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ある日の航輝

時系列は第一章第一節の二年前くらい

航輝が小4のときの話です

 航輝の通う春ヶ峰学園には有名な問題児がいる。といっても、漫画やアニメに出てくるような、警察沙汰を起こす不良とは少しばかり違う。


 彼が問題児と呼ばれる理由は、突き詰めてみれば、授業に参加しないというだけのものである。

 それも学園長が与えた条件を呑んだ上でのものという話で、厳密に言えば何の問題もない行いだ。


 それでも問題児、ともすれば学園一の問題児の呼ばれているのは、彼の持つ独特の佇まいと流れている噂のせいだろう。


 ヤクザと繋がりがあるとか、人を殺したことがあるとか、裏社会を仕切ってるだとか。果ては悪魔と契約してる、いやむしろ、彼が悪魔なのだという荒唐無稽な話もある。

 遠目にしか彼を知らない航輝にはどこまで事実なのか知る由もない。


 さて、何故急に学園一の問題児の話題を出したかというと、今まさに目の前に件の問題児がいるからである。


 件の問題児は今、怒りを露わにする不良高校生と向き合っている。それを航輝は遠目に見ている状況である。


 まずはそうなった経緯を説明しよう。


 たまたま部活が休みの土曜日、航輝は母に買い出しに連行された。荷物持ちを任命され、その報酬として駅前のお店で甘いものでも買ってくれるという話であった。


 が、しかし駅前についた途端、母は知り合いを見つけたらしく、井戸端会議に勤しんでいる。


「そこでアイスでも買って待ってなさい」


 なんて言ってお金を渡され、すぐそこにあるアイスクリームの屋台の方へ向かった。

 何にしようと想像を膨らませていた報酬がアイスと決められてしまった不満はさておき、長い話に付き合うよりマシだと、列に並んだ。


 そこでトラブル発生。


 アイスを買ってもらって上機嫌の子供が、いかにも不良といった雰囲気の男とぶつかった。

 アイスは男の服にべったりとつき、そこから生まれる流れは誰もが想像つくものだろう。


「糞ガキ、オレの服に何してくれやかんだぁ!?」


 離れた位置からでも耳を塞ぎたくなる声量に子供が怯えきった顔を見せる。


「ご、ごめっ、なさ」


「ああ? 謝って済む問題じゃねぇくらいわかるよな?」


 助けに入るべきなのだろう、と分かってはいるけど、体は竦んで動かない。

 相手は高校生くらいの少年だ。体格がまるで違う航輝が間に入ったところで何ができる。


「すみません、うちの子が。あのクリーニング代は出しますので……どうか」


「ガキの躾ぐらいちゃんとしとけよ、クソアマ」


 迷っている間に子供の母親が飛んできて、必死に頭を下げている。それでも、不良の怒りは収まらず、いや収める気がないと言わんばかりに親子を睨みつけている。


「これから大事な用があるってのに、クリーニング代だけで済むと思ってんのか!? あぁ!?」


 不良の怒りはヒートアップしていく。

 このままだとまずいと分かっているのに、身体は動かない。ただ悔しさに拳を握り、誰かが助けてくれることを願うしかできないでいる。


 誰か、誰でもいいから。


 願うのに周りの人たちは遠巻きに眺めるか、興味もなく素通りするばかりで誰も親子を助けようとはしない。


「財布出せよ」


「そ、それは……」


「おいおい、自分のガキのやったことの責任も取れねぇのかよ」


「クリーニング代はお支払いしますので」


「それじゃあ足んねぇつってんだよ。それとも痛い目みねぇとわかんねぇのか!?」


 ついに不良は痺れを切らし、拳を振り上げる。

 もう見ていられないの視線を逸らそうとした航輝の視界に影が過ぎった。驚いて目を向けた先に小柄な背中が映る。


 華奢な身体付きの少年が、親子と不良の間に滑り込み、殴りかかろうとしていた拳を受け止めた。

 手首を掴まれ、文句を口にしようとした不良へ向けて少年は持っていた飲み物をぶちまける。


 それはスノーバックスの新作フラペチーノであった。ほとんど手のつけていないフラペチーノを不良は頭から被る形となる。


「てめっ、何しやがんだ、糞ガキっ!?」


「クリーニング代はお支払いします」


