化かし100 名前
数日の療養期間を過ごし、風邪引きたちは快復を迎えた。
ミズメとオトリのふたりは、病床でじゃれ合っているうちに練った“思い付き”の是非を判じて貰おうと、銀嶺聖母のもとを訪れた。
「懲らしめる? あの“なんとかのなにがし”を?」
炊事場で背を向けながら聞き返す師。
彼女の手にあるは包丁は束になった菜をざくりと切り、真魚板で拍子を刻んでいる。
「そうそう。テンマルを拾った時の話をしててさ、そしたらオトリがあのー……受領のおっさんを退治したいって。ほら、今のあたしらって陰陽寮から免許状も貰ってるし、後ろ盾もあるしさ」
「免許状があるっても、都での卜占や祈祷の許可でしょう? 安倍晴明だって播磨守だし、朝廷お抱えじゃない? 知り合いだからって出羽の雑魚を相手にしてられないと思うのだけど」
「まあ、そうなんだけどね。おっさんを丸め込むのはこっちで上手くやるさ。万が一失敗したらまた揉めると思うから、一応断りを入れておこうと思って」
鳥人たちの縄張り内にある荘園の受領“なんとかのなにがし”。彼はこちらが月山に庵を構えていることを知っている。
更には、物ノ怪を共存共栄のために制しているのを、“率いている”と解釈している。
縄張り内の坊主や巫覡には強力な霊能力者がおらず、かつ、月山側とも「ことなかれの密約」が交わされているため、受領が金品を積もうとも袖で払いのけられる仕組みとなっていた。
「なんで、わざわざ手を出すのよ。また何かやったってわけじゃないんでしょう?」
鍋の様子を窺う師。沸騰した湯に乾燥した菜を放り込んだ。
「私たち、ここを離れたくないんです」
オトリが口を挟む。
「邪仙の噂は偽の仙女でしたけど、帶走老仙がいつ来るとも限らない。でも、ここでは大した情報は得られません。なので、ミズメさんが都へお手紙を書きたいって」
「なるほどね。そういうことなら、絞めるなり懐柔するなりしておいて良いかもしれないわね。ところで、仙女が私に似てたって本当?」
「似てたましたよ。美人なところが」
「性格が悪いところとか、冗談の雰囲気までそっくりだったよ。あたし、お師匠様が化けてるんだと思って殴っちゃったもん」
「私に似てるからって殴らないでよ……。その迷惑な仙女は追い出してくれたの?」
「はい。お股にお札を貼って、呪いも封じて追い出しました」
オトリが機嫌良く答える。
「えげつな……。私、霞を食べる仙人じゃなくて良かったわ」
「ギンレイ様は、仙人に至らなかったっておっしゃってましたけど、あの天女を名乗った仙女より、霊気も腕前も上ですよね? それでも仙人ではないんですか?」
「仙人っていうのは、人からそう呼ばれるとか、それっぽい人を指すだけの言葉よ。霊力の量や質によっては仙気をまとわない仙人だっているし。私の場合は、師匠が桃源郷生まれの仙女で、その人のもとを卒する前に震旦を追われたから仙人を名乗ってないだけね」
「だったら、実際のところはありがたい仙人様と同じなんですね」
オトリはギンレイを拝んだ。
「私もどうせ名乗るなら仙人より天女のほうが良いわね。仙人ってどうも年寄りくさい印象があるから」
「カムヅミマルさんも幼いながら仙気を扱ってましたし、私にはあんまりお年寄りの印象はないかなあ……」
「神童だっけ? ああいうのは、昔は真人って呼ばれたり、現人神と勘違いされたりとかしてたわね」
「そういや、あたしも真人って呼ばれたことがあるな」
「真人も仙人と同じ意味で使われることがあるわね。あとは……道や徳を極めた人とか、救世主みたいな意味もあるわ」
「あたしには不釣り合いだね。山の天狗でやってくよ」
ミズメは苦笑する。
まだまだ道半ば、徳は多少は積んでるが、こまごまとした業もかなり重ねている。
