2:八角館と拉致された学生達
「……い、………け。お……。……い、起きろ!」
沈んだ意識の中、聞きなれた声がどこからか届いてくる。
その声を頼りに意識を覚醒させると、目の前には必死な形相の友哉の姿があった。
僕が目覚めたことに安堵したのか、友哉はほっとした様子で「ようやく起きたか」と呟いた。
体をゆっくりと起こしながら、僕は友哉に尋ねる。
「ここは、どこ? というか一体何が起こって……」
記憶を掘り返すと、気絶する直前の光景が蘇ってくる。用を足し終えトイレから出ようとしたとき、目の前に現れた覆面の男。逃げようとするもかなわず、首に何か冷たいものが触れ、一瞬で意識が飛んだこと。
そこからここに至るまでの記憶は一切ない。そして周りの景色は病院や自宅とは違う、見たこともない部屋。どうやら僕は誘拐されたようである。
そこで改めて今いる場所を見渡してみた。色味の少ない灰色の壁に覆われた一室。中央には大きめの丸テーブルと、それを囲うように椅子が六脚置かれている。テーブルの上には布をかぶせられた人形のようなものがこれまた六つ置いてあったが、それ以外には全く物のない殺風景な部屋だ。
だが、そんなほとんど物の置かれていない空間ながら、僕は自分がどこにいるのかをおぼろげながら理解した。というのも、今僕らのいる部屋は完璧な正八角形をしていたからだ。この村において正八角形の部屋が存在する建物など、まず一つしか思いつかない。
奇人――小村赤司が建てた『八角館』。
中に入ったことはないので絶対とは言えないが、この部屋の形からするに間違いないものと思われる。
自分が今どこにいるのか分かったことで、ほんの少しだけ心が落ち着く。すると、僕が落ち着いたのを見計らったがごとく、尊大な声が部屋中に響き渡った。
「どうやら、最後まで寝ていた貧乏人も起きたらしいな。それじゃあ今度こそ話し合いを始めるとしようじゃないか。無論文句はないな、栗栖一」
「ええ。どうぞ、情報交換を始めてください」
自分が今どこにいるのかに気を取られ意識していなかったが、この八角館には僕以外にも五人、誘拐された人がいるようだった。それも全員見知った顔に見知った制服。小さい村であるがゆえに学校は一つしかないのだが、彼らは僕同様そこの生徒であった。
その中の一人。この小さな村には似合わない、髪を金髪に染めた尊大な男――氷室慶次がイラついた様子で僕らを見回した。
「いいか貧乏人ども。まずは状況確認から始めるとするぞ。俺は下校するためにいつも通り迎えの車に乗ろうとしていた。しかしいつもなら俺が来る前に必ず止まっている迎車の姿が見えず、仕方なく待ちぼうけていたところ急に黒い覆面をした男に襲われた。奴は姑息にもスタンガンを持っていたらしく、返り討ちにしてやろうとした俺を気絶させてきた。そして気づいた時にはこのみすぼらしい館に閉じ込められていたというわけだ。お前らも俺同様、あの黒覆面に連れてこられたんだろ。もし仮に黒覆面の仲間だという奴がいるならさっさと名乗り出ろ。今なら賠償金一千万程度で手を打ってやる」
当然のことながら、誰一人として黒覆面の仲間だと名乗るものは現れない。
そんな僕らの様子を見て氷室は苛立ちを隠そうともせず舌打ちした。
――氷室慶次。眉と唇が薄く、傲慢という言葉を絵にかいたような男。つい半年前この村に引っ越してきたばかりの新参者で、村の人々のことを貧乏人と呼ばわって蔑んでいる。実際家はかなりの大金持ちらしいが、元から友好的な態度を一切見せない彼と親しい者はおらず、本当のところはどうか分からない。因みに、金色に染められた髪は村に来てからのものであり、その理由は貧乏人と同じ髪の色が嫌だったかららしい。
