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2話 化け物であるということ

 朝早くに目を覚ました海里は手早く身支度を済ませ、数少ない荷物の一つである竹刀を持って蔵の外へ出た。


 龍刀と名付けられたそれは海里の父が使っていたものらしい。

 お前が持っているのが相応しい、と育ての親から餞別にもらったのだ。


 いつかこの竹刀に見合う男になる。そう心に決めた海里は叔父に隠れて毎日素振りをしていた。

 基礎的な動きは育ての親に教えてもらった。今はそれが完全に身につくまで反復練習を繰り返すだけ。


 でも、身についたらどうすればいいのだろう。その先の戦い方を海里は知らない。

 叔父はきっと教えてくれない。基礎だけできてもこの竹刀には釣り合わない。


 ――興味がありますか? でしたら明日、道場に来てみてください。


 あの人なら教えてくれるだろうか。

 生徒全員を我が子のように愛する優しい人。


「行って、みようかな」


 一人で生きるためには強さだって必要だ。

 なら貪欲に目の前にあるものはすべて手に入れてしまおう。


「強くなったら父さんに近付けるのかな」


 父のようになりたいというのは海里の中に漠然とある思いだった。


 海里は父に会ったことがない。写真や話でしかその存在を知らない。

 それでも憧れがあった。すごい人だったといろんな人が口にする度に誇らしくなり、追いつきたいと心が疼いた。


 髪を伸ばすようになったのも、父に近付きたかったから。

 いつか、父に似ていると誰かに言われることが海里の密かな夢だった。






 一先ず、海里は彼に話しかけてみることにした。星司という名の、自分を助けてくれた少年だ。

 幼等部の教室にいけば、星司は誰かと話していた。


「健、きのうどこに行ってたんだよ。しんぱいしたんだぞ」

「遅くなりそうだったから王様のとこに泊まったんだよ。今度からちゃんと連絡するから」


 不思議な雰囲気の少年だった。小柄で恐らくは海里よりも年下だろう。


 ただ、見た目と身に纏う空気が年齢の不一致感を誘う。何百年も生きていると言われたら思わず納得してしまいそうな老成した空気をまとっている。


「兄さん」


 不意に無機質な目と合えば、冷たく彩られた高い声が星司を呼んだ。

 その呼び方から察するに、彼は星司の弟のようだ。よく見れば、確かに顔立ちがどことなく似ている。


「あの人、兄さんに話があるみたいだよ」


 淡白な声に星司が遅れて海里の存在に気付く。

 驚きが映し出される過程に見向きもせず、星司の弟らしい少年は消えるように去っていく。


 まるで海里に星司の相手を押し付けているようにも見える。まさか、そんなことないとは思うけど。


「お前、きのうの……えーと、海里だっけ」

「うん。昨日は助けてくれてありがとう」

「きのうも聞いたって」


 照れたように寝癖だらけの髪を弄る星司。その姿に思わず笑みが零れる。

 同年代の子とちゃんと向き合って話すのは久しぶりな気がする。


「あ、俺、岡山星司な。きのう言いそびれちまってたから。星司でいいぜ」


 彼はどうやら人との距離感を掴むのが上手いようだ。

 突っぱねられない絶妙な距離感で海里へ笑いかける。


「んで、話って?」

「ええと……星司って剣道してるの?」


 自分で話しかけようとしたくせに肝心の内容まで考えていなかった。

 どこから切り出せばいいか分からず、妙な間を作らないように思い浮かんだことを問いかけた。


「してっけど、海里もきょーみあんのか? なら、やろうぜ! 俺から師匠に話してやるよ」


 咄嗟に思い浮かんだだけの問いかけだったのに話は思い通りに進んでいた。


 海里の選択がよかったというよりは、星司のコミュニケーション能力のお陰だろう。

 急に詰められる距離に驚いて言葉を返せない海里に星司は不安げな表情を見せる。


「いやなのか」

「ううん、うれしいよ。俺もやりたいって思ってたから」


 早速、今日の帰りに春ヶ峰学園の道場を訪れることとなった。

 昨日と同じで迎えは来ない。門限もなければ、早く帰るよう言われているわけでもない。


 叔父の無関心な態度が今回ばかりはありがたいと思える。これで好きなだけ、剣道の練習ができるのだから。


「来てくれたんですね」


 道場に行けば、和道が待っていた。

 穏やかな顔に穏やかな笑みを浮かべるその人はとても温かい。


 まだ道場には和道以外の人は来ておらず、もう少ししたら小等部の部員たちが来るらしいと説明してくれた。


 春ヶ峰学園は小等部から部活に入部できるが、星司のように幼等部の頃から練習に混じる子もいるという。

 とはいえ、剣道部には今まで星司しかおらず、仲間が増えたと星司は大はしゃぎだった。


