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1話 蘿が咲く

桜さんのスピンオフになります

第1節から40年以上前の話です

 妖退治屋という職業を知っているだろうか。


 文字通り、妖を退治する職業だ。陰陽師と混同されることも多い。しかし、占術の延長線上で妖退治する陰陽師とは違って、妖退治屋は妖を退治することのみに特化している。

 陰陽師で安倍家が名門と言われるように、妖退治屋にも名門と呼ばれる一族が存在する。


 ――藤咲家。その一室で、奇妙な出で立ちの少年がせっせと片付けをしている。

 年の頃は中学生くらいだろうか。短く切り揃えられた栗色の髪は二房だけ長く、大きく丸々とした瞳は狐色をしている。首元につけられた鈴が、少年の動きに合わせて軽やかな音を鳴らす。


「さくちゃんもたまには自分で片付けてくれたらいいのに……」

「お前が片付けるからいけないんじゃないのか」


 言葉を返したのは炎のような女性だ。肩にかかった髪は燃えるような猩々緋。身に纏うのは袖のない着物で、細い帯には、少年のものと同じ鈴がぶら下がっている。

 傍観を決め込んでいるらしい同胞の言葉を聞いて初めて、そのことに思い当たる。

 てきぱきと慣れた様子で片付けていた手が止まり、幼い顔立ちを悩ましげにしかめた。


「そっか、片付けなければいいのか。うーん……でも、やっぱり片付けちゃいそうな気がするし、ほむちゃんは手伝ってくれる気はないみたいだし……。ここはあれだね、新しい式を作ればいいんだ!」