 怒鳴り声をあげる不良に、少年は顔色一つ変えずに言葉を返す。


 ここで冒頭に戻る。不良相手に涼しい顔をしている彼こそ春ヶ峰学園一の問題児、岡山健であった。

 子供がぶつかってついたアイスどころではない被害を受け、当然不良が大人しく引き下がるわけがない。


「そういう問題じゃ――」


「今日の貴方の予定は駅周辺でナンパをすることでしたね」


 航輝よりも明らかに小さな少年は、まるで体格の違う不良相手に臆することなくそう言った。

 無機質な、機械的とも言える瞳はすべてを見透かしているように見え、それだけで不良がやや怯む。


「でもどうでしょーね。これだけの騒ぎを起こして貴方に靡く女性がいるものでしょーか」


「それはっ、ガキがぶつかってきたからだろうが!」


「そーですか?」


 熱を持ってぶつけられる言葉に健は涼しい顔で言葉を返す。

 勿体ぶるように首を傾げる健の態度に苛立ちを募らせる不良は、空いている方の手で殴り掛かる。


 瞳の色すら変えず、健は掴んだままの手を捻り、空振らせる。痛みに声をあげる不良の姿に気付いてもいない態度で、そのまま口を開いた。


「ぶつかられてもなお、紳士的な対応をすれぱ惹かれる女性もいたでしょー。今ある結果は貴方の浅慮な行動と結果では?」


「いてぇって、離しやがれ、糞ガキ」


 言われた通りに健は手を離す。すると何故か、バランスを大きく崩した不良は尻餅をついた。


「大丈夫ですか?」


「くそっ、覚えてやがれ」


 舌打ちとともに立ち上がった不良はありがちな捨て台詞だけを残して走り去る。

 健はそちらへ視線を向けることもせず、親子の方へ向き直る。


「大丈夫ですか?」


 先程と同じ言葉ながら、不良に向けたものとは色合いの違う声で問いかけた。

 無機質な、淡々とした印象は変わらないのに心無しか優しげな色を纏っているように見える。


「あっ、ありがとうございます……。すごく、助かりました」


「いえ。お二人に怪我がないのならよかったです」


 言いながら、健はしゃがみ、子供と目線を合わせる。


「怖かったね」


 柔らかな声で語りかけ、その手で子供の頭を撫でる。表情も心なしか微笑んでいるように見え、遠目にも優しげな印象を抱かせる。


「ありがと」


「うん。次からは気をつけて走るんだよ」


 たどたどしいお礼に微笑を浮かべる健は懐から何かを取り出し、母親へ渡した。


「アイスの代わりになるかは分かりませんが」


「助けていただいた上にそんな……いただけません」


「知り合いからたくさん貰って困っているんです。俺一人では使い切れないので、人助けと思って貰ってください」


「それなら……」


 そこまで言われて断る方が失礼だと判断したのか、母親は差し出された、紙のようなものを受け取った。

 航輝の位置からは何か見えないが、雰囲気から察するに何処かの店の割引き券か、無料引換券辺りだろう。


「おにーさん」


 二人ののやりとりを見ていた子供が健に声をかける。

 すぐに表情を和らげて、健は目線を合わせる。


「あのね、ピアノの発表会があるの。おにーさんも見にきて」


「こらっ、そんなこと言ったら迷惑でしょ」


「ええ、なんで。おにーさんに見てもらいたいのに」


 不満げに訴える娘に変わって、母親が頭を下げる。


「すみません、気にしないでください」


「どこでやるんですか?」


「えっ」


 何気ない問いかけに航輝もまた、母親と同じく驚きの声を零した。

 学園一の問題児と呼ばれる彼は孤高の存在で、周囲とは最低限の関わりしか持たない印象であった。


 困っている人を手助けするのはともかく、さらに一歩踏み込むことなど有り得ないと思っていたのである。


「別に予定が入らなければ、お伺いします」


 人によっては社交辞令として口にする言葉を、彼の声は本心のように紡いだ。

 表情と声音の柔らかさに母親は呆気に取られ、


「……隣町の桜花ホールです。来週の土曜日のお昼から」


 遠慮を重ねることも忘れてそう返すのだった。

 一連の流れを遠目に見ていた航輝は、問題児の彼のことが妙に気になった。


 ●●●


 結局、彼のことが気になったまま、一週間を過ごした航輝は意を決して、土曜日の部活を休んだ。

