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神生ゲーム~天が覗く間奏曲(インテルメツォ)~  作者: 猫宮めめ
門衛、君江八潮の恋愛事情
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1話 美少女新人

時系列は八潮が門衛になった後から第1節が始まるまでのどこか


カメレオン少年の選択のネタバレを含むので、先に読むことをおすすめします


 君江八潮という男は恋愛事に一切の興味がない。

 とはいえ、顔立ちは整っている方で、築き上げられたキャラクターは人好きをする。


 門衛となった最初の方はそうでもなかったが、後輩が増えるにつれてモテるようになっていった。


「八潮さんはかっこいいからね」


 残り人生すべてを捧げてもいいと思える少年は、いつも通りの無表情で無感動にそう言った。


「素はともかく、今の貴方なら年下受けはいいでしょうね」


 年上のような雰囲気をまとった年下の少女は、人の性質を的確に見抜きながら妖艶にそう言った。


「それはそれで健兄さんのお役に立てる幅が増えるんだからいいんじゃないですか」


 無邪気を具現化したようなその人物は、まとう雰囲気とは真逆の冷たさでそう言った。


 三者三様の言葉を聞きながら、八潮が思ったことといえば、「そんなものか」という納得だけだった。


 君江八潮というのはそういう人間だ。言うなれば、中身がない。空っぽ。

 無感情というわけでなく、無感動というわけでもなく、人として大事な部分が完全に抜け落ちている。


 それは倫理観であったり、常識であったり、欲と呼ばれるものであった。


 八潮には欲がない。食欲や睡眠欲は、生きていく上で最低限必要なくらいに持ち合わせている。けれど、そこまでだ。


 人として面白みがないほどに空っぽな八潮。

 これには八潮が育った環境が大きく関係していると言えるだろう。


 親に売られ、暗殺者として幼い頃から教育され、守りたかったものを守れず、復讐に身をやつし――それらすべて、誰かの掌の上で踊らされたことだった。


 自我が育つ間もなく、意思のないままに周囲にとって望ましい答えを選び続けた。今こうして、門衛として働いていることすらも、他者の望みの上にある。


 今までと少し違うのは、望みの上に生きていくことを八潮自身の意思で選んだということだ。

 彼にとって都合のいい人間であることが、八潮の中にある明確な意思であり、ともすれば欲と言えるものなのかもしれない。


「おはー、お前は相変わらずの日替わり定食か」

「毎日カレーの人に言われたないわ」

「ここはやたらと種類が豊富だからな。毎日食っても飽きないぜ? お前もたまには食えよ、カレーカレー」

「食べるにしても朝はない」


 毎日三食、カレー三昧のカレー信者、真岩帳(まいわとばり)に冷たく返す。同期で、部屋が隣同士ということもあって、門衛の中ではもっとも親しい人物と言っていい。


 今後出世するだろうという健の見立てもあるので、仲良くしていて損はないだろう。


 そんな打算が裏にあることを帳は知らない。

 現時点で帳は優秀とは言い難く、出世には遠いように見える。まさか、打算で自分に近付く者がいるなんて想像してすらいないだろう。


 むしろ、八潮の出世に期待している者の方が多い。

 けれど、八潮が大きく出世することはなく、帳の方が出世する。これは八潮が誰よりも信じる健の言葉だった。


 前者は単純な話、健とってそちらの方が都合がいいからなのだが。


「そういや、昨日入ってきた新人見たか? めっちゃくちゃかわいい子」

「いんや、見てへん。そないに美人なんか?」

「美人っつーか、かわいい系? アイドルにいそうな感じの」

「へぇ」


 まるで興味がなさそうに八潮は相槌をする。実際、興味がない。


 顔の美醜なんて、多少目の保養になるかどうかの違いだし、そこで揺らぐ心を八潮は持っていない。


 何より、どれだけ可愛いだの、美人だの言われても、八潮が知る一番の美人の足元にも及ばないことがほとんどだ。彼女と行動していれば、ある程度の耐性は身につく。


