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6話 処刑人のお膳立て

 上から降り注ぐ無数の雫たち。景色に紗をかけるようなそれらを八潮は窓越しに見つめる。

 オポッサムを殺し、ラットを殺し、残すは両腕と呼ばれる二人とボスだけ。それも今日で終わる。

 忌まわしきと言うべき、八潮が組織を離反したあの日から一週間と少し。八潮自身、こんなにも早く復讐を遂げる日が近づくなんて思ってもみなかった。


 これもひとえに健の協力のお陰と言えるだろう。

 彼は本当に優秀だ。戦闘技術もさることながら、その頭脳は常人の領域を遥かに超えている。


 年下とは思えない大人びた雰囲気も相俟って、何者なのか、ふとした瞬間に考えることがある。

 尋ねても、「処刑人だ」としか答えない。けれど、その言葉では語り尽くせない何かがあるような気がしてならないのだ。


「考え事ですか?」


 馥郁とした香りを連れて、部屋に入ってきたのは件の健だ。器を乗せたお盆を持つ姿は、ここ数日ですっかり見慣れた光景だ。

 戦闘のサポートだけではなく、健はこうして食事なんかも用意してくれている。


 何か企んでいるのは、とついつい考えてしまう八潮である。

 用意される食事は炊き出しのようなものばかりではあるものの、味はかなりレベルが高いように思える。本当に何者なのだろう。


「食事、持ってきましたよ」

「ああ。……お前の分はないのか」


 健が持ってくる食事はいつだって一人分だ。今まで大して気にしてこなかった事実になんとなく触れてみれば、無機質な瞳は驚いたように丸くなった。


「俺は食べてきたので」


 すぐにいつもの無機質さを取り戻し、どこか言い慣れた雰囲気の言葉を吐き出す健。

 用意していたともとれる態度と、驚いたような態度の齟齬が人間らしいと思えた。

 彼もちゃんと人間なのだと、そう気付いて安堵する自分に八潮は少しだけ驚いた。


「緊張してますか」

「別に……」


 健が運んできた食事を口に運びながら素っ気なく答える。

 人によっては気分を害するような態度でも、彼が気にする素振りはない。


「では、作戦の確認といきましょー」


 大仕事を前にしても普段と変わらない姿で、健は昨夜話し合った作戦について話し始める。

 アジトへの侵入経路。両腕たる二人の居場所の推測と彼らの対処法。そして、ボスを殺すための道筋。


 細かく、それでいて柔軟性に飛んだ作戦内容。ほとんど全て健自身が考えたものだ。

 八潮はそれを改めて反芻し、頭の中にしっかりと定着させる。


「決行は一時間後ということで」

「分かった」


 頷き、各々準備するために二人は別れた。




 目の前にあるのは見慣れた灰色の建物。十階建てのビルは傍から見ただけでは、暗殺組織のアジトなんて到底信じられない様相を保っている。

 中に入っても、それは変わらない。ただ纏う殺伐とした空気を隠しきれておらず、裏組織としての姿を鮮明に映し出している。


 外から見ただけじゃ分からないが、地下もある。そこには主に武器庫や、八潮にとっても馴染み深い鍛錬場なんかがある。子供たちの住居も地下にある。

 一階は普通の企業として姿を形だけ保っている。二階から十階はそれぞれ取り仕切る幹部の趣味によって整えられている。


 八潮が与えられていたのは四階。特に手を加えていなければ、部下もいなかったので、サイが仕切っていた頃と寸分変わらない姿で残されている。組織を抜けてからのことは分からないが。