 名案とばかりの発言を聞いた(ほむら)は、その燃え盛る炎をのような瞳を瞑目させて息を吐く。

 焔は、そして片付けを再開させた彼――真砂(まさご)は、この部屋の持ち主である少女の式である。


 式は、主に忠誠を誓っており、程度の差はあれど世話を焼いてしまうという性質を持っている。焔も真砂がいなければ部屋の片付けをしていたことだろう。

 もっとも、焔が存在を得てから一度として真砂が彼女の許を離れた姿をみたことはないが。


「ね、さくちゃん。新しく式作ってよ。今度はほむちゃんみたいな面倒臭がり屋じゃなくて、よく働いてくれそうな子がいいな」

「面倒臭がりで悪かったな」

「いい意味で、だよ。そこがほむちゃんの良さ。本音を言うと、もうすこーし手伝ってくれたらなんて思っちゃったりしちゃったりするんだけど……?」

「心から応援している」

「むぅ。ほむちゃんのいけず」


 自分とは違って表情豊かな同胞の相手をしつつ、焔は我関せずな主を一瞥する。

 藤咲桜(ふじさきさくら)。濡れた黒髪を背中に流し、紺色の着物を纏った美少女。纏う雰囲気は若干二十歳とは思えないほどに人びている。


 優秀な妖退治屋が多く滞在している藤咲家から群を抜いた実力を持つ少女だ。

 その才能は生まれた瞬間から発揮され、一族の期待を込めて「桜」と名付けられた。貴族街の最高権力者から取ってつけられたものだ。


 その期待に対して、気負うことも、煩わしいと思うこともない。

 自分の名前を好いていないということだけが、桜が向けられる期待に対して抱く人間らしい感情だった。


「さく」


 名を呼べば、黒曜石の瞳がこちらを向く。静けさだけを宿した瞳だ。


「そろそろ時間だ」


 言われて時計を見た桜は「分かりました」とだけ返して立ち上がる。応えるように式二人の姿が霧散した。


〈ご当主さんも、さくちゃんにいろいろ頼みすぎだよね〉


 ご当主さん。桜の実母にあたる人物のことを真砂はこう称する。

 事実、二人の間に母子らしい関わりは一切ない。当主と一人の妖退治屋としての関係性というのが適切だろうか。


 桜が物心ついた時からそうだった。とはいえ、桜自身は悲観するどころか気にしてすらいない。

 ならば、真砂や焔が気にしてもしょうがない話だ。


「ここですか」


 この辺りでは一際大きな屋敷だ。藤咲家もそれなりの大きさだが、それを優に超える。

 広大な敷地内に一歩、足を踏み入れた桜を出迎えたのは、初老の男性だ。


「お待ちしておりました」


 使用人と思わしき男性は深々と頭を下げたのちに、桜を大きな蔵の前へ案内する。

 男性は桜を案内するやいなや、役目は果たしたと言わんばかりにその場を去っていく。


〈もう行っちゃうのか……。依頼主も出てこないし、随分な態度だね〉


 依頼内容すら明かされない状況に、さしもの真砂も不満げだ。主を軽んじるような態度に腹を立てる真砂に、焔も同意見だ。

 二人にとってもっとも尊く敬うべきなのは桜であり、それを蔑ろにされれば怒るのも当然の話だ。


「妖が出たとのことでしたが、それらしい気配はありませんね。……それにこの空気」


 当の本人は式たちの胸中など素知らぬ調子で、肌を撫でる空気に眉をひそめている。

 妖が出たとは思えない純潔で清浄な空気。少し胸焼けがするほどに神聖な空気の中に妖気の残滓は見つからない。

 この清浄すぎる空気が、逃げるように立ち去った使用人の態度に関係しているのかもしれない。


「真砂」

〈任せて〉


 短い言葉を交わし、真砂は意識を集中させる。清浄な空気の中に潜む微弱な気配。


〈うーんと、三時の方向に微かだけと妖気を感じるよ。今、こっちに来て……すごい勢い。五秒もしないで目の前に――〉

「焔」


 名を呼ばれ、出番が来たと踊り出る。

 人型を取ることの多い炎の塊は、数秒程度で剣へと変化する。俗にフランベルジェと呼ばれるものだ。

 炎を纏った剣を握った桜は襲い掛かる敵を正確に受け止め、薙ぎ払う。身体強化の術により、数倍に跳ね上がった腕力で薙ぎ払われ、敵は黒を撒き散らしながら数メートル先へ吹き飛ばされた。


