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春の雪に救われた鏡姫

梅宮晶菜の過去

時系列的は「カメレオン少年の選択」と同じ頃

 彼女の異常に、周囲が気付いたのは四つのときのことであった。


 母方の血を色濃く容姿に映し出し、淡い金の髪と透き通る碧の瞳を持って生まれた。

 晶菜と名付けられたその子はあまりの愛らしさからすぐに家族の中心となった。


 彼女の生まれた梅宮家は桜宮一族の末席に加わる家柄である。念願叶った女児の誕生が期待外れに終わる落胆を彼女の美しさが塗り替えた。


 巫女を得て、家を繁栄させるという願いは叶わずも、梅宮家は順風満帆な日々を送ることとなる。


 それが判明するまでは。


「おとうさまはあのメイドさんとすごくなかよしなのね」


 幼い子供の何気ない一言が夕食の時間を凍り付かせた。純粋無垢に、悪意なく放たれた一言。


「ぁ、晶菜……何を言っているんだ。お父さんは彼女とは何もない……ただの使用人と主の関係だよ」


「でも、きのうのよる、いっしょにあそんでたんでしょ?」


「み、見てたのか……?」


「うん! みえたよ」


 父親は使用人との情事の現場を、たまたま晶菜が目撃したと認識し、幼さ故の無知を責められないでいる。


「そうなのね」


 妻、晶菜の母にあたる女性は特別取り乱す様子もなく、すまし顔でそれだけ答える。

 冷静を気取った母の様子を晶菜は銀色に輝く瞳で見つめる。


「おかあさまも、あのしつじとなかよしなのね!」


 ただ周囲の人々が仲良くしていることが嬉しく、無邪気に口にする晶菜。幼い心は己が口にしたことが何を意味するのか欠片も理解していない。


「お前! やっぱりあいつとやってたのか!?」


「あら、子供の言うことを本気にするだなんて浅ましいことですわよ」


 感情的に誹る父親と、あくまで冷静にそれでいて嘲笑を乗せる母親。

 二人の姿を大きな目で順繰りに見る晶菜は不思議そうに首を傾げた。


「うそじゃないよ? おにいちゃんもしってるんだよね?」


「うっ……し、知らない」


「うそだ! またやってるって、くだらないってゆってたもん」


 急に話題を向けられ、シラを切る兄は糾弾する妹の声に驚きを表す。

 声なき声を拾っている事実にこのとき初めて気が付いて、異質な輝きを放つ晶菜の瞳に気付いた。


「晶菜、その目……」


 特殊な力を使うとき、瞳が神秘の輝きを放つ。それは貴族街、特に桜宮の一族に連なる者には馴染み深いものであった。


 しかし、晶菜の瞳は一族に伝わる神の象徴たる紅ではなく、銀の光を帯びている。

 巫女とは違う特殊な力。得体の知れない力を使って、声なき声を拾いあげる晶菜のことがたいそう不気味なものとして映ったのだろう。


「おにいちゃん?」


 ー俺の心を読んで……? 気持ち悪い。化け物じゃねぇかー


「なんでそんないじわるゆうの?」


 晶菜はただ目に見えた言葉に反応して問いかける。純粋な問いに兄は顔を引き攣らせる。


 間違いないという確信があった。


 両親たちもようやく晶菜の異常に気がついたようで、怯えを滲ませて幼い娘を見る。


「巫女の力じゃないわよね……?」


 尊い紅とは違う色を宿した瞳。得体の知れない力への怯えもそうだが、この地を統べるかの存在から、裏切りと糾弾されるかもしれない恐れが脳裏を占める。


 かの存在から目をつけられたら、一環の終わりだ。家の破滅や死ぬならまだいい。

 もっと恐ろしい制裁が待っているかもしれない。


 恐怖に身を震わせる両親はまったく同じ発想に至る。


「晶菜、こっちに来なさい」


 ー早く、早く隠してしまわねばー


 父親は晶菜の腕を掴み、強引に部屋を出た。

 この屋敷の中、幼い少女を隠せる場所を脳裏に描きながら、焦るように歩を進める。


「わたしをどこにかくすの?」


「その力を使うのはやめなさい」


 無垢に心を読み、問いかける晶菜は父親の言葉の意味が分からない。本人には力を使っている自覚はないからだ。


 ーいっそ、殺してしまえば……ー


「ぃや!」


