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1話 一人きりの覚悟

幼少期、海里が史源町にいた頃のお話です


第1節第6章のネタバレを含みます

「新しいお友達の武藤海里くんです。みんな、仲良くしてあげてね」


 背中に流された長い藍色の髪。同じく長い前髪で隠された左目の眼帯。

 浮世離れした雰囲気を持つ少年がこの日、春ヶ峰学園幼等部へ入学した。


 同じ年頃の子供たちに囲まれながら、海里はもうすでに癖になっている穏やかな笑顔を浮かべた。

 齢五つ、誕生日を迎えれば六つになる少年は同年代の子供たちと比べても、かなり大人びていた。


「かいりくん、いっしょにあそぼっ!」

「ねぇ、かいりくんはどこからきたの?」

「オレ、虫つかまえんのとくいなんだぜ」

「おままごとしよう。おとうさんやって」


 海里は抜きん出て容姿が整っている。が、まだ幼い子供たちは顔の美醜などに興味はなく、新しく入ってきたという事実だけに好奇心を突き動かされて海里に集う。


 同年代の子たちに囲まれながら、海里は貼り付けたような笑顔を崩さない。

 突っぱねることもなく、優しい笑顔と優しい声で一つ一つに答えていく。


 幼子特有の強引さを心配していた保育士も、大丈夫そうだと他の子供たちへ目を配り始めた。


 ――お前みたいな化け物、好きなるわけないだろ。


 海里の耳にこびりついた声がある。

 親友だと、ずっと親友として一緒にいられると信じて疑わなかった人物の声。


 今もはっきりと胸の中に刻みつけられた声は海里の心を深く縛り付ける。


 海里は普通の人間ではない。人と妖の間に生まれた子供である。

 彼もそのことを知っていて、受け入れてくれているものだとずっと思い込んでいた。勘違いだったようだけれど。


 鋭く放たれた言葉を思い出し、鈍い痛みを感じながら海里は笑う。次は間違えないように。


 親友になれるなんて思わない。秘密は隠し通す。

 幼子に似合わない覚悟を痛みの代わりに胸に落とした。






「海里くん、そのお迎えなんだけど……」

「大丈夫です」


 今まで住んでいた町を離れた海里を引き取ったのは父の弟にあたる人だった。


 物心がつく前から血の繋がらない老人に育てられていた海里は父の記憶がまったくないので正直ピンと来ないのだが、叔父は父のことが嫌いらしい。


 いや、嫌いという言葉も適切ではない。叔父の胸に渦巻いているのは嫌悪というより、途方もない劣等感だ。


 どうやら、父はかなり優秀な人だったらしかった。多くの功績を残して亡くなった父と、叔父は今もなお比べ続けられているのだ。


  劣等感に支配された叔父は自ら望んで海里を引き取りながら同時に海里を遠ざけた。

 必要最低限の世話以外するつもりはないと、はっきりと言われている。


 保育園の迎えだって、使用人が従弟だけを連れて帰っていったらしい。海里は自分で帰らせろと伝えられたと困ったように告げられた。

 心配そうな保育士の視線を受けながら、海里はやはり笑顔を浮かべて帰路につく。


 道は朝来たときに覚えたので大丈夫。分からなくなったら誰かに聞こう。

 これから海里は一人で生きていかなければならない。そのために少しずつ処世術を学んでいこう。


 まだ五年と少ししか生きていないとは思えない考えで、当たり前のように結論づけた。


 寂しさはある。心細さもある。

 それでも海里に与えられた道のりが一人で生きていくことなら、それすらも消化して進んでいこう。


〈海里、大丈夫か〉

「大丈夫だよ」


 脳内に直接響く声がある。

 まだ小さな身体に宿るもう一つの魂のものだ。


 そう、海里は一人だけど独りではない。孤独の道を強要されたとされても、海里が真に孤独になることはない。


 決して離れることのできない大切な存在が傍にいるから。だからこそ、海里は寂しさを乗り越えることができるのだ。


〈そこは右じゃなくて左だ〉


 交差点に差しかかった海里を窘めるように声が響いた。


「あれ、そうだっけ」

〈海里は時々抜けているところがある〉


 その声に責める色はなく、むしろどこか笑っているようだ。


 近寄り難いなんて周りから言われていたのが不思議なくらいに、海里の前にいる彼はいつも柔らかい。

