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1話 藍の子

武藤海斗のスピンオフです

彼が生まれてから死ぬまでの話

 この世に生を受けた瞬間から己の役目を理解していた。


 きっと自分は長生きできない。

 そんな事実すらも当たり前のように受け止めて、ただあるがままに生きるだけの人生。それを悲しいとも誇らしいとも思わず、日々を過ごすのが武藤海斗という人間だった。


 ところで、海斗が生まれた武藤家には変わったしきたりがあった。


 藍色の髪を持つ者は『藍の子』と呼ばれ、神の生まれ変わりとして祀り上げられる。

 両親とは似ても似つかない美しい藍色の髪を持って生まれた海斗もまたしきたりに則って祀るように育てられた。


 本家で『藍の子』が生まれるのは久しぶりで、一族総出で期待を込めて大切に大切に育てあげた。

 親と引き離されても、多くから期待を向けられても、海斗の中で特別な感情が生まれることはない。


 ――海斗には執着心というものが欠落していた。



 神同然の海斗に関わるのは世話係を申し付けられた数人の使用人くらいで、ほとんどの時間を一人で過ごす幼少期であった。


 海斗に宛がわれたのは、屋敷から少し離れた位置にある蔵を改造した広い一室だった。

 歴代の藍の子が生活していた名残のあるそこには様々なものが溢れていた。きっと独りきりの空間で暇をつぶすための物が揃えてあるのだろう。


 孤独の中にいながら、孤独というものを知らないまま、海斗は蔵の中にある書物を読むことで暇をつぶしていた。

 献上品として与えられるものもほとんどが本だった。きっとこんな風に蔵の中には少しずつ物が増えていったのだろう。


 海斗に深く接触しようとする者はいない。他者から知識を与えられることがない代わりに、海斗は本を読むことで必要な知識を身につけた。それは微妙に偏った知識ではあったが、指摘する者はいない。