「では、行きますか」

「ああ」


 残す幹部は三人。ボスがいるのは十階。残りの二人はそれぞれ八階と七階を取り仕切っている。

 他の階にも幹部の部下たちがいる可能性はあるが、特に警戒すべきなのはこの二つの階だろう。

 認識阻害の術と陰業の術を己にかけた二人は足音どころか、衣擦れの音一つ立てないままにアジトの中へ侵入した。


 最初に遭遇するのは受付に立つ男。退屈そうに欠伸をする彼は、ほとんど透明人間状態の二人に気付くことはない。

 視線だけで確認し合う二人はそのままなんの問題もなくエレベータへと足を踏み入れた。


「びっくりするくらい、ゆるゆるな警備ですね」


 エレベーターのカメラに細工を施した健は呆れた口調でそう言った。

 ここで術を解いてもカメラには残らないが、二人は念のため、透明人間状態のままだ。


 それでも互いの姿は見えているのは、健の工作のお陰らしい。らしいというのは、彼から聞いただけで何をしたのか八潮には全く分かっていないからだ。


「このまま七階に行きます。寄り道したいとことかありませんよね?」

「ああ」


 謎の気遣いに頷く八潮を確認し、健は「7」と書かれたボタンを押した。

 狭い密室の中で二人は無言だ。居心地がいいとも、気まずいとも言えない沈黙の中で、八潮は組織に対して思いを馳せる。


 十七年の人生の大半を過ごした場所。それを自らの手で潰そうとしていることに八潮の中で生まれる感慨はない。それほどまでにこの場所に対する愛着がなかったのだと気付かされた。

