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2話 無色の刃

時系列は『自由に焦がれた刃』の数年前くらい

 迫りくる銀閃を反射で受ける。響き渡る甲高い音に紛れて、嗜虐的な笑声が聞こえる。


 地面を強く踏み、重心を移動させるとともに相手を押しやる。少しずつ体重を乗せていく腕に抵抗する感触があって、その感触ごと横に薙いだ。

 刀越しに感じていた重みが消え、わずかに離れた場所から地面を踏む音が聞こえる。


 一拍の間に呼吸を整える。そして見た。

 襲いかかってきた相手の顔を。月光に照らされた男の姿を。


 闇と同化するような漆黒の服に身を包み、自分ーースフィルと同じ髪色を持つ男。


「何の真似だ兄さん、何故……」


 そう、スフィルを襲ったのは実の兄、フィロスであった。

 特別仲が良い訳ではなかったが、命を狙われるほど不仲でもなかった。少なくともスフィルは兄のことを尊敬していたし、家族としての情も持っていた。


「その刀、堪らねェだろ? 握った瞬間ふつふつと湧き出てきやがる」


「村の守刀を勝手に持ち出して怒られるだけじゃすまないよ、厳罰だ」


「オ前だッて共犯だぜ。握ってるもンが何か分からねェわけじゃねェだろ」


「吾輩は兄さんに渡されたものを使っているだけ、濡れ衣だ」


 夜半。寝つけないからと気晴らしに散歩をしていたスフィルへ突然投げつけられたのが、今持っている長刀であった。

 この長刀を投げつけられてすぐにフィロスに襲いかかられ、反射で受けて今に至る。


 数度刀を交わしている間にこれが村の守刀として代々受け継がれてきた兄弟刀だと気付いた。


 弟刀ウツシヨ。そしてフィロスが持っているのが兄刀ウタカタ。

 どちらも村長、二人の父親の部屋に家宝として飾られていたものだ。


 生まれてからずっと見慣れてきた刀ではあるが、刀身を見るのはこれが初めてだ。鞘に納められ、飾り物としてある姿を見てきたから。


 月明かりに照らされ、冴え冴えと輝く姿はなんと美しいことか。思わず魅入られ、狂気的な光に呑まれてしまいそうになる。

 スフィル自身も知らない感情が刺激され、顔を出したいと疼いている。けれど、これに従ってはならないと本能で理解していた。


 従ってしまったら、もう後には戻れないと。


「今なら叱られるだけで済む、忠告だ。すぐに刀をしまってーー」


 風を切り、鋭い刃が迫る。容易く止められた刀がスフィルを斬ることは叶わず、しかしその言葉を斬った。


 兄はこの悪ふざけを止める気はないらしい。

 仕方がない、とスフィルは刀を握る手に力を入れた。言って聞かないのならば、刃を交えて止めるまで。


「やッと本気になッてくれたか。兄ちゃんは嬉しイぜ。一度オ前と本気で殺り合って見たかッたンだ、イイ子ちゃん」


「何故こんなことをする、何故だ」


「分かンねェとは言わせねェよ」


 命を取るために向けられる刃が何度も甲高い音を鳴らす。研ぎ澄まされた一撃は何度もスフィルの手で防がれる。

 どこにどんな攻撃が来るのか、感覚で分かるのだ。そこに刀を置くだけでフィロスの攻撃は容易く防げた。


 村を率いる一族の者としてスフィルは幼い頃から剣術を教えられてきた。しかし、それは飽くまで形式的なものであり、本気の殺し合いに適したものとは到底言えない代物だ。

 事実、同じく剣術を教えられたフィロスの攻撃は型もなにも意識していない完全な我流であった。


 ただ他者と殺し合いをするためだけに高めた剣術に牙を剥けられる。初めての状況に戸惑いこそすれ、恐怖は微塵も浮かばない。恐怖するほどのことでもないとスフィルの本能が告げているのだ。


