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最終話 孤軍奮闘

 全身が震える。酸素が足りなくて、必死に浅い呼吸を繰り返す。

 目の前には倒れ伏した幼馴染の姿。遠目には生きているかどうか分からない。


 腕には助けた出したばかりの友人。まだ一人、捕らわれたままだ。

 ここからどう打開すればいい。みんな、生きて帰るにはどうしたらいい。


 分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。


「だい、じょうぶ。落ち着け、落ち着け」


 酸素ってどう吸うんだっけ。

 当たり前にしていた呼吸の仕方すら分からず、ただひたすらに落ち着けと自分に言い聞かせる。

 まだきっと何か道があるはずだ。落ち着いて考えたら、きっと打開策も思いつく。


「……よう、どうしよう。……みんなっ、死んじゃったらどうしよう」


 こんなことなら来なければよかった。危ないからと二人を止めておけばよかった。


「わた、しが……わたし、しか」


 今ここで意識を失った三人を守れるのは鈴蘭しかいない。鈴蘭が諦めてしまえば、三人の命は確実に助からない。

 それだけはダメだ。それだけは嫌だ。

 鈴蘭がついてきたのは守るためだ。ならば、最後まで目的を果たさなければならない。


「……お父さん、力を貸して」


 かつて父が使っていたという竹刀『龍刀』を強く握り、魔法の言葉を唱える。

 不安な試合の前、鈴蘭はいつもこの魔法の言葉を唱えていた。少しだけ父が力を貸してくれるような気がするから。

 一度だけ、夢の中でしかあったことのない父親。けれど、誰よりも頼もしい鈴蘭のヒーローだった。


「大丈夫。――私ならやれる」


 いつだって鈴蘭に勇気をくれるヒーローなのだ。


 絵海を抱えたまま、片手で竹刀を構える。

 深く息を吐き出し、吸ったのと同時に地面を蹴った。

 動きを見せた鈴蘭へと襲いかかる触手たち。それを迎え撃つべく、竹刀を振るう。


「速い……し、重い!」


 今までとは明らかに違う。このまま絵海を抱えたままではまともに対処できないだろう。

 事実、捌ききれなかった触手が手に、足に切り傷を残す。


 捕らえるのではなく、傷付けることを目的としているみたいだ。動きに合わせて舞う鮮血に群がる様は異質で、でもそこで隙が生まれてくれるのは助かる。

 倒れ伏した晴星のもとへ辿り着いた鈴蘭は一旦、絵海を横に下ろす。


「ハルも、息はある。よかった」


 安堵の息を零れしつつ、次は真梨だと狙いを定める。一箇所にまとめた方が守りやすい。

 真梨を救出し、ここに連れてくる。それから後ろを守りながら逃げる算段をつける。それが今の鈴蘭にできる最善だった。


「とりあえず、これを……」


 懐から取り出したお守りを気を失ったままの二人の傍に置く。

 肌身離さず持っているように、と風斗から渡されたものだ。二人を守って、とお守りに願いを託して即座に飛び出した。

 さらに速く重くなった触手。両手が空いているお陰で先程よりは捌ける。


「でも、なんか……」


 真梨、そして晴星と絵海、それぞれの状況を時折確認しながら竹刀を振るう鈴蘭。

 拾い上げた違和感に首を傾げる。


 鈴蘭に向けられる攻撃は重く速く、同時に数を増えている。対して、三人の周囲には触手が一切ない。まるで、すべての力を鈴蘭に注いでいるかのようだ。


「私しか、見てない……ならっ」


 このまま囮として動き回ろう。まだ体力にも余裕はある。


「ハル! 絵海! 真梨! 誰でもいい、起きて」


 誰か一人でも起きてくれたら、鈴蘭が囮になっているうちに逃げてもらえる。

 迫る触手を躱し、斬り払い、避けて斬り捨てる。その間、鈴蘭は声を張り上げて名前を呼び続けた。


「ん、っ……ぇ、なにこれ」


 僅かな身じろぎとともにゆっくりと目を開いた真梨は怯えた目で眼前の光景を見つめた。

