9:首無し死体と入れ替わりの可能性
誰かと誰かが争っているような声が聞こえる。
僕はぱちりと目を覚ますと、周囲を見回し自分が部屋のベッドの上にいることを知った。どうやら根津が首なし死体になったと聞き、気絶してしまったようだ。それで佐野先輩と友哉がベッドまで運んでくれたのだろう。
部屋の扉は開いており、争う声がホールから聞こえてくるのはすぐにわかった。僕は体を起こすと、すぐさまホールへと足を向けた。
ホールでは友哉と氷室が何やら言い合いを行い、そのすぐそばで佐野先輩が顔をしかめて立っていた。根津が殺され、ゴーストが本気で僕たちに危害を加えようと判明した今、仲間割れはできるだけ避けたい事態。
僕は二人の間に無理やり割り込み、言い合いを強制終了させた。
「ちょっと二人とも、何を言い争ってるんだよ! 今は仲間内でけんかしてる場合じゃないだろ! 何で喧嘩してるのか知らないけどいったん落ち着きなよ!」
友哉はほっとした様子で、氷室は馬鹿にした表情を浮かべながらも、取り敢えず言い合いを収めてくれる。二人が落ち着いたのを確認してから改めて何を話していたのかを問うと、氷室が驚くことを言ってきた。
「根津の死体は首なし死体だったんだろ。ならそれは根津本人じゃない可能性だってある。だからその死体が本当に根津かどうかを確認するために、服を脱がして徹底的に調べようと言ったんだ」
首なし死体が根津じゃない? 僕は困惑して友哉と佐野先輩に交互に視線を送った。よくよく考えてみれば僕はまだ根津の死体を見ていない。二人も単に、根津の部屋に死体があったからその死体が根津だと断定してしまった可能性は否定できない気がした。
しかし、友哉はすぐさま首を振って反論する。
「だからそんなことしなくてもあれが根津の死体なのは明らかだって言ってるだろ! 体型も身長もほとんど根津と一緒だし、服装だって昨日根津が着ていた制服だ。それにさっきお前が言ってたよな。玄関ホールに設置した洋服の類は全く動いてなくて昨日のままだったって。つまり外部から人が入ってきた可能性はないんだろ。ならあの死体が根津じゃなかったら一体誰の死体だっていうんだよ! 異世界からテレポーテーションでもしてきたと言うつもりか」
怒涛の如き友哉の反論にも、氷室は顔色一つ変えることはない。それどころか侮蔑の笑みをより深め、大きく嘆息して見せた。
「全く貧乏人は、すぐ感情的になり物事を冷静な目で見られなくなる。本当に愚かな生き物だな」
「てめえ、この期に及んでそんな侮辱を――」
友哉が怒り心頭と言った様子で氷室の胸ぐらをつかもうとする。慌てて僕と佐野先輩で友哉を押しとどめる。こんな場所で仲間割れからの殴り合いなんて目も当てられない。ゴーストなんか現れなくとも、勝手に殺し合いが始まってしまいそうだ。
僕と先輩で何とか友哉を落ち着かせていると、氷室が性懲りもなく先の続きを語り始めた。
「仮に首なし死体が根津の死体でなかった場合、一体どこからやってきたのかが分からない? ふん。それを言うなら、消えた根津の頭部はどこに行ったというんだ。外部から出入りした形跡がないということはつまり、内部からも外に出た形跡がないということ。これが意味するのは、根津の頭部をこの館から消す方法があるのなら、それは同時に首なし死体をこの館に持ってくる方法があるということに他ならない。綿密な調査なくしてあの首なし死体の存在は、何一つ根津のものであるという根拠は得られないんだよ。それぐらい理解できないものかね」
明らかに挑発するような氷室の言葉に、友哉は顔を真っ赤にしながらぎりぎり怒鳴るのを堪えている。悔しいけれど、氷室の言い分にも一理あるのは間違いない。それが分かっているから、友哉も氷室の言葉を無視できずに反応してしまうのだろう。
