3話 報わせるための選択
目を瞑れば、鮮明に思い出されるのは守りたかった者たちの死に顔。そして、赤く燃え上がり、最後には黒く崩れ去った屋敷の姿だ。
瞳に黒い影を灯した八潮は脳裏に刻まれた光景に後押しされるようにして一歩前に出た。
目の前にいる標的はまだ八潮に気付いていない。それも当然の話だ。
カメレオンと称される八潮の潜伏技術は幹部すらも騙しきることができる。
内側で燻ぶる殺意を一つとして表に出さない八潮は、ブーツからそっとナイフを抜き取った。敵を殺すため、丹念に磨き込まれた刀身の銀が舞う。
「っ……なんだ…?」
ギリギリのところで躱され、八潮の攻撃は致命傷にはならない。
ナイフについた血を振り払い、流れるように二撃目――。
「ちっ」
視界を塞ぐように出現した無数の刃から逃げるように後ろへ下がる。
鎌のような形状の刃はくるくると回転しながら八潮を切り刻まんと襲い掛かる。
これがカマイタチと称される目の前の男の能力だ。
「お前……姿を見ないと思ったら、組織を裏切ったのか」
「裏切るも何も、俺は組織に忠誠を誓った覚えはない」
ようやく八潮の正体に気がついたカマイタチの問いかけに冷たく返した。
それで会話が終わりだと周囲の刃を一閃で切り裂き、一歩、カマイタチに踏み込む。
攻撃の気配を感じ、霊力が刃の形を成すよりも早く身を屈めた八潮はそのまま自身の気配を殺した。
「なっ、どこに行った……?」
すぐ傍にいたはずの八潮を、カマイタチは完全に見失っていた。
相手が自分を認識することすらゆるさない隠蔽能力。一瞬にして姿を消す力。
それが組織に重宝されていた八潮の能力。
カマイタチは誰も近づけないよう、自分の周囲に刃を展開させた。
確かに全方位に刃を展開されれば、迂闊には近付けない。正しい判断だ。
八潮は姿を隠すことばかりが得意で、攻撃力だけで言えば幹部に敵うと言い切れない。
しかし、それは八潮が結界の外にいた場合の話である。
くるくると回転する刃たちはカマイタチ自身を傷つけてしまわないよう、一定の距離を保って展開されている。内側に潜んでいれば、刃の脅威に晒されないまま、カマイタチを殺すことができる。
攻撃の気配に気付かれるより半瞬早く、八潮はナイフを振り上げる。磨き上げられたナイフはカマイタチのナイフを易々と切り裂き、流れるように二振り目で胴を裂いた。
舞う鮮血と踊り狂う刃から逃げるように後退し、刹那だけ消した気配でトドメを刺した。
「なん、で……」
構築する力が失われ、霧散する刃を目端で捉えつつ、八潮はその場を後にした。
あれだけの傷を負えば、味方が来たところで助からない。下手人が八潮だとメッセージを残される可能性も考えたが、問題ないと切り捨てた。
組織にバレようが、八潮のすることには変わらない。
幹部を全員殺して、紅喰会を壊滅させる。
大切なものを全てを壊した者たちへ報いを。
そのために組織から姿を消し、短い間ながら己の力を高めるために奮闘してきたのだから。
紅喰会の幹部はボスを含めて九人。既に一人は処刑人によって殺され、八潮が離反し、先程一人倒したから残りは六人だ。
ラット以外は大して交流のなかった者たちを思い浮かべながら、復讐の炎を灯した八潮は次のターゲットへ思考を移らせる。
ラットから教えられた潜伏技術を駆使して手に入れた情報によれば、近くにもう一人幹部がいるはずだ。
気配を殺して、その幹部が任された任務の場所へ向かう。
――しかし、そこには幹部どころか下級構成員の姿すらなかった。暗殺のターゲットは平然と生きていて、まだ着いていないのかと辺りを警戒する。
誰かが来る気配は感じない。
計画実行の時間は、すでに二十分以上過ぎていて、さすがに遅すぎると不審に思った八潮は辺りを散策し始める。
