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3話 好きなように、生きて

 目を覚ましたサイデは周囲に立ち込める焦げ臭さに気がついた。スフィルの来訪から十日ほど経った日のことである。


 焦げた匂いだけではない。部屋には熱がこもっており、寝起きの身体にじっとりと汗が滲んだ。

 冬季が間近に迫った今、こんな暑さは異常だ。


 すぐさま飛び起きたサイデは部屋着のまま飛び出した。居間に行けば、きっと両親がいる。

 ささやかな確信のもと、居間に駆け込んだサイデを迎えたのは見知らぬ男だった。


 黒を基調とした服を纏った長身の男。腰に佩いた長い刀には見覚えがある。ただ平凡な雰囲気を纏うあいつと違って、残虐を詰め込んだような恐ろしさが目の前の男にはあった。


「……お前、誰だ? そこで、何をしてる……?」


 居間に足を踏み入れた瞬間、漂ってきたのは焦げ臭さとは違う香りだ。生臭く、鉄臭い香り。

 噎せ返るようなその匂いに胸糞悪さがこみ上げ、思わず顔を顰める。


「アァ? まだ人がイたのか。まァイイ。殺せばイイだけの話だしなァ」

「何してるのかって聞いてんだよっ!」

「威勢がイイガキだぜ。嫌イじゃねェぜ、そオゆウの。嫌イじゃねェから答エてやる。オ楽しみの真っ最中だ」


 言いながら男は何かを持ち上げた。何かから零れ落ちた液体が噎せ返るような鉄臭さを増幅させる。


「ほらよ、てめェにやるよ」


 放物線を描いて投げられた何かは一度バウンドして、液体で足跡を記しながらサイデの足元まで転がってくる。

 恐怖に見開かれた目が合い、無意識に息を呑み込む。


「……っ……父さんっ」


 何かは父親の頭部だった。恐らくあの長刀で胴から切り離されたらしい頭は、恐怖だけを映し出してサイデを見つめている。

 この頭が父のものならば、あの男が今、手に持っているのは――。


「心配すンな。てめェもすぐに一緒にしてやるよ。家族三人、仲良く並べとイてやるからなァ」

「……くも………を」

「ア?」

「よくも父さんたちをっ……!」


 妖力が揺らぎ、形を成していく。目の前の男を殺すための刃だ。

 力加減など一切考えられていない刃は鋭い光を放ちながら男へ襲い掛かる。


「へェ」


 声が聞こえた。

 瞬間、別の瞬きが映り、爆散した。木造の家は呆気なく吹き飛び、降り注ぐ残骸によってサイデの身体はあっさり押し潰される。


「つイ、やり過ぎちまった。死ンだかな。面白れェ奴だから俺の手で切り刻ンでやりたかったけど……こン中から探すのも面倒だな」


 降りかかる残骸の全てを長刀で薙ぎ払った男は何か考え込む素振りをみせる。

 両親の遺体すら見失うほど荒れた空間で、家屋の残骸に押し潰されたサイデは身動きが取れないでいる。積み重なった柱が姿を隠してくれているのは不幸中の幸いと言ったところか。

 絶望的な状況でも朱色の瞳に宿る殺意は消えていない。


「そオだ。イイこと思イつイたぜ」


 男の口が孤を描き、鋭い歯を覗かせる。


「俺はこれから村中の奴らを殺して回る。元々それが目的だったしなァ。ンで、もし生きてンなら俺を殺しに来イよ。親の仇、討ちてェだろ」


 長刀を鞘におさめた男は「ンじゃ、そゆことで」とサイデの前から去っていく。

 難を逃れたと喜ぶことはサイデにはできなかった。ふつふつとマグマのような感情が膨れ上がっていく。


 両親が殺されたことへの憤怒とも、大切な村を滅茶苦茶にされたことへの憤慨とも違う感情。

 ずっと求めてきたものがすぐそこにあるのに、ただ遠ざかっていく姿を見送ることしかできないもどかしさだ。

 悔しくて、身動きのとれない自分が情けなくて仕方がない。


「くそっ」


 怒りのままに瓦礫を叩けば、絶妙なバランスを保っていた残骸たちが大きな音をたてて崩れていく。さらに身動きのとれない状況になってしまった。

 はやく、ここから出なければ。はやく、あの男を追いかけなければ。


 仇なんてどうでもいい。村がどうなろうとどうでもいい。

 ただ一刻でもはやくあの男を殺したかった。あの男と――殺し合いたかった。


「……くそっ、なんで、くそっ」

「――サイデ?」


 声が聞こえた。

 遠くに聞こえる崩壊の音とは不釣り合いなほどに可憐な声音。聞き慣れた声は泣いているのはひどく震えていた。


「そこにいるのね。今、助けるから」


 震えた声の力強さに頭を殴られる思いがした。


 今、自分は何を考えていた?