 脳裏に描いた言葉を読み取り、晶菜は咄嗟に手を振り払う。


「わ、わたしをころすの……?」


 銀色に輝く瞳に映る怯え。幼い我が子を殺すことへの躊躇いが父親に生まれ、一先ずと振り払われたばかりの手で再度掴む。


「いやっ、いや……やめて」


 必死に懇願するが、今度は振り払えない。幼い子供の力では成人男性の手を振り払うことなどできはしないのだ。


 そうして梅宮晶菜は屋敷の地下牢での暮らしを余儀なくされる。

 最低限の食事と、排泄物の処理、何日かに一度湯浴みをされるくらいで、暗い地下で日々を過ごした。


 自分の何が悪かったのか、理解もしないままに何年も何年も。


 淡い金の髪はすっかり光を失い、かつての可愛らしい面影は様変わりしていた。

 光を知らない生活がどれだけ続いた頃か、不意に晶菜の世界に光が射した。


「なるほど、地下牢か。人間を隠すには一番自然な場所だな」


「本当にここにいるのは考えたくないけどな」


 遠くから話し声がする。冷たい床に横たわり、聞き覚えのないを晶菜はぼんやりと聞いていた。


 床につけた耳が近付く足音を拾う。

 長い暗闇の生活で感情らしい感情を失った晶菜は、何を思うでもなく虚空をただ見つめた。


 足音はどんどん近付き、やがて晶菜が閉じ込められた牢の前で止まった。なんとなく視線を動かし、足音の持ち主を見る。


 初めて見る男だ。身なりのいい、というのは晶菜には分からないことだ。

 その後ろには癖のある髪を無造作に伸ばした人が立っている。髪の隙間から角が生えており、人外を思わせる見た目もやはり、晶菜の関心は惹かない。


 ただ二人の人物が立った、という事実を認識するだけであった。


「君が梅宮晶菜か?」


 身なりのいい男は膝を折り、晶菜に目線を合わせるようにして問いかけた。

 意思らしい意思を持たない晶菜はただ首肯した。

 地下牢で暗闇の中、何年も暮らしてはいるが、自分の名前は忘れていない。


「そうか。悪いが、君には俺と一緒に来てもらう」


 言って、男は晶菜を抱えあげた。

 抵抗する理由もない晶菜はされるがままだ。


「ぉわ、らせて…くれるの?」


 久しぶりに出した声は掠れていて、聞き取りにくい音だけを発した。


 理解もしないまま罪を背負い、暗闇の中で長い罰を受けた。自分の何かが罪ならば、もういっそすべてを終わらせてほしい。

 そう願う掠れ声に男が小さく笑んだ気配がした。


「ああ、終わらせてやるさ」


 あまりにも優しいその声に安堵して、晶菜は意識を手放した。


 再び意識を取り戻した晶菜は見知らぬ、広い部屋にいた。調度品を一つとって見ても、質のいい高価なものが使われていることが分かる。


 身体は綺麗に洗われ、服もこれまた高価なものに変わっている。

 寝かされているベットも質がよく柔らかな感触を伝える。


 しかし、そのどれも晶菜が気にする余裕はなかった。瞼を持ち上げた目、銀色に輝くそれが傍らで控える女性の姿を捉えて全身が恐怖に震える。


 二本の角を生やした蓬髪の女性。人ではない特徴を持つ彼女が纏う紅に、晶菜の頭はパニックになる。


 逃げなきゃと思った。まろぶようにベッドを這い出し、背中にかけられる声にまた恐怖して部屋を飛び出した。

 どこに行けばいいかも分からず、長い廊下を無心に駆ける。


 しかし、数年地下牢だけで過ごしてきた身体の限界はすぐに訪れ、晶菜は足を縺れさせて地面に倒れ込んだ。


 恐怖と、突然の運動に早鐘を打つ心臓を抱えて、どうすることもできず蹲る。そこへ――。


「大丈夫ですか?」


 淡白な声がかけられる。棒読みではないにしろ、最低限の感情すら込められていない声。

 声変わり前の少年の声に、怯えを含む銀色の瞳を向ける。


「……っ…」


「ぁ、あ……いやああああああ」


 無機質な黒瞳と怯える銀目が合わさった瞬間、それぞれに大きな変化を与える。


 先程の蓬髪の女性と対したとき以上の恐怖が晶菜の脳内を占拠し、切り裂くような悲鳴をあげる。

 全身が小刻みに震え、身を守るようにさらに強く身体を抱えた。


「……何があった?」


 晶菜の悲鳴を聞きつけ、前後からそれぞれ人が駆けつけてくる気配があった。