 兄は、目の前にいる獣はスフィルの相手にはなり得ない、と。


「こんなことをして何になる、無駄だっ」


「じゃアここでの暮らしが無駄じゃねェッて、オ前は思ッてンのかよ」


「当たり前だ!」


 地面を強く踏み込み、長刀を薙ぐ。微かな手応えとともに鮮血が舞い、さらに前へと踏み込む。

 攻撃を避けるため、一度身を引いたフィロスもスフィルの踏み込みに合わせて前へと突っ込む。


「村民を守る。それが長の一族の役割だ、責任だ」


「くだンねェ」


 激しい音を立てて長刀がぶつかる。その威力は凄まじく、余波を受けて周囲の木々が激しく揺れた。

 余波だけで折れんばかり揺れる木々に対して、受ける互いの腕は微塵も揺らがない。


 重心を前へ。全体重を乗せるように長刀を振るう。力任せにそれを薙いだフィロスが突きの形で迫る。


「役割だの、責任だの、それで何になる? てめェの心はそンなもンで満たされるッてのかよ」


 長刀は小回りが効かない。近接用の武器でありながら、距離を詰められると動きづらいという弱点がある。

 それを利用して懐に入り込んだフィロスの身体へ、咄嗟に蹴りを入れる。ほとんど反射の一撃は手加減を知らず、フィロスの身体は大きく吹き飛ばされる。


 フィロスは咳き込みながらも空中で体勢を立て直し、着地すると同時に地面を蹴って迫る。

 諦める気のないらしい兄の姿に息を吐き、スフィルは正眼に構えた。

 超人的な速度で迫るフィロスの姿を、しかしスフィルの目は正しく捉えていた。


「刃は斬るためにアるもンだ。飾ッておくためのもンじゃねェ」


 馬鹿正直に突っ込んでくるように見えるフィロスが地面を蹴って、己の軌道を変える瞬間。それすらも完全に見切ったスフィルは構えをずらし、正しい位置、正しい踏み込みで刀を振るう。