 仇なんてどうでもいいと、村なんてどうでもいいと考えてはいなかったか。

 守りたいもののはずだ。守らなければならないもののはずだ。何故、どうでもいいと考えられるというのだ。


 愕然とするサイデの視界が急に開けた。

 涙の跡が残る煤だらけ顔を覗かせたシラハは「待ってて」と瓦礫を一つずつどかしていく。


 細腕のどこにそんな力があるのかと疑ってしまうほどに軽々とした動きだ。おそらく身体強化の術を使っているのだろう。

 シラハはこの村でもっとも上手くたくさんの術を扱える。


「これで最後っ……サイデ、大丈夫?」

「……ああ」


 どうでもいいと考えていた罪悪感からか、シラハの顔を真っ直ぐに見ることができず顔を背ける。

 視線の置き場に迷うサイデは、今さらながらに外の惨状を目撃して言葉を失った。

 村のそこかしこで火が上がっている。燃え広がり方からただの炎ではないことは明らかだ。


「……なにが、あったんだ」

「熱さで目が覚めたの。家が燃えてて、お父さんたちの姿がなくて、怖くなって外を出たの。そしたら炎の鳥が飛んでて」

「炎の、鳥?」


 てっきりこの炎をあの男の仕業と思っていたのだが、違うのだろうか。いや、その炎の鳥もあの男が連れてきたのかもしれない。


 ――もし生きてンなら俺を殺しにこイよ。


 静かだった感情がまたふつふつと膨れ上がっていく。

 そうだ。サイデはあの男は殺さなければならないのだ。

 両親の仇を。村を滅茶苦茶にした罰を。今度は間違えない。


「お前はここにいろ。ここなら少しは安全だろ」

「サイデは? サイデはどうするの」

「俺はあの男を殺しに行く」

「だ、だめ!」


 シラハは掻き立てられる不安に突き動かされるようにサイデの腕を掴む。今のサイデから感じる鬼気は恐ろしいほどだったが、それでも彼を行かせてはいけない気がした。


 男を殺さなければならない使命感。

 サイデを行かせてはならない不安感。


 互いに譲る気のない二つの感情がぶつかり合う。最終的に折れたのはシラハだった。


「じゃあ、私も行く。サイデが何を言っても絶対に行くから」

「……自分の身は自分で守れよ」


 譲らない瞳に、今度はサイデが折れた。ぶっきらぼうに言葉を返しながらも、何があっても彼女のことは守ろうと心に決める。


 多分、シラハこそが最後の楔。彼女がいなくなればきっと、サイデはこの村のことがどうでもよくなる。

 それはどうしても嫌だった。




 村の中は酷いとしか言いようのない状態だった。あちらこちらから炎を上がっているのは遠目で見たとおりだが、近付けばさらに酷い光景が目を焼く。

 地面は誰のものか分からない血で汚され、村人たちの死体がそこら中に転がっている。


 切り刻まれ、焼け焦げた死体が誰なのかサイデには分からなかったが、シラハは一人一人の名前を呼んでは涙を流していた。頬を伝い零れ落ちる透明な雫は、亡くなった村人たちへの情に溢れていて美しかった。


