を無心で流してまで鬼化を防いでくれたのを裏切ったのが、つらかった。



「ごめんなさい!!!」

 こころから叫んだ。背から流れる血を翼に変じ、何も無い空へと飛び上がった。


 そこには彼女の選んだものも、望んだものもありはしない。

 偽りの翼はすぐに折れ、身体が地面に烈しく叩きつけられた。


 止まらぬ嗚咽と涙。比例して高まる陰ノ気。つまりは鬼への一方通行か。


『だってさ、あたしまでこんな風になってたら、オトリが鬼に成っちゃいそうだったから』

 声が響く。優しさが呪いへと変わる。


「やめて!!!」

 何も思い出したくない。全て忘れてしまいたい。


 彼女は再び逃げなければならなかった。己自身から、現実から、思い出から。


 どこへ行こうというのか。



 鬼は力尽きて動けなくなるまで野山を駆け、()き続けた。



*****

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