種田山頭火と若山牧水
「山頭火のおいしい俳句」の出版に関連して、先日瀬野の私の講演の一部を抜粋する。
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最近山頭火の日記を読み直しておりましたら、山頭火が歌人の若山牧水について何カ所か言及しておりました。その一部をご紹介します。
・「これから水がうまくなる、と今朝樹明君と話しあつたことである、むろん、酒はいよ/\ます/\うまくなる。秋が来ると、私はいつも牧水の酒の歌をおもひださずにはゐられない」
・「晩酌一本、上機嫌になつて、牧水の幾山河を読む、面白い面白い」
山頭火は俳句、牧水は短歌という違いはありますが。この二人にはいくつか共通点がありますので、そのことについて少し申し上げます。
まず二人の生きた時代ですが、資料⑤にありますとおり、
・山頭火:1882(明治15)~1940(昭和15)57歳
・牧水:1885(明治18)~1928(昭和3)43歳
山頭火が三歳年上ですが、同じ時代を生きた人と言えると思います。
さて、まず一つ目の共通点ですが、それは二人が早稲田大学のしかも同じ文学科に籍を置いたということです
ただ残念ながら山頭火は明治37年の2月に神経衰弱で退学しています
牧水はその明治37年の、恐らく9月に入学しておりますのでわずか七か月の差ですれ違ったということになります。
二人とも若いころから文学に目覚めておりましたので、出会っておればどんな影響を与え合っただろうと思うと、惜しい気がします。ちなみに牧水が早稲田に入学して同級生になったのが詩人の北原白秋でした。
二つ目の共通点は酒です。
大酒のみという点では同じですが、その飲みっぷりはちがっていたようです
山頭火は自ら日記で告白しているように、飲めば泥酔せざるを得ない人で、時には田んぼの中を這いまわってドロドロになったり、警察の世話になる時もあり、歌が始まり踊り始めるという飲みっぷりでした。日記にも踊り疲れて帰って来たという記述が時々あります。
今生きておればカラオケに行ったり、若い人に交じってディスコで踊っていたかもしれません。
ちなみに山頭火が酔って歌った愛唱歌は、ご存じも方も多いと思いますが
都都逸の
何をくよ/\川端柳水の流れを見て暮らす
や
新潟民謡の三階節の
米山さんから雲が出た……
であったようです。
一方
牧水の飲み方は
これは彼の短歌から想像するしかないのですが
山頭火とは対照的であったように思います
2人の酒に関する作品をご覧ください
○牧水の酒の短歌
・人の世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにのたのしみ
・白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり
山頭火の日記で「秋が来ると、私はいつも牧水の酒の歌をおもひださずにはゐられない」とありますがこの白玉の…の事だと思います。
牧水は心から酒好きの大酒のみであったようで、毎日少なくとも一升は飲んだと言われています。彼が酒の飲みすぎで43歳で肝硬変で亡くなった時、夏であるにもかかわらず、死後しばらくたっても腐臭がしなかったということで沼津の医者が、牧水は生きながらにしてアルコール漬けになっていたのではないかと言ったという話が残っています。
余談ですが牧水と山頭火は酒の銘柄になっています。
「牧水」は長野県佐久の蔵元の酒です。
「幾山河」(いくさんが)は山口県の下松の酒です。
「山頭火」は皆さんご存知の通り山口市の蔵元の酒で、この山頭火祭りでお飲みになった方もおいでだと思います。
ちなみに私は三つとも飲みました。
山頭火の酒の句を見てみます
○山頭火の酒の句
・ほろほろ酔うて木の葉ふる
・酔うてこほろぎと寝てゐたよ
ここで二人の短歌と俳句を見ますと、牧水の短歌はまさに酒を飲む喜び、酒のうまさその物をうたっていると思います。
「白玉の 」の句などまさにそうです。
一方山頭火のほうは酒そのものよりも酔った挙句の自分をうたっているように思えます。
ほろほろ酔うて木の葉ふる、のほろほろ酔うたのは山頭火で、酔うてこほろぎと寝てゐた、のも山頭火本人です。
牧水の歌には二つとも「酒」という言葉が入っているのに対し、山頭火の句には「酒」という言葉はなく、「酔うて」とあります。
作品を見る限り牧水は酒そのものが好きであり、山頭火は酔うのが好きであったと、私は勝手に解釈しています。
三つめの二人の共通点は旅です
牧水は山頭火のような、時によっては一日に40キロ以上歩くような長距離の徒歩旅行者ではありませんでしたが、たくさんの旅の歌を残しています。
なかでも有名なのが先ほどご紹介しました沼津の松林の中にある歌碑です。
○沼津千本公園にある牧水の歌碑
・幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく
これは明治40年ですから牧水が大学三年の時、22,3歳の時の歌です。
まんざら広島と無関係の歌ではなく、岡山県と広島県(比婆郡東城町)の県境の二本松で読んだ句で、この歌の歌碑が立っています。
山頭火と一緒に四国の遍路道を短い旅をした人の手記が残っていますが、それによると山頭火はこの牧水の「幾山河」を声に出して暗誦しながら遍路道を歩いていたということです。この歌は山頭火の一人旅の同伴者であったようです。
山頭火は酒と旅の歌人という自分と共通する要素を持った牧水のファンでした。
しかし牧水は無名の山頭火の事はまず知らなかったと思います。
この短歌の中に二人に共通するキーワードがあります。
それは「寂しさ」です。
山頭火の俳句は英語に翻訳されていますが、アメリカで一番人気のある俳人は松尾芭蕉でも小林一茶でもなく山頭火であると言われています。
中でも最も人気のあるのが次の句です。
・まつすぐな道でさみしい
いくつか異なった翻訳があるようですが、
This straight road, full of loneliness.と英訳されています。
直訳すれば「このまっすぐな道、寂しさでいっぱいだ」というところでしょうか。
彼はさびしい俳人として、アメリカで知られています。
牧水にも「寂しさ」をうたった短歌は多くあります。
山頭火に至っては、句ばかりでなく、日記にも非常に頻繁に「さみしい」という言葉が出てきます。
「さみしい」という言葉が山頭火を理解するうえでのキーワードの一つではないかと思います。
○山頭火のさみしい句のごく一部を上げてみました。
まつすぐな道でさみしい
寝ざめ雪ふる、さびしがるではないが
風は何よりさみしいとおもふすすきの穂
やつぱり一人はさみしい枯草
遊び倦いた子供らにさみしい落ち葉
さみしい顔が更けてゐる
水もさみしい顔を洗ふ
さみしい風が歩かせる
さみしい湯があふれる
何でこんなにさみしい風吹く
さみしい食卓の辛子からいこと
身のまわりかたづけてさみしいやうな
さみしいけれど馬鈴薯咲いて
ここで気がついたことですが牧水は
・幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく
にある「寂しさ」という名詞形を他の作品でも使っています。
それに対して山頭火はここに見られますように一句を除いて形容詞の「さみしい」という言葉を使っています。
作り手の癖、好みということは勿論あるのでしょうが、この違いは面白い点だと思います。
「寂しさ」という名詞形、は日常会話ではあまり使わない言葉ではないでしょうか。文章語である気がします。そのことからすると、牧水は自分の寂しいという気持ちをやや引いた場所から、冷静に見つめている感じをうけます。
一方山頭火の「さみしい」は日常会話で使う言葉ですので、自分の気持ちをありのまま表現しており、牧水とは違い自分のさみしさを引いたところからは見てはおりません。
山頭火はひたすらさみしい人であった、という感じをうけます。