胡瓜: 朝風のいちばん大きい胡瓜をもぐ
「朝風、胡瓜がしつかりつかんでゐる」
昭和8年6月16日の句である。
前夜の酒がこたえて胃の調子が悪い山頭火は、行乞を中止して畑の野菜の手入れ。
この日は胡瓜の棚をこしらえた。
畑仕事の汗を風呂で流してサッパリしたところに、句友であり酒友、かつ脱線仲間の樹明君が胡瓜を持ってやって来た。
山口農学校の職員である樹明は学校の宿直当番を抜け出して来たのだ。今夜は山頭火の庵で宿直をしようというのだ。
金欠で醤油までなくなっている山頭火は、酢だけで胡瓜なますをこしらえ、それを肴に2人で飲んだ。
胡瓜は山頭火の大好物の野菜である。
「わたしの胡瓜の花へもてふてふ」
昭和8年6月29日の句。
「てふてふ」とは「チョウチョ」のこと。
この頃山頭火は10時就寝、4時起床、昼寝1時間、そして金がないから仕方なしの純菜食で身心増々快調。
山頭火の畑ではトマト、茄子、胡瓜がどんどん伸び、太っている。
畑の草取りにも精を出すが、取らずにはいられない草だけを取る。雑草風景を味わうのが山頭火のやり方だ。
この日は裏山を歩き、青草に寝ころんで雲を眺めた
同じく草に寝転んで空を見上げた人に明治19年(1886年)生まれの石川啄木がいる。ちなみに山頭火は明治15年生まれ。啄木の残した次のような歌がある。
「不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心」
私も子供の頃、仲間と草に寝ては、雲が何に見えるかと話したものだった。たえず形を変える雲が相手だけに、飽きずに眺めたのはなつかしい思い出だ。
「もつれあひつつ胡瓜に胡瓜がふとつてくる」
昭和8年7月11日の句。
この日は快晴。
このところ山頭火は茄子と胡瓜ばかり食べ続けている。
木々に囲まれ、山頭火が雑草風景を愛することもあって、彼の住まいの其中庵には蚊が多い。
一人住まいの山頭火に薮蚊が群がりたかってくるのにたまりかね、まだ明るいうちから蚊帳をつってその中で読書三昧である。
私の猫の額のような畑にも胡瓜がある。何本も蔓を伸ばし、支柱だけでなく近所の茄子やトマトに絡みつく。茄子やトマトにすれば、実にはた迷惑な隣人を持ったということになろう。
胡瓜の実の成長の速さは驚くほどである。朝、昼、晩と見るたびに大きくなっている。
それから無数のとげとげのちくちくと痛いのも嬉しい。
「朝風のいちばん大きい胡瓜をもぐ」
昭和8年7月18日の句。
胡瓜は朝もぐべしと私は教えられた。昼間にもぐと苦味が出るそうな。
この朝、山頭火も露を置いた胡瓜の葉をさぐって、一番大きい胡瓜をもいだのだ。
それは早速、味噌煮となって茄子の浅漬とともに山頭火の朝の食卓にのぼった。
胡瓜の味噌煮?
胡瓜に金山寺味噌をつけてかじるのは、春から夏にかけての私の晩酌の楽しみだ。
しかし味噌煮というと鯖しか思い浮かばない私には、味噌で煮た胡瓜にはあまり箸が伸びそうもないが。
「胡瓜の皮をむぐそれからそれと考へつゝ」
昭和8年8月4日の句。
前日には、樹明君が山口農学校の実習生数人を連れてきて、其中庵周辺に伸び放題に伸びている草を刈っていってくれた。惜しむらくはそれが大トラ刈りであったこと。
山頭火は野菜の手入れ。
8月になると、山頭火の畑の胡瓜は終りに近い。茄子は真っ盛り、トマトはポツポツ太って熟れてきた。
ハスイモ、シソ、トウガラシはいよいよ元気。大根としょうがは暑気あたりでげっそり。
これらはみんな山頭火の胃袋を慰めてくれるが、中でも胡瓜は「胡瓜ばかりたべる胡瓜なんぼでもふとる」とあるように、山頭火の食卓に登板回数の最も多い野菜のエースである。