氷室は友哉を論破できたことが嬉しいのか、どこか楽し気に館内を見回している。と、不意に彼の視線が僕で止まった。
なぜかゾクリと背筋が震えるのを感じていると、氷室は嘲笑を浮かべながら言ってきた。
「そういえばお前は、根津が首なし死体になっていると聞いだけで気絶して、まだ実物を見てはいないんだったな。昨日も言ったが、周囲の言葉を鵜呑みにせず自分で確認するのはやっておくべき自衛の手段だぞ。ここにいる二人が、お前を怖がらせるために首なし死体があると作り話をしている可能性だってあるんだからな」
「な! 何でこの状況で俺らがそんなことを――」
「いいよ友哉。僕もちゃんと、根津君の死体をこの目で見ておくべきだと思ってたから」
心配そうに友哉がこちらを見つめてくるが、僕は笑ってごまかす。首なしの死体なんて全く見たくはないが、氷室と二人きりで話せる機会はチャンスだと思ったからだ。友哉が隣にいてくれるのはとても心強いけれど、こと氷室と話すときはすぐ挑発に乗ってしまうため――正直ちょっと邪魔だし。
僕は佐野先輩に友哉を任せ、氷室と二人で根津の部屋に入った。
入った瞬間に、堪えがたい血のにおいが鼻を突いた。隣の氷室を見ると、流石に血の匂いに慣れているということはないらしく、僕同様顔をしかめている。それでも顔を青ざめさせたりすることなく堂々と部屋を進んでいき、首なし死体を観察し始めた。
僕も呼吸を最小限に抑えつつ、ゆっくりと部屋の中を歩いて首なし死体の隣に移動する。
首なしの、死体。
一瞬視界に入れるも、その凄惨さに耐え切れずすぐに目をそらしてしまう。この死体を長々と眺め、挙句調べると言って触れている氷室は、一体どんな神経をしているのだろうかと不思議になる。金持ちと言うのはこれぐらいの強心臓でないとなれないのだろうか? そんなくだらない考えさえ浮かんできてしまいそうだ。
首なし死体の体をぺたぺたと触り、何やら調べている様子の氷室。僕はできるだけ死体を目に入れないようにしながら、そんな彼に話しかけた。
「……氷室君は、この状況にあんまり驚いてないみたいだね。ゴーストが僕たちを殺そうとしていることも、想定していたの?」
氷室は死体に目を向けたまま、気怠そうに答える。
「予想していたわけじゃないが、こうなる可能性も考えてはいた。だから俺は自己防衛のために最善を尽くしていたわけだしな」
「じゃあ根津君が死んだのは、自分の身を守るために最善を尽くさなかったのが原因、ってこと?」
「さてな。犯人がただ俺たちを殺したいわけじゃないのも明らかだからな。根津はこの館の中で、犯人が殺そうと思うに十分な要素を満たし、そのうえで隙だらけだったから殺された。そう考えるのが妥当じゃないか」
「根津君は、犯人に殺される十分な要素を満たした……」
それはつまり、千世の死に根津が関わっていたということだろうか。だとすると、あの日千世が会うつもりだったのは根津だったということ? 可能性は……十分ある。根津みたいなのは、千世にとって絶好の○○だっただろうから。
僕が物思いにふけっていると、氷室が「分からん」と諦めの言葉を発し立ち上がった。
「そもそも俺はこいつの身体的特徴なんてまるで知らん。この死体の主も生前は根津同様かなり猫背だったことは分かったが、それだけじゃ根津だと断定はできないしな。おい、お前も部屋の中ばかり見てないで、こいつが本当に根津かどうか確認してくれ」
そう声をかけられ、意識を現在まで急浮上させられる。僕は慌てて何を言われたのかを聞き返した。
「えと、ゴメン。聞いてなかった。今なんて言ったの?」