 恐怖心に支配されている晶菜には、それを気にする余裕はなく、知っている声だけを拾った。


 それは意識を失う前に聞いた、優しく安心する声だ。緩慢に顔をそちらに向ければ、やはりあの男の人がいた。


 男の人は晶菜と、晶菜が見てしまった少年を交互に見て戸惑いを見せている。


「け――」


「俺は大丈夫です。それよりも彼女の方をお願いします」


 まずは少年の方に声をかけようとする男の声を遮って、淡白な声が告げる。端的にそれだけ言ってすぐに踵を返した少年が遠ざかっていく音が聞こえた。

 それを見届ける男は小さく溜め息を吐いた。


 晶菜の目には少年を心から案じる彼の声が見えた。が、その声はすぐに切り替えられる。

 意識がこちらを向いたのを感じ、咄嗟に目を逸らす。


「大丈夫か?」


「ぁ……ぇ、と」


 視線を合わせないようにしながら首肯する。

 男が柔らかく笑った気配がして、晶菜の身体が抱えあげられる。


「急に場所が変わってびっくりしたな。傍にいてやれなくて悪かった」


 そのまま晶菜は元いた部屋に戻される。そっとベッドの上に座らされ、彼は目線を合わせるようにしゃがむ。


「まずは自己紹介だな。俺は春野和幸……幸と呼んでくれ」


 幸さん、と口の中で呟けば、彼――春野和幸は満足げに頷いた。

 晶菜を安心させようと必死に考えているのが見えて、少しだけ緊張が和らぐ。


「君の家族は事故でみんな会えなくなってしまった。家も使えなくなってしまったから、しばらくはここで暮らしてもらうことになるだろう」


「事故……」


 反芻する晶菜が言葉を咀嚼する時間を、和幸は優しく待っていてくれている。

 その気遣いの中に含まれる言葉を拾い上げ、晶菜は口を開く。


「事故、じゃない」


 和らいで向けられていた瞳がわずかに見開いた。


 また余計なことを言ってしまったと身を固くする晶菜を、この人は罵るどころか、優しく頭を撫でてくれた。大丈夫と言い聞かせるように。


「そうだな、事故ではない。が、事故のようなものだ。今はそう受け取ってくれないか?」


 見えた言葉を口にしただけの晶菜に拘る理由はなく、首肯で答えた。


「君には神様から貰った特別な力がある。それで、人の心が見える、んだろうな」


「かみさま……ちから…」


「力の詳細は俺にも分からないが、一緒に知っていこう。そして、少しずつでいい。制御する方法を学んでいこう」


 説明されても、晶菜にはまだピンとこない。


 和幸は「人の心が見える」と言った。晶菜に見えているこれが他の人には見えないものなのだとしたら、今までの両親や兄たちの反応にも納得いくものがあった。


 見えないものが見える人間、それはきっと恐ろしいものなのだろうと。

 化け物と呼ばれても仕方がない、そう思えた。


「ゆき、さんは……わ、わたしが、こわくないですか?」


 震え声の問いかけに和幸は和らいだままの瞳で答えた。


「怖くないよ。ただの可愛い女の子だ」


 他の誰に怖がられても、化け物の誹られても、彼にそう言ってもらえるなら十分な気がした。

 頭を撫でる手が優しくて、温かくて、波立つ心も少しずつ落ち着いてくる。


「このまま傍にいてやりたいところだが、いろいろと立て込んでてな。代わりに彼女、芳鬼を置いていく。何かあったら彼女を頼ってくれ」


「よろしく頼む」


 先程逃げたことが効いているのか、蓬髪の女性は離れた位置で頭をさげる。

 奥底に見える紅はまだ怖いけど、悪い人ではないのは感じられた。


「さっきは……逃げて、ごめんなさい」


「気にしていない」


 つっけんどんな答えでもその心が見えるから怖いとは思わなかった。

 二人の様子に問題ないと判断したのか、和幸は立ち上がる。


「なるべく会いに来るようにはする」


 心からの言葉だと見えたので不安はなかった。


「ぁ、あのっ!」


 背を向ける和幸に声をかける。振り返る和幸の驚いた顔を見ながら、震え声で紡ぐ。


「さっきの……子、にも、ご、ごめんなさい…て」


「ああ、言っておく」


 笑顔で答え、和幸は部屋を後にした。


 ●●●


