化かし101 廣報
受領に手渡された文は多くはミズメが便りを書こうと考えていた相手からであった。
各人からの廣報は以下の通りである。
一通目、三善文行から。
彼は彁島の事件ののちに、朝廷が封印している八尺瓊勾玉がツクヨミの和魂の面を司ると主張したために、朝廷より煙たがられ、遠国である土佐の難事解決を命じられていた。
妻と識神の屋島八十郎を伴い、土佐守の抱えた問題の解決に乗り出したところ、土着の術師“管使い”が暗躍していることを突き止めたという。
管使いは呪術に優れており、管と呼ばれる一種の識神を使役する術師である。
識神とは紙人形に霊気を命として吹き込んだものから、ヤソロウのような霊力のある生物を使役するもの、蠱毒やそれの上位である犬神を従えるものなど広くを指し、流派や教えによって重用する種類に差が出る。
土佐の管使いが扱うのは鼬や鼠に似た奇妙な四つ足、“管狐”なるものであり、これを特製の筒に入れて持ち歩き、必要に応じて解放し使役するのである。
管使いは術師が自ら姿を現すことは滅多になく、管や呪いを用いて仕事を熟す。今回もその通りであった。
普段は呪力に頼った術の行使を避けるミヨシであるが、相手の正確な居場所が突き止められなかったために久々に呪いの飛ばし合いをしたという。
呪力では相手が上であったものの、祓えではこちらが上。
飛び来る管狐も邪悪な風の術を刃物のように操る手ごわい相手であったが、ヤソロウが辛くも撃退。
勝負は膠着かと思われた。
しかし、管使いが用いていた術には自身や身内への“呪詛返り”が起こる危険な代物も含まれていたらしく、相手かたは自滅して根を上げてしまった。
呪力の飛ばし合い自体は数日に渡る烈しいものであったが、難事そのものは当初予測されていたよりも早くの問題解決を見て、ミヨシたちはひと月足らずでの都への帰還を果たしたのであった。
ヤソロウは管狐との戦いで、命に別状はないものの多少の負傷をしており、佐渡の大狸二ツ岩団三郎との話し合いに向けて療養中となった。
豆狸の彼も読み書きを習得したようで、便りを書いて主人のものに同封させており、それにはつたない文字での近況報告と署名、印代わりの彼の可愛らしい手形が捺印されていた。
二通目、妙桃寺が和尚、桃念から。
都やその近隣は相変わらず、盗賊のたぐいや悪霊、陰陽師の呪術合戦と流れ識神で賑やからしい。
ひと月ふた月で変わりようはないが、彼の愛弟子である神実丸が壱岐より無事帰還したために報せを出したとのことである。
神童は犬、猿、雉の識神を従え、鬼ヶ島と化した壱岐島の一角に乗り込み、鬼どもを見事調伏。
攫われて囚われていた女たちも解放し、壱岐守に感謝され、鬼どもが貯えていた金銀財宝の一部を賜ったという。
彼はそれを自身を拾い上げた生家に分け与え、残りをトウネンに託した。トウネンはそれを恵まれない者への施しや、村の橋の工事費用などに充てる予定だそうだ。
ところで、カムヅミマルは無事に帰還したものの、“謹慎中”なのだそうだ。此度は無断の旅立ちでもなかった。
ではなぜ、謹慎する羽目に陥ったか。
それは、助け出した女たちに礼をしたいと申し出られたさいに、「その全員の乳房を検める」という行為を要求したからである。
頼んだのは命の恩人であり幼き童子だ。女たちはそんなことならばと笑い、容易く袂を開いたそうだ。
カムヅミマルは囚われ人であった女……下は自分よりも幼き者、上は女としての上がりを目前とした者までの乳を検めた。
あまつさえ、出る者からは乳汁の賞味まで行ったという。
これを寺の小僧どもに自慢したが裏切りにあい、すぐにトウネンから問い詰められることとなった。
彼は熱い灸を据えられ、しばらくは単独行動は禁止、精神を鍛えるための修行に就くことを命じられたのであった。
カムヅミマル自身も書に一筆沿えており、「大きければ大きいほど好ましく、張りよりも蕩くほどの和やかさを求む。これが我の性癖なり」とのことである。
三通目、都が縫殿寮の助、正六位下であり、好色にて名を馳せし男、油小路針麿。
ミズメはこの便りを受領より受け取ったさい、“どこからともなく”爆弾を取り出して便りの上へと置いた。