 気を失っている間に不気味な化け物が目の前に現れたのである。恐怖する気持ちは分かるが、今はそれを宥めている時間はない。


「真梨!」


「え、リン……? こ、これ、どういうこと? なにが……」


「説明は後! あそこにハルと絵海がいるの、見える?」


 混乱を映し出しながらも、真梨は視線を倒れ伏したままの二人の方へ。

 二人の姿を目に映しつつ、激しく頷いて答える。


「私がこいつを引きつけるから真梨は二人を連れて入口のとこまで逃げて」


「リンは…どうするの?」


「隙を見てすぐに追いつくよ。――大丈夫」


 最後の一言だけは真梨の目をしっかり見つめて告げる。

 大丈夫。それを口にするだけで心がすっと軽くなる。恐怖も不安も溶けて消える。


「私は大丈夫だから」


「わ、分かった」


 ここで押し問答している時間はないと判断したのだろう。真梨はまだ固い表情のまま、でも静かに頷いた。


「合図は私が出すから」


 首肯を受け取り、深く息を吐き出した。そして――


「……っ…」


 触手によって施された傷を自分の指でさらに抉る。そうして溢れ出した血を周囲にばら撒く。


「私の血が欲しいんでしょ、こっち来なよ」


 蠢く触手たちが狂気的な装いで自分の方へ集まって来るのを眺めながら大きく息を吸う。


「真梨、行って!」


 合図とともに駆け出す真梨を横目で確認してすぐ、自分は触手の相手に集中する。

 触手が真梨たちの方へ興味を向けるたびに自らの血を撒き散らしながら。


 理由は分からないが、鈴蘭の血は化け物にとって極上のものらしい。ひと舐めする度に触手は速く強くなっていくが、時間が稼げるならそれでいい。

 きっと三人が入口に辿り着く頃には鈴蘭では歯が立たなくなっているだろう。それでも友人を守れるならいいのだ。


「ほら、私の血欲しいんでしょ。私のこと食べたいんでしょ」


 死にたくはない。でも、これしか道がないなら仕方がない。


 瞳に恐怖は映さず、好戦的な光を持ってただ笑う。

 どうせ死ぬなら友人を守って、笑って死ぬのだ。


「……きゃっ…」


 捌ききれなかった触手が足を掴む。咄嗟に竹刀を振るおうとする手を別の触手が素早く掴んだ。


「藤咲流剣術第七の舞、蓮花」


 藤咲家に伝わる剣術、その奥義。幼い頃から教えこまれたそれが、周囲の触手に牙を剥く。

 切っ先からこぼれ落ちる仄かな光が花となり、揺らぐ炎となって触手たちを焼いた。


「まだ、まだっ」


 さらに竹刀を構える。今までとは違う構え。

 藤咲流の構えだ。この身から立ちのぼる仄かな光を武器にして、触手へ、その本体へと立ちはだかる。


「藤咲流剣じゅ――っ」


 迫る触手の速さに体勢が崩れる。即座に構えを変えて、薙ぎ払った。

 幼い頃から叩き込まれた藤咲流と、剣道を始めてから教えてもらった武藤流。この二つを巧みに切り替えて果敢に立ち向かう。

 もっと強く、速く。握る竹刀が鈴蘭の想いに応えてくれている気がして、力強い気持ちで一人で戦場を踊る。


 どれくらい経った頃だろうか。必死すぎて時間の感覚が曖昧で、でもきっと三人は入口まで辿り着けただろう、そう思ったときだった。

 胸に落ちた小さな安堵が、役目を果たせた安心感が、鈴蘭の心を弛緩させる。張り詰めていた糸がほんの少し緩んで、膝が折れた。


「まずっ」


 四方から触手が迫る。化け物の本体に浮かぶ無数の口がにたにたと笑っているように見えた。

 避けなければ、と思う心に反して足に力が入らない。

 鈴蘭はもう限界を迎えていた。限界を迎えた中で気力だけで立っていたのである。ほんの少しでも緩んでしまえば、もう立ち上がれない。


 脳裏に金色の背中が過ぎった。こんなところで、こんな馬鹿みたいな終わり方で、きっとあの人は怒るだろうな。

 怒って、少しは悲しんでくれるだろうか。今もなお、父を悼むあの目は鈴蘭のことも想ってくれるだろうか。


「ごめ、ん」


