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2話 幹部の勧誘

 単調な毎日は変わらない。

 日に日に溜まる鬱屈とした思いに苛立ちを混ぜて、斧を振り下ろす。乱暴な手つきながらも、確実に薪を二つに割っていく。


 毎日繰り返していれば薪を割るペースも速くなる。ただ押し付けられる量も増えていっているのでかかる時間は以前と変わらない。気温もどんどんと下がって冬へと近づいているので、これからも増えることは間違いない。


 薪割り以外にすることもないサイデは苛立ちを発散する方法を得られるのでむしろありがたい思いでいる。とはいえ――。


「んじゃ、これもよろしくな」


 どかっと置かれるのは大量の薪。顔に嘲笑を宿らせた少年たちは自分が任された分の薪を次々に置いていく。

 苛立ちを発散する方法を得られるのはありがたい。とはいえ、彼らの分までするのは癇に障る。


「ちっ」


 返事は舌打ちで。

 それ以上のことはしてこないと知っている少年たちは、やはり嘲笑を宿らせた顔で去っていく。募る苛立ちは薪へぶつける。

 苛立ちを薪にぶつけたところで、それらが完全に消えないことをサイデはちゃんと理解していた。


「おや? 素直に受け入れるんだね、意外だ。もう少し反発するタイプだと思ったのに……。外れか、残念だ」


 斧を振りかぶったサイデの耳に聞き覚えのない声が滑り込んできた。

 舌打ちの返事のどこが素直なのかと声の主へ目を向け、やはり見知らぬ人物が立っていることに鋭い目を僅かに見開く。


「てめぇ、何者だ?」


 警戒を募らせた一言。

 無色ノ国の最果ての村。そんなところに訪れる者なんてほとんどいない。皆無ではないのは時々、迷った旅人が訪れることがあるからだ。


 しかし、目の前の男がそうではないとサイデの直感が告げていた。

 気配がしなかった。人より気配を読むことに長けているサイデは、只ならぬ男の空気に警戒を募らせる。


 顔立ちも、体格もいたって平凡。髪は灰色で、一部だけ長く伸ばされた髪は淡い赤色をしている。

 服装は村人たちと変わらない質素なものだ。腰に佩いた長い刀と、耳につけられた大量のピアスが不釣り合いなほどに普通な男。

 ただ、纏う空気は異様の一言に尽きる。


「この村に何の用だ」

「君の力で口を割らせてみたらどうかな、挑発だ。ちょうど得物もあるみたいだし」


 男が指し示すのはサイデが持っている斧だ。

 薪を割るために持っていた斧。これを得物とはよく言ったものだ。


「くだらねぇ挑発にのるつもりはねぇ」

「もっと狂犬じみた性格だと思っていたんだが。驚いたよ、お利口さんだ。……だったら、これはどうかな?」

「サイデ? その人――」


 男が刀を抜く。タイミング悪く姿を現したシラハにその魔の手が迫っていることに気がついたサイデは一手早く動き出す。

 得物、と男に称された斧で長い刀身を弾く。甲高い音がこだまする。


「ねえ、サイデ。どうしたの」

「いいから下がれ。邪魔だ」


 困惑するシラハを無理矢理に後ろに立たせ、男と向かい合う。


「お姫様を守る騎士か。意外だけど、うん、予想通りだ」


 男が地面を蹴る。常人には捉えきれない男の動きを、しかしサイデの目はしっかりと捉えている。

