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最終話 絶望の願い

 物心つく前からその声はずっと聞こえてきた。


 男とも、女とも、若いとも、老いているとも言えない声。むしろ、そのすべてを詰め込んだような声だ。

 声はいつだって桜に力を求めた。望みを叶える代わりに、力を貸してほしいと。


 桜に望みなどなかった。何者にも邪魔されない、平穏で静穏な生活を送っていられればそれでよかった。

 誰かが桜を天才だという。桜の力には価値があるという。


 そんなことは知ったことか。どうでもいい。むしろ、強すぎる力は桜にとって疎ましいものでしかなかった。


〈その力は素晴らしい。どうだ? 我の力になってみないか〉


〈何もしない日々を望むならそれでも構わぬ。ただ我の傍にいればいい〉


〈何故、断る? お主の望みは平穏な日々を送ることなのだろう?〉


 紅い光を纏ったそれの問いかけに何と答えたのかは覚えていない。

 ただ、いくら平穏な生活を送れるからといって、あれの欲を満たすだけに生きるのは嫌だった。

 だから断った。単純な話だ。


 桜の力を求める者はたくさんある。人が人なら二つ返事で返す条件をつけて桜を口説こうと躍起になる。

一度としてそれらを受け入れたことはない。ただ当主に言われるがままに妖退治をするだけの日々を送っていた。


「貴方が藤咲桜?」


 彼女と出会ったのはいつだっただろうか。


 いつものように当主の言いつけられた妖退治を終わらせた桜の前に現れた女性は、美しい金色を纏っていた。

 神々しいほどの妖気は、今まで見た妖とは比べられないほどに気高いものだった。


「あれの宿主がどんなものか興味本位で見に来たのだけれど……気に入ったわ。ねぇ、友達にならない? 対等でいられる友達がほしかったのよね、私」


 力を持つ故の寂しさも、力を持つ故の煩わしさも、すべて知っている少女の手を桜は取った。

 理由は特にない。ただ桜自身が彼女の手を取りたいと思ったのだ。


 もしかしたら、桜の力ではなく、桜自身を求めてくれたからかもしれない。

 桜自身を見てくれる存在は、いつだって傍にいてくれた。けれど彼は桜自身が生み出した存在という思いがいつだって付きまとっていた。

 友人という存在を得て、桜の日々は少しばかり色づいたように思う。


 けれども聞こえてくる声はやむことを知らない。いよいよ煩わしくなった桜は声が届かないよう、藤咲家を覆う結界を上書きした。

 そこからの桜の日々は単調だ。当主に言われた妖退治だけをこなし、残りの時間は自室でどこまで怠惰に過ごした。


 変化が訪れたのは――。


「藤咲桜さんですよねー。桜なんて素敵な名前です」


 その男は、閉鎖された桜の世界に無遠慮に入り込んできた。

 桜自身が嫌っている名前を褒める存在など今までいなかった。少しだけ驚き、それだけでいつもの単調な日々が戻ってくると思っていた。


 いつからだろう。


「それはもちろん、愛しているから」


 いつからだろう。


「……目的。ただ会いたいからじゃ、いけませんか」


 いつからだろう。


「僕は咲蘿と一緒に行くよ。これから、ずっと貴方の傍にいる。傍にいたい。それが、僕が決めた僕の役目だ」


 武藤霞という人間に惹かれている自分がいる。ずっと彼とともに生きていたいと思う自分がいる。

 桜に欲などなかった。ただ平穏で、静穏な日々を送っていられたらそれでよかった。


 だって、この世界は初めから答えが決まっている。創造主の望んだとおりにことが進むようになっている。

 声を拒み続ける日々もいつか終わりがくる。だから桜は許される時間だけでも、自分が望んだように生きてきた。


 これからも、ずっと。


 そうしていくはずだったのに、彼と出会って桜の中に欲が生まれた。

 何が何でも守りたいと思える場所ができたから、桜はあの声に抗おうと思う。


 綴った文字はシンプルなものだ。常に身に着けていた小瓶を手紙の横に置き、屋敷を出た。

 ふと自分を引き止める声が聞こえた気がした。生まれたときからずっと傍にいてくれた存在の声が。


「真砂、すみません」


 これは桜自身の問題だから。誰に頼ることなく、一人でかたをつけよう。


 そう決めていた。