 友達と約束があると嘘を吐き、隣町にある桜花ホールへ向かった。


 スマートフォンの地図と睨めっこしながら、慣れぬ道を辿る航輝の耳に小さな声が聞こえた。何気なくそちらを見れば、お婆さんが躓き、転ぶところだった。


 咄嗟に駆け寄って支えられたので、転ぶことはなかったが、持っていた荷物が落ち、中身が周辺に散らばる。

 いくつか離れた位置に転がっていったものもある。


「俺、拾ってきます」


 言って、転がり落ちるものたちを一つずつ拾い走る。


「あと、一個っ……」


 最後の一個は今も転がり続け、車道の方にまで行っているようであった。

 強く地面を蹴って加速し、伸ばした手を不意に掴まれた。


「危ないよ」


 目の前を車が走り抜ける。止められなかったら轢かれていたところだ。


「あり、ありがと……」


 走って乱れた呼吸と、危機一髪に跳ねる心臓とで吃りながら、相手の顔を見る。

 思わぬ人物の顔に、乱れた呼吸を飲み込んだ。


「はい」


 淡白な様子で渡されるのは航輝が追いかけていた缶詰であった。

 車道に飛び出そうとする航輝を止めながら、缶詰の方もちゃっかり回収していたようである。


 どうやったのか疑問がないわけではないが、目の前の人物を思えば、それくらい簡単にやってのけそうではある。


「次からはちゃんと確認してから渡りなよ」


「悪い……」


「ん。人助けは自分の身も守らないと意味ないよ」


 肩を落とす航輝にそれだけ言って、その人物は踵を返す。


「ぁ」


 向けられる背中に何か言わなくちゃ、と声をあげるが何も出てこない。

 微かに零れた声を聞き咎めて、彼は振り返る。無機質な瞳が色もなくこちらを見る。


 微かな声に続く言葉が航輝の口から零れることはなく、彼もまた何も言わない。奇妙な沈黙が二人の間に落ちた。


「――」


「健兄さんってば、特大ブーメラン突き刺さってますけど大丈夫です?」


 意を決した言葉を遮るように無邪気な声が投げかけられた。


 岡山悠。目の前にいる彼の双子の弟である人物だ。

 双子というには見た目も性格もまるで似ていない悠は、問題児と謳われる兄と違って極々普通の一般生徒である。


「なんのこと?」


「またまた〜、惚けちゃって」


 賑やかな闖入者に彼の意識が逸れたことを安堵するとともに、微かな寂しさもあった。


 その正体を自覚する間はなく、


「と、こ、ろ、で、航輝さんってば、こんなところで何してるんです?」


「あ、いや……ちょっとこの辺に用事があって」


「そうなんです? 僕らも似たようなものです。より具体的に言うとラブラブデートってところですかね?」


 何度か会話したことある程度の人間相手とは思えない距離感で悠は言葉を重ねる。

 航輝自身人見知りする性質ではないが、横にいる人物への緊張感がいつも通りにはさせてくれない。


「嘘を教えないでよ」


「えぇ、嘘じゃないですよぅ。健兄さんが僕を誘ってくれたんじゃないですかぁ。紛れもないデートです、デート」


「誘ってないよ。悠が勝手についてきただけでしょ」


「むぅ、健兄さんのいけず」


 温度差は感じられるものの、兄弟仲が良いことが分かるやりとりである。

 問題児と謳われる彼、岡山健は噂に聞くほど怖い人ではないのかもしれないという気持ちが湧く。


 その心中を見抜いているのか、いないのか、兄とは似ても似つかない大きな瞳がこちらを見る。


「僕たちはいちゃいちゃデートの続きがあるのでこれで失礼しますね」


「あ、ああ」


 どこまでも兄と対照的に、遠慮のない距離の詰め方をする悠に戸惑いながらも頷く。


「では、では、また学校で見かけたら仲良くしてくださいね」


 悠の勢いに押されるままに航輝はまったく似ていない双子の兄弟と別れた。


 渡された缶詰をお婆さんに渡し、お礼にお菓子やら何やらを半ば無理矢理に渡され、そのまま帰路についた。

 彼の問題児を追う必要もなく、航輝の中には一つの結論が生まれていたから。


 彼と、岡山健と仲良くなろう、と。

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