相方によって止められてことなきを得たが、彼女が語るに「ミズメさんの目は本気だった」そうである。
さて、この便りの内容はまあ……おおよそがふたりへの恋情をつづったものであった。
添えられていた詩歌は実際の彼からは想像もできぬほどにうつくしいものであったが、ふたりの心へは響かなかった。
それはともかく、ふたりは月山の出身であることをハリマロに話してはいない。手配書にも人相と罪状しか記されていない。
以前はミズメの正体を噂で知ったと話していたが、今回は“ある人物”から聞き出し、住まいを特定したのだという。
そのある人物とは藤原唯直。蛇の物ノ怪である辛巳と駆け落ちた伊賀の受領である。
彼は近江にて芸を生業とする旅団、百足衆へと身を寄せた。
そのさい、傷心を癒すために鳰の海を訪れていたハリマロと鉢合わせていた。
ハリマロは、ミズメとオトリが逃げ去ったあと、タダナオに「都にそちが死んだという噂を流布してやろう」と持ち掛け、その交換としてミズメの情報を得たのだという。
オトリは「便りが届くなら、本人が来る可能性もあるかもしれない」と不安を口にした。
しかし、その心配は無用だったようだ。
詩歌を編むのに時間が掛かり、便りが遅れたことを謝罪する文章と、口を割ったタダナオを責めないようにと頼む文章。
それから、直接訪ね行く無粋なことはせずに、「再びの出逢いを待つ」ことが記されていた。
運命の糸が再び絡むことがあるならば、その時に改めて想いを伝える。
願わくば、中秋の名月を見上げる時、麿のことを罵倒でも良いから想ってくれ。
中秋の名月といえばすでに過ぎ去っており、どうやらこの書は長くのあいだ受領のもとに留められていたようである。
オトリは書の取り次ぎへの感謝と厄払いとして受領の屋敷を清めてやり、ハリマロの便りを焚き上げ、ミズメは出鱈目に経を読み上げた。
受領はハリマロの便りを偸み見ることはしていなかったらしく、それが呪いの祭文だったと勘違いをして、お祓いを行ったふたりに感謝をした。
さて本命。
最後、播磨守こと最強の陰陽師安倍晴明から。
この文は人の手ではなく、つい最近に彼の使役する識神が運んで来たという。
朝廷より立て続けに仕事を命じられて多忙でいまだに手が離せないことと、ミヨシから事情を聴いたのちに朝廷へ和魂の勾玉の解放の説得を繰り返したものの失敗したことが記されていた。
それから“ドウノジ”が、くだんの帶走老仙と対峙したことの報告。
蘆屋道満が邪仙と邂逅したのは山陽道が長門国。豊田氏の有する湖の湖畔の遺跡でのことだそうだ。
その地にはかつて、日ノ本が成立する以前に天照に仕えた日巫女なる大術師の住まいのひとつがあったという。
恐らくは、それに関連した何かを求めて出現したのであろう。
邪仙はまたも老爺の姿で遺跡を荒らしており、ドウマンが接近するなり妖しげな仙術を無数に唱え、屍人まで使役したそうだ。
同伴していた少年は少年らしからぬ尊大な態度であり、様々な神術を繰ったという。
ドウマンは識神を何体も失いながらも勝利、これを退けた。……が、あくまでも退けただけであり、斃すには至らなかったとのことである。
手下を欠いたものの本人はいたって健康であるそうで「誰かの尻拭いとしてではなく、己の敵と定めて追う」と息巻いているそうだ。
ミズメとオトリは稲荷の使いの娘と共に、宇迦之御魂神からの情報を元手に帶走老仙の行動を推測し、次に狙われるのは東北だと踏んでいた。
しかし、実際に邪仙が現れたのは反対の方角の長門国であった。
「どうします? 西へ引き返しますか?」
「いや、ここで待とう。西は任せてこっち側の遺跡や有力な神様を当たるのが良いと思う」
以前は人の身として旅をしていたことから、それを前提として足取りの推測であったが、今更ながらに思えば邪仙は神出鬼没の存在である。
仮に昨日に西へ現れたとしても、明日は東ということが考えられた。
ミズメとオトリは、出羽守公認の奉仕活動をかたわらに、引き続き月山を根城として、出羽や陸奥の有力な地を巡ることにした。
しかし成果はあがらず。
月日は飛んで大晦日を越え、睦月となった。
邪仙は蘆屋道満との邂逅以降、目撃談も無く、特に彼らの仕業と思われる神殺しの噂も聞こえてこなかった。
