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氷水姉妹の里帰り 妹編

前話で入れ忘れていましたが、時系列はに第1節第2章後のどこかです

 冷たい風に肌を叩かれ、レミは仄かに身を震わせた。


 ここは妖界、青ノ国の南側に位置する土地だ。

 青ノ国は八つある国の中で一、二を争う領土を持っており、南方はイスネベール山を中心に常に氷点下を記録する極寒の地である。


 青ノ幹部の娘ながら初めて南まで赴いたレミは、あまりの寒さにもう少し厚着をしてくるべきだったと後悔している。

 南方出身の姉から、多少話は聞いていたものの、ここまでとは思っていなかった。

 氷系の妖の血を引く姉の言葉を鵜呑みにしたのが間違いであった。


 溜め息すらも白く染まるこの地は、雪女やつらら女に代表される氷を司る妖たちが住まう土地である。

 数ある逸話がそうであるように、雪女たちは温かい場所では生きられないことが多い。故にこういった極寒の地が必要なのは分かっているが、寒いは寒い。


 一先ず、何よりはマシとして周辺の空気を風で操り、冷気を遠ざけている。


「……レオン辺りを連れてくるべきだったな」


 レオンは火系の術が使える。それで暖気を作り出し、レミの術で風を巻かせれば身体が冷えるのを防げた。

 もっとも、今回ここを訪れた理由を考えればレオンを連れてくるのは憚られるわけだが。


 共に妖界に戻った姉と別れて、レミが訪れているのは元婚約者の屋敷だ。

 ムキリが起こした先の一件後、正式に婚約破棄の旨が言い渡された。


 レミ側の都合である以上、本来はこちらから婚約破棄するべきものである。

 ましてや、身分はレミの方が上。レミから断った方が角が立たない。

 にも拘わらず、アイルは青ノ幹部の娘との婚約破棄をした者という汚名を自ら負ってくれた。


 消去法でアイルを選び、すぐに逃げ出し、ただえさえ散々迷惑をかけているというのに、もうアイルには頭が上がらない。


 本当ならもうレミには会いたくないかもしれないが、と彼の屋敷を訪れた。

 感謝と謝罪を、一度きちんとしておきたいと思ったのである。


「青ノ幹部の娘、レミだ。すまないが、アイル様に取り次いで貰えないだろうか?」


 屋敷を守る衛兵に声をかければ、慌てた様子で中に入っていく。


 突然の訪問とはいえ、幹部の娘を追い返すことはできない。すぐに家令と思わしき人物が出てきて、レミを中に案内する。

 嫌いな肩書きを自ら使っていることに複雑な思いを抱きながら、素直に案内に応じる。


「こちらでお待ちください。すぐに旦那様とアイル様をお呼びいたします」


 正直、アイルに会えればよかったのだが、流石に屋敷の主に挨拶をしないわけにもいかない。

 下手に断って妙な噂を流されても、相手の迷惑になってしまう。謝罪のために訪れたというのに謝る理由を増やしてしまっては本末転倒だ。


「これはこれはレミ様、このような辺鄙なところまでよくお越しくださいました」


「今日は突然の訪問申し訳ありません」


 間もなく屋敷の主であるコルタが姿を見せ、恭しく頭を垂れる。

 本当なら文句を言われてもおかしくない立場のレミではあるが、青ノ幹部の娘という肩書きがある限り下手な口は聞けないといったところだろう。難儀なことだ。


 むしろ、コルタの瞳にはあわよくば復縁の文字が浮かんでおり、レミは胸中で息を零す。

 どう転んでも、レミとアイルが復縁することはない。この心を誰に捧げるか、もうすでに決まっているから。


「この度はこちらの都合で破談となってしまったこと、深く謝罪致します」


「そんなっ、レミ様が頭を下げられる必要はございません。すべて、この愚息が不甲斐ないばかりでして……」


 コルタは後ろに控えるアイルを鋭く一瞥する。

 次期青ノ幹部との婚約が破棄されたことは、かなり重いこと。アイルは厳しく叱責されたことが窺える。


「厚かましいお願いではありますが、アイル様と二人でお話させていただけませんか?」


「それはもちろん! アイル、くれぐれも失礼のないようにな」


 少しでもレミの機嫌を取ろうとするコルタは最後に息子への睨みをきかせてから退室する。

 使用人たちも下がり、部屋の中にはレミとアイルだけが残される。


 もしアイルに既成事実を作れ、なんて命令されていたら些か危険な状況だなとぼんやり考えつつ、微笑みとともに向き直る。

 流石にそこまで切羽詰まってはいないだろう。


「アイル様、改めて……」


「謝罪は不要です。僕が勝手にしたことですので……それと普段通り話してください」


 重ねての謝罪を断られて、レミは一度口を閉じる。被っていた皮を脱いで、再度口を開く。


「ならば、謝罪ではなく感謝を。貴方の判断に私は救われた」


「感謝なんて……そんなっ…っ」


 瞳が揺れたように見えたと同時にアイルは顔を俯けてしまう。言葉に詰まり、微かな息が続きを飾った。


「…っ……レミ様、少し外を歩きませんか? 町を案内させてください」


「ああ」


 二人きりにしてもらったとて、扉や壁越しに誰かが聞き耳を立てている気配がするこの屋敷を少々窮屈に思っていたところだ。