 晶菜のいる部屋を出たと同時に和幸は笑顔を消した。無表情という訳ではなく、悩ましげな表情が代わりに映し出される。


 一先ず、晶菜は落ち着いているようで、そこは心配していない。ただ問題はここからである。


 そのまま和幸は執務室に戻るのではなく、その隣に配された小部屋の扉をノックする。

 聞き逃してしまいそうな微かな声を返事と認識し、扉を開けた。


 小部屋といってもそれなりに広さはある。最低限の物だけを置かれた部屋は、物少なさからより広く感じさせる。


 その奥に鎮座するベッドの上に、部屋の主が寝そべっていた。横には本が積み重なっており、読書中のようであった。


「彼女、晶菜さんはもーいーんですか?」


「ああ。落ち着いているようだったから芳鬼に任せてきた」


「そーですか」


 返事は実に淡白。とはいえ、まったく気にしていない訳ではないだろう。

 和幸の判断に任せる、と言ったところか。


「お前は大丈夫なのか?」


「ご心配なく」


 これまた淡白な返答だ。ここまで彼、健は視線を本から動かしもしていない。

 貴族街を統べる春野家当主に対して不敬な態度ではあるが、そこは気にならない。むしろ、これくらい気安い態度こそ、和幸の望むものだ。


 問題は、ちらりともこちらも見ない彼の「大丈夫」が本当に信用していいものか分からないことだ。


 ほんの少し前にあった健と晶菜の接触。

 晶菜の悲鳴を聞いて駆けつけた和幸には、何があったのか細かい所までは把握できていない。


 突然知らない場所に連れてこられ、混乱も大きいであろう晶菜へ聞くわけにもいかず、表面上は落ち着いているもう一人の当事者へ事情聴取する。


「それで何があったんだ?」


「ちょっとした能力の暴発ですよ。俺の力に当てられたんでしょーね」


 端的な説明。嘘は言ってないが、必要なことも言っていない、健らしい言い回しである。

 他者がそれ以上踏み込むことを拒む態度も和幸はお構いなしに口を開く。


「晶菜の力は龍王由来のもののはずだが」


「大きな力は関係なしに影響を与えるものですから、鬼神は特にね」


 晶菜の力は、万物を見る力と万物を紡ぐ力を有する出来損ないの神、龍王を由来とするものだ。能力を行使している際、銀色に輝く瞳がその証明。


 同じく出来損ないの神、鬼神を守り神として据える貴族街にとってはやや縁遠い存在とも言えよう。

 由来とするものが違えども、神の影響力は変わらない。相も変わらず、説明不足感は拭えないものの、今はそれでよしとする。


 彼との会話には距離感が大事なのである。踏み込まなければ重要なことすら話さないし、踏み込みすぎると門を閉じられる。


「……晶菜の能力は『心を見るもの』という解釈で問題はなさそうか?」


 正直、晶菜に関する情報は不足している。


 梅宮家がとある暗殺組織に襲われ、残らず殺された。その暗殺組織に関しては処刑人――目の前で悠長に寝そべっている彼が対処中、のはずだ。


 本当に動いているのか、疑いたくなる様子を見せてはいるが、何もしてないことはないだろう。一先ず、結果が出るまでそちらは放置だ。


 晶菜のことは襲撃の話を告げられてすぐに、かの存在から伝えられた。


 曰く、銀の瞳が牢に囚われている、と。

 暗に保護せよと告げるあの方の指示に従い、動いた形だ。


 対面した彼女の様子や、梅宮家に関する噂の中から、囚われていたのは梅宮家の長女、梅宮晶菜であること、彼女が他者の心を覗く類の能力を有していることを推測した。


 前者は本人から確認は取れたものの、己の能力の存在すら認識していなかった彼女にその詳細を聞くことは叶わない状況だ。


 現状、能力に関しては推測で進むしかない。

 その推測をより確固たるものにするという意味では、健が能力の暴発に巻き込まれたのは悪くはない結果である。


「概ね間違いはないと思います。心というより、魂に触れるものという方が近い印象ですが」


「どう違う?」


「ざっくりとした認識はほぼ同じです。互いに影響を受けやすくなる程度の違いですよ」


 ただ心を見るのとは違うということか。もう少し影響力が高い能力、危険性も含めて認識を改めた方がよさそうだ。