 手を握っていてあげるとそう決めていたのにもう果たせそうにない。そのことだけが気がかりで、でも鈴蘭の死も同じくらい悲しんでくれたらいいなと悪戯心に思うのだ。


「ごめっ、なさ」


「――ったく、そういうところまで似なくてもいいってのに」


 不機嫌に彩られた声が聞こえて、金色の光が瞬いた。大好きな人の髪と同じ色のそれは柔らかく鈴蘭を包み込む。


「そこで大人しくしてろ」


 解けた糸のように繊細に揺れる金色の髪。後ろ姿で、表情までは見えないが怒っているのは伝わってきた。


「風斗兄……っ」


 思わず目頭が熱くなる。瞳が潤むのを気付かれたくないのに隠すことできず、ただ魅入られた。


「邪魔だ」


 鬱陶しげに払われた手に応じるように金色の光が踊る。それは半透明の不思議な物質できた正方形のキューブだった。

 無数に宙を舞うキューブは体当たりで周囲の触手を殴り飛ばした。


 触手の相手はすべてキューブに任せ、風斗は苛立たしげに本体の方へ歩み寄る。近付けば近付くほど速く強い触手が蠢き、それらにすら風斗は目もくれない。

 必要ない、と触手が風斗に牙を剥くより早くキューブがすべて殴り殺した。

 野蛮な美しさが支配する空間を鈴蘭は息を呑んで見つめる。


「死ね」


 短く、あまりにも直接的過ぎる一言。


 共に放たれるのはキューブと同じ物質で作られた槍だ。殴りかかるような要領で、風斗は金に輝く槍を触手の本体へと叩き込む。

 優雅さの欠片もない攻撃なのに、不思議なほど美しかった。もしかすると神秘的な金の輝きに呑まれていたのかもしれない。


 突き刺した槍を横に薙げば、不気味な化け物の身体は容易く上下に分かれた。

 ほんの数秒。鈴蘭があれほど苦戦していた相手を、風斗はほんの数秒で片付けてしまっ。


「領域型と聞いて警戒してたが、大したことないな。ヤツブサとは比べ物にならない」


 呼吸を乱す要素もなく相手を倒した風斗は小さく呟き、すぐに鈴蘭の方へ向いた。金色に瞬く瞳と邂逅する。

 本体が倒されたことで触手の動きも止まっており、輝く瞳と同じ色のキューブは場を飾り立てるように宙を舞っている。


「怪我は…………これは、自分で抉ったのか?」


 歩み寄り、鈴蘭の怪我の具合を確認した風斗が眉根を寄せる。怒っていると一目で分かった。

 触手によって施された傷。それらは鈴蘭自身の手でさらに深く抉られている。


「なんで、そんなことを……っ」


「みん、なを逃がすには私が囮になるしかなく、て。ぁ、あの、化け物……私の血に反応してたから……えと、それで…」


「お前は馬鹿か!」


 風斗らしくない大きな声に肩を震わせる。

 風斗に怒られるのは初めてだった。鈴蘭を叱るのはいつも母か、流紀で、後はレオン辺りに窘められるくらい。注意されることはあっても、風斗は鈴蘭を怒ることはしなかった。

 叱られた鈴蘭を慰めてくれるのが風斗の役目だった。


 でも、怒らない人ではないのは知っている。

 大人たちの話し合いの最中、荒らげた声を聞いたことは何度かある。それが鈴蘭に向けられたことがないだけ。


「っ俺が、どれだけ心配したと思ってる!」


 嗚呼、心配してくれたのか。

 その事実が場違いにも嬉しい、なんて口にしたらもっと怒られるだろうけど。


「ごめん、なさい」


「もう二度とこんなことはするな」


「そ、れは……」


 ここは頷く場面だ。反省し、同じことはもうしないと誓う場面だ。なのに、鈴蘭は首を縦には触れなかった。

 訝しむ風斗の目が鋭く鈴蘭へ向けられる。


「……約束、できない」


「お前はっ」


「同じ場面になったら! ……同じ、場面になったらきっと、私は同じことをする。それを分かってるのに約束するなんて不誠実なことはできない」


 もっと怒られるかもしれない。そう思いながらも譲れなかった。

 大好きな人だから、大切な人だから逃げるためだけに不誠実な約束は交わしたくなかった。今ここで怒られても譲れないことは譲れないと真っ直ぐに目を見て告げる。

 金色から元のオッドアイへ戻った目が大きく見開かれ、波打ってるように見えた。


