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1話 強くなるための選択

第1節第3章からの登場キャラ、八潮さんのスピンオフです

時系列的には、第2節第1章の三年前になりますかね

 貴族街は文字通り、貴族と呼ばれる者たちが多く暮らす街だ。多く、ということはそうでない者ももちろん存在している。

 門衛や研究区にいる研究者たちがそうだし、商業区の商売人たちもそうだ。彼らのほとんどが外から来た者たちである。


 ――スラム街と呼ばれる薄汚れた一角。元は貴族として名を連ねていた者の成れの果てが住まう場所。

 成れの果てがいるのであれば、そうなる前の存在も当然ながらいる。首の皮一枚で貴族と名乗る者たちが。


 八潮が生まれた君江家は、貴族街の末席に連なる落ちぶれ貴族の一つだった。


 八潮の生は確かな祝福から始まる。

 優しい母と、四つ上の姉、父はいつも何かに怯えていたけれど、そこには確かに幸せな家庭が築かれていた。


「八潮、お前はこれから新しい家で暮らすことになる」


 それは八潮が七歳になる年のことだった。目を血走らせた父は、らしくない傲慢な口調で八潮にそう告げた。


 新しい家。きっとそこには母も姉も、そして父も一緒にいくのだと、幼心に信じた八潮は期待に目を輝かせた。

 まるで他人事のような父の声には気付かずに――。


「なんで、八潮が……。まだこんなに小さいのに」

「お父さん! ちゃんと説明してっ!」


 信じていたから、母と姉が悲痛な声を出している理由が分からなかった。

 家族みんな一緒なら、悲しいことなんてどこにもないはずなのに。


 期待は困惑へと変わる。


「仕方ないだろ! こうしなきゃ……こうしないと、うちは生き残れないんだ。八潮一人でどうにかなるなら、それで一番のはずだっ!」

「私はいやっ、八潮ちゃんと一人犠牲にするなんて……そんなの……」


 父と姉は怒鳴り合い、母は八潮を抱きしめて泣き崩れる。

 見たことのない家族の姿に八潮はいよいよ状況が読めてきた。


 そうか。自分は家族のために、どこかに売られるのだ。


 八潮は優しい母が好きだった。抱きしめられると安心して、温かくて幸せな気持ちになれた。

 八潮は明るい姉が好きだった。いつも八潮の手を引いて、楽しい世界に連れて行ってくれた。

 八潮は不器用な父が好きだった。いつも何かに怯える父の笑顔をずっと見たいと思っていた。


 大好きな家族が助かるのなら、それはきっと幸せなことだ。これは犠牲ではなくて、八潮も一緒に救われるのだと。


 だから。


「いいよ。俺、そこに行く」


 申し訳そうな父の顔。涙に濡れる母と姉の顔。

 それらが幸福な笑顔に変わることを信じて、八潮はその世界へ一歩足を踏み出した。




 八潮が売られた先は『紅喰会(くばみかい)』という裏組織であった。貴族街にある組織というわけではなく、史源駅の裏に広がる工業地帯の一角に居を構えている。


 所謂、暗殺稼業を生業としているこの組織に所属するほとんどの者が殺し屋だった。

 中にはまだ年端もいかない子供もいる。彼らはいろんなところから集められ、優秀な殺し屋になるための教育を受けるのだ。八潮も、そんな子供の一人だった。


 周りの子供たちがどこから来たのかなんて知らない。彼らもまた、八潮がどこから来たかのか知りもしないのだ。

 殺し屋は一匹狼。誰にも気を許してはいけない。仲間はただの道具。

 それは紅喰会に入って最初に教えられたことだ。


 ひたすら孤独に、馴れ合いとは無縁に、自分の力を高めることだけに全力を尽くす。

 力が実れば、大好きな家族を守ることができる。そんなささやかな思いを抱いて、八潮は目の前の訓練に全力を注いだ。


 頭角を現し始めたのは九歳の時。同じくらいに入った子供たちは相手にならなくなった。

 八潮よりも数年前に入っていた子供たちの訓練に混じるようになってさらに一年。子供の中に、八潮に勝てる者はいなくなっていた。


「へぇ、自分が天才君か?」


 その男は関西訛りで八潮にそう問いかけた。

 講師役の男たちと比べて、身長も体格も一回り小さい。纏う空気すらも軽薄で、暗殺組織に所属している人間とは到底信じられない。

 町中を歩けば、すぐに一般人と区別がつかなくなることだろう。