 休むことなく繰り広げられる斬撃のすべてを斧で受けながら反撃の隙を狙う。一瞬の隙、それさえあれば十分だ。


「――はっ」


 相手の得物は長い。破壊力が高い反面、攻撃が躱された時に隙が生まれやすい。

 知識ではなく本能で欠点を見破り、一歩踏み込む。そして全力で斧を振るった。


 タイミング、角度、すべて完璧。

 紫紺の瞳が見開かれ、形の整った唇が孤を描いた。裾を犠牲に紙一重で避け、男は無防備になったサイデに蹴りを喰らわせる。


「っ……く、そ」


 重い一撃に身体はくの字に折れ、サイデは蹲る。

 刃の銀色が視界の隅で煌めいた。狙いはサイデはなく――。


「させるかよっ!」


 蹴られた時に落とした斧には目もくれず、無手で敵の懐に潜り込む。

 自分よりも大きな相手。だからといって引くわけにはいかない。引く理由よりも、引かない理由の方がずっと大きいのだ。


 刃がサイデを狙って向きを変える。避けてもきっと間に合わない。

 終わりをもたらす鋼の輝きは美しく、サイデはただただ魅せられた。死を間際にして高揚する胸は心地よく、思わず笑みが零れる。


「サイデ……!」


 シラハの声を遠くに聞くサイデの妖力が揺らいだ。不可視の力は刃を作り出し、男へ向けて放たれる。

 制御なんて知らない、手加減なしの一撃。


「――しっ」


 三度軌道を変えた刀は妖力で作られた刃を二つに切り裂いた。しかし、妖力の刃は一つで終わりではない。

 次々に生成される刃は、例外なくすべて男に襲い掛かっていく。

 これを受ける鋼が鋭く輝き、無駄の一切ない動きで一つ残らず切り裂いていった。


「素晴らしい、称賛だ。君はかなりの腕を持っている。磨けばもっと輝くだろう」

「何を言って――」


 最後の刃を見事切り裂いた男の称賛にすげなく返そうとしたサイデが言葉を飲み込む。こちらに近付いてくる気配に気がついたからだ。


「何の騒ぎだ。……サイデ、また何かやらかしたのか?」

「……お父さん。あのね、違うの。サイデは――」

「シラハ、またお前は……。落ちこぼれに構うのはやめろと何度言わせるつもりだ」


 シラハの父、この村一番の権力者のお出ましで、サイデは証拠隠滅するように地面に転がった斧を拾い上げる。

 迷うように揺れた瞳を向けてきたシラハのことは無視した。

 落ちこぼれに構うな、という村長の意見にサイデは概ね賛成なのだ。自分みたいな落ちこぼれに、シラハが構う必要は少しだってない。


「まあ、そんなに怒らずに。今回の騒ぎは吾輩が原因だ。責めるなら吾輩を責めるといい」

「一体、何だ――貴方は……!」


 シラハと同じ色の瞳が見開かれる。いつも鋭くサイデを睨みつける目が驚きに彩られたのも束の間、村長は恭しく頭を垂れた。


「幹部様、気付かずに申し訳ありません」

「頭を上げてくれ。そう恐縮する必要はない。かしこまれるのは好きではなくてね、苦手だ」


 長刀を鞘におさめた男は苦笑とともに答える。平凡な顔立ちということもあって、その姿は見るものに親しみを覚えさせる。


「この者が何か無礼な真似をしませんでしたでしょうか」

「いいや。むしろ、吾輩が少し遊びすぎてしまった。……君にも、すまなかったね、謝罪だ」

「……」


 顔を背け、無言を貫いていれば、非難する村長の視線が突き刺さる。このまま無視していたいのはやまやまだが、後で怒られるのは目に見えているので「別に」と素っ気なく答える。