それに反して、“出羽の天狗”の噂が日ノ本の南方まで届いたという話を小耳に挟み、ミズメはほくそ笑んだ。
決定打となったのは陸奥国の“なゐの神”の調伏。
この神は、今から百年程度前、貞観の時代に陸奥のはるか沖で荒魂を発露、大地震を起こしそれに伴う大津波を召喚した。
その津波は沿岸全ての漁村を壊滅に追い込み、千を越える人々を海の藻屑にしたという。
地震の使用により一旦は力を失ったものの、最近になり急速に力を取り戻し始めたことを現地の術師が占った。
丹後の古墳に居た“なゐの神”とは桁違いの神威。邪仙と月神が欲しがりそうだが、釣り餌にするには危険が大きく、喰われる前に調伏せんと決定。
ミズメはまずは出羽守の伝手を使って陸奥守へ通達し、沿岸地域の先行避難を行った。
それから陸奥国の巫覡、法力僧、在野の陰陽師、果ては土着の呪術師までもと結託し、迫り来る荒神と対決。
これを見事退治し、力を削ぎ落し、数百年の眠りを約束させたのであった。
そして、その術師団の絆となり音頭を取ったのが天狗たる娘、水目桜月鳥であるという話が、瞬く間に日ノ本中に広まったのである。
伝説には尾ひれもつきもので、彼女は実は天竺の神が変じたものだとか、彼女の顔は真紅で鼻が長いだとか、狸の変じた巫女を従えているだとか、いやいやあの巫女は雷神であり、天狗も実は風神であるとかと噂された。
ふたりは鼻高々、最近は月山に暮らす英雄を拝もうと遠方から足を運ぶ者も増えてきた。
ふたりは師と共に、増えた登山者のために“天狗を祀る祠”や休憩所などを支度してやった。
この祠は実際に何かが宿るものではないが、こういったしるべを設けてやることで、無闇に山を踏み荒らさせずに済むようにと考えてのことである。
こちらの武勇は日ノ本に浸透し、各地の仲間たちからも芳しい活躍が聞こえる。
一方で、邪仙と月神の話は聞こえてこず、このまま太平の世が続くのではないかとさえ思えてきた。
オトリは「これだけ頑張ったのだから、ミナカミ様にお許しになって貰えないかしら?」と口にした。
彼女はこの新年で十八を数えた。
故郷では新年ではなく、“誕生日”で年を数えるらしく、向こうで言うといまだに十七なのだそうだが、ミズメと違って一年一年をしっかりと刻んで大切にしているらしく、「お誕生日を迎えたら、お祝いをしていただけませんか?」などと言った。
だがミズメは、全てを知っていた。
これから起こること。その望みが叶わぬということ。
日ノ本や友人たちに降りかかるわざわいと、自身と月神の長きに渡る戦い。
そして、そのすえの己の死まで。
彼女はそれらを不完全ながらも夢に見ていた。
夢の報せ。偶然の一致や経験による“お約束”ではない、明確な未来の予知。
夢をもってして明確に識るということ。
これまでも何度もうたかたにそれを汲み取っていた彼女であったが、此度は本能がそうであると断固として譲らなかった。
実際にそれが起こった時、本当に耐えられるかどうか、乗り越えられるかどうかまでは知り得なかったが、退屈を装いつつも、独りそれを胸に秘めて精神を調律し続けた。
己ですら耐えられるか分からぬ凶事であるゆえ、相方には教えず、師にも全ては話さず、密やかに方々へと手を回した。
そして、きたる運命の日。
これもまた、彼女が今日がその日であると知っていたとは言い難い。
その日も、その前日も、いつも通り相方と精一杯楽しんで生きていたのだ。
だが、それも終わりである。訪れてしまったのは夢ではなくうつつのこと。
ミズメとオトリは、善行行脚を終えて月山へと帰還した。
その日の月山は山の女神の不機嫌により烈しい吹雪に見舞われており、頂から裾まで全てを白へと染めていた。
暮らし慣れた者でなければ、瞬く間に他界へと誘われる極寒の世界。
その真冬の月山の高原の空には、雷雲のごとき黒煙が上がっていた。
白と黒。まるで陰陽のしるし、太陰太極図であった。
そして視線を大地へと移せば、住み慣れた小屋々々と屋敷が、雪より寒き炎に焼け落ちてゆく光景があった。
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長門国……現在の山口県西部。かの有名な平氏滅亡の壇之浦の戦いの舞台でもある。