世界を救うのはやぶさかではないが、旅の軌跡を振り返れば引っ掻き回す側に居る気がしないでもない。
「私も、今の名前で充分。……ようやく、釣り合いが取れるようになった気がするくらい」
ギンレイが小さな声で言った。調理の手が止まる。
「ギンレイ様は高天にお願いしたら神様にもなれそうですよ。おつくりになられる仙人の道具も下手な神器よりも便利です」
「蓑は自信作だけど、失敗作とか、作成法さえ知れば感無しでも作れる代物も多いわよ」
「呪符や霊苻は陰陽師のかたや地方の流派のかたも扱いますよね。旅の安全祈願とかのお札も、ちゃんと効果があるんですか?」
「んー、どうかしらね。祈願のお札のほとんどは、祈願の内容を司る神様の好みの霊気の波長を醸すだけだから。その神様が居なくちゃ効果は現れないわね。居ても、変わった好みの神様なら寄って来ないし」
「ふうん。そういう仕組みだったんですね。嫌われる気配が出るようにすれば、神様に見放されたり、呪われたりするわけですね」
「そういうこと」
ギンレイは湯から上げた菜を絞っている。
「そうだ、お師匠様が持たせてくれた“これ”、とんでもない代物じゃんか」
ミズメは“どこからともなく”火薬の玉を取り出す。
「そりゃ、爆弾だしね。まさか、それを人間の仙人相手に使ったわけ?」
「使ったというか、火をつけて私が握ってたんです」
「えっ、ちょっと、大丈夫だったの?」
白い長髪が振り返る。心配と驚きの表情である。
「天女に言われなかったら、オトリの腕は今ごろ無かったかも」
「腕どころか、ばらばらになってたわよ! あれは馬でも吹き飛ばせるんだから。硬い岩盤を崩して掘削するために使うのよ!」
渡した張本人は声を荒げる。
「なんで、そんな危ないものを大した説明も無しに渡すんだよ!」
ミズメも負けじと声を荒げた。
「説明したじゃないの。札や蓑と一緒に」
ギンレイは首を傾げる。
――あれ、したっけ?
ミズメは記憶の糸を辿る。
ギンレイから今後に役立ちそうな道具を渡されたのは、夜這うために寝床に踏み入った時であった。
『こっちのお札は貼った人にしか剥がせないから気をつけて。間違って“変なところ”に貼ると面白いことになっちゃうわよ』
『これは爆弾といって、火薬のかたまりなの。火をつけると爆ぜるわ。威力が半端ないから、導火線は長めにしてある。滅多に頼ることはないと思うけど、もしも速攻で攻撃に使いたいのなら線を短く切ってね』
『ねえ、説明はいいからさ。オトリが寝てるあいだに早く始めようよ』
――いやー、してないね?
「ねえ、お師匠様。今日は何を作ってるの?」
ミズメは調理台を覗き込む。
「今、誤魔化しませんでした?」
オトリが何か言った。
「今日は“だし”を作ろうかと思って。余った山羊のお乳と交換で新しいお米が手に入ったから、付け合わせにするの。今日は贅沢に白米を炊くわ」
「いいね、酒も進みそうだ」
ミズメの頭の中にほかほかと湯気を上げる白山の椀が浮かび上がった。
「“だし”ってなんですか?」
オトリが首を傾げる。
「このあたりの流行りの料理かしらね。細かく刻んだ菜ものを味付けしたお料理よ。うちは茄子と黄瓜に和佐比か紫蘇で香りを足して、海藻根でとことんぬるぬるにするのがお決まりなんだけど……」
ちらと調理台を見やるギンレイ。
「ありゃ、もしかして、まなかしがない?」
「いつもはあんたが春先に陸奥国に遊びに行って持って帰ってくれたのを干して置いとくでしょう? 今年はこっちに居なかったから切らしちゃったのよ。だから“ひょう”のぬめりでやろうと思ったんだけど、もうひとつ物足りないわね。味も変わっちゃうし、やっぱり海藻じゃないと。和佐比はこんなに余ってるんだけどね」
緑の太い根がうず高く積まれている。
「そんなあ……」
ミズメの頭の中の白ご飯が消滅した。