「ええと、幹部さんなんですか」

「ああ、まだ名乗っていなかったね。吾輩の名はスフィル。これでも無色ノ幹部をしている。といっても運がよかっただけだがね、まぐれだ」


 妖界には土地を治める八色ノ幹部という者がいる。多くの妖が暮らす妖界の頂点に立つ存在といっていい。

 その中でも彼、無色ノ幹部は異例な存在と言えた。なんの後ろ盾もないままに村を飛び出し、才能だけで幹部まで登りつめた逸材である。


「それで、今日はどういった御用で……?」

「ここ最近、村が襲われたという事件が相次いでいてね、見回りだ。何か変わったことはなかったかい?」

「特に思い当たるようなことは……。このような辺鄙な村にまで気を配ってくださり、ありがとうございます」

「謝辞は必要ない。何もないなら構わないけれど、少し村を見て回らせてもらうよ、念の為だ。そうだな――」


 紫紺の瞳と目が合い、嫌な予感がした。薪割りの仕事に戻っていなかったことを強く後悔する。


「――案内は彼に頼もうか、指名だ」


 的中。


 村長は渋る様子を見せたものの、幹部本人の言葉では引き下がるしかない。サイデとしてはもう少し頑張ってほしいところだ。

 権力に弱い村長を恨めしく思いながらも、相手が相手だけにサイデも断ることはできず、隠そうともしない不機嫌で引き受けた。

 サイデの心中を読み取って笑うスフィルを見て、機嫌はさらに悪くなったと追記しておこう。


「長閑で、いい村だ」

「そおかよ」

「もうっ、そんな反応じゃダメでしょ。すごく偉い方なんだから」


 心配だから、とついてきたシラハの言葉に鼻を鳴らす。どいつもこいつも、どうしてサイデに構いたがるのか。


 放っておいてほしい。


 それがサイデの本音だった。自分と無関係な存在で作られた世界だったら壊すことに躊躇いはしないのに。

 下手に関わってしまっているせいで、本能に従えないでいる。苦しくて苦しくて仕方がない。

 いつまで奥底に疼く衝動を抑えつけていればいいのだろう。


「吾輩の故郷とよく似ている。穏やかで、静やかで、とても落ち着く。懐かしいよ、郷愁だ」


 その言葉を疑う必要もないほど、スフィルの姿は村に馴染んでいる。もっとも腰に佩いた長い刀と、大量のピアスがなければの話だが。

 平凡な村にも、異様を醸し出す長刀とピアスにも、違和感を抱かせないスフィルの空気は独特で、落ち着かない気分になる。


「……なんで、村を出たんだ?」

「サイデ……?」


 ぽつりを零れた問いかけに、胡乱げなシラハの声が重なる。

 サイデ自身にも問いかけた理由は分からない。ただ言葉が零れた、それだけ。


「村にいた頃、吾輩はずっと鬱屈した想いを抱えていた。心のままに力を振るいたい、けれど振るうことは許されない、ジレンマだ」


 訥々と語るスフィルの言葉はまさに今のサイデを表していた。図星をつかれた気分で目を伏せる。


「自由になりたかったのさ」


 そうだ。自由になりたい。

 鬱屈した思いを解放して、内に疼く衝動に従って、感情のままに力を振るいたい。


 落ちこぼれと呼ばれ、お利口さんだと言われ、否定したい思いを押し潰す。

 奥底の感情を見抜く紫紺の瞳が「君もそうだろう?」と問いかけているように思えた。


「さて、ここまで案内してくれて助かったよ、感謝だ。見たところ、不審な部分も見当たらない。一安心といったところかな。最後にと言ってはなんだけど、村長のところまで案内してくれないかな。今後の話がしたい」