 わずかに後方に跳び、スフィルの一撃を避けるフィロス。構わず、畳み掛けるような連撃で迫る。


「楽しそオな顔、してンじゃねェか」


 激しい攻撃の最中でも、その声は嫌にはっきり聞こえた。息を詰めた隙を狙って、フィロスが大きく刀を振るう。

 全力を込めた一撃を受けることは不可能と判断して後方に跳ぶスフィルへ、さらに斬撃が重ねられる。


 二撃目、追いかけるように走る斬撃が中途で爆発する。地面が抉られ、飛び散る土がスフィルを汚す。

 視界を覆う煙の中で感覚を研ぎ澄まし、フィロスの姿を辿る。瞬間、迫るものを感じ、反射で両断した。


 真っ二つに割れて落ちる石。煽りを受けて割れた煙の間からこちらを向くフィロスの姿が見えた。


「やッぱオ前には勝てねェか」


 風に乗って届く呟きは容易く解け、長刀を握るその姿にスフィルは息を詰めた。

 そこから生み出される斬撃は攻撃のためのものではなく、地面に衝突するとともに爆発した。


「待っ」


「アばよ」


 激しい音の最中、静止の声は届かず、本当に小さな兄の声だけが微かに聞こえた。

 場を掻き乱す噴煙の合間、わずかに見えた兄の顔は笑っていて、ゆっくりと背を向けるが目に焼き付いた。


「兄さん……」


 たった一人、荒れ果てた場所に取り残されたスフィル。

 兄が去っていた方向をじっと見つめ、煙が収まったあともじっと見つめ、無理解に瞳を震わせた。


 兄は去った。村の守刀、兄刀ウタカタを持って。


 何故、そんなことをしたのか分からない。何故、スフィルを襲撃したのか分からない。

 最後、こちらを見たあの瞳が何を期待していたのか分からない。


「スフィル様っ、一体ここで何が……」


「なに大したことはない、無用の心配だ」


 騒ぎに駆けつけてきた村人の存在でようやく視線を外し、スフィルは押し込めるように笑った。


 兄が去ったことはそれほど問題視されなかった。元々あの人は村の中で扱いに困る問題児という立ち位置にいたので、いなくなってむしろ清々した人の方が圧倒的に多かった。


 ウタカタを持ち去った問題はあったが、ウツシヨが残っているのだから構わないという結論に至ったようだ。

 伝統として飾られているだけであった兄弟刀に良くも悪くも強い意味を求める村民はいなかったらしい。


 ことなかれ主義。大事にするのを嫌う村は、フィロスが消えてもなお、変わらぬ日々を送る。ただ一人、スフィルを除いて。


 疼く。あの日、兄フィロスと刀を交えて気付いてしまった感情が胸の奥で疼いている。

 意識してしまえば、その疼きに支配されてしまいそうになる。

 無理解を語りながら、本当はフィロスの行動の真意をスフィルは痛いほどに理解していたから。


 この村での暮らしは無駄。フィロスはそう言った。

 村長の息子として、村民を守り導いていく役目。そのすべてが無駄だと語った。


 あのときは否定した。心からの否定のはずだった。

 けれどいつか、このままではいつか、フィロスのあの言葉を肯定してしまう自分がいる気がして怖い。


「こんにちは」


 疼きを抑え、必死に平静を装うスフィル。そこへ、美しい女声が投げかけられた。

 村の人のものではない声に半拍置いて、振り返る。


 映し出されるのは鮮烈な金。

 幼い顔立ちの少女だ。髪は長く、身の丈以上もある髪を折り畳むように結い上げている。

 身を包むのは動きやすさを意識した着物。軽装ながら、質の良い生地で仕立てられていることは一目瞭然だ。

 場に合わせた質素さを窺わせるものの、片田舎ではかなり目立つ装いだ。


 純真さを纏う紺碧の瞳は深く、底知れないものを感じさせる。少女の形をしているけれど、長く時を生きた者特有の気配を持っていた。


「貴方、この村の人かしら?」


「はい……長の一族の者です」


 自分よりも幼く見える少女に敬語を使うことに何の躊躇いも浮かばなかった。敬意を示すことが当たり前に思える貫禄を少女は持っていた。


「妖華様、そういう確認は私の方から」


「問題ないわよ。もう、樺は細かいんだから」


「万が一ということもありますので」


「大丈夫よ。私を誰だと思ってるの? この程度で怖がっていたら、お話なんてできないわ」


 くるりと後ろを振り返って言い返す少女。その事実に、スフィルはまず驚いた。


 少女の後ろには男がいた。鮮やかな緑髪、精悍な顔つき、鋭い目付き。

 鍛え抜かれた身体は少女の護衛であることを簡単に教えてくれる。


 何よりスフィルが驚いたのは、彼が少女へ声をかけるまでその存在に気付かなかったことである。

 影が薄いのではない。気配を極限まで消していた、おそらくかなり腕の立つ御仁だ。


「私は妖華というの。こっちは側近の樺」


「妖華様の世話を任されております、樺と申します」


 向き直り、改めて名乗りあげる少女。

 樺と名乗る青年に呼ばれてもいたが、その名前がスフィルに新しい驚きを与えた。


「妖華……様、ということは……」


「あら、私の知っているのね。私もそれなりの有名人ね」


 スフィルの反応に驚きを宿す少女、妖華。それなりどころか、彼女は超を冠しても問題ないレベルの有名人であった。


