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積み重ねが大事

時間軸は第1節第6章以降のどこかです

 幼等部から、小、中、高と一貫校な春ヶ峰学園では中等部卒業後、多くの者は内部受験を経て高等部へ進学する。外部受験組と比べれば、比較的楽に進学することができる。とはいえ、絶対受かるわけでもないのは事実だ。


「健、頼む! 勉強を教えてくれ」


 始まりは航輝のそんなお願いからだった。

 拝み倒さんばかりのお願いは意外とあっさりとした健の言葉で結実する。


「そこまではいいんですけど、なんで僕の部屋なんですか」

「人数集まるなら広い方がいーでしょ」

「それはそうですけど」


 広さだけでいえば、悠の部屋も健の部屋も変わりない。違うのは、中にある物の数だ。

 今は健の部屋から持ち込んだ折り畳み式のテーブルが中央に鎮座している。それを除いて悠の部屋にあるものといえばベッドのみである。当然クローゼットの中に衣服類は入っているものの、年頃にしては異常とも思える。


「でも春野家の別荘の方が広いじゃないですか。距離だってそんなに変わらないし」

「いや、それはあれだろ。女子の部屋に上がるのはちょっとなー、みたいな」

「なんですか、その思春期みたいな理由」

「思春期だからね」


 ベッドに腰掛けて本を読む健のツッコミに頬を膨らませ、渋々といった体で納得する。

 今、悠の部屋には六人の人物がいる。うち二人は悠本人と先程ツッコミを入れた健だ。そして、健以外の四人はテーブルを囲み、勉強に励んでいる。


「ていうか、なんで受験しない僕まで勉強してるんでしょう?」


 今回の集まりは受験勉強するためのものだ。高校に進学する気のない悠には必要のないものと言える。


「今更気付いたのかよ」

「でも、ほら。どっちにしろ、期末試験はあるんだしさ、それ用の勉強って考えればいいんじゃない?」

「理由がなくても勉強しなよ」


 航輝、夏凜、健の三者三様の返答が帰ってくる。三分の二に優しさが込められていないのは通常運転だ。

 今回は素直に夏凜の意見に乗ることにする。

 春野夏凜。現春野家当主の三女であり、健の婚約者である少女の双子の妹である。本来は二人の姉と同じ金に近い琥珀色の髪を黒く染め上げ、二つに括っている。

 オカルト好きが十分に発揮された服はゴシックを基調としている。


「じゃあ、百点とったら何かご褒美くれますか」

「うーんと、占いしてあげるよ」

「お菓子作ってあげる」

「ジュースでも奢るよ」

「部活の助っ人に呼んでやる」

「褒めてあげる」


 返ってきた五つの声に悠の頬が膨らむ。


「助っ人ってなんなんですか。僕にメリットないじゃないですか」

「悠、人の善意を無碍にするものじゃないよ」

「善意なんですか? ただの悪ふざけにしか思えませんよ」


 頼めたらいつでもしてくれる夏凜の占いはこの際、置いておいて、まともにご褒美らしい提案をしたのは星と良くらいだ。このメンバーの中の善意を担う二人だ。


「健、ここの問題ってさ」

「はいはい」

「話はまだ終わってませんよ!?」


「悠、うるさい」と言葉を返して会話を終了させた健はベッドから降りて星の傍らに座る。

 男女とは思えない距離で話す二人の間には他人が入り込めない空気が漂っている。

 ただ聞こえてくるワードの難解さを思うと、そんなムードも一瞬で掻き消える。


「健、俺の方も頼むぜ」

「どこ?」

「こっから丸々全部分かんねぇ」

「……そー」


 何か諦めの気配を感じる悠である。

 諦めたからといって手を抜くわけではなく、むしろより懇切丁寧に教えていく。

 人と距離を置くような言動が多いから誤解されやすいが、根はすごく優しい人なのだ。もっとも、それを本人に伝えようものなら否定とともに冷たい視線が送られるのは間違いなしなので悠の心の内に押し留めておく。


