エスターライヒの歴史
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──エスターライヒの歴史
5000ドゥカートもしただけあって装丁は立派だ。
私は本のページを開く。
昔、昔、この大陸に諸侯たちが乱立し、覇権を巡って争っていた時代。
そこにエスターライヒは生まれた。
最初はエスターライヒ大公国として。当時既に形骸化していた選帝侯の地位も有し、一族の中からはこの混乱に満ちた大陸を治めることを期待された皇帝を輩出している。その権力は大公国時代からそれなりのものであったらしい。
それからついに大陸の諸侯たちが相次いで独立を宣言し、皇帝という地位が存在しなくなったときに、エスターライヒ大公国はエスターライヒ王国になる。
エスターライヒ王国は地中海を経由しての東方との取引に熱心であり、東方との国家との取引で財を成した。当時の東方との間にはもうひとつ別の国が存在し、そこが仲介料を少なからず要求してくるのだが、エスターライヒ王国は東方貿易で確実に利益を上げていた。エスターライヒ王国は繁栄し、貴族たちは豊かな暮らしを送った。
だが、その繁栄にも陰りが見え始める。
他の大陸諸国が大航海時代に突入し、東方との間にある国を介さずに東方の品々を手に入れられるようになり始めたのだ。
少なくない仲介料を取られ、値段も高額だったエスターライヒ王国の東方の品々と違って、航海で輸入されてくる品々は安価だ。また大航海時代の裏の面にもあるように、大陸諸国は東方に植民地を作り始め、それによって富を独占した。
エスターライヒ王国は次第に衰退を始め、そこに追い打ちをかけるように戦争が勃発した。再び大陸諸国を統一しようとする大戦争──30年戦争の始まりだ。
エスターライヒ王国は財政難の中、この戦いに巻き込まれて行き、軍事費による出費は無視できないほどに巨額となり、市民には重い税が課せられた。そのことで市民の生活も困窮を始める。それが不満として蓄積されるのは当然のことだった。
そして、30年戦争は終わった。
だが、エスターライヒ王国が得たものはなく、文字通りの無駄な戦いであった。
そこに30年戦争の頃から広まり始めていた革命思想がエスターライヒ王国を蝕み始める。市民にも政治に参加する権利を。貴族の特権を廃止せよ。我々に自由と尊厳を与えたまえ。市民たちはそうやって団結し、武装蜂起した。
これが大陸の春と言われる一連の革命と革命未遂事件の総称に含まれる革命のひとつ、エスターライヒ8月革命である。
市民たちは権利を求めて武装蜂起した後、国王一家を拘束し、初めて市民たちも参加する政治の場が設けられた。そこで話し合われたのは、これ以上王国を名乗り、国王を戴き続けるのか、それとも王制を廃止し、共和国に移行するのか。
初めての議会の決断の結果、共和国への移行が決定した。
次は国王一家を処刑するか、国外追放にするかであった。
国王一家を皆殺しにしたとあれば、諸外国との軋轢は避けられない。だが、生かしたまま追放すれば、やがて王党派に持ち上げられて、再び王制を始めるかもしれない。
議会は苦渋の決断の末に国王一家を処刑することにした。
だが、その処刑の当日になって奇妙なことが起きた。
王城に国王一家を幽閉していた市民たちが皆殺しになり、国王一家も1名を除いて全員が死亡していることが確認され、さらに謎の死は続いた。
これは国王一家を守ってきた歴代の国王の呪いだという噂が広まったが、不審死は続き、続き、続き、やがて3000名という人間が命を落とした。
議会は戒厳令を布告し、犯人探しを始めたが、その時には既に不審死は終わっていた。数多くの謎を残したまま。
犯人は誰だったのか? 本当に呪いだったのか?
この本では犯人は王党派のゲリラの仕業とされている。だが、王党派のゲリラが国王一家を皆殺しにしたりするだろうか?