「本っ当に興味なさそうだな、お前。聞いたぜ、谷地さんから花街に誘われたのも断ったんだってな」

「そら、断るやろう。門衛が花街に行くんは規律違反や。危ない橋を渡る気はあらへん」

「んな規律なんて形だけだろ。上だってがんがんに花街通いしてんだから」


 そのことは八潮も知っている。

 この貴族街において、規律やルールなんて形だけのものだ。お上の一言でいくらでも特例が生まれる。


 権力ヒエラルキーの上に立つものから気に入られさえすれば、多少の違反は目を瞑ってもらえる。


 八潮は門衛の上層部から気に入られているし、貴族街のトップたちとも親しい間柄だ。

 もし仮に花街に行ったのがバレて処分されるしても、厳重注意か、悪くて謹慎くらいだ。


 危ない橋と言う程の被害は正直ない。


 他のメンバーが厳しく処罰されても、八潮だけは免れることができる。そこまで分かっててなお、断ったのは興味がないから。

 女性に現を抜かす理由が八潮には全く分からない。


 ――八潮、ちゃん。


 不意に耳朶を打った声から意識を逸らすようにご飯を掻き込む。


「今日は南門担当やから俺はもう行くで」


 これ以上、この話題が続くのはまずいと八潮は立ち上がる。

 不審に思われないよう最新の注意を払いながら、食器を片付ける八潮の視界の隅で一人の女性が立っている。


 一糸まとわぬ姿の女性。長い髪で顔を隠したその女性の身体は穢され、白濁の液体が内腿を伝って床に零れ落ちている。


 ――殺、して。八潮ちゃん、八潮ちゃん。殺して。


 薄く開かれた口から世迷言のように言葉が零れる。

 気付かないふりで通り過ぎようとした八潮の傍におぞましい精の香りが擦り寄る。


 ――ねぇ、なんで助けてくれなかったの?


 男の欲望によって汚された美しい顔が八潮を睨みつける。


 ――何のためにお前を売ったと思ってる!?

 ――守ってくれるんじゃなかったの?


 首から血を流した男性が、投擲用のナイフをいくつも身体に刺した女性が、八潮を責めたてんと迫ってくる。

 それらすべてを無視して、逃げるように八潮は自室へと戻った。


「っ……はぁ、はっ、く」


 自室に戻ってすぐ八潮は乱れた呼吸で喘ぎながら扉の前に蹲った。


 苦心しながら八潮を売った父はそんなことは言わない。

 八潮のために泣いてくれた母はそんなことは言わない。

 最後まで心の純潔を守った姉はそんなことは言わない。


 全部が全部、八潮の妄想だ。

 荒れた呼吸の中で言い聞かせるように心を落ち着ける。こんなことですべて無駄にするなんて、彼の協力者としての価値が落ちる。


 今まで何度もそうしてきたように一人で――不意に着信音が鳴り響いた。息を呑み、画面に表示された名前に、逡巡もなく電話に出た。


『朝早くにごめんなさい。お取り込み中だったかしら?』


 電話越しでも美しい声が耳朶を打った。鼓膜が歓喜するように震える程の美声。


「大丈夫や。何かあったんか?」

『少しお願いがあるだけよ』


 蠱惑的な声が紡ぐ「お願い」という言葉。

 たった一単語だけで八潮はそっと胸のうちに緊張感を落とす。


『少し調べてほしいことがあるの。急ぎでお願いするわ』

「分かった」


 その内容を聞く前から八潮は即答する。

 彼女からの頼みならば、逡巡する余地すらいらない。


 どんなことでも、たとえ法を犯すことでも、困難なことであっても、断るなんて選択肢は八潮の中には存在しない。


 八潮の答えに仄かな笑みを浮かべたような口調で、電話先の彼女はお願い事の内容を告げる。


『それじゃあ、よろしくね』

「任しとき」


 短い、少し言葉を交わしただけの電話。

 それだけでも八潮の心はすっかり落ち着きを取り戻していた。


「嬢ちゃんは毎回おっそろしいくらいにタイミングがええなあ」


 もはや、盗聴や盗撮でもして八潮の観察をしているのではと疑ってしまうくらいに。

 実際そうであっても、八潮には構わないが。


「まあ、お仕事がんばるとしますか。急ぎやって話やし」


 求められたことが何に繋がるか分からない。それでも八潮のやることは変わらない。別に知らなくたって――たとえ、とんでもない大犯罪の片棒を担がされていたとしても八潮の意思が変わることはない。