 彼は優しい。そう言ったとき、いつも幼馴染の少年は信じられないと返していた。


 触れたら傷つく鋭い刃のようだと誰かが例えていたのを聞いたことがある。

 いつだって彼の優しい部分にしか触れていない海里には到底理解のできないことだった。


「危ないっ!」


 ふと聞こえた声に、急ブレーキの音が重なる。

 見れば、道路を横断しようとしていたらしい少女が尻餅をついており、そのすぐ傍に急ブレーキを踏んだ車が止まっていた。


 間一髪。あわや事故になるところだった。

 少女はまだ幼く、保護者らしき女性が駆け寄っていく。


「事故にならなくてよかったね」

〈……〉


 話しかけても声は返ってこない。

 珍しいことだった。彼はいつだって海里の声に応えていたから。


 どこか重い沈黙の最中、世界がぶれるように金髪の少年の横顔がチラついた。この世と重ならない透けた身体の少年は隻眼を見開いて少女を見つめている。


 この世の終わりのような表情で、この世ではないどこかを見ている。


 胸の中が疼いて、絶望に近い感情が波となって押し寄せる。同時に全身を突き飛ばされるような衝撃が海里の中に走った。


 小さな身体が宙を舞って、赤い飛沫が青空を汚した。うねる藍色の髪がどこか美しい。

 赤い軌跡を描きながら転がっていく身体。


 絶望を詰め込んだ声が鼓膜を震わせた。

 どこか非現実的だった。痛みが遠くて、身体が動かないことに疑問を抱いた。


 泣き叫ぶ彼へ手を伸ばしたいのに伸ばせなくて、もどかしさが胸を締め付ける。

 やがて遅れてきたような痛みが全身を支配して、赤い液体とともに命が零れ落ちていく。


 怖い、とその時初めて思った。


 大事なものが少しずつ零れていって、消えてしまう自分自身に恐怖した。


 痛くて、苦しくて、怖くて。もう二度とこんな思いしたくないと涙を零す。

 そしてもうこれで終わりなのだいう事実に震えた。


 視界が霞んでいく。指先から冷たくなっていく。意識が、遠のいていく。

 人とはこんなにも簡単に終わってしまうものなのか――。


「ーーい、おいっ! ――い――か?」


 誰かの声が聞こえた気がした。

 その記憶を最後に海里の意識は一端途絶える。


 再び目を覚ましたときあったのは知らない天井だった。背中には柔らかい感触があって、自分はベッドの上に寝かされているのだと気付く。


「あ、起きた。師匠! 起きた!」


 白に統一された空間を確認するように視線を動かしていれば、同じ年頃の少年と目が合う。


 寝癖だらけの少年で、同じ制服をまとっている。

 どこかへ向かって声をあげる少年に応えるように白いカーテンの向こうで影が動いた。


「こんにちは。気分はどうですか」


 現れたのは三十代くらいの男性だった。穏やかな顔立ちはどこか安心でき、仄かな警戒が温かく解かれていく。


「えと、大丈夫です」

「それはよかった。自分の名前は言えますか」

「……武藤海里です」

 

 穏やかな顔が微笑めば、さらに柔らかな雰囲気になる。一目でいい人だと分かった。


「あのっ、助けてくれてありがとうございます」


 まずはお礼を、と起き上がり、拙くお辞儀をする。

 一人で生きていくのなら、こういう礼儀はきちんとできるようになっておかないといけない。


「お礼は彼に言ってください。貴方を見つけたのは彼、星司さんなので」


 星司と呼ばれた寝癖頭の少年は海里が目覚めたことにどこか安心しているようだった。


「みちの真ん中でたおれてるからおどろいたぜ。んで、師匠のとこまではこんだんだ」


 あの事故を見てから記憶が途切れている。おそらく、あの日のことを思い出したせいだろう。


 自分の命が終わる瞬間を――。


 考えて心臓が早鐘を打ち、荒くなる呼吸を必死に飲み込んだ。


 大丈夫。大丈夫。

 自分ではなく、身体を共有するもう一人へ語りかけるように心を落ち着けていく。


「ほんとに大丈夫か? なんかびょーきとか…… 」

「そういうのじゃないから」


 そう言って笑いかければ、星司は何か聞きたそうに視線を動かしながらも口を噤んだ。


 癖になっている笑顔は他人を遠ざけるにも効果的だ。

 心配してくれるのはありがたい。けれど、あのことは誰にも話すことはできない。


 ――いいか、お前らに起こったことは誰にも言うな。分かったな?


