豆腐: 雪国鍋を山頭火と
二千年以上も前に中国で創製された豆腐が日本に伝来したのは、奈良時代とも平安時代とも言われている。
豆腐は、冷奴や湯豆腐のようにそれだけで食べてよく、又、肉や魚、野菜と合わせてもよく、味噌汁には欠かせないものだ。
我が家の食卓に豆腐がのぼらない日が数日も続けば、家族の一人が食卓についていないような寂しさを感じる事だろう。
山頭火の酒肴の第一に挙げられるのも豆腐である。
昭和十一月三十日の日記
「飲みつゞけ話しつゞけた、坐敷へあがると、そこの大机には豆腐と春菊と密柑と煙草とが並べてあった、(略)酒は無論うまいが、湯豆腐はたいへんおいしかった」
この日は句友の近藤次郎宅に泊まっている。
湯豆腐は山頭火の好物だ。
昭和10年にはこんな句を詠んでいる。
「かうして生きてゐる湯豆腐ふいた」
作家の池波正太郎は『味と映画の歳時記』の中で湯豆腐にふれている。
「湯豆腐をするとき、大根の細切りをいっしょに入れると何故か豆腐がうまくなる。鍋の中へ入れた壺の附け醤油へ、ほんの二、三滴、胡麻油を落し込んでみるのもおもしろい。」
これを読んだ私は、おろし大根使えばもっと美味しくなるに違いないと考え、大根一本全部を鍋に摩り下ろし、そこに豆腐を入れた。
白い雪にうずもれ、静寂につつまれた、雪国を思わせる世界がそこに現出した。
鍋の中の豆腐は屋根に雪をかぶった田舎屋の様に見えるではないか。
川端康成の有名な小説の冒頭にちなんで言えば、「大根を入れると雪国であった。鍋の底が白くなった。」ごとき世界だった。
感動した私はそれを雪国鍋と命名し、妻と子供達をさっそく食卓に呼び寄せた。
「まあ、おいしそう」と言ってくれるかと思いきや、彼らはそれを見るなり、お粥のようだとも、出産時に入院していた病院の食事のようだとも、さらにはあからさまに「気持が悪い」とも「まずそう」とも言い、他におかずがないのを知ると、落胆の色を隠そうともせず、しぶしぶ箸を出した。
読書習慣がついに身につかず、「雪国」など読んだことのない彼らに、私は川端康成がノーベル賞を受賞したことにも触れて雪国鍋の由来を力説したが、感動を共有することはついに出来なかった。
由緒正しい雪国鍋は二度と我が家の食卓に上ることはなく、幻の鍋となった。
私はこの雪国鍋で山頭火と一杯やりたかった。
大根好きの山頭火ならこの鍋に込められた私の思いを解し、その着想に膝を打ち、喜んで食べてくれたろうに。
残念だ。