 辿り着いたのは“はじまりの森”と呼ばれる場所だ。幾度となく訪れていた森は今、強大な神気に包み込まれている。澄み切った森の空気は、いつぞやの武藤家を彷彿とさせる。


 邪気一つ近付かせない神気に満たされた森の中を、桜は迷うことなく進んでいく。

 神気の根源を求めるように奥へ、奥へ。やがて辿り着いたのは円形の空間。

 森の中心地、草木が一切生えていない空間で桜を待ち構えていたのは神気の塊だった。


〈待っていたよ。ようやく、わしの力に、なってくださる気に、なったんだね〉

「いいえ」


 いくつもの声が重なり合った声に、桜は臆することなく答える。

 はっきりとした決別の意思に純白の神気の塊は残念そうに震えてみせた。


〈それでは、仕方ないの〉


 震えた神気は眩いほどの光を放ちながら明確な形を作っていく。


 光がおさまった時、そこに立っていたのは桜だった。

 純白の髪を背中に流し、純白の瞳はどこまでも無機質だ。纏う着物も純白で、舞い散る桜の柄も再現するほどの精密さだ。

 本物のとの違いは全てが白で統一されているくらいか。


 こうなることを予測していた桜に動揺はない。

たとえ、誰が相手になろうとも自分の意志を貫き通す。今までだってそうしてきた桜の信念は変わらない。


〈観念するんだったら、今のうちですよ?〉

「いいえ、観念する気は一切ありません。コピーは所詮コピー。本物の私に敵うはずがない」


 万全の状態であれば、の枕詞はつくが。

 身重である桜の体調は正直いってあまり芳しくはない。言葉通りの余裕の勝負にならないことは分かっていた。


 だからと言って折れる理由にはならず、桜は己の霊力に命令を加える。刹那のうちに生成された炎の塊が白い桜を襲い、結界によって霧散させられる。


「やはり防ぎますか」


 様子見のための攻撃は、強固な結界に皹を入れることもできない。

 相手は当代一といわれる自分自身。そうそう簡単に負けてくれはしない。


 無機質な純白の瞳と向き合いながら、桜は遠距離攻撃を次々に仕掛ける。休む間を与えない怒涛の攻撃は土ぼこりを上げ、互いの視界を防ぐ。

 戦闘において視覚を頼りにしていない桜は気配だけを辿り、眉を寄せる。


「……っ」


 すぐ真横に現れた自分の姿を見て、目を見張る。咄嗟に結界を張るのも間に合わない速度に桜はお腹を庇うように受け身の準備をする桜の傍を氷塊が通り抜けた。

 容赦のない速度で放たれた氷塊をもろに受けた白い桜は吹き飛ばされ、地面を転がっていく。


「大丈夫か、さく」

「どうして、貴方が……?」

「身重のくせに行方をくらました馬鹿を探すのは当然だろ? ったく、本当にお前は世話が焼けるな」


 呆れた表情を浮かべた闖入者、流紀は周囲に氷塊を浮かび上がらせながら、体勢を整えた白い桜へと向き直る。


「お前が話したくないなら理由は聞かない。とりあえず、一つだけ答えろ。あいつを倒せばいいんだな?」

「貴方が勝てるような相手ではありません」

「分かってるさ。だが、身重のお前を戦わせるよりずっといい」


 白い桜から目を離さないで答える流紀の言葉には有無を言わせない強さがある。

 説得するための言葉を探す桜を他所に、流紀は地面を蹴った。冷気を纏った蹴りが炸裂し、結界に氷の模様が描かれる。


「桜の姿をしているだけはあるな」


 渾身の一撃で皹一つ入っていない結界に苦笑し、呟く。と、急に身体に力が漲り始めた。

 驚いて後ろを見れば、桜が身体強化の術をかけてくれたらしかった。当代一の術は一級品で、流紀の身体能力は一気に数倍にも膨れ上がる。


 流紀の身体に負担がかからないぎりぎりのレベルを狙ってかけられた身体強化のもと、白い桜と対峙する流紀を静かに見つめる。


 言えば、こうなることは分かっていた。だからこそ、桜は一人で解決しようと思っていたのだ。

 過少も過大もなく自分を評価している桜は、流紀も式たちも自分に敵うことはないと知っていた。いくら万全でなくても、勝てる可能性が一番あるのは桜自身だ。

 だからこそ、下手な犠牲を増やすよりも自分一人で――。


「くっ」


 氷を纏った身体が吹き飛ばされる。流紀の身体が木に打ち付けられる間際、生成した結界で受け止める。

 ダメージは減らせたものの、すでにかなりの傷を負っていた流紀はそのまま地面にへたり込む。寒色で彩られた着物に血が滲ませ、肩で息を切らした流紀の目はまだ諦めていない。


