3話 肝試し
「肝試し?」
いつものごとく杏月とともに登校し、席に着いたと否や、この話題が投げかけられた。
やや前のめりで鈴蘭の前に立つのは小等部からの友人である絵海と真梨の二人だ。えみまりコンビとも言われる二人は鈴蘭の言葉にうんうん頷いている。
「駅裏の廃工場に幽霊が出るんだって」
「うっかり入り込んだが最後、その幽霊に食べられるんだって」
わざわざ声のトーンを落として、恐怖を煽るように二人は紡ぐ。まったく怖くないが。
学生というのは噂好きで、この手の噂話は意識しなくても耳に入る。
目の前の二人は鈴蘭にとってもっとも身近な噂好きの学生だ。そして幽霊がどうの、という話はよく二人からされるもので、今更リアクションを取るのも面倒だ。
そもそも幽霊とは人間が死後成仏できずに彷徨っているもの、と大半で語られているというのに食べるとはこれ如何に。幽霊になれば、悪食でも発症するのだろうか。
まだ呪われるとか、取り憑かれるとか、殺されるとか、そっちの方が信憑性が湧く。
「行ってみない?」
「行ったら食べられるんでしょ」
危険だと噂されているのに行ってみたくなる気が知れない。怖いもの見たさという奴を鈴蘭はいまいち理解できないのである。
冷めてる、なんて周りにはよく言われる。
「所詮噂だし、大丈夫だって」
噂だと分かっているなら行く必要ないのでは、とすら思う。
「そもそも部活あるから無理だよ」
鈴蘭は部活が好きだ。余程の用がない限り、部活は休みたくない。
友人の誘いと部活を天秤にかけたら、鈴蘭の場合部活の方に傾く。
「いいの? リンが来なくても私たちは行く気満々だよ」
「私たちが幽霊に食べられた後に一緒に行けばよかったって後悔しても遅いんだよ?」
「なに、その脅迫」
それが友人を誘うための言葉なのか。呆れを表情に混ぜる鈴蘭はふと沈黙し、考え込む。
部活は休みたくない。けど、危ない所に行く友人を他人事のように送り出すこともできない。
友人の誘いの代わりに友人の命が天秤に乗る。どちらに傾いたかなんて言うまでもなかった。
「わかった、いいよ」
えみまりの脅迫は結局のところ、鈴蘭に効果抜群だった。それを分かった上でしていたのだろう。
「いやあ、乗ってくれてよかった。私たちだけじゃ、不安だったし」
「リンが一緒なら百人力だね!」
「大袈裟だよ」
「またまた~、女子剣道部のエースが何を仰る」
剣道はあくまでスポーツ競技だ。ルールの中で戦うものであって、ルール無視の実戦で役に立つとは限らない。
そもそも相手が幽霊なら物理攻撃が効くとも思えない。
なんてことはわざわざ指摘せず、友人二人のなすがままに任せる。
「その幽霊がいる廃工場さ、二階の奥にある鏡を見ると運命の人が映るんだって」
「もしかしてそれが目的?」
「リンだって気になるでしょ」
「私は別に……」
ふと脳裏に金髪の青年が映る。もし彼が映ったら、なんて考えて即座にそんなわけないと切り捨てる。
有り得ない。そもそも年の差、いくつだと思っているんだ。
「リンにはもう晴星くんがいるから」
「ハルとはそんなんじゃないって言ってるでしょ」
あんな子供っぽい奴に恋愛感情なんて抱いたことがない。鈴蘭はもっと、大人っぽくて落ち着いた人が好きなのだ。そう風斗みたいな。
なんて考えていたら、生徒玄関で待ち構えている人物がいた。放課後、えみまりコンビとともに帰宅せんとする鈴蘭の前に仁王立ちで立ちはだかる。
「リン! 今日部活休んだんだってな」
岡山晴星。幼馴染の彼は睨みつけるように鈴蘭を見据え、いつもの張った声でそう言った。
「どうでもいいでしょ」
「よくない! 部活休んでどこに行く気だよ」
「ハルには関係ない」
「廃工場に行くんだろ。アンから聞いたぜ」
なら、わざわざ鈴蘭にまで聞かなくてもいいのにと心中で呟く。
杏月には友達に誘われたから一緒に帰れない旨を伝えてある。どこかの誰かさんと違い、物分かりがいい子なので、素直に了承してくれた。
「俺も行く」
「は? 部活はいいの?」
物心つく前からの付き合いではあるが、晴星の考えが分からないときがある。妙に食い下がってみたり、反対していた癖に参加したり、よく分からない。
「いいじゃん、いいじゃん。男の子がいた方が心強いし」