「国の長たる存在を知らない方が問題あると思いますが」


「すべての民が私を知っていると自惚れる気はないわよ。人間界と違って写真や動画を残す文化もないでしょう? 樺だって最初は私のこと知らなかったじゃない」


「私は……少々特殊な生まれでしたので……」


「責めてないからそんな顔しないで。そういうこともあるって話よ」


 妖華。それはこの妖界を統べる王の名前である。

 妖の国という性質上、すべての民が知っているとは言えないにしても、大半の妖が知っている名前である。


 天上人。平民の、それも片田舎で暮らすスフィルが一生かかってもお目にかかれない存在、であるはずだった。

 彼女の正体を知り、スフィルは半ば慌てて膝をついた。額を地面につけんばかりに頭を下げる。


「妖華様と気付かぬ非礼をお詫びいたします。どのような罰も受ける次第です」


「礼を欠いたなんてことはない、謝る必要はないわ。顔をあげて頂戴な」


 言われて顔をあげると、膝をつくスフィルの視線に合わせるように膝を折った妖華が微笑んでいた。

 高価な着物や美しい金髪が地面についているのにも構わず、彼女は視線を合わせることの方を優先させる。


「綺麗な顔ね。髪の色も素敵」


「勿体なきお言葉、感謝します」


 尊き身分の方へこれ以上の非礼を重ねないように注意しながら、促されるままに立ち上がる。

 妖華は小柄で、立ち上がると彼女の方が見上げる形になってしまうが、あまり気にしていないようだった。


「それで妖華様はどのような御用で……? このような辺鄙な村に」


「うーん、と……視察、というほど大仰なものではないわね。気晴らしの散歩、くらいに思ってくれたらいいわ」


 とんでもない発言にスフィルの理解が追いつかない。

 彼女は普段金ノ国で暮らしているはずだ。そこからここ、無色ノ国の辺境に来るとなると散歩どころではない距離がある。


「妖華様は現在、無色ノ幹部ユーシ様のもとを来訪中なのです」


 控える樺の補足情報にようやく合点がいった。

 無色ノ国に来たついでに国の中を見て回っているということなのだろう。それでも無色ノ国が暮らす無ノ館からここはそれなりに離れてはいるが。


「無色ノ国は小さな村こそ価値がある。ユーシはそう言っていたわ」


 だから見てみたくなったの、と妖華は笑った。

 無色ノ国には小さな村の集合体のような場所だ。スフィルはここを辺鄙な村と言ったが、基本的に辺鄙な村しかないのである。


 様々な個性を持った妖がそれぞれ集まって小さな村ができる。似たような個性の妖ばかりが集まる村もあれば、この村のように多種多様な個性を持つ妖もある。

 それを見て回るのは確かに面白いかもしれない。


「この村を見て回りたいのだけれど、村長のところまで案内してもらえるかしら?」


「はい、仰せのままに」


 案内する道中、妖華は柔らかな表情で村の営みを眺めている。子供を見守る母親のような表情だ。

 妖界の始まりからずっと頂点として見守り続けてきた彼女にとっては、小さな村の一人すら我が子のようなものなのかもしれない。


「これはこれは妖華様。言ってくだされば、お迎えにあがったものを……」


「私がふらっと立ち寄っただけだもの。そこまで大袈裟に受け取る必要はないわ」


 村長、父の部屋まで妖華を案内したスフィルは壁の傍に控え、二人のやり取りを見守る。

 その視界の端に村の守刀たる弟刀ウツシヨが映った。二振り並んで飾れるよう作られた刀掛けに掛かるのはその一振りだけ。


 それを見る度にあの日のことが思い出される。

 兄を失った感傷――ではなく、ウツシヨを握り戦ったときの高揚感が。


 奥の奥から疼く。血が沸き立ち、全身が訴えかける。

 美しい鋼の輝きを、舞い散る鮮血を、命に刃がかかるあの感覚をもう一度味わいたい、と。


 必死に理性を被って、感情を押し殺そうと努めても、その声は止まない。殺し合いの中でこそ満たされる心がどうしようもなく叫んでいる。


「――それともう一つ、貴方の息子を預からせてくれないかしら?」


 不意に滑り込んだ声に我に返る。

 美しい横顔が視線の先にはあって、紺碧の瞳はそっと刀掛けの方へ流れた。


 心を読まれたような気分だ。スフィルが話も聞かず、刀の方に意識を取られていた、その事実に彼女は気付いたのだろうか。


「そうね。そこの刀と一緒に」


「それは……この刀は村の守りを担っております。一振り欠けているとはいえ、いえ、だからこそこれ以上失うわけにはいきませぬ。どうかご容赦を」


「ええ、分かっているわ」


 村長の言葉に頷く妖華が刀の方へ歩み寄る。

 怪訝な表情を見せる村長に笑いかけた妖華はその手を刀へと翳した。


「寂しいわね」


 その呟きが刀へ向けられたものだとスフィルにはなんとなく分かった。

 長年共に過ごしてきた兄刀を失い、弟刀が寂しがっている。その事実が当たり前のように受け入れられた。


「兄を探すのも、兄離れするのも、貴方の好きにしなさいな」


 刀に向けられた言葉にスフィルの心が震えた。

 奇しくも村を去った兄のことが重なったのである。


「そう。分かったわ」