 育ての親である老人とも約束している。


 何より、自分が一度死んでるなんて荒唐無稽な話を誰が信じてくれるというのだ。

 この身体は双子の弟のもので、二人で共有しているだなんて。


「一先ず、海里さんは私が送り届けましょう」

「そんな……本当に大丈夫で」

「念の為ですよ」


 引き下がってくれる気はないらしく、仕方なく海里の方が折れた。


 彼の名前は春野和道というらしい。海里が今日から通うことになった春ヶ峰学園の学園長なのだと。

 剣道部の指導もしているらしく、その縁で星司から「師匠」と呼ばれているらしい。


「剣道……」

「興味がありますか? でしたら明日、道場に来てみてください」


 和道は優しい人だ。学園の生徒を自らの子供のように大切にしているようで、その温かい眼差しを向けられるととても安心する。


 もし、父が生きていたらこんな感じだったのかもしれない。そんなことを思った。


「送ってくれてありがとうございました」


 和道と別れた海里は真っ直ぐに武藤家の敷地内を歩いていく。屋敷とは違う方向へ歩く。


 と、気難しく顔を彩った男性を見つけた。実年齢よりも老けた顔立ちは強いストレスの影響だ。


 武藤家は落ちぶれていく一方で、陰口のように先代と比べられる日々。積み重なったストレスは海里を見る視線にも宿っていた。


「ぁ……叔父さん、ただ今帰りました」

「そうか」


 たったそれだけ。知っていたから別に悲しくも寂しくもない。

 仄かな憎しみを宿した無感動な目に深くお辞儀を返して、海里は急ぐように叔父の前から離れる。


 叔父はいつも海里のことを視界にいれないようにしていた。きっと父と同じ藍色の髪を見ると思い出してしまうのだろう。


 だから、海里は大急ぎで離れる。叔父をこれ以上苦しめないように。


 海里が与えられた部屋は、屋敷から離れた蔵だ。蔵といっても広さは十二分のもので、備え付けの家具たちは貧乏貴族と揶揄される武藤家とは釣り合わないような高級品ばかり。


 様々な種類の本やおもちゃ、暇を潰せそうなものは一通り揃えられている。

 整理整頓も行き届いた部屋はただの居候に与えられるにしては少々豪勢すぎる。


「昔、誰かが暮らしてたのかな」


 何年、もしかすると何十年か前に誰かが暮らしていたような、そんな空気がする。それにどこか懐かしい気配の残り香も――。


「海里様、夕食をお持ちしました」


 感情を消し去った声に海里は慌てて、居住まいを正す。


「ありがとうございます」

「いえ」


 短く答えて去っていく使用人の姿は海里との関わり合いを避けているようにも思える。


 海里は必要最低限以外はこの蔵で過ごすように言われている。

 食事もここで一人きりで。誰とも関わることなく。


「おいしい」


 海里は真に独りきりになることはない。

 ないが、彼は食事を一緒にとることは出来ないので、真に独りの食事だ。


 やっぱり少し寂しいと思う。


 プロが作った料理は今まで食べてきたどれよりもおいしいはずなのに味気ないように思えるのは何故だろう。


 育ての親が作った雑な男料理の方がおいしいと思えるのはどうしてだろう。


 口にいれたら一緒だ、と出された料理はいつも焦げていた。レパートリーも少なくて、料理は苦手だと言いながら海里たちのために毎日かかさず手料理を出してくれた。


 懐かしい思い出だ。焦げた味も、不思議と幸福として心を満たしていく。

 誰かと食べた方がおいしいなんて当たり前すぎて一人になってみるまで知らなかった。


 これも慣れていくしかない。海里はこれから一人で生きていなければならないんだから。

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