「じゃあ、探しに行きますか?」
「季節を外してるし、海まで足を延ばしても無いと思うよ。年中採れるものも変わるもんだし、乾かしたのは都とかに持ってっちゃうから」
ミズメは哀しかった。久々に帰郷したというのに、なじみのあの味が食べられないのだ。
「はあ……諦めて、おっさんに八つ当たりしに行こう」
ミズメは調理台に置いてあった黄瓜を取って齧った。
これもまた旬を外している。夏場のあの瑞々しく気味の良い歯ざわりとは程遠い。
「ふうん……じゃあやっぱり、まなかし探しですね!」
「あたしは我慢するよ。早いところ都に便りを書きたいんだ。ミヨシのおっさんは土佐、カムヅミマルは壱岐に行ってからどうなったのか知りたいし。ミヨシのおっさんかハリマさんが都に戻ってれば、教えてくれそうだしさ」
「ミヨシ様のお仕事が終わったら、ヤソロウちゃんも佐渡ですよね」
「うん、あたしらばっかり遊んでるわけにはいかないよ」
「あんた、ちょっと真面目になったわね。友達から良い影響を受けたのね」
ギンレイがしみじみと言う。
「オトリちゃんは遊び心がでてきたわね。あなたの考えてること、分かっちゃった。あんな奴が相手でも手ぶらじゃ悪いから、うちで採れた“これ”を交換にしてやりなさいな」
ギンレイは和佐比の束をオトリに持たせた。
「ありがとうございます。まなかし、絶対に手に入れてきますね」
「なんだよふたりして。邪仙の動向も探らないで冬の海に遊びに行くっての?」
「違いますよ。乾燥させて都に運ぶような代物でしたら、お役人さんのお屋敷には置いてあるかもしれないでしょう?」
「そっか、受領のおっさんや上司の出羽守なら!」
ミズメは手を打ち頬を綻ばせた。
……。
「お、おい貴様ら。急に上がり込んで来たと思ったら、なんだ!?」
座敷で尻餅を突いて震えるのは烏帽子を被った狩衣姿の男。
抜いた太刀も虚しく床に転がり、手下たちも知らん顔で蓄電である。
「ねえ、見てよおっさん。あたし、陰陽寮公認の術師になったんだよ。それに腕前も上がったんだ。ハリマノカミと術比べをして一本取ったんだぜ」
腰を抜かした受領の前に立ちはだかるは金剛力士の姿……に幻術によって見せ掛けているミズメである。
彼女が“阿”の表情で突き出すのは免許状の巻物。
「一年ぶりですね。私にした仕打ち、まだ覚えていますよ。都に送った手配書もぶさいくに描いてくれたでしょう?」
こちらのオトリも幻術により受領には“吽”の金剛力士の姿に見せ掛けられている。
彼女はなぜか和佐比を突き付けている。
「なんなのだ一体!? まさか本物の金剛力士ではあるまい……さては!!」
震えと怒りの混じった卑しい男の顔。その手は刀から離れたところを探っている。
「その通り! あたしは出羽が月山の天狗娘、水目桜月鳥だよ!」
妖しげな煙と共に幻術を解くミズメ。
「私は元水分の巫女で天女の乙鳥! 乙女の乙に飛ぶ鳥の鳥!」
オトリもなんぞ名乗った。幻術が溶けても羽衣はそのままだ。
「ああ、なんだ貴様……おまえらか」
受領は胸を撫で下ろすと立ち上がり、太刀を拾い納めて座りなおした。
「ありゃ? えらく余裕だね」
「探しておったのだ。水目桜月鳥と乙鳥のふたりをな」
「お尋ね者だからかい?」
「違う。ミズメよ、休戦協定だ。私は物ノ怪どもとことを構えるのをやめる。おまえのやってる善行とやらも容認する」
「「えっ!?」」
ふたりは顔を見合わせた。
「事情が飲めないね。あんたとあたしは犬猿の仲じゃないか」
「私とおまえがそうでも、上司の出羽守殿に強く言われれば従わざるを得ない」
「これまで散々好き放題してたくせにですか?」
「まあ、聞け。一から説明してやる」
彼はこの近隣の荘園を治める役人である。出羽守はその上司で出羽の役人の長である。