「誰だ?」


 無愛想な問いかけに男はさも愉快だと言わんばかりに笑った。

 視界の隅で、講師や現場経験のある子供たちが焦った顔をしていて、もしかしたら偉い人なのかもしれないという考えが過ぎった。

 とはいえ、もう口にしてしまった言葉は取り消せないし、それで裁かれるなら仕方がない。せめて殺されないようにしよう。


「くっく、自分、ほんまにおもろいな」


 身を捩り笑う男を不思議に思いながら見つめる。

 別におかしなことをしていないはずだ。分からないと首を傾ければ、男はさらに笑い声をあげた。


「どうや? 一つ、俺を手合わせせぇへんか」

「構わない……です」


 取ってつけたような敬語に男はまた笑った。

 気にするだけ無駄なのだと、そろそろ悟った俺は鍛錬用のナイフを握りしめ、向かい合う。

 と、笑ってばかりだった男が初めて笑みを消してつまらなさそうに首を振った。


「そないな玩具じゃおもんないやろ? ほら、これ貸したるさかい、本気でかかってきな」


 言って、渡されたのは真剣のナイフだった。初めて握る本物のナイフの重みは物理的な意味でも、精神的な意味でも鍛錬用のものとは全く違った。

 その感触を確かめるように握りしめ、笑みを消した男と向かい合う。


 自分よりも大きいとはいえ、八潮の知る大人の中では小柄な男。自然な佇まいの中に好きはない。

 ならば――。


「……しっ」


 慣れ親しんだ床を走り、ナイフを振りかぶる。

 消していたはずの笑みを浮かべた男が数歩下がるのを見て取り、着地した八潮は床の小さな窪みを使って方向転換をする。


 ここに来てから毎日のように訪れていた鍛錬場。新しいのも、古いのも、床に施された窪みや傷は全て頭の中に入っている。

 場所は八潮に味方をしてくれている。男が武器を出す気配はない。


 勝った。そう確信して、ナイフを振り下ろし――キィン、と金属同士がぶつかりあった甲高い鍛錬場に響き渡った。

 驚き、身を引こうとしたところで腕を掴まれる。そのまま体勢を崩され、床に倒れ込む。


「まだまだ甘いとこはあるけど、及第点やな」


 差し出された手を無視して、八潮は立ち上がる。講師たちが顔を青くする無礼を働いても、男は少しも気にするような素振りを見せなかった。


「俺はここの幹部をさせてもろうてるラットちゅうもんや。名前だけの最弱幹部やけどな」


 一度下げた手を男は、別の意味を持って八潮の前に再び差し出した。


「自分、俺の部下にならへん?」


 なんてことのない口調での誘いに、周囲でどよめきが起きる。

 組織の一員となってまだ三年。十歳になったばかりの幼い子供が、幹部直属の部下になることなど異例中の異例だ。


 八潮の才能はほとんどの者が認めるところではあったものの、心情的な意味では認められはしない。

 何年も燻ぶる者たちからの視線を一身に受ける八潮の答えは一つだった。


「なる……なり、ます」


 たどたどしい敬語の答えに男――ラットは満足げに笑った。


 別にラットのことを気に入ったわけではない。上に登りつめたい野心があったわけでもない。

 ただ大切なものを守るには力が必要で、ここで自分よりも弱い奴らと燻ぶっているよりも強くなれそうな気がしたのだ。


 ラットには、ネズミと呼ばれる組織外の部下がたくさんいた。それは、百を超える数で、彼らからいろんな情報を仕入れているらしい。

 たくさんの部下を持つラットではあるが、組織内で部下を持つのは八潮が初めてなのだと言っていた。


「なんで、俺を選んだんですか?」

「面白い奴だと思ったからや。それに、自分には血生臭い戦いよりもこっちの方が向いとる」


 ラットの仕事は主に情報収集。手合わせ以来、彼が戦っているところを見たことはない。

 いつもへらへら笑って。ネズミたちから情報を仕入れて。何を考えているのか、さっぱり分からない。


 選択を間違えたかもしれない。戦いと無縁な、平穏とも言える日々を送りながら八潮はそんなことを考えていた。

 彼の傍にいて本当に強くなれるのだろうか。自分の直感を疑いたくなってくる。


 ラットの傍にいて、得るものが何もなかったわけではない。


 気配の潜め方。身体の使い方。潜入。潜伏。鑑識紛いなことを初めとした諜報活動。――そして、術の使い方。