「……はぁ。本当に、そういうところまで似なくてもいいってのに」


 風斗は怒らなかった。大きく息を吐き出し、観念したように言葉を紡ぐ。


「なら、そうならないように戦う術を教えてやる」


 何かが琴線に触れたのか、ただそれだけ言って鈴蘭を抱えあげた。

 入口まで戻る道中、風斗はあの化け物について教えてくれた。

 あれは妖なのだという。ああいった人間に害を成す妖を取り締まるのが風斗たちの仕事らしい。


「お前の血は妖にとって極上の餌だ。ひと舐めするだけでもかなりの力が手に入る」


 鈴蘭の血を舐めた化け物が急に強くなった理由はそれだという。だから、関わらせたくなかったとも風斗は言った。


「遠ざけても結果は変わらない。それが分かった。だったら抗う術を教えた方がいい」


 今回の件で鈴蘭は妖の恐ろしさと、自身の秘密を知った。と同時に風斗に覚悟を与えたようだ。

 多分、風斗と他の大人たちが度々言い合っていたのはこのことだったのだろう。


「私、頑張るよ」


 少しでも強くなって、風斗に大丈夫だと思ってもらえるように。心配をかけないように。

 今度こそ、最後まで友人を守れるように。


「そういえば風斗兄はどうしてここに?」


「杏月から連絡があったんだ。お前らがこの廃工場に行ったきり連絡がつかない、と」


「そ、っか。後でちゃんと謝らないと」


 杏月は最初から止めてくれていた。それに従っていたらこんなことにはならなかったのだ。

 その上、助けまで呼んでくれて年下なのに誰よりも冷静に物事を見ている。見習いたい。


「リン!」


 なんて考えていたら逆光の中、鈴蘭の名を呼ぶ声が聞こえた。可憐なその声は話題にのぼったばかりの杏月のものである。


「よかった……っ。心配したんだからね」


「アン……ごめん。助けを呼んでくれてありがとね」


「ぐすっ、リンのバカぁ」


 大きな瞳から大粒の涙を流す幼馴染の頭を撫でる。涙声で連なる文句の数々も甘んじて受け取った。


「あらあらあらぁ? お姫様抱っこだなんて風斗さんも思いきったことをしますね」


 幼馴染の感動的シーンを壊すように投げかけられた声は知らない人物のものだった。無邪気に彩られた声に風斗が不機嫌を纏うのを感じた。

 鋭い眼光が声の主に向けられ、相手は不満げに頬を膨らませる。声と同じく子供っぽさを感じられる反応だ。


「呼び出しておいてその反応はないんじゃないです?」


「お前と無駄話をする気はない。あいつらの様子は?」


「特に問題ないです。僕が必要だったのは一人くらいなもので……後はほぼほぼレオンさんが対処しましたよ」


 会話を重ねるたび、風斗の全身から苛立ちと不機嫌オーラが立ち昇るのを感じる。だが、それよりも鈴蘭には気になることがある。


「みんな、無事なの……?」


「無事ですよ。一番の重傷は晴星さんでしたが、骨が折れてる程度なのでちょちょいのちょいです」


 骨が折れているだけでも充分過ぎる大怪我な気がするが、目の前の人物からは深刻な気配は感じない。ひとまず、ほっと息を吐き出した。


「鈴蘭さんの治癒をしたら僕はお役御免ってところですかね? 安心してください、傷跡も残らず治癒してあげますよ。そういう依頼なので」


「私のこと、知ってるんですか?」


「えぇ、よぉーく知っていますよ。因縁つきでね」


「……因縁」


 釣り上がったオッドアイが射殺さんばかりに睨みつけている。顔が見えなくても風斗がどんな表情をしているかは纏う空気の刺々しさで伝わってくる。


「そんな怖い顔しないてくださいよぅ。因縁って別に悪い意味だけじゃないでしょう?」


 わざとらしい涙声での反論に風斗はさらに苛ついているようだった。なんというか、風斗とこの人はあまり仲が良くないらしい。


「今の場合は悪い意味ですけどね」


 無邪気な笑顔に似つかわしくない台詞に鈴蘭の表情もつい固くなる。身に覚えはないが、自分はこの人に何かしてしまったのだろうか。