「よし。じゃあ、みんなが受かるのか私が占ってしんぜよう」

「いいですね。主に航輝さんについて占ってください」


 さっきの仕返しとばかりに言えば、航輝は不満げな声を出す。占いの結果がどうであれ、悠はそれだけで満足だ。


「俺はいいかな」


 ぽつりと呟かれた良の言葉に全員の注目がいく。


「ああ、いや。占われるのが嫌とかじゃなくて」


 きちんと夏凜へのフォローを入れる人の良さを見せつけつつ、言葉を続ける。


「夏凜の占いは当たるから。受かるって言われたら怠けそうだし……自分の力で受からなきゃ意味がないかなって」

「さっすが、良。やっぱ出来た人は言うことが違うね」


 航輝の賞賛を合図に拍手が沸き起こる。四人分の拍手を受ける良は照れたように笑った。


「じゃ、占いはなしってことで。みんなで勉強がんばろー」


 そんな夏凜の言葉を合図に、各々勉強を再開させる。この日の勉強会はかなり充実したものとなった。

 全員が無事に受かるようにと密かにお祈りしたのは悠だけの秘密だ。


●●●


 夜。全員が寝静まった頃、トイレから戻ってきた悠は健の部屋の前を通り、足を止める。

 逡巡ののちにノックを数回。返ってくる声はない。

 普通なら寝ているのだろうと思うところだが、健の性質をよく知る悠は無言で扉を開けた。


「電気くらいつけたらどうですか」


 暗闇の中に呼びかければ、微かに衣擦れの音が聞こえる。夜目がきく悠の瞳には億劫そうにこちらを向く健の姿が映し出されていた。

 無機質な瞳には迷惑そうな感情の揺らぎが宿っている。


「勝手に入らないでよ」

「ノックはしましたよ。聞こえてたでしょう?」


 聞こえていなかったわけではないのは分かっている。聞こえていて無視したのだと。


「寝てた」

「バレバレの嘘つかないでくださいよ」


 悠の部屋へ貸し出されていたテーブルの上には何かの本が広げられている。おそらく参考書だ。


「健兄さんならわざわざ勉強しなくても余裕で合格でしょうに」

「油断してると足元すくわれる。慢心はよくない」


 素っ気ない言葉だけ答えて、勉強を再開する健。悠は息をつき、部屋の電気をつける。

 数度瞬いた電球が部屋を照らし出す。

 悠の部屋ほどではないが、物が少ない。


 異様な雰囲気を醸し出す棚には様々な種類の本と、薬品のようなものが並べられている。そして、その傍らには何かの書類が無造作に重ね置かれている。


「どうせなら一緒にすればよかったのに……って受験勉強してるわけじゃないんですね」

「そっちは一区切りついたから」


 言いながら視線で指し示された場所には無造作に置かれた書類がある。

 その一つを手に取り、眉を顰める。

 見知らぬ言葉ばかり並べられた問題文。シャーペンで書かれた答えも見てもよく分からない。

 赤い丸がつけられてるところを見ると、正解なのだろうが。


「なんです? これ」

「桜稟アカデミーの過去問。春野家にあったからコピーして持ってきた」

「それ、大丈夫なんですか」


 桜稟アカデミーの過去問など、受験者にとっては垂涎ものだ。当然ながらインターネットにも出回っていないし、お金を積んだってそうそう手に入らない。


「大丈夫なんじゃない。王様も何も言わなかったし、全部解いたから処分するつもりだし」


 和幸が何も言わなかったのなら問題ないのだろう。多分。

しかし売ればかなりの額になるであろうと紙の束を無造作に置く辺り健らしい。


「全部解いたんですね。僕は初っ端からちんぷんかんぷんですけど」

「応用問題ばかりだからね。基本が出来てないと解けないよ」


「教えてあげようか」と楽しげに笑う健を「結構です」と突っぱねる。

 別に分からなくたって問題はない。悠は桜稟アカデミーに受験するどころか、どの高校にも進学する気は一切ない。


「そういえば航輝さんたちは何も言ってきませんでしたね。もう少しつっこまれると思ってましたけど」


 進学する気がない。そう言った悠に対して、航輝も良も理由を聞くことはしなかった。もちろん、星と夏凜も。

 ただ一言、航輝は「羨ましいぜ」と言ったくらいだ。


「気にならなかったんでしょ。そーゆー人だよ、航輝たちは」


 人によっては淡白な関係のように思えるのかもしれない。けれど、重たいものを抱える健や悠にとっては淡白なくらいがちょうどいい。


 間違っていなかったと悠は考える。

 航輝と健を引き合わせたことは間違っていなかった。

 その事実を改めて確認できただけで悠は満足なのである。

 航輝の存在は健の目的に影響する。それも悠にとって好ましい方向に。


「僕も一緒に勉強します! 道具持ってきますね」

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