 駆け寄り、治癒を施そうとした桜の手が止まる。

 治癒をすれば、流紀はまた無謀な戦いに挑むことになる。たった数分程度で満身創痍まで追いやられた流紀はやはり桜には敵わない。

 ならば、いっそのこと流紀を術で昏倒させて、当初の目的通りに桜一人で相手するべきではないだろうか。


「……っ、その手には乗らないぞ。さく、言っただろ。私はお前を戦わせる気はない」


 桜の思考を読み取ったように流紀はそう言った。


「万全ではなくとも私は貴方よりも強い。だから――」

「だから、自分に任せろと? お断りだ」


 零れる息を呑み込んだ流紀は傷だらけの身体に鞭を打ち、立ち上がる。呼吸に合わせて零れる血を無視して、白い桜を睨みつける。


 そこへ、治癒の術をかけられる。瞬く間に治っていく傷に驚いて桜を見れば、彼女の方がもっと驚いた表情を見せていた。


「遅くなってごめんね、りゅーちゃん。さくちゃんのお守り、お疲れ様。ここからは僕たちも手伝うよ」


 姿を現したのは栗色の髪を持つ少年。奇妙な出で立ちをした少年の後ろには、大切そうに小瓶を抱えた藍髪の青年が立っている。

 小瓶の正体は式の核であり、それぞれ、土、火、葉が入れられている。桜が屋敷に置いてきたものだ。


「僕、怒ってるんだからね。後でお説教だから!」


 言いながら、真砂は桜と流紀を守るように正面に立つ。そのすぐ横で、炎と葉がそれぞれ渦を巻き、人の姿を作り出す。


 左に立つのは袖のない着物を纏った女性。炎のような髪は桜の髪飾りによって結ばれており、腰帯にぶら下がる鈴が軽やかな音色を奏でてみせた。


 右に立つのは穏やかな雰囲気を纏った青年。誕生からまだそれほど月日が経っていない青年は、戦場に似合わない温和な笑顔で、白い桜と対峙する。


 そして、さらにその横に立つのは――。


「咲蘿のことは絶対に守るから。そこで見てて」

「霞……」


 銀色の光を纏う竹刀を構えた霞の姿を見て、漆黒の瞳が動揺を宿す。

 今まで桜がまともに戦ったのは、武藤家で男たちを倒したとき以来だ。妖退治についてきてもサポート専門だった霞など、すぐにやられて終わりだ。


「すぐに終わらせて戻ってくるよ。大丈夫、君を一人にはしない」

「待って――」


 静止の声もやむなく、小瓶を桜に渡した霞は白い桜に立ち向かう。

 鈴懸が産み落とした種が一気に成長し、白い桜を絡めとる。その隙をついて焔が炎を纏わせた打撃と叩き込み、すぐに龍刀の一閃が放たれる。

 その一つとして避ける素振りを見せない白い桜は静かに腕を上げた。


「まずい。みんな、伏せて!」


 警告とともに、真砂は茶色の円盤を展開させる。まもなく白い桜の霊力が爆発し、その衝撃の全てを茶色の円盤が吸収する。


「すごい」

「守ることに関しては僕の専売特許だからね」


 こんな状況でも変わらない調子で会話する裏で、真砂は次の攻撃に備えて円盤を展開させる。

 白い桜は全ての攻撃を避ける素振りを見せもしないければ、自ら攻撃をしかけることもない。ただそこに佇んでいるだけだ。


 にもかかわらず、これだけ苦戦しているのは張り巡らせた結界の強固さゆえだ。メンバーの中でもっとも高い攻撃力を持つ焔の一撃にすらびくともしない結界。外から破るのは至難の業と言えた。


