11:訪問と質問
昨日体を洗っていなかったことを思い出し、がっつりと体を洗うと、僕はまた制服を着なおしてベッドに横たわった。この部屋にはゴースト(それとも小村赤司?)が用意したと思われる洋服がクローゼットに仕舞ってこそあるものの、着る気が起きず結局制服を着用したままにしている。
一人になったことで少し気が抜けたのか、急に眠気が襲ってくる。睡眠時間的には昨日も十分とれたつもりだったが、緊張していたせいかその効率はあまり高くなかったらしい。
今寝るのはまずいと思いながらも、徐々に睡魔が体を支配していき――それを追い払うかの如く扉を叩く音が聞こえてきた。
慌てて僕はベッドから立ち上がると、扉を開けた。そこにいたのは意外にも佐野先輩。
かなり真剣な、しかしどこか戸惑いを含んだ表情を浮かべながら、「入ってもいいか?」と尋ねてきた。僕も先輩の真剣な態度につられ、「どうぞ」と畏まりながら先輩を招き入れる。
取り敢えず椅子に座るよう先輩に勧め、僕は立ったまま先輩の出方を窺う。先輩は少し微苦笑した後、ベッドの上でいいから僕にも座るよう言ってくる。その指示に従い僕がベッドに腰を下ろすと、先輩は大きく深呼吸をし、重々しく話を切り出した。
「単刀直入に言わせてもらう。俺はゴーストの正体は――俺か、君か、根津の、三人のうちだれかだと思っている」
前置きもなく切り出された真剣な告白に、僕は息をのんで硬直した。その発言はあまりにも唐突だったし、僕としては答えずらい内容だったから。どう答えていいか分からず黙り込むも、先輩は僕の答えを聞くまで梃子でも動かぬつもりらしい。じっと僕に視線を合わせたまま、無言の圧力を投げかけてくる。
体感時間にして一時間――実際には一分も満たない静寂の後、僕は声を絞り出した。
「理由は、なんですか」
何の捻りもない、何とか捻りだした質問。
先輩はにこりともすることなく頷くと、淡々と理由を話し出した。
「千世にはたくさんの友人がいたが、その中でも俺と君は、特に彼女と仲が良かった。まず間違いなく、千世の敵を討つために人を殺すこともできるのは、そんな俺と君だけだと思う。だから千世の敵を討つと宣言したゴースト足り得るのは、俺か君のどちらかのはずなんだ」
「そんなことは、ないと思いますよ。千世のことを誰よりも大切に思っている人としては、彼女の家族だって挙げられると思いますし」
少し言葉を震わせながらも僕は何とか答える。しかし先輩は小さく首を横に振り、「それはない」と断言してみせた。
「俺もそうだが、君も千世の家族とは深い繋がりを持っているだろう。もし彼らが千世の敵を取ろうとしたのなら、そこで俺たちに声をかけない理由がない。だから今回の件に千世の家族が関わっている可能性は限りなく低い」
確かにそれはそうだろう。そもそも千世の家族はとても温厚で人を疑うことを知らない善良な人たちばかり。誘拐からの監禁、さらに殺人なんてできるような人たちでは絶対にない。
沈黙を同意と受け取ったのか、先輩はさらに奥深いところ――ここに来た真の目的を告げてきた。
「なあ一之瀬。君がゴーストなんじゃないのか? もし君が千世の敵を討つためにこの八角館での事件を起こしているのなら、俺はそれを止めるどころかむしろ全力で手伝いたいと思っている。
君と千世がいかに仲がいいかは知っている。千世の話の中でも君の名前は特によく出てきていたし、実際彼女自身『司とは他の人とは違う深い絆で結ばれている』と言っていた。正直君に嫉妬さえしていたほどだ。まあ、その絆が恋愛面でないことは見ていてすぐにわかることだったから、流石にその仲を裂こうとまでは思わなかったが」
もし僕と千世が恋仲になりかけたら、先輩に全力で妨害されるところだったのか。体格的には絶対に勝てるわけないし、変な疑いをかけられなかったのは本当によかった。
僕はぎこちない笑みを浮かべかけるも、先輩のまっすぐな瞳に圧され、すぐに気持ちを引き締める。
先輩は再度大きく深呼吸をすると、改めて尋ねた。
「もう一度だけ聞く。君はゴーストじゃないのか? もしそうなら、偽らずに答えてくれ。もし千世が本当に誰かに殺されたなら、俺もその敵を討ちたいんだ!」
嘘偽りのない本心であることがありありと伝わってくる先輩の告白。でも僕は、それに答える言葉を持ち合わせてはいなかった。
「違う」とはっきり否定することもできず、お互いに黙したままの時間が流れる。それは永遠に続くかとも思われたが、先輩は突然息を大きく吐き出すと、「スマン。余計な質問をした」と静寂を打ち破った。
それに伴い今までの威圧するような雰囲気が消え、普段の優し気な様子が戻ってくる。
ようやく満足な呼吸ができると思い大きく息を吸う。そして僕は「こちらこそ、その、すみません」と頭を下げ、ついで気になっていたことを質問した。
「ところで先輩。僕がゴーストの候補として挙がった理由は分かりましたけど、なんで根津君の名前が挙がったんですか? 先輩も氷室君と同じく、あの死体は根津君じゃない別人のだと考えてるんですか?」
佐野先輩は緊張の糸が切れたのか、体をだらっと椅子に預けながら答える。
「そうだな。もしゴーストの正体が俺でも一之瀬でもないなら、ゴーストは千世の復讐を語っただけのただの愉快犯だってことになる。だとしたら申し訳ないが根津は限りなく怪しい。推理小説好きで、どうやらこの状況にもかなり興奮しているようだった。加えて首なし死体。氷室がいたからこそ入れ替わりを疑えたが、もし彼がいなければ俺は入れ替わりなんて発想、この状況下では全く思い浮かばなかっただろう。そんなことをする理由もわからないしな。だから、首なし死体を使った入れ替わりで、推理小説のように俺たちを驚かせながら殺すのが目的なんじゃないか。そんな風に考えたんだ」
僕もこくりと頷いて、先輩の言葉を肯定する。
「動機という面を考えると、確かに根津君は怪しく見えますよね。ここに来てからは、普段と違ってすごく饒舌だったし。それに首なし死体を作った理由。実際これが全然わからない。どうしてただ殺すだけじゃダメだったのか。ゴーストの目的を考えると、やっぱりここは不思議な点ですよね」
「ああ。とはいえそこら辺の細かいところはさっぱり分からん。頭を使うより体を動かす方が得意だからな。できることなら、こういった話は氷室や栗栖とか頭よさげな奴に任せたいと思っている」
先輩の軽口に笑みをこぼしながら、僕は腕時計に目を落とした。
「もう少しで約束した一時間後ですね。そろそろホールに行きますか? 栗栖君が目が覚めたかも気になりますし」
「そうだな。ああそれと、今更だがせっかく休んでたところ邪魔して悪かったな。お互い千世と仲の良かった者同士、ここを無事に出られることを祈ってるよ」
「やめてくださいよ先輩。それ、死亡フラグっていうんですよ」
僕はそう笑いかけつつ、ずきりと胸が痛むのを感じていた。僕と千世は仲が良かった。でもその絆は、先輩と千世のそれとは全く違うもので――