「私たちは大歓迎だよ、晴星くん」
「二人が言うなら私もいいけどさ」
やたらとにこやかにテンション高く、晴星の同行を受け入れる二人。
大方、鈴蘭と晴星をくっつけようとかそんな邪なことを考えているのだろう。晴星のことは弟のようなものとしか思っていないし、晴星だって鈴蘭のことを気に入らないようなので無理だとは思うが。
そうして友人二人に晴星を加えて、鈴蘭は駅裏を初めて訪れた。
有名なスイーツのお店が立ち並ぶ表とは違って、なんとも薄暗い空間だ。一歩足を踏み入れた瞬間から淀んだ、不気味な空気が肌を撫でて仄かに顔を顰めた。
肌がぴりぴりする。正直言ってかなり不快な感覚だ。
大人たちがしつこく近付くな、と言っていた理由がなんとなく分かる気がする。
ただ同行している他の三人は何も感じていないようなので、鈴蘭が少し神経質なだけかもしれない。
「……りっ、リンも…その、気になったりするのか?」
「なにが?」
肌を撫でる空気があまりにも不快でつい無愛想に返してしまった。
ちらりと晴星の反応を見れば、妙に落ち着かない様子でこちらを見る不自然極まりない状態だった。まあ、怒らせてはいないようなのでよかったが。
「ぅ、運命の人! だよ! ほら、分かるって言うだろ……っ!」
どうやら晴星の件の幽霊の噂を知っているらしい。その手の話には疎いイメージがある晴星まで知っているとは、それなりに有名な噂なのだろうか。
「別に。ハルの方こそ、気になるからついてきたんじゃないの?」
「は、はぁ!? べ、別にどうでもいいだろ」
あまりにも挙動不審なので悪戯を仕掛ける気持ちで返せば、予想外な反応を見せる。
顔を真っ赤に染めて言い募る姿は多分、図星だろう。
中学生ともなれば、そういうことが気になってくるものなのだろう。なんというか、いつも一緒だった幼馴染の成長を見せられた気分だ。
「好きな人でもいるの?」
感慨に浸りつつも、反応が面白いので畳み掛けるように聞いてみる。
恋愛沙汰にそこまで興味のない鈴蘭ではあるが、幼馴染のそういう話はちょっと興味がある。その手の話に縁がなさそうと思っていた晴星が相手なら尚更。
「お、俺、は……お前がっ」
「リン、晴星くん、着いたよー」
意を決したような表情を見せる晴星の声に絵海の声が重なった。
「ここ? 普通の場所だね」
鈴蘭の興味は晴星から廃工場の方に移り、消化不良の晴星は込み上げる感情を廃工場を睨みつけることで消化する。
「じゃあさっそく」
「待って、私が先に行く」
袋から出した竹刀を構え、先陣を切って足を踏み入れる。件の幽霊がいきなり襲ってこないとも限らない。警戒を最大限に周囲を見回す。
嫌な空気がさらに強くなっていること以外の異常は見当たらない。
「問題ないよ、入って」
促されて他の三人も中へ入る。最後の一人、殿を買って出た晴星が入った瞬間、扉が音を立てて閉まった。
扉が閉まる音が工場内に嫌に大きく響いた。
「ハル、脅かさないでよ」
「俺じゃねぇ……って、あれ? 扉が開かない」
「嘘でしょ……っ」
晴星と二人がかりで押してみてもびくともしない。完全に閉じ込められてしまった。
これは所詮、噂などと笑っていられる状況じゃないかもしれない。
「絵海、真梨……取り敢えず誰かに連絡して――」
やけに静かなことを妙に思いつつ、後ろを振り返る。
「絵海、真梨? ハル、二人がどこに行ったのか知らない?」
「知らねぇよ。つか、圏外だから連絡できねぇぞ」
言われて自分のスマートフォンも確認してみれば、無慈悲に『圏外』の二文字が表示されていた。
外に連絡はできない。友人二人は行方不明。なんとも絶望的な状況だ。
「二人を探そう」
正直ここから動きたくはないが、二人に命の危険がないとも限らない。一刻も早く二人を見つけて、出る方法を考えるのが今できる最善だろう。
晴星も背負っていた竹刀を構え、周囲に警戒しながら中へと進んでいく。
薄暗く、おまけに澱んだ空気がさらに暗い雰囲気を醸し出している。
友人二人の名前を呼びながら慎重に歩を進める鈴蘭の視界に蛍光色の何かが掠めた。暗い中で嫌に目立つ色に反射的に竹刀を払う。
嫌な感触とともに生暖かい液体が腕にかかる。