 サイデはあの男を探しつつ、一度小屋へと訪れた。得物を取りに行くためだ。

 真夜中に立ち寄る者などいない小屋の周辺の被害は少なく、ただ炎が揺らいでいるだけだ。


「……やっぱり行くの?」

「怖いならここで待ってろ」

「違う。違うの。怖いのは怖いけど、それはサイデが――」


 どこかに行ってしまう気がして。


 言葉が最後まで音にならなかったのはサイデが歩き出したからだ。最後まで聞いたら後悔しそうな気がして、逃げるように歩みを進める。

 どこにも行かないと言ったはずなのに心が揺らいでいる。今のサイデには同じ言葉が言える自信がなかった。


「サイデ、待って! あのねっ」

「――見つけた」

「ぇ」


 朱色の瞳が闇色の男を捉える。傍で零れた微かな声は届かず、飛び出した。


 紫紺の瞳が姿を捉えるよりも速く、妖力の刃を放つ。威力を抑えるなど知らない一撃だ。

 取った――などとは驕らないサイデは男の懐に潜り込み、ただ直感に従って斧を振るう。


「ア?」


 聞こえたのは小さな声。胡乱げに迫りくる妖力の刃を見た男は、なんてことない仕草でそれを切り払う。そして懐に潜り込んでいたサイデを一蹴。


 攻撃をもろに受けたサイデの身体は面白いぐらいに吹っ飛ばされ、斧が宙を舞う。三メートルほど先で崩れかけの民家に壁にぶつかり、蹲る。

 紫紺の瞳を怪訝そうに細め、やがて得心がいったように声をあげた。


「さっきのガキか。オイオイ、マジで俺を殺しに来たのか。こイつは傑作だ。最高だぜ、オ前」


 げらげらと男は笑いこけながら長刀の切っ先をサイデへと向ける。


「イイぜ。存分に殺し合オウ。どっちが死ンでも恨みっこなしだ」


 高らかに宣言のもと、男の姿が消えた。

 咄嗟に右へ転がったサイデの傍で剣撃が爆ぜる。飛び散る砂から逃げるように跳躍し、後ろ手で刃を放つ。


「威力は強エェが、練度が甘ェ」


 苦し紛れの一手は当たり前のように届かない。


「つまンねェ。退屈だ。期待外れもイイとこだぜ。つーことでそろそろ殺ってもいいよなァ」


 地面を蹴れば男の姿が消える。運よく傍に落ちていた斧を拾い上げたサイデはほとんど勘だけで振るう。

 金属同士がぶつかる音。尋常ではない力を受けた斧が軋み、消しきれない衝撃を腕に伝える。


「へェ。こイつは驚イたぜ? まさか受け止めるとはなァ」


 裂いた口から愉悦を滲ませた男は押し込むようにしてサイデから離れる。

 尋常ではない力にさらに尋常ではない力が加わり、尻餅をついた。まずい。


「惜しイなァ。環境が違ったらもっと面白イ奴になってただろォに」


 鋼の輝きが眩いくらいに視界を照らし出す。


「恨むなら育った環境を恨め」


 必死の思いで痺れた腕へ命令を下す。

 動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。――動いた。

 けれども緩慢すぎるほどに緩慢な動きでは間に合わない。その時。


「サイデから離れて!」


 鋼の輝きとは違う白銀の光が視界を過り、弾けた。飛び散る光の屑を長刀で受け止めた男は初めて気付いたようにそちらを向く。

 立っているのは一人の少女。純朴な顔立ちに不安を宿らせて、足を震わせながら男に立ち向かう。


「シラハ、逃げろ!」

「い、いや。逃げない。サイデを置いてはいけないわ」


 不安だらけの表情でよく言ったものだ。全身で恐怖を表していながら、それでも目だけは強く男を睨みつけている。

 サイデはだいぶ回復した腕で斧の柄を掴み、男とシラハの間に割り込むようにして立つ。


「お前の相手は俺だ!」

「オウオウ、威勢イイこった。どっちも殺してやるから心配すンなよ」


 シラハを気にする余裕なんて与えてやるものかと切りかかる。


 速い。が、男の速さには比べ物にならない。

 一合、二合と切り結びながら横目でシラハの姿を確認する男が腹立たしく、力任せに斧を振るう。


「さっきよりもぶれてンじゃねェか」

「っうるせぇ」


 怒りに任せて刃を放つ。

 ダメだ。こんなのではダメだ。もっともっと強く、強く強く強く。


 この男を打倒して、シラハを守るための力を。

 祈るように斧を振るい、求めるように刃を放つ。その一つとして男には届かない。


「つまンねェなァ、オ前。さっき会ったときは面白イ奴だと思ったけど見込み違イだったか? 俺の勘は結構当たるンだけどよォ」


 長刀を鞘に納める。戦場とは思えないほどに気安い空気を身に纏い、隙だらけの様相でサイデを見つめる。


 つまらない戦いは嫌いだ。戦うなら面白い奴と、命懸けの戦いがいい。

 それはサイデと男に共通する思いだった。


「なンで抑エ込ンでンだァ?」

「……」

「見せつけろよ。てめーの力をよ。楽しイだろ? 気持ちイイだろ? 痛みすら快楽、殺気なンてのはスパイスだ。本気で殺り合ってこそ面白くなる。てめーはそのことを知ってるはずだぜ」


