1話 疼く衝動
第一節第三章、第四章に登場したサイデのスピンオフになります
本編よりもかなり前、桜のスピンオフの少し後くらいの話です
無色ノ国の果てにある小さな村。大きな事件とは無縁で、村総出で行われる結婚式が村唯一のお祭りだ。それも頻度は多くないが。
繰り返される平凡で平坦な日常。
村人はみな、この村で生まれて、この村で育って、この村で死ぬ。誰一人して村の中で一生を終えることを当然のように受け入れて、不満を抱くことも疑問に思うこともない。
――サイデもその中の一人だった。
「――はっ」
斧を力いっぱいに振り下ろせば、真っ二つに割られた薪が地面に転がる。次の薪をセットして斧を振り下ろす。その繰り返しだ。
薪割りをしているのは一人の少年。陽の光を浴びて鋭く輝くのは銀髪で、朱色の瞳はまだ世界を知らない純朴さを宿していた。唇は真一文字に引き結ばれ、どこか不機嫌そうな面持ちだ。
「サイデー、川行こうぜって何だよ。まだ終わってないのかー? 相変わらずノロマな奴だな」
「おいおい、そんなこと言ってやるなよ。可哀想な落ちこぼれ君はちまちま手でやるしかねぇんだから」
「大変だよな、術もまともに使えないと」
聞こえてきたのは嘲りをこれでもかと織り交ぜた声。村で暮らす少年たちである。
研ぎ澄まされた鋭い視線を向ければ、想像通りの表情を浮かべた三人組が立っていた。
募る苛立ちのままにサイデは己の妖力に命令を与える。妖力は徐々に形をなしていき、刃となったところで――。
「もうっ、そんなこと言ったらダメでしょ。サイデにはサイデのペースがあるんだから」
聞こえた少女の声に刃は霧散した。
純朴そうな少女である。肩の辺りで切り揃えられた色素の薄い髪。大きくて丸い瞳に、薄い唇。
この村一番の美少女であるところの少女は、ほんのり紅がさした頬を膨らませて三人組を見つめている。
悪戯を見つかった、と三人組は罰が悪そうに互いの顔を見合わせる。
「ちょっとからかっただけだって」
「悪かったなー、サイデ」
「ごめんごめん。薪割り、頑張れよ」
村一番の美少女、ましてや村長の愛娘が相手では三人組も分が悪い。形だけの謝罪を口にして去っていった。
ほとぼりが冷めたら、また同じようにからかいに来ることは分かりきっている。今更、どうということはないが。
「術使おうとしてたでしょ。またお父さんたちに怒られても知らないわよ」
「シラハには関係ねぇだろ」
膨れた頬がこちらを向き、うんざりとした顔で答える。
サイデが作業をしているちょうど真後ろには小屋がある。壊れかけの小屋が。
柱が一本、半ばで切断されており、絶妙なバランスでなんとか持ちこたえている状態だ。
これは数日前に術の力加減を誤ったサイデによって施されたものである。シラハの父である村長をはじめとした大人たちにこっぴどく怒られたのは記憶に新しい。
「関係ありますー。私はサイデの友達だよ。友達が怒られてると悲しいし、辛いでしょ」
勝手に友達認定されていることにはもう何も言わない。
シラハにとって村人すべてが友達であり、家族なのだ。落ちこぼれのサイデとて例外ではない。
「ねえ。やっぱり術の練習しない? 私も付き合うから――」
「うぜぇ。そんなに構ってほしいなら他の奴にしろよ、お姫様?」
「……」
悪意だけをのせた言葉に返ってくるのは沈黙。このまま立ち去ってくれという思いで作業に戻る。
「――どうして、そんなにイライラしてるの?」
怒るか、泣くか。二つの予想を遥かに裏切った言葉が投げかけられる。
動揺を押し隠し、無視を貫けば、ようやく諦めたらしいシラハの気配が遠ざかっていく。
「……知らねぇよ」
小さな囁きは風に溶けて消えた。
募る苛立ちを妖力に込め、不可視の刃を放とうとしたところで止める。怒られるのは面倒だ。
術を放つとき、サイデはいつも力加減を誤ってしまう。同じように術式を構築し、同じように妖力を込めたつもりでも結果は散々なものだ。
壊し屋と誰かが言った。
破壊魔と誰かが言った。
違う場所では役に立ったかもしれない強い力も、この村ではただ迷惑なだけだ。術なんて小さな村では日常生活を少しばかり便利にするためだけのものにすぎない。
力加減が上手くできないサイデを誰もが落ちこぼれと呼ぶ。向けられるのは蔑みや憐みの視線。両親ですらそうだ。
唯一違うのはシラハだけ。
「お前らはいいよな、自由で」
大きな青空を悠々と泳ぐ鳥に向けて零す。澄み切った青の果てには一体何があるのだろう。
繰り返される平凡な毎日。時折、全てを壊してしまいたい衝動に駆られる。
破壊魔と呼ばれる力を解放してこの村の何もかもを壊してしまいたい。
窮屈で仕方がない。消化しきれない感情が燻ぶって苛立ちを募らせる。
今もなお、疼いている衝動を解放してしまえば、この途方もない苛立ちはなくなるのだろうか。
そんなことを考えながらも行動に移れないのは許されないから。サイデ自身が許さないから。
いくら蔑まれようとも、いくら憐れまれようとも、サイデはこの村のことが嫌いではなかった。
「……ちっ」
嫌いではないから踏み切れない。衝動が疼き、苛立ちは募るままだ。
斧を握り、苛立ちをのせて振り下ろす。見事に二つに割れる薪に抱く感慨は何もなく、また次と薪を割っていく。
今のサイデには、それ以外に苛立ちを発散する方法なんて一つも思い浮かばなかった。