「うぇ、なにこれ」
生臭い香りのする液体だ。今すぐ洗い流したい衝動に駆られるが、状況がそれを許さない。
「リン! まだ来てるぞ」
「分かってる」
暗闇の中、無数に蠢く蛍光色の物体。アニメや漫画なんかで見覚えのある、触手だ。
次から次へと襲いかかる触手を、晴星との連携プレーで切り払う。都度、生食い液体が身体にかかるが、気にする余裕なんてなかった。
「うぅ、お父さんの形見なのに」
液体が身体にかかることよりも、竹刀にかかることの方が鈴蘭的には問題だった。
龍刀と呼ばれるこの竹刀は生前、父が愛用していたものらしい。鈴蘭が剣道を始めたいと言い出したときに風斗から渡された。
以来、大事に大事に使ってきたものだ。それがこんな形で汚されることになるとは。
身体は洗えば綺麗になるが、果たして竹刀を洗ったとしてこの生臭さはちゃんと取れてくれるだろうか。
「おいっ、ぼけっとすんな!」
傍まで迫っていた触手を晴星が切り裂く。
「ごめん、ありがと」
今は考え事をしている場合ではないと気合いを入れ直す鈴蘭はふと首を傾げた。
「引いてく……?」
二人のことを諦めたのか、蛍光色が少しずつ遠ざかっていくのが見えた。
ようやく息をつく間を得られて、呼吸を整える鈴蘭は触手が描く軌跡をじっと見つめる。
「多分、二人はあの触手に連れていかれたんだよね?」
「状況的にそうだろうな」
「じゃあ、これを辿ったら二人のところに追いつけるんじゃない?」
触手はほんの一部に過ぎす、奥に行けば本体がいるかもしれない。今のように簡単に捌けるとは限らない。
そんな危ないところに晴星を、大事な弟分を連れていくわけにはいかない。静かに決意を決めて、晴星の方に向き直る。口を開こうとしたとき、ずいっと竹刀が目の前に突き出された。
「ここで待ってろとか言うんじゃねぇぞ。俺も行く」
「でも……ほら、助けが来るかもしれないし、誰が待ってた方が」
「だったらリンが残れよ。女に危ないとこ行かせて、自分だけ安全な場所で待ってたなんて知られたら父さんに殴られる」
鈴蘭はまだ完全に受け入れていない中、晴星は蛍光色の軌跡を辿っていく。
ここでどんなに説得しても晴星は折れない。分かっているから、これ以上何も言わず、鈴蘭も後を追いかける。
もし、危険な状況になっても晴星のことは絶対に守ると胸に近いながら。
慎重に足を運び、大きな影が見えた頃、柱に身を隠した。
「なんだ、あれ」
無数の触手を手足のように蠢かせる不気味な物体。大量の口を備えた歪な塊がそこにはいた。
液体の比じゃない生食い香りが鼻腔を犯し、胃液が込み上げるのを必死に堪える。
幽霊の方がまだ可愛げがある。
「あ、あそこ」
指差す先に絵海と真梨の姿があった。触手と同じ色のヘドロに包み込まれ、意識を失った状態で横たわっている。
「あれくらいの距離なら頑張ればいけるかも」
絵海と真梨は触手の本体よりも少し離れた位置にいた。一気に駆け寄って二人を回収し、そのまま来た道を全速力で駆け抜けれぱきっといける。
アイコンタクトを交わし、同時に飛び出した。瞬間、二人のことに気付いたらしい塊が一斉に触手を伸ばす。
目も耳も鼻もないのにどうやって感じ取っているのか。
そんな疑問を頭の隅に置いて、次から次へと来る触手を巧みに切り飛ばす。
「よし、後は二人を回収して」
なんとか絵海と真梨の元に辿り着いた鈴蘭。後ろで晴星が触手を捌いてくれているのを感じながら、二人の方へ手を伸ばす。
「……っ…」
突然、絵海を包み込むヘドロが形を変え、鋭く飛び出してきた。反射で避けるも掠めた腕から血が零れる。
コンクリートの地面を汚す赤い水滴にヘドロは驚異的な反応を見せた。
傍にいる鈴蘭にも、捕らえていた絵海にも目もくれず、数滴の血に飛びついた。
それに驚きつつも隙と受け取って、絵海を抱き上げる。
「ハル――」
一度距離を取ろうと後ろを振り向いた瞬間、晴星の身体が吹き飛ばされた。
今までとは比べ物にならない太く速い触手に横から殴りつけられ、面白いぐらいに飛んだ晴星は柱に叩きつけられる。
トドメと言わんばかりに別の触手が大きくしなって、倒れ伏した晴星へ叩き込まれる。
その様を鈴蘭はただ呆然と見ていた。見ていることしかできなかった。