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もしもの未来図

和幸と海斗の学生時代のお話です

時系列的に言えば、第1節第五章回想のあとの話になります

「お前のことが好きなのかもしれない」


 冗談のように紡いだ言葉を聞いて、少女は動きを止める。そして人懐っこさを宿した丸い目でじっと和幸を見つめた。


 おさげの少女だ。メイド服を身に纏い、和幸を寵愛を受けようと躍起になる令嬢たちに比べて全く飾り気のない少女。

 彼女は本来であれば、令嬢たちのように煌びやかな衣装を纏い、高価なアクセサリーを身に着けているはずだった。


 けれども、彼女が選んだのは和幸のメイドになること。

 ただ従順に和幸に付き従うことを運命づけられた少女は、自ら運命のままの選択をしたのだ。


 和幸の中には、そんな少女がどんな反応をするのか、不安と期待がせめぎ合っていた。

 物心つく前からずっと傍にいた少女。誰よりも和幸の理解している少女のことを、和幸は未だに分からない部分がたくさんある。


「幸様」


 和幸と彼女が結ばれていることを誰も反対はしまい。だから、彼女が認めるなら一緒になろう。

 だけど、もし彼女を困らせることになるなら――冗談だと笑って終わらせてしまおう。

 彼女を困らせることは本意ではないのだから。


「それは気の迷いですよ」


 和幸の予想を全て裏切って少女は言葉を紡いだ。

 真っ直ぐ和幸を見つめて、はっきりとした口調で。


「幸様の近くにいる女が私だけだからそう思っているだけです。勘違いです」


 言い聞かせるような言葉は拒絶とは違った。

 ただ事実を伝えているだけ。そう思わせるような何が宿っている。

 彼女の言うことはいつだって正しい。的確で、和幸の知らない和幸の心を射抜いている。

 だからきっと今回だって彼女が正しいのだ。

 和幸の中に湧いた彼女への恋心は、きっと気の迷いか何かで――。


「いつか本物の愛が分かる日が来ますよ」


 そう紡いだ少女はもう作業に戻っていて、和幸は彼女がどんな表情をしているのか見ることはかなわなかった。


 ●●●


 新緑に彩られた大きな木の下で一人の青年が眠っている。人が二、三人を広げてようやくおさまるくらいの大きな幹に背中を預け、健やかな寝息を立てている。

 下ろされた手には読みかけの本があって、もはや見慣れた光景に笑みを浮かべた。

 出会った頃は短かった藍色の髪は、少し伸びて肩口に触れるくらいになっている。


「……ん」


 手入れされていない割に綺麗な髪に触れれば、微かな声が漏れた。

 瞼が震え、長い睫毛が飾る縁が持ち上げられる。


「ゆき……?」


 白い瞼が取り払われ、現れたのは漆黒の瞳だ。黒色の持つ恐ろしさとは無縁の柔らかく温かい瞳。

 もはや、恒例と言える光景を前にして不思議そうに瞬きをしていることが少しおかしかった。


「なんだ、起きたのか」

「貴方、また私の髪で遊ぼうとしましたね」


 残念そうに呟けば、柔らかかった目に不審の色が宿る。

 今回は完全に濡れ衣だ。とはいえ、今まで散々、彼の髪をいじってきた前歴があるので否定できない。

 もう少し起きるのが遅ければ、いじっていたのは間違いないのだから。


「髪伸びたなーって思ってただけだ。切らないのか?」

「そうですね。……そろそろ切りましょうかね」


 自分の髪を弄りながら呟く海斗。

 彼はふと思い出したときに髪を切るらしい。それまでは伸びっぱなしで、物臭な海斗らしいといえば海斗らしい。


 和幸自身も、己の髪の長さにあまり頓着していない。

 春野家の者として相応しい身なりを整えるようにしているが、見栄えが悪くさえなければ身嗜みなど正直どうでもいい。

 それを是としない使用人たちによって、完璧に整えられた春野和幸が実現している。それだけだ。


 もっとも信頼するメイド曰く、和幸には長髪は似合わないらしい。今の長さが一番好みなのだと言っていた。

 だいぶ主観が入りまくっていた意見であるものの、彼女が言うことは間違いないという信頼がある。


「……海斗の髪は綺麗だし、切るのは勿体ないな」


 変わらず藍髪に触れながら、零れた本音に海斗は「そうですか?」と目を丸くする。

 改めて自分の髪を見つめ、考え込むこと数秒。


「貴方がそう言うなら、伸ばしてもいいかもしれませんね」

「俺が言うのも何だが、男が男に言う台詞じゃないと思うぞ」

「いいんですよ。ちょうど切るのも面倒と思っていたところですし」


 それが本音か。

 切るのは面倒。しかし、長い髪の毛を手入れするのもそれはそれで面倒な気がする。

 和幸は髪を長く伸ばした経験がないので、どちらがより面倒なのかまでは分からないが。