月山を根城にするミズメとギンレイは、歴代の出羽守との折り合いに長年のあいだ苦労をしてきた。
月山は霊山として崇められており、修験でも重視されているかたわら、北方の蝦夷との戦いの境界からもそう離れていない。
秋田城を取られた今となっては、踏破の難しい出羽の山々は天然の城であり防衛線である。
無論、そのような地に統率された物ノ怪の集団が居ることは望ましくない。
特に、何代か前の出羽守は勲功や正義に関心の強い者で、退治と称して月山へ兵を向けたことも一度や二度ならずあったのである。
「その出羽守が言って、なんで停戦になるのさ?」
「おまえら、地相博士殿の知り合いなのだそうだな」
受領の男は折り畳まれた書を見せる。
「三善文行……諱まで晒してしたためておられる。名のある者にここまで丁重に扱われるとはな」
「ミヨシのおっさんとは世話し合う仲だからね。オトリは命の恩人でもある。だけど、官位は出羽守より下だよね?」
「そこは地相博士殿の伯父貴殿が絡んでおっての。諱を三善清行という。有名な学者でな、数々の書物を執筆しておる。同時に正義感に溢れ、数代前の出羽守や権守とも交友があった。今の出羽守も当時の守と縁浅からぬ関係でな。“藤原保則伝”という著書を愛読しておられる。これは出羽守の経験者の生涯を記した書だ。そして、地相博士殿も著書を出しておられるそうだ」
「藤原の……。要するに、ミヨシのおっさんと縁を持って、自分も書を出して貰おうって魂胆か」
かつて月山に兵を向けた出羽守の名と一致する。
師と「フジワラは面倒だから関わるな」と言い合うようになったのも、彼が源流であった。
「はっきりとはおっしゃられなかったが、その通りであろうな。これまで放置していた私の仕事ぶりを急に咎め始め、おまえたちに粗相は絶対にあってはならぬと、“これ”まで示してきおった」
受領は手刀を自身の首に当て舌を出す。
「流石に私も命あっての物種だ。ここの受領として勤めているあいだは、伝記の余白に墨を零すわけにはいかないというわけだ」
「じゃあ別に、改心したわけじゃないんですね」
オトリが溜め息をつく。
「誰がするか。そもそも私は、律令を破らぬ範疇でしか手出しはしておらぬ」
「法が良くても、実際に不幸になってる人を生んでるんです。なんのための荘園のかしらなんですか?」
オトリが目くじらを立てる。
「おまえらは方々で善行をして回ってるそうだな。官位も得ずに名を上げて何が楽しいのだ。寺を建立したいというわけでもないのであろう?」
「私たちは助け合いの精神を広めるために善行をしてるんです」
「はっ、そんなもんで腹が膨れるか。しもじもの者を顎で使って田畑を管理するほうが楽だろうに」
鼻で嗤う受領。
――ま、あたしらの善行もお礼に食事を貰ってるから腹も膨れるし、その気になれば女も要求できるんだけどね。
「そんな考えのかたが多いから、世の中がちっとも良くならないのよ!」
「説教は要らん。だが、これから先は出羽守が見事な治績をあげた良吏として称えられるために協力しなければならん。だのに、おまえらの目を気にして民を締め付けるのが不可とくれば、私は転任する前に髑髏を晒すこととなる。それは勘弁願いたい。ゆえに、おまえを探しておったのだ」
「荘民を虐めないで税の取れ高を上げるには、神や精霊の力が必要。その道に通じてるあたしらに協力してくれってことか」
「私も良吏として名が上がれば出世ができるというものだ。そういうことで、これからよろしく頼むぞ。物ノ怪の娘、水目桜月鳥」
受領は卑しい笑顔と共に言った。
「はいよ、これも共存共栄かね……」
溜め息と共に承諾。
「そうだ、おっさん。おっさんの名前って何? どうでも良かったから、ちゃんと覚えてなくってさあ」