 声なき刀と対話する妖華はしばらくして手を離した。一度ぎゅっと握られたその手がゆっくりと開かれ、金に輝く石を村長へと差し出した。


「刀の役割を移したわ。これを代わりとして使って」


 事もなさげにそう言った妖華は、村長の反応を待たずにふわりと笑った。


「でも無理強いはしないわ。貴方たちが否を唱えるならそれでも構わない。嫌なら嫌でいいのよ」


「代わりのものが貰えるのなら私からは何も。後は愚息の判断に委ねましょう」


 二対の視線がこちらへと向けられる。対するスフィルは迷うように視線を動かした。


「吾輩は……」


 答えを見つけられない。

 兄フィロスが去ってからずっと見つけられなかったものだ。この短時間でそう簡単に己の心と折り合いをつけるなんて不可能だ。


「先に村の案内をしてもらいましょう。決めるのはそれからでいいわ」


 スフィルの心情を知ってか、知らずか、妖華はそう笑いかけた。








 家を後にしたスフィルは案内役として、妖華と共に村を見て回ることとなった。

 見て回るなんて言っても、こんな小さな村ではそれほど時間もかからないが。


 観光できるようなものも何一つない村を回るのに一時間もかからない。すぐに案内を終え、三人は村全体が見渡せる小さな丘の上に立っていた。

 ここから見ると本当に小さな世界なのだと実感させられる。妖華はこの小さな世界に慈しむような視線を注いでいた。


「何故……吾輩を誘ったのですか」


「窮屈そうな顔をしていたからよ。自由になりたい、もっと広い世界を見たい、そういう顔をしてる」


 ずっと奥底に隠していた感情を容易く当ててみせた。隠し通せていたと思っていたからこそ、その指摘には大層驚いた。


「でも、ここを離れたくないとも思ってる。捨てたくないのね」


 形にするのが恐ろしくて、口にしてこなかった迷いを妖華は穏やかな顔で紡いでいく。

 責めるでもなく、寄り添うでもなく、感じたままに紡いでいく。


「無色ノ幹部ユーシの経歴、知ってる?」


「元々小さな村出身だったとか、伝聞ですが」


「そう。ユーシは鍛冶師になりたくて村を飛び出し、その後、あの子の師匠と私の推薦で無色ノ幹部になったの」


 無色ノ国では有名な話だ。努力を惜しまない教訓として子供に語られ、その子供が成長すれば夢物語として憧れる。

 いつか自分も大人になったら彼女のように村を飛び出して成功するのだ、と。

 さらに成長すれば、所詮夢物語だと幕を閉じる。


「実はね、ユーシに後継者を探すようにお願いされてるの」


「引退される気なのですか、ユーシ様は」


「元々期間限定っていう約束なのよ。推薦なんて聞こえのいい言葉が広まっちゃってるけど、乗り気じゃないユーシを無理矢理幹部にしたの」


 ユーシは鍛治にしか興味がなかった。しかし、彼女は武器を扱うことにも長けていて、その才を見抜いた師匠と妖華が説得に説得を重ねて無色ノ幹部の座についてもらったとか。

 当時、無色ノ幹部は不在で、少しでも早くその座を埋める必要があったらしい。


「私に幹部の座につけ、と……? 不相応です」


「何もすぐになってくれ、という話じゃないわ。ユーシもじっくり育てるつもりではあるみたいだし」


 そうは言っても簡単に頷ける話ではない。

 この村を出る、この村を捨てる覚悟すら持てていないスフィルには幹部になる決心などすぐにできるわけがない。


「悪くない話だと思うけれど」


 スフィルの心情を知ってか、知らずか、晴れやかな表情を向ける妖華。対するスフィルは表情を暗く彩り、視線を下に向けている。


 疼く。疼く。奥の奥から燻っている感情が叫んでいる。

 今も忘れられない。兄が去ったあの日、初めて本気で交わした刃を交わした刺激を。あの快感を。


 視線を少し上げれば映し出されるのは小さな、本当に小さな村だ。

 自由を求める心には狭すぎる村を、しかしスフィルは愛していた。捨てることなどできない。

 やはりスフィルには答えが決められない。


「外に出たいという気持ちと、村を捨てたくないという気持ち。幹部になれば、どちらも捨てずにいられるわ」


 反射的に顔をあげる。青空を背に立つ妖華は美しい表情で笑っていた。

 大きく広げられた両手はまるで妖界すべてを抱きしめているようだ。


「幹部になるってことはこの村を、この無色ノ国のすべてを守り導いていくということだもの。貴方がこの村への愛を忘れずにいる限り、貴方の心はこの村に寄り添い続ける」


 それは思いもよらぬ方向からの話だった。

 近くで守り続けるのではなく、もっと大きな力を手に入れて遠い場所から村を守る。村で燻り続けるよりもきっと大きな支えになるだろう。


 幼い子供のようにあどけなく笑う妖華はきっとこの言葉を実践しているのだろう。

 彼女は妖界を愛している。だから妖界の王でいるのだ。


「さあ、どうする?」


 その問いかけにスフィルは――――。






 ――その後、数年の時を経て、最年少幹部が誕生する。小さな村を出て、幹部となった彼の逸話は無色ノ国の子供たちが憧れとして語り継がれることとなった。

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