 関係性の進展を誰もが期待しているのが窺える気配の中は居心地が悪い。

 アイルの申し出はそんなレミを気遣ったものであった。


「その格好では寒いでしょう。気休め程度ですが」


 そう言ってアイルはレミにストールを差し出す。

 優しさに満ちた気遣いをされるたびにレミの中に罪悪感が芽生えるが、それは表に出さないようにした。


 そうしてアイルの案内のもと、町を散策する。屋敷を訪れる前に一度通った町ではあるが、説明を受けながら歩くのでは思い入れも異なる。

 もうこの町は通ったことのある町ではなく、訪れたことのある町となったのだ。


「良い町だ。みなが穏やかで、笑顔が絶えない……アイル様が民に愛されているのがよく伝わってくる」


 町を歩いている間、アイルはよく声をかけられた。幼い子供から老人まで、性別も年齢も関係なく親しみを含んだ様子で。


 町民とアイルのやりとりは微笑ましく、見ていて温かい気持ちになる。

 レオンと出会わず、アイルと結ばれる未来もそんなに悪いものではないと思うくらいに。


「きっと、アイル様の優しさを知っているのだろうな」


「優しいなんて、そんなっ。……僕はただ、弱いだけです。勉学も、術の腕も……全然兄や弟には及ばないし…」


 アイルは三人兄弟の二番目、優秀な兄と弟に挟まれる立場である。


 兄は頭脳明晰で有名で幼くして難しい書物を読み解いたなんて話もあり、弟は天才的な妖術の腕を持っていると聞く。

 対して、アイルは器用貧乏といった評価をされることが多い。なんでも器用にこなすが、他の兄弟のように特筆すべき才能はない。


 彼が評価されるのは人柄の良さだけだ。傲慢で腐った者ばかりの貴族社会においては十分すぎる価値と思うのは、レミが真っ当な側にいるからである。


「他者へ心を配れるのも十分な才能だ。誰もが持っているものではない」


 アイルの優しさをレミは好ましく思う。なんてことは流石に口にはできなかったが。

 元婚約者という肩書きがある以上、下手に心を乱すようなことは言いたくない。


「……実は一目惚れだったんです」


 ふとアイルがそう零した。


 驚いてアイルの方を見るが、彼は気恥ずかしさからか、レミの方には目を向けずに真っ直ぐ前を見ている。

 前を、遠く遠く記憶の中の光景を見ているように。


「父に連れられたパーティでレミ様を見かけて、一目で心を奪われました」


 アイルの瞳は輝いていた。内側から溢れる愛が眩しいほどに、その瞳に光を宿した。

 レミもよく知っている恋する者の瞳。他者を愛する美しい輝きだ。


「なんと美しい人なんだろう。……なんと寂しそうな人なんだろう、と」


 輝く瞳が憂いを帯びて細められる。

 慈愛を宿したアイルの表情に胸が震える思いがした。


 父の人形だった頃、父に言われるがままに演じていたあの頃。

 心の拠り所だった姉が失踪し、レミは孤独に喘いでいた。身も心も雁字搦めで、内側で悲鳴ばかりをあげていた。


 気付いている人がいると思わなかった。気付いてくれている人がいると思わなかった。

 ずっと心は孤独のままだった。


「貴方の孤独を埋めてあげれる人になりたいとそう思っていました。貴方の隣に立つに相応しい自分になれるように研鑽してきました」


 アイルが縁談を断り続けてきた理由を知る。

 レミのために心を砕き、積み重ねてきたものを知る。


 堪らない気持ちになって足を止める。驚いた顔をするアイルを前に深く頭を下げた。


「すまなかった。私は……あのときの私は、自分のことしか考えていなかったんだ。……言い訳にはならないと思うが」


「そんなっ、頭をあげてください」


 こんなにレミのことを想ってくれた人を、あろうことかレミは消去法で選んだのだ。

 他の男よりはマシだろうなんて考えて。

 挙句、自分の都合で婚約を破棄させた。


「レミ様を責めるつもりはありません。むしろ、感謝しているんです」


 下げた頭に注がれる言葉は意外なもので目を瞬かせる。

 驚いて上げた顔に映し出されるのは、気を使っているとは違う晴れやかな表情であった。


「貴方を知らなければ、僕は自分を高める努力をしなかったでしょう。レミ様のためと重ねてきたものは、僕自身の力となり、この先の未来を支えてくれる」


 アイルは真っ直ぐに未来を見ていた。

 己の努力が無駄になったと肩を落とすのではなく、培ったものは得難いものと抱き締めるように。


「貴方の孤独を埋められるのは僕ではなかった。でも、いいんです。レミ様が幸せでいられるのならば」


 どうせ、みな、父と同じだと、周囲にまるで目を向けてこなかったあの頃の自分が今更悔やまれた。

 この人の愛に気付こうとすらしてこなかったことが堪らなく惜しい。


 その後悔をここで口にするのは違うと思って、


「一時でもアイル様を婚約者に選んでよかった」


「そう言葉以上の誉はありません」


 自分を愛し、自分が愛せなかった人への心からの賛辞は、その人の未来への声援だ。



厳密に言うとレミは里帰りじゃないね……広い意味でということで

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