第一章③ 『もしかして:アホの子』
「ぶはぁっ! げほ、げほっ!」
「大丈夫ミミズちゃん!?」
幸いにも近くにあった岸に、なんとかよじ登ると、サミュちゃんの駆け寄ってくる声が聞こえた。
よかった……まだ覚めてない!
「ごめんね、わたしっ……力加減失敗しちゃって……!」
心身ともに疲弊し、地面で転がる俺の横に、今にも泣き出しそうな表情でへたり込むサミュちゃん。
あれは力加減とかいう問題なのか? いとも容易く舞い上がったけど……。
……いや。今重要なのはそこじゃないだろ。
幼女が目に涙を浮かべている。俺はその状況を前にしても、地に伏し続けてしまうほど、惰弱な男なのか? そんな愚行が、許されるのか?
「でやっ!」
俺は気合いを入れ直して勢いよく立ち上がり、元気よくまくし立てる。
「すごいねサミュちゃん! まだ小さいのに、あんなに強い風を起こせるなんて!」
「え……? ミミズちゃん、怒って、ないの?」
すると、かなり落ち込んだ様子だったサミュちゃんは、困惑した様子で問うてきた。
「そりゃあ、少しはびっくりしたけど、湖に落ちたからケガもしてないし、全然怒ってないよ」
失敗した妹を慰める兄のように、優しくそう答え、最後にニコッと笑いかける。
よぉし、文句なしのかんっぺきなアフターフォローだろこれ。ギャルゲなら、もはやルート攻略も同然レベルだ。
「ほんとに? 怒ってない?」
それを聞いて、少しサミュちゃんの顔が上がる。
ぬぅん! 涙目と上目遣いのコンビネーションは、男子の劣情を煽るので禁止すべきだと思います!
……っと、せっかくかっこよく決まったんだ。ボロを出さないよう、気を取り直して……。
「うん、ほんとだよ。全然へいき! だから改めて、お家まで案内よろし――ぶえっくしゅん!!」
だぁぁぁ! オイコラくしゃみぃぃぃ! イイところで邪魔してんじゃねぇよぉぉぉ!
「あぁっ! このままだとミミズちゃんが風邪引いちゃう! えっと、え~っと……」
盛大にくしゃみした俺を気遣って、どうやらなにか拭けるものを探してくれてるみたいだ。
確かにあったらありがたいが……。
「ごめんミミズちゃん! 今タオルとか持ってなくて……」
まぁ、ないなら仕方ない。
「ううん、大丈――」
――夫だよ! と言おうとした、そのとき。
突如俺の足下に、ぶわっと薄緑色の幾何学模様が広がった。
「……えっ?」
「だから、かわりにわたしが乾かしてあげる!」
正面を見れば、俺の方に両手を向けるサミュちゃんが。
なんたるデジャヴ! これはマズい!
「サミュちゃんストォォォップ!!」
俺は瞬時に叫びながら、右に転がって魔法陣内を離脱する。
人間って本当の危機に瀕すると、こんな機敏に動けるもんなんだな……。
「えっ、どうしたのミミズちゃん!?」
唐突に奇行を見せた俺に驚いた様子で、サミュちゃんが腕を戻す。同時に、地面に広がっていた魔法陣も、光の粒となって霧散した。
ほっ、なんとか難は免れたが……これはひどく心臓に悪い。
「い、いやぁ……服が濡れてる状態で風を受けると、寒いかなぁと思って」
俗に言う、気化熱ってやつだ。
「だから、風で乾かすよりは、早く服を着替えたいかなぁ……なんて」
俺は言外に、早く家に向かおうと伝えてみる。
ちょっと図々しい気もするが、この際仕方がないだろう。
またどんな流れで、吹き飛ばされかけるか分からないからな……。
「そ、そっか。それなら……」
どうやらサミュちゃんにも、分かってもらえたようだ。これでやっと、念願のロリハウス
に……。
「んしょ……っと」
「――って、ちょっ!? なにやってんのサミュちゃん!?」
やっと心拍が落ち着こうとした矢先。
しかし俺の心臓は、そうは問屋が卸さねぇと言わんばかりに、再び暴動を起こした。
なぜなら……。
こともあろうか、サミュちゃんが――おもむろにワンピースを脱ぎ始めたのである。
「ミミズちゃん風邪引いちゃうから、着くまで代わりにわたしの服を……」
色白な太もも。薄ピンクのリボン付きパンツ。柔らかそうなお腹。
裾がたくしあげられるにつれ、次々と大事な部分が露わになっていく。
……って、見惚れてる場合じゃない!
「だ、大丈夫! 私は大丈夫だから!」
可愛らしい二つのイチゴが見える直前で、俺はなんとか、サミュちゃんを押しとどめる。
あぶないあぶない。もう一瞬遅ければ、とどめるどころか倒してた……。
「でも、ミミズちゃん――」
「そんなことしたら、サミュちゃんが裸で帰ることになっちゃうよ!?」
「……? あ、たしかに!」
俺が指摘すると、サミュちゃんは少し首を傾げてから、ハッとした様子でいそいそと裾を戻す。
そこ気づいてなかったの!?
「ごめんねミミズちゃん。やっぱり服は貸せないや……」
しょんぼりして言うサミュちゃん。
うん、思い直してくれてよかった。
しかし先ほどから、薄々感じていたのだが……。
――もしかしてこの子、アホの子なのでは?
そんな仮説を立てた俺は、少し前を思い返す。
そういえばこの子、なぜか俺に添い寝してたんだよな……。
加えて、あまり気にしてはいなかったが、いっぱいに草が入った木編みのかご。
「……サミュちゃんって、この森でなにしてたの?」
気になったので、なんの脈絡もなく、不意に訪ねてみた。
「えっ? え~っと……」
少し逡巡して、何か思い出したように「あっ!」と声を上げるサミュちゃん。
「どうしたの?」
「どうしよう……わたし、まほろば草取ってきてって頼まれてたんだった……」
「まほろば草?」
「うん、あれ」
サミュちゃんの指さす先にあったのは、地面に置きっぱなしにされたかご。
「ここで寝てるミミズちゃんを見つけて、そのままわたしも寝ちゃって……ねぇ、あれからどのくらい時間たってるかな!?」
そんなこと聞かれても、俺はサミュちゃんがいつ来たのかすら、分からないんですが……。
「も、もしかして、もう朝だったり……夜ご飯食べ損ねちゃったかも!?」
あたふた、という擬音がぴったりな様子で、サミュちゃんがとんでもないことを口走る。
これはなんというか……見ててすごく和むなぁ。
「どどどうしようミミズちゃん! わ、わたしたしかにお腹減ってるもん! たぶん今、朝だよ! あわわ、シオンに怒られちゃう!」
シオン、というのは兄弟の名前だろうか。どんな子だろう、楽しみだ。
俺は今にも笑い出しそうになるのを必死にこらえながら、サミュちゃんに言う。
「とりあえず落ち着こう? まだたぶん夕方だから、夜ご飯には間に合うと思うよ?」
「ほ、ほんと!? でもわたし、お腹減ってるよ!?」
「それは、夜ご飯を食べてないからじゃないかな……?」
「た、たしかにそうかも! じゃあ早く行かなきゃ!」
それを聞くや否や、サミュちゃんはかごと俺の手をがしっと掴み、走り出した。
「ついてきて、ミミズちゃん!」
「う、うん!」
俺はサミュちゃんに引かれるがままに、木々の間を駆けながら、確信する。
――やっぱりこの子、アホの子だ……。
次は来週の日曜日にお会いしましょう!