●●●


 門衛の仕事はその役職名通りに、外へと繋がる三つの門を管理することが一番大きい。他にも警備や事件の捜査など、ざっくり言えば貴族街における衛兵のような役職である。


 この貴族街にはきちんとした法律なんてものが存在しないので、形だけの部分も大きいが。


 さて、八潮の本日の仕事は南門の出入りの管理。窓口に立って、小難しい手続きをするのが主な内容だ。

 とはいえ、三つある門の中でも南門は人の出入りが少ない。


 それは貴族街の南に広がる大きな森があるからというのが一番大きな理由だろう。

 森の中には鬼が暮らしているなんていう噂もあるくらいで、貴族街で暮らす者は近寄りたがらない。


 商業区から最も遠い門なので、外の者も使うことは少ない。


 簡単に言えば、南門での仕事はめちゃくちゃ暇なのである。


「はじめまして、三和夢羽(みわゆめは)です。夢羽って呼んでください、センパイ」


 そういえば今日は新人と一緒だったと可愛らしく作られた声に目を向ける。


 声だけでなく表情も、髪型も、服装もすべてが可愛く見えるように作り上げられていた。


 なるほど、彼女が帳の言っていたアイドルみたいに可愛い新人か。

 上目遣いな彼女を見た八潮の感想といえば、メイクが上手いなくらいだった。


 知り合いの美女が話していた見せ方が完璧に再現されている。その点は感心した。


「私も八潮センパイって呼んでいいですか」

「ええよ。みんな、そう呼んどるしな」


 八潮は名字で呼ばれるのが苦手だ。

 周囲には下の名前で呼ばせている。門衛内には家族関係がよろしくない訳ありが少なくないので、八潮みたいなタイプは珍しくない。


「噂通り可愛らしい子が来てびっくりしたわ」

「えぇ〜、どんな噂ですか」

「新人にアイドルみたいな子が来たっちゅう噂や。男どもはみぃんな鼻の下伸ばしとったで」


 まったく揺れ動かない心を嘯くように夢羽のことをべた褒めする。


「八潮センパイも、ですか」


 大きな目を上目遣いに八潮を見つめる夢羽。

 これにしたって、見せ方が上手い以上の感想は湧いてこない。


「そら、当たり前やろ」


 どこまでも無感動な心を無視して、作り上げたキャラクターで答える。


「このまま仲良う話しときたいところやけど、仕事せなな。ゆうても、南門は暇なんやけど」


 呟く八潮は結界が仄かに揺れたのを感じた。


 貴族街を覆う巨大な結界。桜宮家当主が張ったその結界は、正規の手続きを無視して出入りした者を振動で教えてくれる。

 それを感知する能力は門衛になるための必須条件だ。


 その振動をより感じとりやすい管理室内ですら、意識しなければ見落としてしまいそうな程の振動。


 全身が感じ取ったそれを辿り、侵入者の位置まで特定した上で、無視した。


「八潮センパイ、ここ微妙に反応が出てるんですけど」

「ん、ああ、このくらいなら問題あらへん。誤差の範囲や」


 結界の振動を観測する機械を覗きながら答える。

 ほんの僅かな反応は八潮が感じ取ったものを示している。


「風とかで微妙な反応が出ることもあるんや」


 これは事実である。その微妙な反応に隠れるように侵入した者がいるだけで。


「それに隠れて侵入する輩もおるから注意が必要やけど」

「それってどうやって見分けるんですか」

「んー、いろいろあるけど……まあ、最終的には勘やな。自分の直感を信じるのが一番や」

「うぅ、難しいです」


 可愛らしく顔を顰める夢羽に笑い声を返す。

 八潮はどちらかと言えば天才タイプで、人に教えるのが苦手なのでそれ以上説明できるものがない。


「八潮センパイって感知能力試験トップで通過したって聞いたんですけど、ホントなんですか?」

「本当やな」


 別段隠すようなこともないので、素直に答える。謙遜するでも、自慢げにするでもなく、あくまで事実を事実として答えるように。


「すごいですね! 尊敬します」

「褒めてもなんも出ぇへんで。俺にはこれくらいしか取り柄がないだけや」


 これもまた事実。八潮が心から思っていることだ。

 人並外れた感知能力と、隠蔽能力。元々持っていた才能を健によってさらに伸ばされたそれらは、八潮が彼の役に立つためのたった二つの武器だ。


「と、ほら誰か来たみたいやで」


 話を無理矢理終わらせるように、窓口になった八潮は目の前に飛び込んできた美貌に一瞬、思考を放棄した。


 漆黒のドレスをまとい、髪をサイドテールに結い上げた美少女。夢羽なんて目じゃないくらいに完成された美貌。


「許可証は持ってますか」

「ええ。これを」


 短い台詞でも、世界を揺るがすほどに美しい声音。

 すでに冷静さを取り戻している八潮は差し出された許可証を確認するふりで、隠し持っていた紙片を美少女へ渡す。


「OKです。中へどうぞ」

()()()()()、門衛さん」


 蠱惑的な唇が紡ぐ言葉の意味を正しく受け取りつつ、通り過ぎる美少女を見送る。


 濃密な甘い香りだけを残される中、どこか熱に浮かされたように呆然とする夢羽へと向き直る。彼女の術が上手いこと効いているようだ。


「横で見といたるから、次は夢羽がやってみ」

「……えっ、はい。が、がんばります」


 夢心地のように放心していた夢羽が我に返り、八潮と入れ替わるように窓口へ立つ。

 その間際、八潮は甘い香りとともに残された術の残滓を綺麗に消し去った。

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