「少しずつダメージを加えれば破けると信じるしかありませんね」

「いや、いくらダメージを加えても意味がない」


 言いながら、炎の拳を結界に叩きこむ。微かなダメージを残した結界は一瞬のうちに一新され、強固な結界が変わらず立ちはだかる。

 結界がびくともしないのはこれが理由だ。小さな傷ならば一瞬で張り直される。

 破るにはダメージの蓄積ではなく、強力な一撃を叩き込むしかない。


「私が破りましょう」

「ダメだよ」

「結界を破るくらい、大した労力ではありません。少しばかり時間は必要ですが」


 何を言っても引く気はないらしい桜の顔と対峙し、真砂は静かに息を吐いた。


「破るだけだからね」


 そう念押して茶色の円盤を、桜を守るように配置する。

 結界を破ることから、時間稼ぎをするために体勢を整え直す。力を温存しながら攻撃をしかけ、術に集中する桜を横目で見る。

 ほとんど行動を起こさない白い桜相手では時間稼ぎはそれほど難しいことではない。


「下がってください」


 聞こえた声に反射で避ければ、高密度の霊力が一気に放たれる。白い残滓を残しながら放たれた一撃は、あれだけ苦戦した結界を一瞬で打ち破る。

 ただ霊力の塊のようで細かな術式が組み込まれた一撃は、結界の生成を阻害する。


 破壊された結界の中に焔と霞が滑り込む。炎の拳と龍刀の切っ先を叩き込み、遠距離から真砂と鈴懸、そして流紀の一撃が叩き込まれる。

 持てる力すべてを込めた五人の一撃に白い桜の身体がばらばらに砕かれる。元の姿も分からないほどに砕かれた白い残骸。


 終わった、と。


 誰もが身体を弛緩させ、安堵の息を漏らす。そんな中、霞の顔に緊張が走った。

 瞳を銀色に輝かせた霞は何かを追うように視線を動かして、地面を蹴った。体力がないと散々言われていた人間とは思えない動きで、桜の前に滑り込み――鮮血が舞った。


「っかは……みんな、伏せて!」


 悲痛を乗せた声に応えるように、白い残骸から眩い光線が放たれる。光線は咄嗟に生成された桜の結界すらも破って、森を蹂躙してみせる。狙う的などない。残酷なまでの殺戮だ。


 土埃に視界を奪われる中、聞き慣れた声が苦悶を漏らす音だけが聞こえてくる。

 式たちの実体化が解かれたのを感じた。すぐ傍で香る血の匂いが誰のものなのか考えたくもない。

 ただ白を通り越して青白くなった頬に涙が零れた。


「っかす、み。霞! 大丈夫ですか」

「だ、いじょ、ぶ。大丈夫。平気、平気……はっ、はっ」


 離れた場所で流紀が血に伏している。寒色だった着物は見る影もなく赤に染まっており、離れた位置からでも虫の息なのが見て取れた。


 一つ。一つ。回らない頭で冷静に状況を理解していく。

 自分を抱きしめる人物。聞こえる息は弱く、抱きしめる力がだんだん弱まっていくことがどうしようもなく悲しかった。


「待って、ください。今、治癒を……」


 結界を破った一撃で、かなりの霊力を消耗した。けれど、応急処置程度ならきっと間に合うはずだと霊力に命令をしようとして止められる。それを止めたのは霞自身だ。


「どうし――」


 困惑する桜を見て和らいだ霞の瞳は銀色をしていた。そして、最後の閃光が瞬いた。

 閃光はただ一つ。抱きしめるように桜を守る霞の背中を真っ直ぐに貫いた。


「霞――っ!」


 瞳を銀色に輝かせる霞は変わらず笑顔を浮かべていた。もはや、指一本動かすことも億劫な身体を叱咤して、腕を持ち上げる。

 想い人の頬に伝う涙を拭って、ただ笑う。笑う。笑う。

 それは桜が大好きな場所に常にあった人を安心させる温かな笑顔だった。


「さ、くら……だぃ、すき。ずっと……ずっと、愛し……」


 笑顔に涙が伝う。一粒だけの涙は美しく、儚く散った。


「会えて、よか……った――咲蘿」

「かす、み。待ってください、霞! 一人にしないと言ったではありませんか。ずっと傍にいると」


 悲痛を詰め込んだ声はもう霞には届かない。徐々に冷たくなっていく想い人を抱いて、桜は涙を流す。

 自分のせいだ。自分があの声に抗おうなどと思わなければこんなことにはならなかった。


 声もなく涙を流しながら、桜は願う。


 幸福だったあの頃に戻りたい、と。

 もっとも幸せだったあの頃まま、時間を止められたら、と。


 ただ願う。願う。願う。願う。願う。

 思いのままに膨れ上がった霊力は地面に残された白い残骸を結びつき――願いは叶えられた。

 天も、桜自身も予想にしていなかった形で。


 ――もっとも、不幸な形で。

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