「これ以上無駄話を続けるなら殺すぞ」


「物騒ですねぇ。お兄さんとは大違い……とと、はいはい。ちゃんとお仕事しますよー」


 言いながら、無邪気さを纏う人物の手が鈴蘭の足に触れる。傷だらけの足を不思議な光が包み込んで温かく、妙なむず痒さが鈴蘭を襲った。

 足だけではなく、化け物との戦いで傷を負った箇所すべてを光は包み込む。

 藤咲流剣術と似たような原理だろうか。


「はい、これで終了です。数日もあれば傷跡も綺麗さっぱり消えますよ。後は記憶処理、ですかね」


「それはこちらでします。これ以上、悠さんの手を煩わせる気はありません」


「貸しを作りたくない、の間違いでは?」


「お前への貸しなんて、星司を使えばいくらでも返せる」


「ふむ、それは確かに道理です。都合のいい奴扱いされている気もしなくないですが、まあいいとしましょう」


 絵海と真梨の方を見ていたらしいレオンも合流して何やら話している。鈴蘭には分からない部分も多かったが、一番気になるのは――


「記憶処理って……」


 聞き逃せる単語ではなかった。


「鈴蘭様が思っているほど恐ろしいものではありませんよ」


 表情とともに穏やかにした口調でレオンが語りかける。お陰で、知らないことばかりが目まぐるしく起こる状況の中で少しだけ落ち着くことができた。


「ここでの体験は一般の人にとってとても恐ろしいものですから、心の傷になってしまわないように記憶を暈すだけのことです」


「それって私にも……?」


「いや、お前にはしない」


 レオンに代わって答えたのは風斗だ。

 遠ざけても結果は変わらない。それを理解した風斗の答えに鈴蘭は安堵した。


 化け物との対峙は確かに怖かった。同時に、鈴蘭にとってとても大切な経験だったとも思っている。

 これから先また化け物と対峙することになっても、今回の記憶が力になるだろう。今日よりもきっと冷静に対処できる。


「レオンさん、三人のことお願い」


「承りました」


 関わり続けなければならない鈴蘭とは違い、三人はただの一般人。ならば、忘れていた方がいい。


「――それと、悠さん」


 鈴蘭に向けて恭しく頭を垂れたレオンはすぐに顔をあげて、鋭い目で無邪気な笑顔を浮かべたままの人物を見る。

 そういえば名前を聞いていないな、と考える鈴蘭を他所にレオンは厳しい顔で口を開いた。


「やることをやっていただければ報酬は払います。ですが、あちらが応答してくださるかは管轄外ですので、余計な言動は控えていただいた方がよいかと」


「レオンさんみたいなタイプって怒るとちょーっと怖いですよねぇ」


 表情自体は大きく変わっていないのに見たことのない空気を纏うレオン。鈴蘭の方が身を固くする空気にやはりその人は無邪気さで答える。


「まあ、分かりましたよ。慎みます……ので、最後に一つだけ」


 悪戯を思いついたような表情にレオンと風斗が当時に身構える。それがまた面白いと言わんばかりにその人は笑った。


「いつまで抱きかかえているんです? 熱々ですね」


「……っ、ぁ」


 警戒した二人ではなく、鈴蘭だけに多大なダメージを加える捨て台詞だった。

 今の今までいろんなことが起こりすぎて忘れていたが、鈴蘭は今、風斗にお姫様抱っこされているのである。怪我をしていた少し前まではともかく、治癒してもらった今も抱っこされている必要はない。

 そのことを今更思い出して、顔が熱くなるのを感じる。


「ぁ、あのっ……風斗兄、も、いいから。自分で立てる」


「そうか」


 あっさり過ぎる一言で風斗は鈴蘭を下ろした。それを残念に思う心もあって、さらに顔が熱くなるのを感じる。


 ああ、確かに。風斗やレオンがあの人を警戒するのも頷ける。

 余計な一言を添えて帰っていたあの人と、何も思っていない風の風斗のことを恨めしく思って鈴蘭が初めて妖と対峙した記憶は終わった。

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