 正直、彼のその知識がどこから出てきているのか、問い質したい気持ちもあるが、適切な距離感を意識してツッコミはしない。

 暇さえあれば、読書を中心に情報収集に勤しんでいるようなので、その辺りが源泉だろうと認識している。


「となると、能力の制御を優先させるべきか……」


 あの方からは、保護した以降の指示は出ていない。始末しろとも、貴族街から追い出せとも、継続して保護しろとも。


 その先のことは和幸に一任するつもりなのだろう。

 頼りのない幼い子供を見放すことを躊躇いはあるので、最低限の不自由のない生活が送れるまでは面倒を見るつもりだ。


 その上で問題なのは、能力の制御だ。これが鬼神由来の力であれば、いくらでも手はあるが、龍王由来の力となると選択肢は限られる。


 やはり能力の制御となると、同種の力でサポートするのが一番手っ取り早い。


「心当たりがないわけではないが」


 龍王の関係者と言われて真っ先に思い浮かぶのは、知人の妖だ。友人の世話役として付き添っていた彼は、龍王の世話係とも言われている人物だ。

 こと龍王由来の力に関しては他の誰を頼るよりも信用できる。


「王様の心当たりも含めて、三つの案がありますよ」


 言って健はようやく本を閉じて、こちらに向き直った。


「二つじゃなくて、三つか?」


「三つです」


 健の言う案のうち、二つは思い当たるものがある。残りの一つは、健の謎に豊富な知識か、謎に広い交友関係に由来するものだろうと一先ず傾聴の姿勢を見せる。


「一つ目は、龍王の世話係さんを頼る案です。能力の制御に関しては一番に頼りになる人でしょう」


 和幸の脳裏に、百足に似た妖の姿が映し出される。この目で見たことはないが、肩書きを裏切らない実力を持っていることは短い付き合いの中でも察された。


「問題があるとすれば、彼は武藤家から動く気のないことです。必然的に晶菜さんは武藤家に引き取られることになりますが」


「……武藤空斗か」


 苦々しく呟いたのは武藤家の現当主の名前だ。

 先代当主の威光に潰され、見栄と劣等感の塊となった人物である。


 和幸もたびたび社交場で目にするが、あまり良い印象はない。かつて友人が「悪い子ではない」と言っていたのを疑いたくなるほどだ。


「実の子に手をあげてるなんて噂もありますからね」


 そんなところに晶菜を預けるわけにはいかない。


「二つ目は、妖華さんを頼る案です。万物を守る力なら系譜の違うものでも制御や封印は可能ですし、藍の子の傍にいれば安定はするでしょー」


 妖界の王である妖華は、出来損ないの神である妖姫の宿主でもある。万物を守る神の力は、自らの力から身を守ることもできる。


 その上、あちらには藍の子――龍王と縁深い少年もいる。

 妖姫の力で晶菜の力を封印し、藍の子と共に行動させることで少しずつ力を安定化させる。悪くはない案だが、こちらにも問題がある。


「妖の中に人間が混じるのは危険も多い」


 妖の中には人間に害する者も多く存在する。

 純粋な人間となると隠して生活するのにも限界がある。


 妖と恋仲になり、妖に殺された友人のことを脳裏に映しながら紡いだ。

 戦闘に長けていた彼ですら最終的には命を落とすこととなった。戦う術を持たない幼子が生き抜くのは容易くない。


 もっとも、件の藍の子は人間界に滞在し、各地を転々としている立場なので、一つ目の案よりは安全に暮らせはするだろう。


「最後、三つ目は南雲荘の方々を頼る案です」


 最後に提示されたのは、まるで聞き覚えのない単語であった。


「聞き覚えのない単語だな。アパートの名前か?」


「史源町にあるアパートですよ。南に雲と書いて『なんうん』です」


 説明されてもピンと来るものはない。そもそも史源町にあるアパートの名前などいちいち把握していない。


「ナグモというDの親子が大家を務め、龍王の眷属が一人暮らしているアパートです」


 Dは同じ能力を有する龍王の眷属の総称である。互いの記憶を見る能力を有しており、世界中に点在している。正式な人数は把握しきれていないほどで、史源町にいても不思議はない。