多くの村人と同様、正直僕も彼のことが苦手だ。だから普段なら話しかけたりはしないのだが、状況が状況。僕は嫌悪感を顔に出さないよう心掛けつつ、彼に問いかけた。
「あの、氷室君。ちょっとだけ質問良いかな?」
「なんだ。お前が覆面の仲間なのか。だったら賠償金一億を払って俺をさっさとこのみすぼらしい館から解放しろ」
「賠償金額が上がってるのはなぜ……じゃなくて、まず僕は覆面の仲間じゃないよ。氷室君が話してくれたのと同じように、下校中に覆面の男に襲われて気づいたらここに連れてこられたんだ。というか聞きたいのは、僕が起きるまでにどの程度話し合いをしてたのかってこと。どうやらこの中だと僕が最後に起きたみたいだし、それまでに多少は話し合いとかをしてたんでしょ?」
「ふん、俺の話を遮ってまでする質問がそんなくだらないことか。これだから貧乏人は」
面倒そうに顔をしかめるも、氷室は拒絶せずに答えてくれる。
「いいか、一度しか言わないからその貧相な頭をフル回転してよく覚えろよ。俺がこの館で目覚めたとき、栗栖を除いたお前ら全員が床に倒れて気絶していた。まあ貧乏人が生きていようが死んでいようが俺には関係ないこと。特に起こそうとはせず、出口を探してさっさと脱出しようとしたのだが……唯一起きていた栗栖に無駄だと諭されたんだ、不愉快にもな。出口には鍵がかかっていて外には出られず、窓もないからこの館からは出られない。諦めて他の貧乏人どもが起きるのを待てとな」
氷室が顎で栗栖を示しながら言う。
彼に促され栗栖へと視線を向けると、この場に対する一切の恐怖や不安が欠けた、無機質な表情を浮かべた栗栖の姿があった。
――栗栖一。氷室とは違った意味で、この村では異質な存在として知られている。顔は童顔で、真っ黒なサラサラの髪に、少し力を加えれば折れてしまいそうなほど白く華奢な体つき。基本的に村中の人は全て知り合いであり、その詳細を知らない相手などほとんどいないはずなのに、栗栖について詳しく知っているものは聞いたことがない。親や学校の先生に尋ねても、彼は少し特殊だからと、言葉を濁される。唯一知っていることといえば、いつ、どんな時にでも学校の図書室に居座っていること。授業が行われている真っただ中であろうと、村のだれもが眠りについた深夜であろうと、図書室を訪ねれば彼はいつでもそこにいる。通称『図書室の幽霊』とささやかれる美少年。それが栗栖一である。
氷室同様、いや、氷室以上に話した回数は少ないかもしれない彼は、僕の視線を受けると、透き通るような淡い声を発した。
「彼の言っていることに間違いはないよ。僕がこの中だと一番初めに起きたんだ。それで館の中を軽く見回ってからしばらくすると、氷室君が起きて館から脱出しようとし始めた。閉じ込められていて逃げ場なんてないことは分ってたから、みんなが起きるまで待つように言ったんだ」
透き通るその声は、心にゆったりと浸み込むような感覚をもたらしたが、それと同時に気づけば忘れてしまいそうな儚さを兼ね備えていた。
氷室以外から改めて閉じ込められていることを告げられ、気分がぐんと重くなるのを感じる。僕たちをここに連れ込んだ犯人の目的はいまだ不明だが、少なくともまだ何か仕掛けるつもりがあるらしい。
少し顔が青ざめたからか、友哉が「大丈夫か?」と心配そうに声をかけてくる。僕が何とか笑顔で頷き返すと、いらだった様子で氷室が口を開いた。