「あ、じゃあ私が……」


 名乗りあげたシラハは、サイデとスフィルが一緒にいることを避けたがっているようにも見えた。

 彼女の胸の内に渦巻く不安に気付いていないふりをするサイデはお役御免を幸いに、その場から立ち去る。

 朱色の瞳が物言いたげに見つめていることすらも無視した。




 薪割り作業に戻ったサイデは無心で斧を振り続ける。スフィルの登場で大分遅れてしまったが、この分だとなんとかなりそうだ。

 重い斧が風を切り、薪を両断する。今まではそれで十分だったのに、今は物足りなさが胸の奥で疼いている。


 絶え間なく繰り広げられる斬撃を受け止めた感覚。見つけた隙を頼りに力の限り斧を振るう心地よさ。紙一重で攻撃を避けるときの高揚感。

 一つ一つが快感で生きている心地がした。胸の奥底に巣食う衝動が、あの時ばかりは消え失せたような気がした。


「やあ、盛況かな」

「……ちっ、何の用だ」


 周りに村長も、シラハもいない。完全に二人きりの状態だからこそ、隠しもしない不機嫌で現れた男と向かい合う。

 不敬と罰せられても文句は言えないサイデの態度を、この地を統べる幹部様が気にする素振りはない。それどころか、好ましいと笑ってみせる。


「君と話がしてくてね。少し付き合ってくれるかい?」

「俺にはあんたと話すことなんてねぇよ。……失せろ」

「すぐ終わるからさ。一先ず、物騒なものは置いてくれると助かるな」


 いくら言っても聞いてくれないと観念したサイデは斧を置き、渋々とスフィルと向かい直す。

 居心地の悪さを感じさせる紫紺の瞳は、別に嫌いではない。あくまで村の大人たちと比べたらの話だが。


「サイデ君、だったかな。君は、吾輩と戦ったとき、何を感じた?」

「何も。あんたがむかつく、それだけだ」


 忘れられない快感も、高揚感も、忘れたふりをして答える。今、胸を占拠している果てしない喪失感すらも無視した。

 必要のないものだ。自分には、この村で暮らしていくには必要のないものだ。


「楽しくなかったかい?」

「……ああ、楽しくなかった」


 否定することに躊躇いがあった。ほんの数秒、それだけでも致命的と思えてしまう間を作ってしまった。

 波立たない紫紺の瞳は全てを見透かしているようで、堪らなくなって視線を逸らした。


「平凡な毎日に退屈しているんじゃないかい? うんざり、しているんじゃないかい?」

「今日会ったばかりのあんたに俺の何が分かる?」

「分かるさ」


 不機嫌を隠そうとしないくせに、律義に言葉を返すサイデに笑いながらスフィルは言葉を紡ぐ。


「君は昔の吾輩と似ている。身の内の力を持て余し、自由になりたいと懇願しながらも退屈な日々からも抜け出せないでいる」


 道を示してあげると言ってくれた人がいた。

 偶然の出会い。差し出された手を取ったおかげで、今のスフィルがいる。


 スフィルは彼女に救われた。ならば、今度はスフィルが彼の導き手となりたい。かつての自分と重なる少年を鬱屈とした日々から救い出してあげたいのだ。


「君には才能がある。村では疎まれる力も外ではきっと役に立つ。吾輩と一緒に来るといい、勧誘だ。君の望むものもきっとある」

「本当に俺の望んでるものがそこにあるって言うのかよ」


 迷いなく肯定を示すスフィルを見て、サイデは嘲笑するように鼻を鳴らす。


「ねぇよ」


 驚きで見開かれる紫紺の瞳は小気味がよかった。

 不機嫌なままに言葉を返していた今までとは違う。これはサイデ自身の心からの思いだ。


「一緒に行ったら、俺はあんたの下につくことになる。誰かの下について得られる自由なんて、俺の求めてるものじゃねぇ。そんな偽物いらねぇよ」

「ここにいたら本当の自由が手に入るのかい?」

「……」


 初めてサイデは無言を返した。


「手に入らないよ。君だって気付いているだろう?」

「……これ以上あんたと話すことはねぇ。失せろ」

「これは完全にふられてしまったようだね、傷心だ。君みたいなタイプは誰かが手綱を握っていないと危険なんだが……。せいぜい、大切なものを壊さないようにね、忠告だ」


 長ったらしい別れの言葉を残して去っていくスフィルの後姿を見届けもせず、サイデは己の仕事に戻る。使い慣れた斧を握り、溜まった苛立ちを発散するように振り下ろす。

 と、新たな気配が訪れた。不機嫌さをのせた視線をくれてやる。


「……サイデ」


 立っていたのは不安げな表情をしたシラハだった。

 今にも泣きそうに揺れる瞳が耐え難く、舌打ちを一つして向かい合う。


「サイデは自由になりたいの? ……村の外に行きたいの?」


 先程の会話を聞いていたのだろうか。いや、シラハはきっと村案内をしていた時からずっと気になっていたのだ。

 ――サイデがいつか村の外に行ってしまうのかを。


「行かねぇよ」

「本当? 本当の本当?」

「うるせぇな。お前に嘘ついてどうなるんだよ」


 周りからどんな風に思われていようとも、サイデはこの村のことが嫌いではない。守りたいと思う、大切な場所だ。

 シラハだって守りたいと思うものの一部。だからこそ、悲しそうに歪んだ表情は見たくなかった。

 大切なものを壊してしまいたくないからこの村から出ない。それがサイデの選択だ。


 ――ここにいたら本物の自由が手に入るのかい?


(うるせぇ)


 ――せいぜい、大切なものを壊さないようにね、忠告だ。


(うるせぇ)


 この小さな小さな村で一生を終える。そう決めたはずなのに、スフィルの言葉が何度も蘇ってサイデの心を揺らがせる。

 サイデは自分の選択に納得している。そのはずだ。


 なのに、どうしてこんなにも全身が掻き乱されるような思いがするのだろう。

 消えることのない感情。今のサイデは斧を振るうことで解消するしかなかった。


 ――いずれ、無意味なことになると分かっていても。


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