 男の言葉に揺らぐ心がある。

 正気を取り戻すために横目でシラハを見る。ダメだ、自分は彼女を守らなければならない。


 自分の身は自分で守れ、シラハに告げたサイデ自身を隠すように心の中を奮い立たせる。


「切っ先を受けられた時、オ前の心の中には何がアった?」


 聞こえる声は悪魔の囁きだ。


「恐怖か? 自分の死を前にして怖かったか?」


 サイデは答えない、ひたすら一心に男を睨みつける。

 答えられなかったというのが本当だ。サイデの心の中はどうしようもないくらいに男の言葉を肯定していて、それを認めるのが嫌だった。


「違うよなァ。てめーは楽しかったはずだ。嬉しかったはずだ。高揚感が全身を巡って、最っ高に生きてる感覚がしただろ」


 図星をつかれて何も言えない。


「従えよ、本能に。抗うな。俺ともっともっともーっと楽しもうぜ、なァ?」


 サイデを鼓舞して男に何の得があるのか。

 分かってしまう。嫌だと思いながらも分かってしまう。


 男は快感を求めている。ただ日々を過ごすことでは得られない、命懸けの戦いで初めて得られる最高の快感を。


 力を全て解放し、強い相手に全力で挑む。その楽しさをサイデも知っていた。


 少し前に村を訪れた青年の姿が脳裏を過る。男と同じ長刀を腰に佩いた、平凡すぎる見た目の青年。

 彼と戦ったとき、サイデは途方もない快感を味わった。二度とない感覚。

 それがまた、味わえるというのなら。


「……サイデ」


 揺れる心を現実に戻すように、声をかけられる。

 サイデの心は男の言葉に惹かれていて、すんでのところで引き戻される。歓喜に震えていた衝動が、不満げに揺れた。


「ねえ、サイデ」


 シラハの瞳を揺らしているのは男が怖いからではないのがなんとなく分かった。彼女が恐れているのはサイデがどこか遠くに行ってしまうことだ。

 男の言葉にのってしまったら戻ってくることはできないと分かっている。それが、サイデ自身が望んでいることだということも。


 理性と本能。二つの主張に苛まれて、サイデは結論を出せない。


「時間切れだ。いつまでも待ってやるほど、俺はオ人好しじゃなインでなァ」


 退屈そうに告げた男は、これまた退屈そうに空を見上げる。つられて見上げた先にいたのは――。


「芙楽、燃やせ」


 炎の塊が降ってくる。村を燃やした炎だと認識するよりも先にサイデの身体が押し出された。

 鼻先を掠めた炎に顔をしかめた先で、炎の鳥が優雅に空を泳いでいた。


「さ、サイデ……サイデっ」


 炎の塊をもろに受け、全身に火傷を負ったシラハが泣きそうな声で呼びかけている。愛らしい顔立ちの半分以上が焼け爛れていて見る影もない。

 立っている力を失い、地面に崩れ落ちた彼女はそれでも目だけはサイデに向け続ける。


「……い、めんな、さい。……ごめんなさい」


 彼女が何に対して謝っているのか、サイデには分からなかった。それでも必死な声に急かされるように駆け寄った。

 だんだんと小さくなる声に耳を傾け、息を呑む。


「わた、しが……サイデを、縛りつけ、た、の。ほんと……は、もっと、じゆ……に」


 シラハの瞳に涙が溜まる。炎と同じ色の波立たせながら、泣くまいと必死に耐えていた。

 自分にそんな資格はない、と。


「……なって、いいよ。自由に、なって。……っ……サイデのっ、好きなよ、に……ぃ、きて」


 堪えきれなかった涙が爛れた頬を伝う。


「ごめんね」


 サイデが自由になりたいと思っていたことを知っていた。


 村を出ないで、と願えばずっと一緒にいてくれることを知っていた。


 毎日、燻ぶる感情を抑えつけていることを知っていた。


 全部、全部知っていて、サイデの優しさに甘え続けた。彼を縛りつけて、苦しんでいる姿に気付いていないふりをしても、彼は何も言わずに受け入れてくれるから。


「……ぃ、すき。大好き……サイデ」


 自分はやっぱり、ずるい。最後の最後でサイデのことを縛りつけた。

 忘れないでほしいという呪いの言葉を宿して、美貌の欠片を残した顔に笑顔を宿した。


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