3話 術
先日の一件は過保護な身内によってかなりの大事にされ、海斗には妖退治屋の護衛がつくこととなった。
「いくら護衛を雇ったところで、俺より弱い奴らなら大した意味もねぇけどな」
環も加わったことにより、ここの戦力もそれなに補強された。
小鬼やヤツブサのように常駐ではなくとも、武藤家に出入りしている妖の中にはいざというとき、あてになる者もいるのだ。
「ってか、今まで通り普通に出入りできてることの方が問題か」
護衛の妖退治屋は手始めに蔵周辺に結界を張った。元々あった当代一の妖退治屋の結界を上書きする形で。
しかし、練度が低すぎるあまり、それほど役には立っていない。
強いていうなら小物が入り込めないようになった点で多少は楽ができるようになった。
元々、ヤツブサが己の妖気で蹴散らしていたので、なくてもそこまで困らない。なんてことは言ってはいけない。
「うちには有能な方が雇えるほどのお金の余裕がありませんから」
貧乏貴族だと揶揄される武藤家は一般家庭程度の生活を保つだけでも精一杯だ。
そのくせ、今の当主も先代も見栄っ張りで不必要な場所にばかりお金をかけたがる。
ただえさえ少ないお金がどんどん減っていき、平均的な生活すらできなくなる未来はそう遠くない。
だからこそ、奇跡の子たる海斗に過剰な期待が寄せられる。
藍の子は基本的に無欲で、それでいて優秀な者が多い。その存在は武藤家へ繁栄をもたらすと言われ、海斗もその例にはもれないだろうとヤツブサは考える。
「無能しか雇えねぇなら雇わねぇ方がいいと俺は思うけどな」
「タマもそう思う。あいつら、鬱陶しい。邪魔」
「そんなこと言ってはいけませんよ。私も同感ですが」
こうやって普通に話すだけでも、外で見張る妖退治屋に聞こえないように気を遣わなければならない。
これからずっとこんな窮屈な日々が続くのかと思うと少しだけ気が滅入る。きっと、それもすぐにどうでもよくなってしまうのだろうが。
そんなことを考えて、海斗は最後の一ページを読み切った本を閉じる。
「ここにある本もほとんど読みつくしてしまいましたね」
蔵で過ごす長い時間の中で内容を諳んじられるほど読み込んでしまった。
「ほん、おわった?」「かいと」「あそぼ」
海斗が本を読み終わるのを待ち望んでいた小鬼たちが嬉しげに床を跳ね、海斗の袖を引っ張る。
「構いませんよ」
持ってくるおもちゃを手に相手をしてやれば、小鬼たちはまた嬉しげに跳ねる。見ているだけでも癒される光景だ。
微笑み、見つめる海斗の耳にふと美しい鈴の音が聞こえた。
「ったく、なんだい、あの汚らわしい結界は。これならまだヤツブサの張ったヤツの方がマシじゃないか」
文句を言いながら、美しき妖が蔵の中へと入り込んだ。背中に流す髪や、服のいたるところに鈴をつけた女妖だ。
その顔立ちは整っており、うっかり精気でも吸い取られそうなほどの魔性に満ちている。
「おい、外の奴らはどうした? まさか殺してねぇだろうな」
「あのみすぼらしい輩のことかい? それなら邪魔だったから寝てもらったよ」
「一応、海斗の護衛なんだから手を出すなよ」
文句を言うヤツブサの言葉の一つとして聞き入れることもなく、女性は小鬼と遊ぶ海斗へと歩み寄る。
細長い指で海斗の顎を持ち上げ、キスでもしようかというほどに顔を近付けた。
「久しぶりですね、五十鈴」
「久しぶりだね、海斗。今日も変わらず、美しい顔だねぇ」
「ありがとうございます」
まったく動じない海斗の顔を存分に見つめた後、五十鈴と呼ばれた女性は隣に腰掛ける。
「しっかし、あんな奴らじゃ、小鬼の相手にすらならないだろう。護衛なんか、そこの百足さえいりゃあ十分じゃないか」
「そんな理屈、ここの人間にゃ通じねぇよ」
ここにいる面子の中ではもっとも人間に近い意見が言えるヤツブサが溜息を吐くように返す。
本物の人間がいるのに妖であるヤツブサが一番近いなどおかしな話である。
「どうせなら藤咲桜くらいの大物が来てくれれば楽なんだけどな」
「以前ヤツブサが話していた方ですね」
当代一の妖退治屋で、妖界の王にすら引けととらない人物だと言っていたことを思い出す。
「海斗と同じくらい綺麗な霊力を持っている人間さ。アタシは海斗の方が好みだけどねぇ」
「妖にとっちゃそうだろうな」
「彼女の霊力は少しばかり刺激が強いからねぇ。海斗のは蕩けるように甘くて美味しい」
蠱惑的な表情で海斗へ擦り寄る五十鈴をヤツブサは冷めた目で見つめる。
彼女が海斗に害をなすことはないと信用しているので、視線を寄越すだけで留めておいた。
「やだねぇ。そんな目でアタシを見るくらいなら有能な妖退治屋の一人や二人、スカウトしてきたらどうなんだい?」
「俺はここから動けねぇんだよ。知ってんだろ」
「おや、そうだったねぇ。不便なもんだ。んじゃ、アタシが代わりにちょいと勧誘でもしてこようかね。先代の繫がりもあるし、無下にはされまいよ」