「一先ず、実力を見るために星司さんと手合わせしてみましょうか」


 初心者であれば、まず基礎的な動きを教えることから始めるだろう。

 しかし、和道は海里の佇まいから経験者と見込んで一番にそう告げた。


「まけねぇぞ、海里!」


 息巻く星司を前に海里もまた借りた竹刀を構える。子供用の竹刀は普段扱っているものよりも幾分か軽く、その違いを手に馴染ませる。


 星司の実力は知らないが、まだ剣道を始めてからそれほど時間は経っていないように見えた。それでも侮れないくらいに才能はある。

 竹刀を正眼に構えて、勝ち筋をイメージする。


「始め!」


 声とともに星司が飛び出す。その瞬発力は海里も上で、出遅れた海里は受けるように竹刀を動かした。

 迎える衝撃は、育ての親のものよりも軽い。


 子供相手でも容赦のないあの人のお陰で、海里は落ち着いたままに一歩踏み込む。

 鍔迫り合いから星司の竹刀を下へと流し、そのまま胴へ打ち込む。


「そこまで!」


 明確な実力差を証明するように決着はほとんど一瞬でついた。一切呼吸を乱さない海里を、肩で息をする星司が感動するように見つめる。


「すげぇ」


 きらきらと輝く目に見つめられることが妙に嬉しかった。こそばゆくて、どこか誇らしくて。


 剣道の腕で褒められると、教えてくれた育ての親まで褒められている気分になる。

 もうきっと会うことのないその人のことを思う胸が温かい。


 それから海里は道場に通うようになった。星司とも仲良くなり、毎日競い合うように練習をした。

 手合わせはいつも海里の勝利で幕を閉じる。


 何度も負けを重ねても星司は諦めることなく、真っ直ぐに勝負を挑んでくる。


「いつか、お前に勝つからな」


 その言葉がとても嬉しかった。

 未来を示す言葉は、続く道を表している。


 星司は海里とともにある未来を当たり前のように想像して、こんな日々が続くことを当たり前のように信じている。

 それが嬉しくて、海里もまたそうであることを願った。


「負けないよ」


 なんて返すたびに嬉しさが込み上げるのを隠した。


 二人の関係性はまさしくライバルというのだろう。

 先輩部員たちに見守られながら互いを高め合うように競い合う。


 史源町に来るまでは想像もしていなかった充実した日々を海里は今送っている。


 楽しかった。幸せだった。

 自分自身を忘れたように流れる日常を満喫する。きっとそれがいけなかったんだと思う。


「どこへ行っていたんだ」


 剣道の練習が長引いて、帰りが遅くなった日。普段はそんなことを聞いてこない叔父が帰ってきたばかりの海里にそう問いかけた。


 その目に心配の色は映っていなかった。

 苛立ちと憎しみが混じり合い、仇のように海里を見つめている。


「遅くなってごめんなさい」


 今日は機嫌が悪いらしい叔父へ、深々と頭を下げる。これ以上、叔父を刺激しないように細心の注意を払って――突然頬を叩かれて尻餅をついた。


 驚きが頭の中に溢れ、少し遅れて頬の痛みを実感する。じんじんと叩かれたところが熱い。

 叔父は海里のことをよく思っていない。いつも憎むような目を向けてくる。


 けれど、こうして手をあげられることは初めてだった。

 帰るのが遅くなったのが悪かったのだろうか。


「ごめ――」

「人間ごっこは楽しいか?」


 冷たい声が浴びせられた。頬を殴られたときよりも走る衝撃は大きくて息を呑む。


「お前みたいな化け物がどう足掻いたって人間にはなれないんだよ」


 化け物。そう呼ばれた。

 ふと幼馴染の少年の姿が思い浮かんだ。叔父と同じ、海里を化け物と呼んだ少年が。


 海里は半人半妖だ。人間でも妖でもない存在。

 どんなに上手く取り繕ったってその歪みは決して直らない。海里はどうしたって人間にはなれないのだ。


「お前の正体を知ればみんな去っていく。――勘違いするな、化け物」


 それだけ言って叔父は去っていく。

 その後ろを追いかける後ろ姿があった。透けた金色の髪を靡かせる同じ顔の少年。


「待って」


 小さな声でも彼には届いた。怒りを詰め込んでいたその表情が心配を映し出して海里を見つめる。


 心配の中に引き止めたことへの疑問が混じっていた。

 海里のことを大切に思ってくれる優しい子なのだ。


「大丈夫だよ」


 心を締め付けられたのは叩かれたからでも、心ない言葉をぶつけられたからでもない。

 叔父の言葉は海里が忘れかけていた事実を教えてくれただけだ。


 人にも妖にもなれない自分が受け入れてもらえない。それは当たり前のことだ。

 その事実を忘れて、普通の子供であれると勘違いしていた自分自身が何より許せなかった。