これで見つからなければ、今日は諦めるしかないが――見つかった。
暗い路地の影。鉄の香りを撒き散らしながら一人の男が倒れていた。
サソリと呼ばれる、幹部の一人。まさしく八潮が探していたはずの人物である。
「一体、誰が……?」
しゃがみ込み、遺体を確認するものの、目立った外傷はない。大量の血を吐き出したような跡があるので、相手は毒のようなものを使ったのかもしれない。
そして、遺体の傍には季節外れの桜が枝ごと置いてあった。
――桜は、貴族街の統治者の象徴やからな。
――処刑人や。
いつかのラットの言葉が脳裏を過った。
サイが殺されてから一ヶ月以上経った今、再び処刑人が動き出したということだろうか。
そこまで考えて、八潮はどうでもいいと思考を切り捨てる。幹部を殺して回る誰かがいるのは八潮としてはありがたいことだ。
自分と同等以上の実力を持つ相手を殺す手間を肩代わりしてくれているのだから。
幹部が一日に二人も殺されたことにより、紅喰会の警備は固くなった。
多少苦心しながら何とか情報を手に入れた八潮は今、貴族街にあるスラム街の一角にいる。
今日、ここに幹部の一人が来る。
その幹部の部下の会話によって手に入れた情報だ。特に可愛がっている部下の言葉だったので、おおよそ間違いないだろう。
紅喰会はしばらく貴族街から手を引くという方針を取っている。今回、件の幹部が来るのは任務ではなく、私用といったところか。
スラム街にどんな用事があるかまでは分からなかったが。
「来たな」
背の低い、小太りの男が滲む汗を拭きながらスラムの街を歩いている。
自ら人通りの少ない方へ歩いていく彼を好都合と追いかける。
細い路地。地下に続く階段があるらしいその場所で攻撃を仕掛けた。
カマイタチの技を見様見真似で際限した刃が男の肩を切り裂く。完全に隙をついた攻撃だ。
痛みに顔を顰め、振り返ったのと逆の方向から回り込んだ八潮は首筋にナイフを押し当てる。
「お――」
何か言う隙すら与えないままに無言でナイフを引いた。血飛沫があがり、階段の方へと倒れた男の身体はそのまま下へと転がり落ちていく。瞳孔の開いた目は横目で恨めしそうに八潮を見つめていた。
これで残りは五人。
やることが終われば、これ以上スラム街にいる理由はない。踵を返した八潮は胸に感じた衝撃に驚き、振り返ろうとしたところを足払いで体勢を崩される。
「なん……で」
「死んだはずってか。オイラの能力を知らないなら無理もねぇか」
八潮に馬乗りになった男は首筋を汚す血を拭き取って笑った。
肌色を取り戻した首にけがは一つも見つからない。
「――オポッサム。オイラはそう呼ばれてる。知ってるだろ?」
ラットの次に弱いと言われていた幹部は余裕の表情で八潮に語りかける。
馬乗りの状態で、愛用のナイフで突き刺された八潮の意識は朦朧としており、その余裕も頷けるものがあった。
「オポッサムってのは、死んだふりが得意なんだ。オイラの言ってる意味分かるか?」
「……」
「もうほとんど意識ねぇみたいだな。……トドメは刺さねぇ。運悪く生き延びたらまた殺しに来いよ。オイラはそういうギャンブルが堪らなく好きなんだ。待ってるぜ?」
地面を叩く金属音が聞こえた。
急激に血を失いすぎたせいで、頭が全く働かない。それでも遠ざかる足音を捉えた八潮は金属音を頼りに得物へ手を伸ばす。
ナイフを掴んだら、追いかけて、あの男を殺しに――。
視界は白くぼやけていて役に立たない。酸素もろくに取り込めない呼吸の中で、ついに八潮は力尽きた。
いつの間にか、懐から落ちたらしい水晶が血を反射してか、紅く輝いていた。
「すごい量の血ですね」
赤い水溜まりを踏む音と、まだ声変わりを迎えていない少年の声が朧気に聞こえてきた。
何者なのか。そう考える力すら奪われた八潮はそのまま意識を手放した。