 ひきこもり同然の生活だけをしているかと思いきや、海斗には定期的に蔵の外に出る機会がある。

 武術をする時間である。武藤家は武術に秀でた家で、次期当主となる海斗も一通り扱えるようになる必要があった。


 好きでもなんでもなく、必要と言われたからする。ただそれだけ。

 どこまでも受動的な海斗の才能は、兄弟子たちを軽く凌駕するレベルで、七歳になる頃には頃には武藤流の有段者の一人として名前を連ねることとなった。


 蔵の傍に立つ気に背中を預けて、日課のように読書をしていた頃。

 木々の隙間から差し込む日差しが温かく、うとうとと頭を揺らしていた頃。


 近付く気配を感じて、閉じかけていた目を開けた同時に頭に衝撃が襲った。ささやかな痛み、横に立つ人物の姿を認めて、数拍遅れて自分が竹刀で叩かれたのだと理解する。


「きらいだ」


 海斗を叩いたその人物は憎しみを込めた目でそう言った。


「とうさんも、かあさんも、みんなお前のことばっかり。きらいだ」


 責め立てる声を、首を傾げた状態のままで聞き、時間をかけて彼が自分の弟なのだと思い至った。


 自分に弟がいることは世話係の使用人たちの噂話で知っている。けれども、会ったこともなければ、独りきりで過ごしてきた海斗には家族というものへの理解がない。

 正直なことを言ってしまえば、弟という存在に関して興味も関心もなかった。


「いっぱいもってるくせに! おれからとっていくなよ!」


 睨みつけるその目に涙さえ溜めて訴える弟の言葉にまるで心当たりがない。

 ただ泣きそうなその顔で責め立てる弟にどこか申し訳ないという思いはあって。


「すみません」

「……っ」


 零した謝罪に弟は傷ついたような顔をした。

 顔をくしゃくしゃに歪めて、強く握りしめた竹刀を振り上げる。


「空斗! お前、何をしている!」


 竹刀が海斗の頭に向けて振り下ろされるよりも早く、激昂した男の声が轟いた。

 弟は大きく肩を震わせて、泣きそうな顔に恐怖を宿らせる。


「海斗様、申し訳ございません。息子にはよく言って聞かせますので」

「いいえ。私は気にしていませんよ」

「寛大な配慮、感謝いたします。ほら、お前も頭を下げなさい」

「いやだ」


 それだけ言うと弟は拗ねたようにそっぽを向く。

そこに小さな矜持が宿っていることに父親は気付いていない。父親の目には海斗どころか、空斗のことさえもまともに映っていないのだ。


「空斗!」

「いやだ。おれ、わるくないもん!」

「このっ――」


 幼いながら誇りを守らんとする弟は頑なだ。父は痺れを切らし、怒りがこもった拳が振り落とされる――寸前で海斗がその手を止めた。


「謝る必要はありませんよ」


 柔らかな微笑を向ければ、弟は悔し気に唇を噛み、「ばか!」という捨て台詞だけを残して去っていく。


「待てっ、空斗! 申し訳ありません」

「いえ、あまり怒らないでやってください」


 寛容とは少し違う態度ですべてを許した海斗に深々と頭を下げて、父親は弟を追いかける。

 再び一人きりになった海斗は去り行く二人の後ろ姿になど興味はなく、すぐに本へと視線を落とそうとしてやめる。


「外で本を読むのはやめた方がいいかもしれませんね」


 きっと弟の目に留まって不快な思いをさせてしまうから。

 日向で本を読むのは好きだったけれど、特別な執着心があったわけでもないのですぐに諦めた。


「優秀な兄と比べ続けられる弟と、実の父親に他人行儀に接される兄。どちらが辛いと思う?」


 蔵へと足を踏み入れたとき、そんな声を投げかけられた。

 今日は随分といろんな人に話しかけられる。いや、彼は人とは少し違っていたが。

 ともかく海斗の短い人生の中でも、ここまで人に話しかけられるのはかなり珍しいことだ。


「さあ、分かりません。どちらなんです?」


 問いかけた声の主は目の前にぶら下がる珍妙な生き物だ。

 例えるなら百足に近いその生き物は、天井にぶらさがりながらゆらゆらと揺れている。


「お前を見る限りじゃ前者だな、武藤海斗」

「私の名前を知っているんですね。では、貴方の名前を教えてください」

「……少しも驚かねぇんだな、お前」


 息を吐くような声に首を傾げる。

 驚くも何も彼の気配ずっと前から感じていた。話しかけられたのは初めてだったが、常に気配を感じていた者に今更驚くことはない。


「ヤツブサだ。いろんな奴を見てきたが、お前は飛び切りだな」


 ずっと一人きりで過ごしてきた海斗に話し相手ができた。


 ヤツブサは天井下りという妖なのだそうだ。

 かなり前から武藤家で暮らしているらしい。それなりに物知りでもあって、暇潰しがてらに様々なことを教えてくれた。


 彼と話すようになってから少しずつ妖という存在に関わることも増えていった。


「次から次へと湧いてくんな。当代一の妖退治屋の結界が役に立ってねぇじゃねーか」

「当代一の妖退治屋、ですか」


 妖退治屋とは、妖を退治することを生業としている者のことだとヤツブサが言っていた。


「藤咲桜。妖界の王と互角にやり合えるバケモンだよ。ま、あいつには劣るがな」


 ヤツブサの話には時折「あいつ」が出てくる。

 彼がこうして武藤家に居座る原因らしいその人物は、武藤家の始祖と呼ばれる人なのだと最近分かってきた。

 聞くところによると、「あいつ」は最強の妖退治屋だったのだという。


「そのような方が何故ここの結界を?」

「ざっくり言うとと何年か前に依頼したからだ。先代の藍の子を守るために」


 なるほど、と頷く。


 文句こそ多いが、ヤツブサは聞けば丁寧に教えてくれる。面倒見のいいタイプらしい。


 先代の藍の子とやらもヤツブサは知っていると言った。海斗のように話かけはしなかったが、その一生を見てはいたと。

 武藤家で終わるはずの一生を捻じ曲げて家を飛び出し、愛を押し通して命を落とした、と。


 愚かとも言うべき行動を、しかしヤツブサは良いとも悪いとも言わなかった。ただそういうことがあったとだけ語る。


「良い悪いなんて他人が決めていいことじゃねぇだろ。自分の人生を評価するのは自分自身。そうだろ?」


 それがヤツブサの自論のようだった。

 自分の人生を決めるのは自分自身。良いも悪いも自分次第。


 その身体を揺らしながら滔々と語るヤツブサの話を海斗はただ聞いていた。ただ、聞いていた。

 その考え方に対して抱く感慨もなく、海斗にとってはいくつも聞かされた話の一つでしかない。


「かいと」「かいと」「あそぼ」「いっしょ」「あそぼ」


 ふと袖を引かれて死を見れば、小さな鬼がひょこひょこと飛び跳ねている。

 見ているだけで思わず微笑みを浮かべてしまう彼らはよくここに遊びに来るようなった妖たちの一部である。


 妖と一緒にいるのは楽でいい。

 己の欲に忠実で、自儘で、なすがままに流される姿は自然と共感ができた。

 自分はもしかすると人間よりも妖の方が相性がいいのかもしれない。


「もてるねぇ」

「ヤツブサも一緒に遊びますか?」

「俺みたいなジジイがお前らなんかと遊んだらすぐバテちまうよ」


 何かあればすぐに年寄りぶるヤツブサはそんな言葉だけを残して天井の奥に引っ込んだ。

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