「くだらない茶番はその程度にして、さっさと続きを話させてもらうぞ。栗栖にほかのやつらが起きるまで待てと言われたが、俺がその言葉にただ黙って従うわけもない。もちろん自分なりにこのみすぼらしい館の中を見て回ってやったよ。その結果わかったのは、周囲八つある扉のうち、一つ以外はすべて開くこと。開いた扉のうちの一つは玄関ホールに繋がっていて、その先にもう一枚出口と思われる扉があったが当然のように開かなかった。扉の開いた六つの部屋は、それぞれ同じ作りをした小さな物置――まあお前ら貧乏人からしたら客室とでも呼ぶべき貧相な部屋だったよ」
氷室の言葉を補足するように、身長が百九十近くある大柄な男――佐野義武が部屋の扉を開けた。
「貧相とは言うが、ベッドや冷蔵庫、トイレと洗面台がついたユニットバスもある。さすがにテレビや洗濯機はないが、氷室以外なら数日過ごす分には問題なく暮らせるレベルの部屋だ。ホコリもかぶっておらず、きれいに掃除もされている。俺たちをここに連れ込んだ誘拐犯の真意は見えないが、しばらくはこの部屋で暮らせと言っているのだろうな」
「ふん。こんな物置部屋、俺は一日たりとも泊まりたくはないがな」
金持ちの氷室だけはそんな悪態をつくが、だれもそれに応える者はいない。
そんなことより、僕は僅かな驚きとともに、佐野先輩の姿を見つめていた。
――佐野義武。僕や友哉より一学年上の先輩で、バスケ部の主将である。見るからにスポーツ選手と分かるがっしりとした体形に、圧倒的存在感を放つ百九十越えの長身。顔つきもやや日本人離れしており、眉や唇が厚く、全体的に顔の彫りが深い欧米人を彷彿とさせる。
僕とは一学年離れているため、そこまで交流はないのだが、まじめで思いやりの厚い好青年だったはずだ。体格的にも性格的にも、そんな彼が誘拐されたなどというのは信じにくい話。危険を冒してまで彼を誘拐した犯人の思惑は一体どこにあるのか。
僕はより一層、この状況に対して疑問を覚え始めていた。
「それで、一通り部屋を見回った後は、この広間のテーブルに置いてあったくだらない警告文とにらめっこだ。さっさと寝ている奴らを蹴飛ばして起こすべきかとも考えたんだが、狸寝入りをして俺らを窺っている誘拐犯が紛れ込んでいないとも言えなかったからな。あくまでお前らが勝手に起きるのを待ちぼうけてやったよ。後は徐々に気絶していた貧乏人どもが起きてきて、俺と同様に部屋の中を見回っていたくらいだ」
なぜ何もせずに待っていただけで偉そうにできるのか。氷室の心理は全然把握できないが、新たな情報は入ってきた。
テーブルに置かれていたという警告状。そこに犯人の真意がくみ取れる何かが書かれているかもしれない。
「氷室君。悪いんだけど僕にもその警告状を見せてくれないかな。何が書かれてるかすごく気になるんだ」
「別に構わないぞ。というよりどうせ見せるつもりでいたからな。おい、根津。その紙をさっさと一之瀬に渡せ」
「わ、分かったよ。すぐ渡すから、そ、そんなに怒鳴らないでほしいな……」
根津は腰を丸めながらひょこひょこと歩いてくると、僕に一枚の紙を渡してきた。
――根津正弘。氷室や栗栖ほどではないが、この村にあまり溶け込めていない男。もじゃもじゃのフケがついた髪に、ゲームのやり過ぎかクマのできた窪んだ目。常に背中が曲がっており、低い視線から怯えたように相手を見上げながら話す。人と話すことが嫌いなのか、普段声をかけてもどもりながら二、三こと返すだけで滅多に話は続かない。噂によると推理小説が好きで、常に完全犯罪の方法を考えているとか。要するに、これまたあまり親しくないクラスメイトだ。
今この場にいるのはこの六人。僕――一之瀬司、谷崎友哉、氷室慶次、栗栖一、佐野義武、根津正弘。皆同じ学校の生徒であるという点で繋がりはあると言えるが、それでもなぜこの六人を集めたのかと疑問に思う人選。
それの答えになることが何か書いてあるのか。僕は一抹の不安と興味を抱きながら、テーブルに置かれていたという警告状に目をやった。