そして、その唯一行方知れずになった王族の名前が──。
「ルドヴィカ・マリア・フォン・エスターライヒ……」
私の名前と一致していた。
だが、年表を見てみるとおかしなことに気づく。
このエスターライヒ8月革命が起きた年というのは青暦1688年。
そして、今は──青暦1788年なのだ。
つまり、ルドヴィカが行方知れずになったのは100年前。
常識的に考えるならば、この書物に記されているルドヴィカと今の私は関係ないと見るべきだろう。生き延びた100年前のルドヴィカの子孫が私だという可能性はあるだろうけど、本人ではない、と。
だが、だがだ。
人間の身──それも14、15歳の年齢でありながら、世界最強の黒書武器を振り回し、魔王を食らって、四天王を服従させた私がただの人間だろうか?
もはや人間ではないとしたら?
エーレンフリート君のような吸血鬼であったり、人間の身から何かしらの魔物に変異している可能性はないだろうか。
だが、吸血鬼なら私もエーレンフリート君のように血を欲するはずだ。私は吸血鬼ではない。試しに犬歯をぐいぐいしてみるが、常識的な生え方だ。
となると、私は何? 本当に人間なの?
まあ、いくら考えても分からないことを考えてもしょうがない。私は見た目は14、15歳の女の子で、もしかすると100年ぐらい生きてるかもしれなくて、前の魔王を食い散らかしていて、魔剣“黄昏の大剣”とかいう物騒な黒書武器をぶんぶん振り回し、とても強い四天王を従えていて、魔物に命を狙われているラスボスってことだ。
何がどうしてこうなった!
ついこの間まで平凡なボッチだったのに、波乱万丈の人生になっとる!
う、うーん。さらにこれで『あなた、人間じゃないです』って言われたらショック。私の人生はもはや滅茶苦茶だ。
そうだよ。これから先どうするんだろう、私。
ゲームのルドヴィカは魔王として倒されて終わったけど、私はディアちゃんたちに倒されるつもりはない。ディアちゃんたちと戦って勝つとかそういう意味ではなく、そもそも戦いたくない。何が悲しくて、ようやくできた友達と戦わなきゃいけないんだ。
だからと言って、今更『今日から魔王辞めて、普通の女の子になります!』ってなことが通じるわけもないし。そんなのエーレンフリート君たちが絶対に許さないだろうし、他の魔物の皆さんも魔王辞めるなら食わせろってなるだけだ。
つまり、私はこれから先も魔王を続けていかなければならないということ。
やだー!
最悪の想定をするとこれから先、私は何百年と生き続けるわけである。そして、食い殺されない限りは生涯現役を強いられるという。魔王として他の魔物に下克上を狙われながら、ずうーっと過ごしていかなければならないわけである。
地獄だ……。
令和の時代。天皇陛下だって譲位なされたのに、私は死ぬまでこのまま?
やだー!
私だって魔王をしてなければ無職ということは分かる。そして、魔王をする以外に技能がないことも分かる。この世界は錬金術で大きく文明が発展しているが、私が専攻していた大学の分野はこの世界ではまるで無意味で、ひとりで食い扶持を稼ぐのは難しいに等しい。まして、バイトのひとつぐらいしかしたことのない私に、この現代日本より厳しい世界で働いていける由もなく……。
つ、詰んでる……。私の人生、詰んでる……。
いやいや。魔王でも働く意志をもって努力すれば、仕事のひとつふたつは見つけられるよね。いざとなれば九尾ちゃんに料理を習うとか、ベアトリスクさんに裁縫について教わるとかして、手に職をつければなんとか。
ああー。でも、私が急にそんなことを始めたら不審な目で見られることは間違いない。四天王を置いていってひとりで逃げるおつもりですかなどと問い詰められてしまいそうだ。そう考えるといよいよもって働き口がない。
ニートorダイ。
魔王としてニート人生を謳歌するといつの日か魔物に襲われて死ぬ。ニート人生を辞めて働こうをすると四天王を不信を招き、いろいろあって死ぬ。
これ、ニートorダイじゃなくてニート&ダイだ。
はああ……。私としては転生してから数週間程度という時間しか過ぎていないのに、数十年の時間が過ぎたかのようだ。
雷に打たれて死んでから数週間。それで人生が詰んでいることが明らかになろうとは。終わった。私、終わった。
ぐすん。ラスボスなんてこんなものか。