「ちっ、この死体が本当に根津かどうか確認しろと言ったんだ。お前は俺と違ってこいつとの付き合いも長いんだろ。何かこれが根津だと特定できるような特徴を知らないのか」
僕は申し訳なさそうに首を横に振る。
「いや、僕も根津君とはほとんど交流がなかったから。実は根津君って幼いころに氷室君同様東京から引っ越してきた人なんだよ。それで最初こそ仲良くしようと話しかけてたんだけど、やっぱり馴染めなかったらしくてほとんど自宅に引き籠るようになったんだ。だから彼の身体的特徴とかは全然知らないし、確認しろって言われても難しいよ」
「ふん、役に立たんな。それじゃあ結局、この死体が誰のものか分からないままということか」
もはやこの死体には興味をなくしたと言った様子で、今度は部屋の中を調べ始める。僕も氷室に倣い、なにか犯人につながるものがありはしないかと一緒に調べて回る。
「それにしても氷室君は、どうしてこの死体が根津君じゃないなんて考えてるの? 死体に頭部がない以上確かに別人の可能性はあるけれど、それでも限りなく低い可能性じゃないかな。その……この死体が本物であることは間違いなさそうだし、たぶん死んでから大して時間が経ってないのも間違いないでしょ? どちらにしろ犯人は人を殺してるわけだし、新たに別の死体を用意する意味もないと思うんだけど」
「ふん。俺だってこの考えが荒唐無稽なことぐらいは理解している。だが、この館にはお誂え向け過ぎる場所が一つあるだろう。開かずの間とかいう、いまだ誰も中を見ることのできていない部屋がな」
「確かに……。つまり氷室君は開かずの間に犯人が隠れてるんじゃないかって疑ってるわけだね。それなら元から根津君に似た人をもう一人誘拐しておいて、その人を昨晩殺害して根津君の代わりに置いておくこともできる。本物の根津君はゴーストの協力者で、この首なし死体で僕たちを動揺させるために呼ばれていた」
「もしくは根津本人がゴーストで、自分を死んだことにしておいて陰からこっそり俺たちを殺す機会を狙っているとかな。あいつは推理小説とかいう殺人ものが好きだったらしいしな。実際のところ千世の敵討ちなど念頭になく、単に人を殺したくなってこの舞台を用意したのかもしれない」
「流石にそれはないと信じたいけど……」
そこで僕らは一度会話を終了し、いったん部屋の捜索に専念した。しかし当然のように犯人につながるものは何も見つからず、根津の頭部も出てこなかった。
結局収穫ゼロでホールへと帰ることに。友哉も佐野先輩も自室には戻っておらず、椅子に座って待っていた。僕ら二人が部屋から出てきたのを見ると、友哉が心配そうに駆け寄ってきた。
「大丈夫か! ただでさえお前千世の死であんなに参ってたのに、首なしの死体なんて見て……」
「ふん。過保護な奴だ。多少の無理をしてでもここで踏ん張らないと、生きて帰れるかどうかさえ分からないんだぞ。余計な心配をしている暇があったら、お前も犯人の手がかりをつかむ努力をしろ」
「っ……」
激昂しそうになる気持ちをぎりぎりのところで抑え、友哉は氷室から視線を逸らす。やっぱりこの二人を同じところにいさせるのは危険だと考え、僕は友哉を連れて一度自室に戻ることにした。
「この後、昨日の続きを含めていろいろと話すべきだと思いますけど、僕たちは一度部屋に戻りますね。まだ頭が混乱している所もあるので、少し考える時間が欲しいですから」
「構わんぞ。一時間後、栗栖が起きるだろう頃になったらホールに集まって作戦会議と行こうじゃないか。ああそうだ、部屋に戻ったら一応部屋中を確認しておけよ。根津の頭部が隠されてるかもしれないからな」