「いやぁ、思ってたより速かったね。びっくりびっくり」


 姿を現した真砂は、念のために展開していた盾を消す。


「大した相手ではないようですね。安心しました」


 吹き飛ばした相手――まだ原型をもたない邪念体を見て呟く桜。

 口ではそう言いつつも、警戒は怠らない。


「ここの空気のお陰かもね。正直、さくちゃんが来なくてもよかったんじゃない?」

〈それだけの依頼主なんだろう〉


 出世や権力に桜は興味がないからといって当主もそうとは限らない。

 天才的な才能を持つわりに無欲で無関心な桜は、政治の道具として扱いやすい。

 式の焔たちからしてみれば、ふざけるな、と言いたいところだが、桜の立場を守るためには黙っているしかない。そもそも式が何を言ったって聞き入れてもらえはしないのだ。


「来ます」


 突進してくる邪念体を、強化された動体視力で追いかける。二十代女性の平均的な身体能力しかもたない桜は、身体強化の術を使って妖と対峙する。


 術の扱いでいえば、天才的な才能を持つ桜は、それだけで化け物じみた身体能力を発揮する。

 軽い挙動で邪念体を躱し、フランベルジェを滑らせる。二つに裂かれた切り口から上がった炎は瞬く間に邪念体を燃やしつくした。


「他に敵の気配はなし。任務完了だね」


 真砂の言葉を受けて、フランベルジェこと焔は姿を消す。続くように実体化を解こうとした真砂の視界に影が差した。


「見事な手際ですね。見惚れてしまいましたよー」


 間延びした口調でそう言ったのは一人の青年だ。

年は桜より少し上だろうか。美しい藍色の髪は短く切り揃えられており、黒い瞳は憧れの眼差しで桜を見つめている。左目の下にある泣き黒子が印象的だ。


 妖気はない。人間のようだ。

 ほっと胸を撫でおろしつつも、真砂は気付かれない程度に警戒心を強める。


「藤咲桜さんですよねー。桜なんて素敵な名前です」


 桜の眉根がぴくりと動いたのを、真砂は確かに目にした。

基本的に表情を崩さない桜にしては珍しい変化だ。名前のことを触れられたのだから仕方ないと言えるだろうが。


「桜の花言葉は優美な女性。まさしく、あなたのことだ」


 無表情の中には不機嫌なものが混じっており、真砂は少しばかり苦笑いを浮かべる。

 本当なら彼を止めるべきなのかもしれない。けれど、何故かそんな気はおきず、黙って状況を見守ることを選ぶ。


「桜は品種によっても花言葉が違うんです。冬桜は冷静。八重桜はしとやか。どれも、あなたにぴったりだ。他にも……」

「悪いけど、そこまでにしてくれないかな?」


 いよいよまずいと判断した真砂は傍観者をやめて、青年を止めにかかる。


「さくちゃんは自分の名前を好いていないんだ」

「そうなのかい? それは残念だ」


 分かりやすく肩を落とした少年の姿を見て、少しだけ悪いことをしたような気分になる。それでも、真砂が優先すべきなのは桜だ。


「それなら、咲蘿というのはどうかな。蘿が咲くと書いて、咲蘿」


 肩を落としていたのも束の間、青年は再び饒舌に語り出す。


「蘿にはヨモギという意味があるんです。ヨモギの花言葉は――」

「貴方」


 今の今まで沈黙を守っていた桜がようやく口を開いた。

 静かな声音は怒っていないようで、真砂はこっそりと胸を撫でおろす。

 長年の付き合いだ。分かりにくい桜の感情の機微が、真砂には手に取るように分かる。


「名前は?」


 桜が他人に興味を持ったという事実に驚きながら、真砂は静かに相手――青年の返答を待つ。


「あ、名乗っていませんでしたね。僕は霞、武藤霞(むとうかすみ)といいます。よろしくお願いします」

「そうですか」


 差し出された手を無視し、それきり答えただけで桜は口を噤む。

 代わりに口を開くのは真砂だ。


「蘿が咲く。素敵だと思うよ。本当はもう少し、君の話を聞いていたいところだけど、さくちゃんは忙しい人でね、今日はこの辺でお暇させてもらうよ」

「うん、仕方ない、ですね。またお会いできる日を心待ちにしています」


 純真な瞳に見送られ、桜と真砂は武藤家の屋敷を後にする。この時には、真砂は実体化を解いていた。

 本体に戻った真砂は先程の出来事――武藤霞と名乗った青年のことを思い出す。


 武藤の姓。藍色の髪。身に纏う不可思議な空気。

 彼の正体は――。


〈いやあ、龍王の宿主は変わった人なんだね。まあ、変わり者じゃない宿主には会ったことないんだけど。あ、でもでも、鬼神の宿主にはまだ会ったことないんだった。やっぱり変わってるのかな〉


 淀みなく続く真砂の話を聞いているはずの桜は何の反応も示さないまま、歩を進めている。

 いつものことだし、こうして話しているだけで真砂は楽しいので文句はない。


〈蘿が咲く〉


 ふと、桜の歩みが止まった。


〈素敵だよね。僕にはそんな発想はなかったよ。少しは名前、好きになれそう?〉

「関係ありません」


 素っ気ない口調でそれだけ言い、再び歩き出した桜に「そうかな」と真砂は考える。

 彼との出会いが桜に変化を与えたことは確かだ。でなければ、ああして歩みを止めたりはしない。


〈また、会えるといいね〉

「それほど、間を開けずに会うことになるでしょう」




 桜の言葉は現実となった。

 翌日、再び妖が現れたとのことで、桜は武藤家に呼び出された。


〈残党がいたということか〉

「それはないと思うな。感じた気配はあの妖だけだったし。違うとこにお仲間さんがいたっていう可能性はあるけど……邪念体にそんな知能はないか」


 考えられるとすれば、別の妖が潜り込んだ可能性だ。しかし、藤咲邸ほどではないにしろ、結界が施された場所にそう簡単に侵入できるものだろうか。


「どこかに抜け穴があるのでしょう」


 考え込む真砂の耳に流れ込んだ声に微塵の動揺も宿らせず、桜は向かい来る邪念体を切り払う。


〈そういえば、さくはまた呼び出されるって言っていたな。何か心当たりでも?〉

「簡単な話です」


 そう言葉を返した桜は最後の一体をフランベルジェで焼き払う。

 数は昨日より多いものの、思念を持たない邪念体など桜の敵ではない。全て掃討し終えるまでに三十分もかからなかった。


「陰と陽は惹かれ合う。こんなにも陽の気が強い場所に、邪念体が引き寄せられるのは当然の話です」

「確かに、ここの空気はすっごく神聖な感じがするよ。神社みたいな? でも、神社で邪念体が大量発生なんて話は聞いたことがないけどね」

「神社の神聖さは神あってのものです。ここの神にあたるものは――」


 黒曜石の瞳が物陰に隠れて様子を窺っている霞を一瞥する。

 武藤家の神は、龍王だ。万物を見る力と万物を紡ぐ力、二つを有した出来損ないの神。出来損ないと呼ばれようとも、纏う神気は尋常ではない。


「今、この場にはいません。いるのは宿主となれる器のみです」


 龍王の宿主は死後、その役目を果たすという話は真砂も聞いたことがある。生きている間は、龍王の強い加護を持った人間に過ぎないのだと。

 常人よりも強い霊力を持ち、神に近い存在であっても、神にはなりえない。それは揺るぎない事実であった。


「そもそも、神社の神聖さは場を清めただけでは成り立ちません。神主や巫女、その身の穢れを落とした存在があって初めて成立するのです」


 比べて、ここ武藤家は場を清めただけ。陽の気を強めるだけ強めた不完全な浄化だ。

 これでは、いくら桜が邪念体を退治しようとも意味がない。


「龍王の宿主を守りたいのであれば、まず見直すべきは結界です」

「結界?」


 退治が終わったことで姿を完全に表した霞は、きょとんとした顔で見返す。対する桜は実践で示すことを選択する。

 手を前にかざせば、一瞬にして武藤家を覆う結界が一新される。より強く、より場に合わせた結界へ。


「これで少なくとも一年はもつでしょう」


 結界は維持する存在あって初めて完璧となる。が、あの結界を見る限り、武藤家には結界の維持をできる者はいない。

 ならば、と通常よりも多めの霊力を込めることで結界を長期維持できるようにしたのだ。


「私も呼び出されなくて済みます」


 最後に零れた本音に苦笑した真砂は、早々に切り上げた桜を慌てて追いかける。

 静かな瞳は真っ直ぐに前だけを見据え、背中に注がれる視線を気にする素振りはない。

 もう霞には会うことはないだろう。感情を映さない瞳はただその事実だけを告げていた。

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