 先程の健の気遣いすら八潮にとって意味のなさないものになるように。


 寄りたい場所なんてない。八潮の心に残る場所なんて、この建物の中にありはしないのだ。

 組織に売られてから十年以上、自分はただ無為に過ごしてきただけなのかもしれない。今更ながら、そんなことに気がついた。無駄に時間を消費してきただけなのだと。


 ポーン、とやけに明るい機械音が鳴り、エレベーターが目的の階についたことを知らせる。ゆっくり開かれる扉の前に立っていた八潮は不意に後ろへ引っ張られた。


「……っ」


 突如、開きかけの扉に何かが衝突した。衝撃が鉄の箱を大きく揺さぶり、バランスを崩した八潮は壁に手をついた。


「手筈通り、八潮さんは上へ」

「あ、ああ」


 凹んだ扉を見て、ちゃんと動くのだろうかと心配する八潮を通り過ぎて、術を解いた健が扉の外へ出た。

 同時に歪な形でエレベーター閉まり、上昇を始める。九階へと。

 横目でそれを確認した健は、目の前に立つ人物と対峙する。


 大柄な男だ。

 身長が二メートル近くはある。羨ましいと場違いなことを考えつつ、自分のすべきことをなすために健は思考を切り替える。


「侵入者がいるって聞いて来てみれば、ただのガキじゃねぇかよ。本命は上に行ったヤツか?」

「どーでしょうね」

「答える気はねぇってことか。まあいい。あいつに足止めしてもらっときゃいい話だしな……ん?」


 そう言って、おそらくは八階を取り仕切る人物に連絡を入れようとした男は怪訝そうな顔をする。

 組織から配布された小さな通信機はノイズばかりを発して、一向に繋がる気配がない。


「ああ? 故障か」


 筋肉によって、一回りも二回りも大きくなった身体から想像できるようにあまり賢くはないらしい。

 指先に電気のようなものを纏わせた健は薄く笑って分析する。


「ジャミングさせてもらいました。しばらく通信機は使い物になりませんよ」

「小賢しい真似しやがんな。まあいい。お前を一瞬でぶちのめせばいいだけだ」


 男は武器の柄を握り直す。

 それは所謂、モーニングスターと呼ばれるものだ。柄の先に長い鎖が繋がっており、またその先に巨大な鉄球がつけられている。


 エレベーターに衝突したものの正体を認識した健はどうしたものかと瞬きをする。

 あんな大きな鉄球の相手はごめんこうむりたいのが本音だが、今与えられている役目は時間稼ぎ。一秒でも長く、男の気を引かなければ。


「そうだ、まだ名乗っていなかったな。俺はシカだ。ボスの左腕っつーヤツだな。お前は?」

「名乗るほどの者じゃありませんよ」

「そおかよ。まあいい。じゃ、とっととおっぱじめるぜ!」


 歓喜をそのままにシカと名乗った男は軽く柄を振る。動作とは見合わない重量を持って、襲い掛かる鉄球に苦笑した健は跳躍でこれを回避する。

 少しでも当たれば、小柄な健が吹っ飛ばされるのは目に見えているので、結界で受けるなんて下手な賭けには出られない。


「ほらほら、避けてばっかじゃつまんねぇぞ」


 壁や床、天井を破壊することすら構わず、シカはただ楽しげにモーニングスターを振り回す。圧倒的破壊を齎す鉄球に、健は避けるばかりだ。


「動きが鈍くなってきてんぞ」

「……っあ」


 止まることなく動き続けてきた健は見た目通りに体力がない。疲労を訴え始める身体に鉄球が掠める。

 ほんの少し、ほんの少しだけの接触にバランスを崩された健は床に転がる。

 そんな隙を逃さない巨大な鉄球。まさしく絶体絶命だ。


 その時、一陣の風が吹いた。室内に吹くそよ風は黒髪を揺らしながら健の横を抜け、迫りくる鉄球を両断した。


「間一髪ってところかな」


 聞こえた声はシカの背後から。驚いて振り返るシカは後ろに立つ存在の姿を見て、さらに驚くこととなった。


「どういう、ことだ。何で二人いる……?」


 背後に立っていたのは健であった。

 数秒前まで鉄球により窮地に陥っていた人物と瓜二つ。それどころか、頭の上から足の先まで完全に同じ存在だ。


「そんな悠長に出て来るなら、もう少し早く来てほしいものだね」

「これでも急いで来たんだよ?」


 困惑を絵に描いたようなシカを無視して、二人の健は悠長に会話をしている。

 そして、改めてシカへ向き直り、


「初めまして、岡山健と言います。貴方を殺しにきた処刑人です」


 遅れてきた方の健が無表情で名乗り上げた。


「そして、僕は貴族街を守護する紅鬼衆の一人、幻鬼だよ。騙して悪いね」


 続くように名乗り上げた健の姿は、もう健ではなくなっていた。

 一昔前の異国の服を纏った青年。紫紺の髪の隙間から伸びるのは二本の角だ。柔和に細められた瞳は真紅に染まっている。


「どうなってんだ、こりゃ」

「それではネタバラシといきましょう」


 ここからの話は八潮すら知らない、健の独断で動いたことだ。彼には何とかするとだけ言ってある。

 それで納得させられるくらいに信用も、信頼も、得られるように今まで立ち回ってきた。


「とはいえ、難しい話じゃない。僕は五感を操ることに長けていてね、君の五感を少し操らせてもらっただけさ。僕の姿が彼、健の姿に見えるようにね」

「その間、俺は結界を張らせてもらってました。九階に誰も出入りすることが出来ないように」


 実は、健は八潮と一緒に九階まで行っていたのである。そこから八階へ下りる階段を拠点に入出を拒むための結界を張ったのだ。

 十階でボスと戦う八潮の邪魔を、誰もできないように。


 ついでに九階や、十階にいた少ない数の構成員たちも全て無力化してきた。

 これで八潮は一対一で紅喰会のボスと戦える。


「お前ら二人で、俺とヒトデのヤツの相手をするっつーことか。はっ、死に戦みてぇなもんじゃねぇか」

「正直、他にも連れてこられたらよかったんですけどね」