 戦闘とは無縁に近い日々ながらも、彼はそれらのことを一つ一つ丁寧に教えてくれた。


「自分もだいぶ強くなったな。もう俺も敵わんかもしれへんなぁ」

「ラットさんの教え方が上手いからです」

「やめぇ、恥ずかしいわ」


 結論を言うと、八潮は己の直感が感じた通りに強くなっていた。

 ただ無心に身体を強化するのとは違う。自分にあった戦い方を見つけ、高めたことで強くなったのだ。

 それもこれもラットのお陰で、いつしか八潮にとって組織で一番尊敬する人になっていた。


 ラットの部下になって五年ほど経った頃、八潮は最前線で戦う者たちに並ぶ、いやそれ以上の力を得ていた。

 強くなればなるほど必要とされるのは必然で、他の幹部が引き抜こうと誘いをかけてくることが何度もあった。


 最弱幹部の名に相応しく、ラットに任される仕事は戦闘のサポートばかりで、そこに八潮がいるのは宝の持ち腐れだと誰もが言った。


「自分がついていきたいって思うんなら俺は止めへんよ。好きにしたらええ」


 ラットはそう言った。

 好きにしたらいい。ならば、八潮はラットの部下でいようと思う


 八潮は大切なものを守りたくて力をつけたのだから。

 誰かを殺すために強くなったわけではないのだから。




「ほんまにする気なん? 目をつけられても知らへんよ」

「桜宮の飼い犬が怖くて暗殺組織などやっていられるものか」

「弱っちいネズミ野郎はアジトでぶるぶる震えとけよ」


 幹部会。ラットの付き添いとして初めて訪れたそこでは言い合いが行われていた。

 貴族街にある名家、梅宮家の壊滅。それが今、議題に上っている依頼だ。


 梅宮家は貴族街のヒエラルキーの頂点に立つ桜宮一族の一つ。家人の暗殺どころか、壊滅させるとなれば十中八九、桜宮家当主に目をつけられるだろう。


 そう言って反対しているのはラット。弱虫だと誹り、反論しているのは武闘派で知られる幹部たちだ。

 他の面子は状況を静観するに努め、ラットの不利は火を見るよりも明らかだった。


「ボス、あんたはどう思う?」


 話にならないと、ラットは上座に座って黙りこくる人物に問いかけた。

 この場にいる誰一人として及ばない貫録を持つその人はつゆっくりと場を眺め、やがて口を開く。


「依頼があったというのであれば果たすだけだ」


 一言。それだけで言い合っていた面々は息を吐き、従順を示す。


「分かった。あんたがそう言うなら俺はそれに従う」


 あれだけ反対していたラットさえも肩を落とし、息を吐き、そう言った。

 ボスに逆らうことなど、この場にいる誰にだって出来はしない。


「八潮」


 会議が終わった後、ラットは静かに語り掛けてきた。普段のおちゃらけた空気が消え失せた真面目な口調。

 自然と八潮の背中も伸びる。


「もし危険だって思ったらすぐに逃げろ。自分がここに骨を埋める必要はない」


 八潮にしか聞こえないように抑えた声でラットはそう言った。


「これ、自分にやるわ。お守り代わりにでも持っとき」


 そう言って渡されたのはビー玉くらいの大きさの水晶だった。透き通る綺麗な玉は不吉な予感を八潮に齎す。


「……死ぬつもりなんですか」

「さてな。俺の命はボスに預けてある。どうなるかはボスの……組織のこれから次第や」


 いつものおちゃらけた口調でそう言ったラットはまるで組織の終わりを見据えているようだった。

 誰も想像すらしていない終焉をラットだけが避けられない運命のように語る。


「何か掴んでるんですよね? だったら打開策だって……ボスに伝えれば」

「それはできんよ」

「なんで……!?」

「お互い不利になる情報は流さない。そういう約束や。反故にすれば、いよいよこっちが危うくなる。それにな」


 一度、言葉を切ったラットは困ったように笑った。その笑顔すら、八潮には死を覚悟した者の顔に見えて――。


「あいつ相手に有効な策なんてあらへんよ」


 圧倒的強者を見据えながらの言葉を八潮は納得できなかった。

 だって八潮にとっての強者は幹部たちであり、ボスだ。関わりが薄いとはいえ、負けることなんて想像できない。


「俺の命は組織と一緒に潰える。それでええんや」


 ただ割り切ったようなラットの口調がやけに耳に残っていた。


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