最後に海斗の頬をひと撫でした五十鈴は軽やかに鈴を鳴らしながら立ち上がる。
「こうして近くに置いてくれる藍の子は久しぶりだからねぇ。一肌でも二肌でも脱いであげるさ」
端正な顔立ちに艶めかしさを宿しながら五十鈴は蔵を後にした。
それが数日後、五十鈴の勧誘が功を奏したのか、桜が舞う紺の着物を纏った女性が武藤家を訪れた。
ぬばたまの黒髪を流した背中は伸びていて、年の頃は二十代くらいだろうか。落ち着いた雰囲気なのでもう少し上かもしれない。
「初めまして、武藤海斗さん。私は藤咲桜と言います」
「僕は真砂だよ。よろしくね」
職務中に居眠りした妖退治屋は武藤家当主に解雇を言い渡され、その代わりとして彼女が派遣されたらしい。
当代一の妖退治屋。妖界の王に匹敵するほどの実力を持つその女性には中学生くらいの少年が付き従っていた。
栗色の髪と狐色の目を持った少年だ。その首元には鈴がぶら下がっており、彼が動くたびに軽やかな音を鳴らす。
「妖、ではありませんね」
「ご名答! その辺の知識はないって聞いてたけど、一目で気付くなんてすごいね」
真砂と名乗った少年は人懐っこい性格のようで、天真爛漫さが窺える笑顔を海斗に向ける。
「僕は式だよ。さくちゃんによって作られた存在って言えばいいかな。戦闘から家事まで一通りのことはできる有能な小間使いさ!」
答えながら真砂は興味津々に蔵の中を見て回り、時折少しだけ懐かしそうな表情を見せた。
そういえば、五十鈴が先代の藍の子と縁があるようなこと言っていた。もしかしたら、その先代を思い出しているのかもしれない。
次の藍の子、海斗が生まれたということは当然、先代は亡くなっているということで――。
「その辺に何匹か隠れてるね。退治する気はないから出ておいで」
思索に耽っていた海斗の傍で真砂はそっと手を差し伸べるような仕草を見せる。
そこには小鬼たちが隠れていたはずだ。視線をやれば、案の定、出るべきか否か相談している小鬼たちの姿が見える。
海斗の傍を賑やかにする妖たちは新しい妖退治屋が来るということでみな、物陰に隠れていたのだ。
今までの妖退治屋たちが気付きもしなかった彼らの存在を真砂はあっさり見抜いてみせた。
「流石だな、藤咲桜の式」
小鬼たちよりも先に姿を現れたヤツブサは静かな目で真砂、そして桜を順繰りに見た。
「真砂って呼んでくれていいよ。君はここの主かな?」
「主なんて大層なもんじゃねぇよ。ただの守り番だ」
ヤツブサが姿を現したことで、小鬼たちも恐る恐る姿を現す。
増えた妖に桜は動じるどころか、視線を寄越しもしない。ただ真っ直ぐに黒曜石の瞳を海斗に向けていた。
「勿体ないですね。それだけの霊力を持っていながら守られるだけだなんて」
淡々とした響きで桜はそう呟いた。
しん、と静けさが部屋の中に降り立ち、全員の視線が自然と桜に向けられていた。
「貴方にその気があるのならば、私が戦う術を教えましょう」
感情の波を一つも映し出さないその目はどこまでも海斗を見ていた。
ここまで真っ直ぐに、淀みなく海斗自身を見てくれる人間はもしかすると初めてかもしれない。
藍の子としての価値など彼女は興味がないようだ。そのことが海斗には新鮮に映った。
「是非」
微笑み、答えたその日から海斗の妖術修行は始まった。
修行といっても特に苦労することもなく、海斗はたったの一週間で教えられた術のすべてを使いこなせるようになっていた。
海斗には元々、術を扱う素質があったらしい。
練度を高めて、さらに難しい術を覚えて。少しずつ、少しずつ、実力を高めていき、一か月も経たないうちに海斗は桜に次ぐ術者と言えるほどにまで成長していた。
「もう私が教えることはありませんね」
「すっごいね。もうここまで強くなっちゃうなんて。こんなに才能がある人、さくちゃん以外に初めて見たよ」
これで修行は終わりだ、と桜は言った。
「最後にこれを」
そう言って渡されたのは竹刀だった。
何の変哲もない竹刀。道場にいくらでもあるそれは同じ外見でも、何かが違って見える。
触れてみれば、その違いが圧倒的な質量を持って海斗の中に流れ込んできた。
「これは?」
「龍刀と名付けられた妖具です。使い方は説明しなくても分かりますね?」
竹刀を握る。掌から伝わる熱を確かに感じながら、海斗は静かに頷く。
言葉ではないどこかで海斗はこの龍刀の使い方を完璧に理解していた。
「いろいろと教えていただき、ありがとうございました」
丁寧に頭を下げる海斗へ、桜は仄かに口角をあげてみせた。
一か月近い付き合いの中で彼女が表情を浮かべたのは初めて見た。薄い微笑は柔らかく、舞い散る花弁のような儚さを映し出している。
「いえ。私も貴方に会えてよかったです」
お互いに微笑みを交わして二人は別れた。
遠ざかる桜の後ろ姿を見つめながら海斗は淡く考える。
――きっともう彼女に会うことはないだろう、と。
その考えを肯定するように海斗の視界の縁で銀色の光が美しく散っていた。