 いや、放置された現状で、あれだけ綺麗な髪を保っているのだから手入れは必要ないのかもしれない。

そもそも海斗は基本的に起きたままの状態で過ごしているのだ。風呂あがりに乾かしてすらいない。

 それでも寝癖一つないさらさらな髪を見ながら、得な髪質だなと何となく考える。

 物臭な海斗の性格に、身体までも合わせているということだ。


「ま、お前の好きにしたらいいんじゃないか? 俺としては髪が長い方がいじりがいあるしな」

「……幸」


 視線での訴えは無視する。弄られると分かっていてうたた寝する海斗が悪い。


「……幸には長髪は似合わなそうですね」


 諦めたように呟かれた言葉に目が据わる。

 彼女だけではなく、海斗までお墨付きを貰ってしまった。

 これは一生、和幸が髪を伸ばすことはなさそうである。


「それにしても、幸はああいうことを女性に言っているんですね」

「ああいうこと?」


 何か誤解されているような気がして、自分の台詞を振り返る。

 そうして海斗の髪を褒めたことを思い出して否定した。


「俺が髪を褒めたのはお前が初めてだぞ」

「それはそれで問題発言な気がしますけど……そうですね。幸は色恋とは無縁そうですし」

「ああ、まあ、そうだな」


 煮え切らない返答なのは、初恋の少女との会話を思い出したからだ。

 いや、少女の意見を正しいとするなら初恋にすらなっていなかったわけだが。


「おや、実はもう経験済みというわけですか」


 悪戯めいた微笑を見せる海斗。少女本人の口から聞いたのでは、と疑いたくなるような笑顔だ。

 何故、自分の周りにはこう聡い人間ばかり揃っているのだろう。下手な誤魔化は通用しないのだから、少しだけ不服である。


「さてな。俺の初恋は勘違いだったらしいしなー」


 返した言葉に向けられるのは微笑み。

 穏やかで、柔らかくて。人を安心させるような温もりを持った笑顔。

 海斗のデフォルトとも言える表情で、そこから真意を読み取れた試しはない。


「お前はないのか、初恋。想像つかないが」

「ありませんよ。これから先、経験するとも思えません。でも……」


 すぐに答えた海斗はどこか遠くを見るように目を細める。たまに海斗はこういった仕草を見せることがある。

 達観していて、これから先の未来を知っているとでも言うような態度だ。


「もしかしたら……なんて思うこともあります」


 そこに宿るのは期待なのだろうか。分からない。

 海斗の恋。……自分の、恋。

 初恋の少女は、いつか分かる日が来ると言っていた。けれど、今の和幸には信じられない思いがある。

 

 分からない。


 来るのだろうか。来て欲しいのだろうか。


 分からない。


「どちらにせよ、私たちはいずれ結婚するすることになるでしょうね。周りが放っておくわけがありませんから」


 お互いに次期当主になることを約束されている。それ以上に、身の内に抱えた特殊な事情が自由に過ごすことを許しはしない。

 周囲は何が何でも和幸や海斗の子孫を残そうと躍起になるだろう。

 何もなければ恋愛抜きにして、政略結婚させられる未来は確定している。


「結婚して、子供が出来て……」

「海斗の子供か……まったく想像つかないな」

「それはこちらの台詞です」


 海斗の返しに心の中で同意する。

 面倒臭がりな男が子供の面倒を見ている以上に、自分が子供の面倒を見ている姿が想像できない。


 子供ができたら、可愛がるのだろうか。可愛いと思えるのだろうか。

 和幸は家族というものを知らない。だからこそ、自分の子供と触れ合う姿が全く思い浮かべられない。


「……もし、私たちの子供ができたら」


 ぽつりと呟かれた言葉に、思わず海斗を見る。彼はまたどこか遠くを見るように目を細めていた。


「ここでお花見でもしましょうか。幸のコネを使えば、簡単に入れるでしょうし」

「お前な……。まぁ、確かにいい案かもしれないな。毎年、ここで花見をして」


 なんなら二人の家族だけではなく、由菜や環たちも一緒に。

 それはきっとすごく楽しくて穏やかな時間だ。


「楽しみですね」


 そう言った海斗の瞳に小さな哀切が過った気がした。

 思えば、海斗が未来の話をしたのはこれが初めてかもしれない。

 いつだって海斗はどこか達観していて、未来はなるようにしかならないと受け入れているように見えていたから。


 お互いに子供たちとともに、穏やかで幸せな時間を過ごす。

 それが海斗にとって理想の未来像なのだろうか。




 海斗は本当に、そんな未来が来ると信じていたのだろうか。




 約束を果たすよりも先に海斗はなくなり、あの場所でお花見をすることは一度としてなかった。

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