 半人半妖というだけじゃない。武藤海里という存在は今生きていることすらも奇跡なのに。

 自分を愛してくれている人の時間を使って生きているだけ。


 全部が全部、叔父の言う通りなのだ。

 海里の胸を締め付けるのは、独りよがりな思いで周囲の優しい人たちを騙してしまったことだ。


 星司も、和道も、剣道部の先輩たちもみんないい人ばかりだ。だから、もう彼らに近付かないようにしよう。


「大丈夫ですか」


 暗く悲愴な覚悟を決める海里は差し出された手にふと顔をあげる。


 見知らぬ青年だった。黒髪に黒目。どこか紳士的な雰囲気をまとった青年が海里に手を差し伸べる。

 その手を見つめて、自分が尻餅をついたままだったことに気付いた。


「だ、大丈夫、です」

「手を擦りむいていますね」


 伸ばされた海里の手を取り、引っ張りあげた青年は徐ろにそう言った。


 冷たい手が柔らかく海里の手を包み込み、温かな光をまとう。じんわりと解けだすように光は海里の中に染み込んで傷は瞬く間に消え去った。


 青年は赤くなった頬にも手をあて、同じように不思議な力で治癒をした。治癒をして、深々と海里に向けて頭をさげる。


「突然申し訳ありません。痛々しくて見ていられなくなったもので」

「い、え……その、ありがとうございます」


 整った顔立ちが和らいだ。慈しむようなその表情はどこか懐かしい感じがする。

 怪我を治したあの不思議な力も、海里は知っているような気がした。


「挨拶がまだでしたね。私はレオン。妖界の王、妖華様の勅命により馳せ参じました」

「ようかいの、おう?」

「海里様のお母様でございます」

「おかあ、さん」


 先程から海里はレオンの言葉を反芻してばかりだ。それくらい急なことだった。


 突然現れた青年。突然持ちかけられる母の話。

 父親のことは度々、育ての親から聞いていた。面倒臭がりでどうしようもない奴だったと、海里の笑い方が父に似ていると。


 けれども母については妖である以外のことを今の今まで何も知らされてこなかった。

 父と同じように、母も亡くなっているのではと最近では考えるようになったくらいだ。


「込み入った話になりますので場所を移しても構いませんか」

「えっ、あ……じゃあ、俺の部屋に」


 他に海里が案内できる場所なんてなかったので一先ず、蔵へと案内した。


 蔵の中へと入ったレオンはじっと天井を見上げる。そこに何かあるのかと海里も一緒に見上げてみるが分からない。

 見知った気配を仄かに感じるだけだ。


「すみません。話、でしたね」


 すぐに気を取り直したレオンが海里に向き直る。


「妖界の方で海里様をお迎えできる準備が整いましたのでそのご報告を」

「お迎えって……?」

「単刀直入に申しますと、海里様はこれから私が所属する部隊に身を置くことになります」


 言い聞かせるように言葉を選んでいくレオン。

 海里はその一つ一つを自分なりに咀嚼していく。


「ここから出ていくの?」


 咀嚼していった先で問いかけた言葉の後ろには星司の姿があった。

 この史源町でできた友達。出ていくということは彼と離ればなれになるということだ。


「すぐに、という話ではありません。そうですね……次の春が来る頃には」

「そ、か」


 言葉に納得した海里の中には嘆きも怒りも生まれなかった。ただ純粋に真っ直ぐに、それしかないのだと思ってレオンの言葉を受け入れる準備が整っていた。


「分かりました」


 浮かべるのはいつもの笑顔。強がりではなく、ただ癖になってしまった笑顔だ。

 落ち着いた様子の海里にレオンは驚いて、少し悲しそうな顔をした。


「そのときになったらお迎えに上がります。もし何か聞きたいことがあればこれをお使いください」


 すぐに表情を仕事用に切り替えたレオンは小さな水晶を海里へ渡した。


「呼びかければ、私と話ができますので」


 端的な説明を済まし、レオンは深々と一礼する。見送りは不要だと言ったレオンの後ろ姿を見送って海里は息を吐いた。


 気遣うような視線に気付いて、透けた少年へ笑いかける。


 次の春が来るまでは大体一年くらい。それが海里がこの町にいられるタイムリミット。

 ちょうどいいと思った。化け物でしかない自分はこの町に、星司たちの傍にいない方がいい。


 化け物が生きていられる道を母が作ってくれたのならそれに従おう。


「レオンさん、優しそうな人だったね」


 やっぱり心配そうな少年に話しかける。

 とても優しい人だった。受け入れた海里の姿に心を痛めてくれるくらいに。


 きっと彼ならば、海里のことも、この身体ことも大切にしてくれるだろう。だったらそれで構わなかった。

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