でも、まだ希望がないわけじゃない。
ディオクレティアヌ、ヴラド・ドラクル、ピアポイント、アルゴルの新しい四天王のうちディオクレティアヌはこの間、なんとかやっつけたわけだ。残る3人もなんとかやっつけて、魔物たちに『魔王様、すげー強いって! 従わないと損じゃん!』って思ってもらうという手があるではないか。
物騒な解決手段ではあるが、物騒なのはお互い様。
魔物を従わせたら、大人しくしてもらって何か仕事を探そう。私が人間と同じように年を取るのであればそれでいいし、数百年も生きるのならば職を転々とするだけだ。
人生、詰みかけてはいるけれど、まだ詰んではいない。
私はその安堵から眠気がしてきて、本をサイドベッドに置くと、ベッドに潜り込んで、ろうそくの明かりを吹き消した。
そして、私は深い眠りへと落ちていった。
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自分の記憶にない夢を見た。
そこは宮殿と呼ぶに相応しい立派な場所で、真っ白な壁面には大きな窓が取り付けられていた。その宮殿にはイスタンブールのスルタンアフメト・モスクのように四方に尖塔が伸びていて、宮殿そのものはヴェルサイユ宮殿のように壮大だった。
その光景を私は渡り廊下と思しき場所からじっと眺めていた。
何かが来るのを待っているかのように。
「お父様」
そして、私の視点が渡り廊下の向こう側から歩いてくる人物に向けられた。
「国王陛下と呼びなさい、ルドヴィカ」
「すみません、国王陛下」
ルドヴィカ。これは彼女の記憶なのか?
「それで何の用だ、ルドヴィカ」
「国王陛下にご質問があります」
ルドヴィカの話している相手はルドヴィカと同じアッシュブロンドの髪の毛を中世の絵画に出てくる人たちのように後頭部で纏め、同じ色の髭を中東の人々のように伸ばしていた。その服装は荘厳の一言に尽き、後ろに羽織ったマントが地につかないように2名のお付き人が持ち上げている。
「申してみよ」
「はい。我々エスターライヒ王国の王族は本当に民に愛されているのですか?」
その男性が告げるのにルドヴィカがそう尋ねた。
「どうしてそれを疑う?」
「この宮殿の庭を整備する庭師の少年が言っておりました。今は税がとても重く、暮らしが辛いのだと。それなのに王族たちは何もしてくれず、今の夜会に興じているのは嫌になると。私たち王族は民に愛されている存在だとお母様は言っておられましたが、私たちは本当に愛されているのでしょうか……?」
ルドヴィカの言葉に目の前の男性は考え込むように顎の髭を摩った。
「余たち王族は民に愛される存在ではない。愚鈍な民を導く者だ。愛されることに何の意味がある。民どもは自分の都合であれこれと文句を言うだけで国のことなど考えてもいない。そのような人間の意見に耳を貸すだけ無意味だ」
「ですが……」
ルドヴィカが縋るように告げるのに、男性がルドヴィカの頬を平手で打った。
「くどい! 王族は神に選ばれた存在だ。それが下等な下々の者のことを多少なりと考えてやるだけでも、その者たちにとっては幸運なのだ。それをわきまえさせよ。我々は国とそれを支える一族のことを考える。下々のことはその次だ」
「分かりました、国王陛下」
男性が僅かに怒りを露にするのに、ルドヴィカが小さく頷いた。
「それからその庭師の小僧とやらは首を刎ねさせる。お前に妙なことを吹き込んだ罰だ。不敬罪に相当する。分かったな?」
「分かりました、国王陛下」
ルドヴィカがまた小さく頷く。
「では、部屋に戻っていなさい。第一王女であるお前がそこらを歩き回っては、王族の品格を疑われる。今日の勉強はもう終わったのだろうな?」
「はい。終わっております」
「よろしい。我が一族に生まれるのは女ばかり。いずれお前が王座を継ぐことになるだろう。そうなった時に備えて、王族として相応しい態度を身に着けておきなさい」
男性はそう告げると、歩み去っていった。
「王族は愛される存在でなくともいい……」
ルドヴィカが先ほどの言葉を繰り返す。
「王族は支配する者。それが王族なのですね、国王陛下」
ルドヴィカは最後にそう告げて、宮殿の中に消え、私の夢もそこで途絶えた。
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