 それよりも和幸には引っ掛かる部分があった。


「その一人暮らしをしている眷属っていうのは?」


「王様もご存知のはずですよ。まだ面識はないでしょーが、そこそこ有名人なので」


「……龍月和心か?」


 心当たりを探り、出した名前に健は首肯で答える。

 確かに健の言う通り、そこそこ有名人ではある。


 まだ小学生だというにも拘わらず、史源町へ単身で訪れ、妖退治屋として活動しているという話だ。龍王の眷属であるということも和幸の耳に入ってきている。


 小学生で妖退治屋というのも珍しい上に龍王の眷属であることもあって、妖関係に触れる者の中ではそれなりに知れ渡っている人物である。


「眷属ではあるんだろうが、小学生だろ? 大丈夫なのか?」


「和心さんはしっかりした方なので心配は無用です。むしろ同年代の方が晶菜さんもやりやすいのでは?」


 どうやら健は龍月和心のことをかなり高く評価しているようだ。

 健の人を見る目は確かなので、前の二つの案に見劣りしないものとして検討する。


 黙して考え込む和幸を、健は何をするでもなく見守っている。

 最終的な判断は和幸に任せる。一貫した態度はいつものことで、和幸はそう時間をかけずに結論を口にする。


「折衷案といこう」


 ●●●


 全身の震えを誤魔化すように晶菜は手の中にある金色の結晶を握った。


 この結晶は先日、和幸から貰ったものだ。晶菜の力を制御する手助けをしてくれるというものらしい。

 実際、この結晶を貰ってから力が安定している、ような気がする。


 銀色の目を通さず、世界を正しく見ることができるようになった。


 人の心を見てしまわなくて済む世界は、晶菜の心に平穏を届ける。よかった、と安堵を胸に抱かせる。

 これなら周りを怒らせたり、怖がらせたりしないで済むのだ。


「晶菜、入るぞ」


 ノック音と共にかけられた声にびくりと肩を震わせる。

 首から下げる金色の結晶をより強く握り、「は、はぃ」と消え入りそうな声で答えた。


 和幸と芳鬼、後は身の回りの世話をする使用人が来るだけの部屋に、初めての客人が訪れる。


 紹介したい人がいると和幸は言った。

 もっとも信頼する人が紹介する人なら、大丈夫な人なのだと思う。けれど、知らない人と会うのはすごく緊張する。


 願うように金色の結晶を握って、出迎える。

 最初に足を踏み入れたのは和幸だ。緊張した面持ちの晶菜を安心させるために笑いかける和幸の後ろから一人の少女が現れる。


 歳の頃は晶菜と同じくらいか、少し上。

 黒髪を肩口で切り揃え、眼鏡をかけた少女である。生真面目そうな雰囲気をしている。


 晶菜は、他者の心を見る力が発動していないことにそっと安堵の息を零した。


「初めまして、龍月和心と申します。よろしくお願いします」


「ぅ……梅宮、ぁ晶菜です。よろしく、おね、お願いします…っ」


 見た目の印象通り生真面目な挨拶で、丁寧なお辞儀をする少女、和心に倣って自己紹介をする。しかし、和幸と芳鬼以外の人とまともに話すのは久しぶりで、上手く喋れなかった。


「春野家当主様からのご依頼により、梅宮さんに勉強を教えるために来ました」


 和心は、晶菜の態度を気にすることもなく淡々と説明している。

 不安げな和幸の視線、緊張を孕んだ晶菜の視線、二つを全身に浴びながら、自分のペースを崩すことなく続ける。


「あまり頻度は多くありませんが、これからもここを訪ねることになると思います」


 その様子はとても同年代には思えないくらいしっかりしている。

 もっとも晶菜は同年代と関わることがないので、これが普通なのかもしれないと考える。


「まずは」


 流れるように紡いでいた言葉を和心は一度切った。

 不思議そうに見返す晶菜を前に、和心鉄面皮とすら思えていた顔に微笑を乗せた。


「お互いの話をしましょうか。勉強など、お互いのことを知り合ってからでも十分できます」


 見た目の印象とは異なる柔らかな発言には、見守っていた和幸も目を丸くした。


「何でも聞いてください。何でもお教えします」


 ――それが生真面目だけれど優しい、晶菜の初めての友人との出会いであった。


 それから彼女、龍月和心にあらゆるものを教えてもらって、晶菜は、地下に閉じ込められていた怪物は人間になったのだ。

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