「はあ!? 私の名を知らんでこの地に暮らしておったのか!? よく聞け、私の名は……」
「へっくちょん!」
オトリが“くさめ”をした。
「……だ。忘れぬようにまぶたの裏に書き留めておけよ」
「大丈夫? 風邪が治り切ってない?」
「ちょっと興奮したせいです。風邪はほとんど治りましたよ」
「そっか、それなら良かった」
ふたりは聞いていない。
「聞いておるのか?」
声を上げる受領。
「ま、あんたと揉めずに済んだのはあたしとしても嬉しいよ。本当はちょいと懲らしめてやる気で来たんだよ」
「私はちょっと残念。使いたかったなあ、これ」
オトリは手に持った和佐比を見つめている。懲らしめるさいに使う気だったらしい。
「とんでもない奴らだな。これから苦労しそうだ」
受領“へっくちょん!”は溜め息をついた。
「そうそう、苦労ついでに早速ひとつ頼まれてくれない?」
「なんだ?」
「和佐比とまなかしを交換して欲しいんです。持ってませんか? ぬるぬるの海藻」
「ぬるぬるか。うちの“だし”にもよく使うから大量にあるぞ。どれ、せっかく仲良くなったのだし、おまえらの“ぬるぬる”も験させてもらえんか? 物ノ怪や巫女とはいえ、若い娘の身体であろう? 荘民で遊べぬとなるとこれから困るだろうし……ふがっ!?」
辻捕り男の鼻の穴に太いものが挿入された。
「これだから男の人は嫌なんですよ。すうぐにひとを抱こうとする」
オトリは次の和佐比を用意した。
「あたしにやらせてよ」
ミズメはもう一方の鼻の穴に挿入した。
睨まれたが、首筋に手刀を当てる仕草をして抑え込んでやる。
「き、貴様ら……」
受領は青筋を立てながらも必死にこらえている。
「じゃあ、次はお口に。お口なら二、三本は入りそうですね。入ったぶんだけ海藻根と交換しましょう!」
受領の口へと和佐比が差し込まれてゆく。
「うーん。もっと、まなかしが欲しいなあ。でも、穴はもうないし……」
ミズメは腕を組んで唸った。
「ミズメさんの大好きな“だし”、いっぱい作りたいなあ」
オトリも唸る。
「時にオトリさんよ」
ミズメは言った。
「なんでしょうかミズメさん」
「寺に居る稚児というのをご存知でしょうか」
「いきなりですね。ご存知ですよ。お寺の見習いや、神事に携わる男の子ですよね。あの、時々、お寺のかたに可愛がられるっていう」
「そう、夜の相手をすることもあります」
「え、ええ。知っています」
オトリは赤くなった。
「でも、男の子ですよね? 女の子ならともかく、確かに、幼ければ可愛いっていうのは分かりますけど。その、どうやって、男同士で“いたす”んでしょうか?」
「お尻の穴を使うんですよ」
ミズメは人差し指を立てて言った。
「お尻の穴を!? 知りませんでした!? お尻だけに!」
オトリは和佐比の中でもとりわけ太いものを受領へと向けた。
「いい加減にしろ!」
受領の顔に挿しこまれていた和佐比が飛び散った。
「昆布でも若芽でもなんでも持っていけ! それより、こっちもまだ用事がある。危うく忘れるところだったぞ。おまえたちに“これ”を渡すように頼まれておったのだ」
そう言って受領の男は“数通の文”を差し出した。
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だし……山形の郷土料理で、刻んだ夏野菜や香味野菜を醤油や酒で味付けしたもの。材料は細かくは定められていないが、ぬめりのあるものを入れたり、ピリ辛に仕上げている家も多い。語源や“出汁”との関連性は不明。
菜もの……野菜。葉物野菜だけではなく、野菜全般を指す。
黄瓜……きゅうりの古称。
和佐比……山葵に同じ。
海藻根……めかぶの古称。
ひょう……スベリヒユ。よくある野草でぬめりのある触感と酸味が特徴的。山形県ではひょうと呼ぶところもある。