 幻鬼の力はあまり戦闘向きではない。鬼なので身体能力は高いものの、戦闘力で言ったら紅鬼衆の中でも下から数えた方が早い。

 けれども、その戦闘向きではない力が必要だったので今回、健は彼を選んだのである。


 あまり人数を増やすと、七階に来るまでに潜入に気付かれる可能性がある。何より、八潮に気付かれてしまう。

 だからこそ、このメンバーで、この状況が健の選んだ最適解であった。


「にしては余裕じゃねぇか。ここには俺の部下だっているのによ」


 シカの言葉に呼び寄せられたように、複数の男たちが左右に並び立つ。二十に届かないながらも、二人きりの健たちは苦笑を浮かべるような人数だ。


「そうね。私だっているのよ」


 言って、上階から降りてきたのは一人の女性だ。

 紅喰会ボスの左腕である人物。ヒトデと呼ばれる彼女は妖艶な笑みを持って、状況を観察する。


「今まで通り行くとは思わないことね、坊や。私たちは他の幹部より何倍も強いの」

「それは怖い。でも――」


 言葉を切った健が微笑む。無表情に彩られていた童顔に宿る微笑みは悪魔的な恐ろしさを持っていた。


「俺からしてみれば全然弱い」

「舐めやがってっ!」


 モーニングスターの柄を捨てたシカが無手のまま突っ込んでくる。突進の最中、その手に巨大な斧のが生成される様を見物し、健は軽く跳躍。

 五人くらいは乗れそうな刃の上に着地し、シカの動きに合わせてまた跳躍した。


「ごめんね。邪魔をさせるわけにはいかないんだ」


 上司の援護をしようと各々の銃を構える男たちの視界が一瞬にして黒に塗り替えられる。

 持っていた銃すら消え失せた闇の中、目を紅く光らせた鬼だけが目の前に立っている。


「おやすみ」


 ふくよかな声の一言とともに閃光が瞬いた。闇に慣れ始めた目にその閃光は眩しすぎ、一瞬で意識を刈り取られた。


「これで終わり、と。相変わらず鬼使いが荒いな、健は」

「さすがの手際だね。やり方はえげつないけど」


 軽口の文句に軽口で答える健の周囲には巨大武器の残骸が大量に落ちている。

 幻鬼が下っ端の相手をしていたのはほんの数秒程度。その間に何があったのか、問い詰めたくなるレベルの量だ。


 武器の屍を作り出した健はもちろんのこと、短時間で巨大武器をいくつも生成したシカにも称賛をあげたい。


「油断してていいの? 相手は脳筋だけじゃないのよ」


 視線を完全に幻鬼へ向けていた健の背後に刃のきらめきが迫る。今にも命を刈り取ろうとする刃に健は目もくれない。目もくれないまま、掌を向けた。

 そこから放たれるのは一陣の風。渦巻くそれは無数の刃を纏って、構えたナイフごとヒトデを切り裂いた。


「どこみてんだ――」

「奇襲をかけたいならもう少し静かにした方がいーですよ?」


 寸前まで迫っていた巨大槍が同じように裂かれた。同時に入れられた蹴りで、少し軽くなった重量のままシカは後方へ吹き飛ばされる。

 その先を見届ける間を与えず、再びヒトデの猛攻。シカの攻撃の間に傷は全て塞がっている。


「超再生だったかな」


 八潮から聞いた話を思い出す健の一言。

 巨大武器を振り回すシカと、小回りの利くナイフでその合間を攻撃するヒトデ。相手に休む間を与えないそのコンビネーションは完璧だ。


 先に相手の体力を消費させるという魂胆なんだろうが、健の場合、そう上手くはいかない。

 無尽蔵に体力があるというわけではない。むしろ健は人一倍、体力がない。


 上手くいかないのは二人の猛攻の間、健がほとんど動いていないからだ。動かなければ、体力も消耗しないという単純な話である。


「そろそろ終わりにしますかね」


 巨大槍の重量が上乗せさせられ、壁に激突したシカ。軽い脳震盪を起こしているらしい彼の頭上で霊力が渦を巻く。


 一瞬で形を成すのは、彼が手に持つものと同じ巨大槍だ。

 生成するや否や、自由落下で落ちて来る槍はふらつくように避けるシカを見て、急加速する。


 飛び散る血飛沫と肉片。絶命していなくても、その被害はかなりのものだ。

 地面に突き刺さった槍の間から見えるシカの手がぴくりとも動かないのを見て取り、健はヒトデへと視線を移した。


「ひっ」


 小さく悲鳴をあげたヒトデの目に健はどう映っていたのか。

 きっと悪魔か何かだろうなと蚊帳の外で幻鬼は他人事のように考える。


「私には超再生があるの。脳筋みたいに上手くいくと思わないで……っ」

「実は俺、貴方と似たような力を持っている知り合いがいるんですよね」


 言いながら、健は一瞬でヒトデに詰め寄った。


「だから弱点も知ってます」


 耳元で囁かれた言葉に恐怖を感じる間もなく、ヒトデの身体から無数の鉄の棒が生える。的確に急所を貫くそれらは超再生をする暇を与えないまま、彼女の命を刈り取った。


「おしまいかな」

「思ってたより手応えがないものだね。そこそこ大きな暗殺組織と聞いて、警戒してたんだけど」

「所詮、人とは違う力に驕ってるだけの集団だよ。だから部外者で自分より強い相手に耐性がない」


 冷たく講評を述べる健は「さて」と階段の方へ足を向ける。


「幻鬼は帰っていーよ」

「君を残していくのは些か心配だけど……うん、分かったよ」


 無機質な瞳に「ここから先は不要だ」と書かれているのを読み取り、幻鬼は潔く引き下がる。

 健の計画に水を刺すような真似は避けたい。

 幻鬼がいなくても、健は強いし、一人きりになるわけでもない。仕方なしに納得しながら、最後の念押しのために口を開いた。


「くれぐれも大きな怪我はしないように」

「分かってるよ」


 あまり信用できない返事を聞いたのを最後に、幻鬼の姿はその場から消失した。


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